The Book of Tea: 20

Acknowledgement

謝辞

訳者あとがき

 かねがね私は「訳者あとがき」というものを書きたいと思っていた.ついにその日が来るとは!私にとって初の長編翻訳の完成だ.訳者あとがき、と記すことができ、大変光栄に思う.すごく嬉しくて感慨深い.

 読者の方はどのように感じてくださっただろうか.拙い翻訳だと思われるのも無理はない.天心の英文が素晴らしいと感じてくださったなら、訳者冥利に尽きる.私の目的はほとんど成就したと言ってよいだろう.彼の「茶の本」は七章に分かれている.どれも彼の知識の奥深さを語り、日本文化が海外に正しく評価されていない怒りと、自国ですらも理解されていない嘆きを冷静に、しかし情熱的に語る.

 天心は若くして英文に親しんだ.Ernest Fenollosa(アーネスト・フェノロサ)と知り合い、助手として彼の美術品収集に助力したことはよく知られている.英語との親和性が高い彼の描く文学世界は、美しく格調高く、しめやかであると思う.特に最終章は圧巻である.利休の死を描く最期の茶会は私にとって、彼がやはり日本人なのだと強く思う特徴があった.

 利休が門弟を招いて、彼らが待合に入った瞬間.時制が現在に回帰するのだ.詳しくいえばAs they look into–からである.これまでの評論はもっぱら過去形で説明を行ってきたのだが、この利休の最期の描写は、弟子たちの悲しみと緊張感に溢れる空気感をリアルタイムで説明するものである.

 この時制に関する日本語の特性は、以前の記事で紹介した.せっかくのなので再度掲載しておこう.

 敢えて出来事を時制変化を用いずに表現することは、特に我が国の文学的物語(narrative)の特徴として、多いに知られているものである.日本語について述べれば、そもそも日本語の文法は現在、過去、未来を鋭く区別しない.

 心のうちに祈念して、目を見ひらいひたれば、風も少し吹よはり、扇も射よげにぞなったりける.与一鏑をとってつがひ、よっぴいてひやうどはなつ.

 上記は「平家物語」において、那須与一が沖の波間に揺れる小舟に差し出した扇を海岸から射落とす場面である.過ぎ去った出来事を語りながら、現在形の文を混入させて臨場感を作り出す技法ははるか以前から知られている.矢を放つ主人公の動作のみが現在形である.神仏への祈念と風の静まりから決定的行動へ移る描写の現在形は際立ち、その一瞬の光景を浮かび上がらせる.これは決して暴力的というわけにはいかないだろうが、一気に読み手、聞き手を引き込むという点で、強力な誘導である.強制力を持つわけである.

 一方、近代ヨーロッパ語の場合は、動詞の語尾変化や助動詞と動詞の併用により、出来事の過去・現在・未来を、文法的に明示する.その中でも厳格な文法から一定の緩みを見ることができる.以下の例文を示す.

Alors, une idée l’exaspéra. C’était une saleté que ces dames voulaient lui faire en se conduisant mal chez elle. Oh! Elle voyait clair! …

Émile Zola, Vuillaume, 1876

 その時、一つの考えが頭をよぎって彼女は激しく苛立った.このご婦人方は、彼女の家で無作法に振る舞って、嫌がらせをしたんだ.ああ、はっきりわかるわ.

Dora stopped listening because a dreadful thought had struck her. She ought to give up her seat. She rejected the thought, but it came back. There was no doubt about it. 

Iris Murdoch, The Bell, 1958

 ドーラは恐ろしい考えが急に頭に浮かんできて、会話に耳を傾けるのをやめた.私が席をゆずるのが当然だわ.ドーラはその考えを打ち消したが、再び考えは戻ってきた.譲らなければならない.

 上記はいずれも登場人物の意識にのぼった考えを描出した文である.仏文では自由間接話法(Discours Indirect Libre/Style Indirect Libre)とよび、英文では描出話法(Represented Speech)ともいう.こうした技法を意識の流れ手法(Stream of Consciousness Technique)と呼ぶようである.このような技法は伝達動詞の支配から自由になる話法であるが、時制は必ず間接話法と同様に照応を求められる.時制は自由にはならず、時制が日本語のように読者を現在へ引き込むのではない.読者・聴者の意識が、あたかも作中の登場人物の意識であるかのように、過去へ誘うのであろう.強い言い方をすれば過去へ引きずり込むのだろう.

