近年の異世界系小説に見る超越と脱出:2

Photo by Johannes Plenio on Pexels.com

  初めていらした方は前回の記事から御覧くださいね.

 なぜ、浦島太郎と盧生はそれぞれ異世界に転移したのか.また、なぜ二人の物語が現在まで残っているのか.他界への憧憬はあったにせよ、二人はきっと他界で幸福や快楽を得ようとしたわけではない.一度も行ったことがないはずなのだから.

 私達は彼らの出発の理由に脱出の願望を見出す.識者の言葉を借用すれば、「欣求浄土」に先行する「厭離穢土」の一貫性というようだ.「厭離穢土」(おんりえど)は此の世を厭い、地獄を恐れること.「欣求浄土」(ごんぐじょうど)は死後極楽浄土へ往くのを願うことをいう.どういうことだろうか.それには日本における共同社会の特色を確認しておこう.ムラ社会の占有する土地の境界が明瞭であること、社会的にもムラの内に住む人と外に住む人との差別が強いこと、ムラの空間が外に対して閉鎖的であることが主な特徴とされる.

 ムラ社会のような共同体は構成員の安全を(建前上は)保証するが、成員個人の自由を極度に制限し、その圧力は日常生活のあらゆる局面に及ぶことがある.個人にとっては耐え難いほどに窮屈なものである.共同体や集団の習慣が制度化され厳密に組織化されたのは17世紀以降の幕藩体制および天皇制官僚国家のもと急激な工業化過程にあった社会であったとする指摘がある.共同体は農村から会社、日本国に及ぶ.共同体の境界は明瞭で出入りは困難である.集団の統制力は厳格で、逸脱には制裁を備える.共同体の内部にいる人員は誰もが満足することはなく、ひたすら鬱憤がたまるほうが自然であろう.不満の蓄積は想像に難くない.潜在的な不満の爆発的表現は、集団的伊勢参りである「抜け参り」「お蔭参り」が挙げられるようだ.これは一時的な脱出と考える.だが脱出してどうする? 伊勢に行っても結局はトボトボ戻るほかない.祈祷してもご利益はすぐには機能しない.伊勢は理想郷でもない.アマテラスの聖地ではあるが.異世界とは違う.

 「今」ここからとにかく脱出することが重要である.「欣求浄土」に先行する「厭離穢土」を私なりの言葉で言えば、

 「嗚呼、うちの職場に隕石でも落ちてきたりして壊滅的になくならないかなァ、こんなところもう嫌で嫌でしかたない.家に帰ってもどいつもこいつもギャーギャーうるせえし.休日はやることないし、クタクタだし.寝るだけで休みは潰れる.もう終わりにしてぇ(終わらないのは知ってるけど).それかいっそ消えてしまいたい、ふわっと煙みたいに……どうなってもいいからサ」

 余計わからないという指摘をいただくかもしれない.つまり、「この現実は窮屈で退屈で汚らわしい、(天国とかどうでもいいから)とにかく此の世から逃げたい」ということだ.

 この脱出願望は現状に苦しんでいる人にとってきっと共感的だ.どんな世界に脱出するかはわからないが、浦島と盧生の例からすれば、空間的に現世から可能な限り遠ければ良く、時間の流れ方も現実と異なれば良い.さてどうしようか.

もう少しつづきます.

近年の異世界系小説に見る超越と脱出:1

Photo by Brady Knoll on Pexels.com

 「今」自分が置かれている状況がとても辛い、現状に満足していない、なんとかして抜け出したい.そんなとき私達はどうするだろうか.休暇を取る?仕事をしている人なら職場になんて言おうか.「言いづらくて……」「きっと上司に小言を言われる」「申請が面倒くさいのです」という感想を持つ人は少なくないだろう.

 「法事がありまして……」嘘がバレたらどうしようと思う人もいるだろう、取れる休みもせいぜい1日2日だ.「風邪を引いたことにしよう」医療機関を受診した証明をもらってきてくださいと言われるとうまくいかない.嘘をつくにも頭を使う.もし休暇が取れたとしても行程を考えると思うと大変だ……お金もかかるし…… そう考えている人はきっと疲れている.疲れている人は多い.

 いっそ誰も自分のことを知らないどこかに行ってしまいたい、そう夢想する人はいるだろう.私はそう考えたことがある.皆さんはどんなところに行くことを考えるだろうか.

 少し前からか、「小説家になろう」というサイトや類似したものが賑わいを見せている.自分の書いた物語をウェブ上で公開し、匿名の読者から評価を得る仕組みである.読者受けが良くて、読者が増えるとランク付けされ上位としてトップページに反映される.ますます人気が出てきて、出版社やメディア業界の目に留まると、実際に出版され、書店に並ぶようになる.ライトノベルというジャンルに位置づけられることが多いだろう.(ライトノベルの嚆矢はおそらく「ブギーポップは笑わない」).漫画化も勿論ある.こういった作品がさらに人気になるためには表紙絵や挿絵を担当するイラストレーターの技量にかかっているがここでは触れない.さらにはアニメーション化されて、地上波で放送されることも少なくない.このような例は数多くあるので、実際に書店を訪れると、そのジャンルの隆盛がよく分かる.例として作品を一例挙げる.「この素晴らしい世界に祝福を!」という作品は、近年の「小説家になろう」ブームの代表として考えてよいだろう.こうした作品は実に大多数が極めて類似した作品構成となっている.それは「異世界」である.

 「異世界」ものは日本でも古くから存在する.浦島太郎が登場する浦島伝説が有名である.ご存知の通り、浦島太郎は善良な若い漁夫である.日常世界では格別の楽しみはない.亀を助けたことにより龍宮城へ連れて行かれ乙姫らのもてなしを受ける.憂いのない饗宴が続き、浦島太郎は容易に老いることがない.享楽して帰郷しようとする彼は玉手箱を受けとるが「開けてはならない」と乙姫から告げられる.漁村に戻った浦島太郎が、龍宮情報を知ることになるのは玉手箱を開けてからのことだった.

 中国から伝えられ、日本でも能曲として残る邯鄲夢の枕の例も他界に往来する話である.邯鄲伝説の主人公は蜀の貧しい青年、盧生である.旅の宿で貧困を歎く.出典により異なるが、宿の主人または居合わせた道士から枕を借りて、昼寝をする.夢の世界が他界である.夢の世界の広がりは中国の中心.夢の世界の盧生は忽ち王となって中原を支配し、栄華を極めた一生を送る.

 漁村と龍宮を隔つ空間はとてつもなく大きく、亀に乗ってのみ到達できる.そして龍宮で流れる時間は漁村よりもはるかに遅くまわる.邯鄲の夢の世界と現実は夢見ることでしか辿り着けない。龍宮と違って夢の世界は現実よりもはるかに速く時間が進む。異世界では時空間が現実と大きく乖離する。こうした異界へ転移する話は世界で認められ興味深いテーマであるが、今回は日本人における異界転移に共通する構造について考察をするので、ここでは言及を控える.

つづく