「記憶/物語」を読んで 2

 寡聞にして私は、時制のゆるい英文表現をこれ以外に知らない.おそらくあるのだろうが、限定的なのだろうと思われる.岡倉天心が日本人であるからこそ、彼以外に為し得ない日英ハイブリッドとも言える文学的表現の醍醐味を私達は味わうことができる.少なくとも私はそのように理解し、心躍らせながら作品を読み、翻訳をした.もう一度是非ご覧いただこう.In art the Present is the eternal.という句が沁みる.

–On the day destined for his self-immolation, Rikiu invited his chief disciples to a last tea-ceremony. Mournfully at the appointed time the guests met at the portico. As they look into the garden path trees seem to shudder, and in the rustling of their leaves are heard the whispers of homeless ghosts. Like solemn sentinels before the gates of Hades stand the grey stone lanterns. A wave of rare incense is wafted from the tea-room; it is the summons which bids the guests to enter. One by one they advance and take their places. In the tokonoma hangs a kakenoma, –a wonderful writing by an ancient monk dealing with the evanescence of all earthly things. The singing kettle, as it boils over the brazier, sounds like some cicada pouring forth this woes to departing summer. Soon the host enters the rooms. Each in turn is served with tea, and each in turn silently drains his cup, the host last of all. According to established etiquette, the chief guest now asks permission to examine the tea-equipage. Rikiu places the various articles before them, with the kakemono. After all have expressed admiration of their beauty, Rikiu presents one of them to each of the assembled company as a souvenir. The bowl alone he keeps. ‘Never again shall this cup, polluted by the lips of misfortune, be used by man.” He speaks, and breaks the vessel into fragments.

The ceremony is over; the guest with difficulty restraining their tears, take their last farewell and leave the room. One one only, the nearest and dearest, is requested to remain and the end. Rikiu then removes his tea-gown and carefully folds it upon the mat, thereby disclosing the immaculate white death robe which it had hitherto concealed. Tenderly he gazes on the shining blade of the fatal dagger, and in exquisite verse thus addresses it:

 すべて時制は現在形なのだ.天心はおそらく、このことを意図して書いたのではないか.だとすれば天心は大変な才覚を忍ばせている.ずるいというか恨めしいというか.利休の門弟が入室した瞬間に、時制が現在に回帰するのだ.私達は、利休とその門弟との最期の茶会に参席しているような臨場感に包まれる.ぐいと一気に引き込まれる.そして利休が自刃する瞬間までもが、現在にある.そう、自刃し、辞世の句を読むまでは.

“Welcome to thee,

O sword of eternity!

Through Buddha

And through Dharma alike

Thou hast cleft thy way.”

With a smile upon his face Rikiu passed forth into the unknown.

 利休の絶唱は原文では以下のものとなる.

人生七十 力囲希咄 吾這宝剣 祖仏共殺提る我得具足の一太刀 今此時ぞ天に抛

「力囲希咄」(りきいきとつ)とは「腸をしぼって思わず発する一喝、一声」を言う.唐木順三をして「㘞地一声の怒電」というようである.静かな諦念とは相容れない激しい気負いなのだという.

「㘞地一声の怒電はまさに対立の頂点であったが故に、その故を以て対立を超える」

 これはヘーゲルの弁証法的な考えに通ずる命題である.

 あまりイメージがつかない人は、武論尊による「北斗の拳」が大いに参考になるだろう.ケンシロウに経絡秘孔を突かれ敗北する人々は「あべし」、「ひでぶ」といった声をあげて死亡する.これこそ力囲希咄、㘞地一声の怒電であろう.形容しがたい声とでもいうのか.断末魔の叫びともいえる.この声を以て人は死を、諦念を超越しようとする.

 だが、天心の英文にはその「力囲希咄」に相応するものがない.なぜか.様々な訳者のあとがきにもその考察がある.決して、天心にとって利休の死は弁証法的な対立がテーマではなかった.止揚することが本意ではない.利休が彼岸へ渡ることで、

Harmony with the great rhythm of the universe

となることが重要なのであったという.私も強く同調する.天心にとって死の超克などどうでもよかった.従容として死を受け入れ、永遠の世界へ潔く旅立つことを良しとした.それが日本人の、日本文化の真髄なのだと.これは手塚治虫による「火の鳥」が理解の参考になる.登場人物は皆生への希求が甚だしく、死を恐れる.しかし、火の鳥は死を恐れず、一つの超生命体ともいうべき「コスモゾーン」への融合を受け入れるよう優しくも厳しく諭す.おそらく、天心の思い描く世界はこの「コスモゾーン」への融合、死との融和であった.幸いにして、この思想は引き継がれた.

 しかし、不幸にして天心は敗北した.西洋文明の怒涛のロジックに負けた.もちろん、我々も負けた.死をいたずらに美化する我が国の虚飾が作られた.圧倒的な敗北だ.作品には天心の諦観が、ペシミズムが浮かばれる.そして、我々の中に、私のようなものが天心の心情に投影を果たす.だから、天心の労苦は無駄ではない.天心は負けたが、彼の理念は生き続けている.この作品も宇宙の偉大な調律に調和し、世界中で愛され続けているのだ.私もこの調律に調和すべく、拙い翻訳を行ったわけである.翻訳の質としては敗北だが、これはこれでよい.こうして皆さんにお届けできたのだから.

本当にありがとうございました.

The Book of Tea: 19

Chapter VII

TEA-MASTERS

IN religion the Future is behind us. In art the Present is the eternal. The tea-masters held that real appreciation of art is only possible to those who make of it a living influence. Thus they sought to regulate their daily life by the highest standard of refinement which obtained in the tea-room. In all circumstances serenity of mind should be maintained, and conversation should be so conducted as never to mar the harmony of the surroundings. The cut and colour of the dress, the poise of the body, and the manner of waking could all be made expressions of artistic personality. These were matters not to be lightly ignored, for until one has made himself beautiful he has no right to approach beauty. Thus the tea-master strove to be something more than  the artist, —art itself. It was the Zen of aestheticism. Perfection is everywhere if we only choose to recognise it. Rikiu loved to quote an old poem which says: “to those long only for flowers, fain would I show the full-blown spring which abides in the toiling buds of snow covered hills.”

 宗教において「未来」は我々の後ろにある.芸術において「現在」とは永劫である.芸術の真の理解は生ける感化を作り出すことができるものにのみ行われる.こうして彼らは茶室で得られる最上級の風雅により日常の生活の調整をはかるのである.あらゆる状況下で精神の静穏は保たれるべきであり、周囲の調和を決して乱さぬように会話は行われるべきである.整髪と正装の色、体の姿勢、歩容は芸術的人格の表現でなされる.これらのことは軽んじられるべきではない.というのは、自身が美しくあろうとしない限り美に近づく権利はないからである.こうして茶の宗匠は芸術家よりも、芸術そのものよりも、それ以上のものになろうとするのである.それは審美主義の禅であった.完全性を認識しようとすることだけで、それはどこにでもあるのだ.利休は古い詩を引用することを好んだ.それは次のようなものである.

「花を待ち望むものに、なんとか地中から出そうとあがく、雪に覆われた芽にひそむ満開の姿を見せたいものだ」

花をのみ 待つらん人に 山里の 雪間の草の 春を見せばや

Manifold indeed have been the contributions of the tea-masters to art. They completely revolutionised the classical architecture and interior decorations, and established the new style which we have described in the chapter of the tea-room, a style to whose influence even the palaces and monasteries built after the sixteenth century have all been subject. The many-sided Kobori-Enshiu has left notable examples of his genius in the Imperial villa of Katsura, the castles of Nagoya and Nijo, and the monastery of Kohoan. All the celebrated gardens of Japan were laid out by the tea-masters. Our pottery would probably never have attained its high quality of excellence if the tea masters had not lent to it their inspiration, the manufacture of the utensils used in the tea-ceremony calling forth the utmost expenditure of ingenuity on the part of our ceramist. The Seven Kilns of Enshiu are well known to all students of Japanese pottery. Many of our textile fabrics bear the names of tea-masters who conceived their colour or design. It is impossible, indeed, to find any department of art in which the tea-masters have not left marks of their genius. In painting and lacquer it seems almost superfluous to mention the immense service they have rendered. One of the greatest schools of painting owes its origin to the tea-master Honnami-Koyetsu, famed also as a lacquer artist and potter. Beside his works, the splendid creation of his grandson, Koho, and of his grandnephews, Korin and Kenzan, almost fall into the shade. The whole Korin school, as it is generally designated, is an expression of Teasim. In the broad lines of this school we seem to find the vitality of nature herself. 

 なるほど茶の宗匠の芸術への貢献は多方面にわたっている.彼らは古典建築と内装装飾に完璧に革命をもたらし、茶室の章において述べた新しい様式を確立したのであり、十六世紀の後、寺院や宮殿さえをも感化した様式が皆主体となったのである.多彩な才能をもつ小堀遠州はその才能を桂離宮、名古屋城や二条城、そして孤篷庵の寺院において目覚ましい例を残した.日本の名高い庭園はすべて茶の宗匠によって設計されたものである.もし茶人がその霊感を貸すことがなかったならば、我が国の陶器は高品質の優越を獲得することはなかったであろう.茶会で用いられる道具の工芸は我が国の陶芸家の創意工夫の類まれな努力を要する.遠州の七窯は日本の陶芸を学ぶものにとって知られている.我が国の織物にはその色彩や意匠を考案した茶人の名を冠している.事実、茶人がその才覚を残さずにおかなかった分野を探すことはできない.絵画と彫刻において彼らが貢献した膨大な奉仕について言及するのはほとんど無駄であるように思われる.

 茶人である本阿弥光悦に起源を持つ絵画の偉大な流派の一つは、蒔絵、陶芸でも名を馳せている.彼の作品に加え、彼の孫である、光甫や甥の子供である光琳や乾山の素晴らしい創作は陰りを帯びてしまうほどである.光琳派、総じて名付けられるのは、茶道の表現と言われる.この流派の太い線において我々は自然そのものの生命力を見出す.

Great as has been the influence of the tea-masters in the field of art, it is as nothing compared to that which they have exerted on the conduct of life. Not only which they have exerted on the conduct of life. Not only in the usages of polite society, but also in the arrangement of all our domestic details, do we feel the presence of the tea-masters. Many of our delicate dishes, as well as our way of serving food, are their inventions. They have taught us to dress only in garments of sober colours. They have instructed us in the proper spirit in which to approach flowers. They have given emphasis to our natural love of simplicity, and shown us the beauty of humility. In fact, through their teachings tea has entered the life of the people.

  芸術の分野に茶人が及ぼした影響は大きいが、人生の執り成しに重きをおくことと比べるほどではない.彼らは人生の執り成しにのみ重きをおいたわけではない.上流社会の用法においてだけでなく、あらゆる我ら自国の家庭の整理においても、重きをおいており、我々は茶人の存在を感じるのである.我が国の繊細な料理の多くは、食材を提供する方法と同じように、彼らの発明である.彼らは地味な衣服を着るよう説いた.花に歩み寄るときの正しい心構えを教えてくれた.簡素さに対する自然な愛を強調し、人情の美しさを示した.事実、彼らの教えを通して茶は人々の生活に入っていったのだ.

Those of us who know not the secret of properly regulating our own existence on this tumultuous sea of foolish troubles which we call life are constantly in a state of misery while vainly trying to appear happy and contented. We stagger in the attempt to keep our moral equilibrium, and see forerunners of the tempest in every cloud that floats on the horizon. Yet there is joy and beauty in the roll of the billows as they sweep outward toward eternity. Why not enter into their spirit, or, like Liehtse, ride upon the hurricane itself?

 我々が人生と呼ぶ愚かな障碍という怒涛の海に浮かぶ自分の存在を正しく律する秘訣を知らぬものは、幸せかつ満足しているように甲斐なくあがく惨めな状態に絶えずある.我々は千鳥足で倫理的平衡を保とうとし、地平線に浮かぶ嵐の先駆けを見る.しかし喜びと美しさは永遠へ志向する外へ吹き抜けるように、うねりの中にある.その魂の中になぜ入ろうとしないのか、列氏のように旋風に乗ろうとしないのか.

He only who has lived with the beautiful can die beautifully. The last moments of the great tea-masters were as full of exquisite refinement as had been their lives. Seeking always to be in harmony with the great rhythm of the universe, they were ever prepared to enter the unknown. The “Last Tea of Rikiu” will stand forth forever as the acme of tragic grandeur.

 美しいものとともに生きてきたものが、美しく死ぬことができる.偉大な茶人の最後の瞬間はその人生と同じように非常に美しく高潔であった.宇宙の調べとともに調和の中において常に探求しているので、彼らは未知の領域に入る覚悟ができていた.「利休の最後の茶」は悲劇的終局の極致であり続けるだろう.

Long had been the friendship between Rikiu and the Taiko-Hideyoshi, and high the estimation in which the great warrior held the tea-master. But the friendship of a despot is ever a dangerous honour. It was an age rife with treachery, and men trusted not even their nearest kin. Rikiu was no servile courtier, and had often dared to differ in argument with his fierce patron. Taking advantage of the coldness which had for some time existed between the Taiko and Rikiu, the enemies of the latter accused him of being implicated in a conspiracy to poison the sespot. It was whispered to Hideyoshi that the fatal potion was to be administered to him with a cup of the green beverage prepared by the tea-master. With Hideyoshi suspicion was sufficient ground for instant execution, and there was no appeal from the will of the angry ruler. On privilege alone was granted to the condemned–the honour of dying by his hand.

 利休と太閤秀吉との友情は長かったので、偉大な武将がその茶人に抱く尊敬も厚かった.しかし君主との友情は危険な名誉でもあった.裏切りの流行した時代であったから、武将は最も近い血族でさえ信用しなかった.利休は盲従的廷臣ではなかったので、気性の荒い庇護者にも異を唱える勇気があった.太閤と利休の間に存在したいくらかの冷涼な関係につけこみ、利休の敵は専制君主に毒を盛ろうとする陰謀を企てていると非難した.茶人によって準備された緑の飲み物が入った碗に致命的な毒が入っているという噂が秀吉の耳に入った.疑念の秀吉は即時に処刑を命ずる十分な根拠であり、怒れる君主に従う以外方法はなかった.唯一の権利は自らの手で死ぬ名誉であった.

On the day destined for his self-immolation, Rikiu invited his chief disciples to a last tea-ceremony. Mournfully at the appointed time the guests met at the portico. As they look into the garden path trees seem to shudder, and in the rustling of their leaves are heard the whispers of homeless ghosts. Like solemn sentinels before the gates of Hades stand the grey stone lanterns. A wave of rare incense is wafted from the tea-room; it is the summons which bids the guests to enter. One by one they advance and take their places. In the tokonoma hangs a kakenoma, –a wonderful writing by an ancient monk dealing with the evanescence of all earthly things. The singing kettle, as it boils over the brazier, sounds like some cicada pouring forth this woes to departing summer. Soon the host enters the rooms. Each in turn is served with tea, and each in turn silently drains his cup, the host last of all. According to established etiquette, the chief guest now asks permission to examine the tea-equipage. Rikiu places the various articles before them, with the kakemono. After all have expressed admiration of their beauty, Rikiu presents one of them to each of the assembled company as a souvenir. The bowl alone he keeps. ‘Never again shall this cup, polluted by the lips of misfortune, be used by man.” He speaks, and breaks the vessel into fragments.

 自己を犠牲にすることに定められた日に、利休は主要な弟子を最後の茶会に招いた.嘆きに満ちて、約束の時間に客は待合に集まった.庭路に目をやると木々は震えているように見え、家を求めてさまよう幽霊のすすり泣きのように葉がざわめいた.冥府の前の厳しい歩哨のように石灯籠が立っている.希少な香の香りが茶室から漂う.それは客人が入室を許される招きである.一人ひとり、前に出て席につく.床の間にかかる掛けの間は、万物の儚さについて扱う古の僧侶によって書かれた見事な書があった.火鉢の上で湧いている茶釜の音は、夏の別れを悲しみ鳴く蝉の音に似ている.やがて主人が部屋に入る.各々茶がもてなされ、黙々と碗を飲み干し、主人が最後に飲む.しきたりに従い、主賓が茶具の閲覧を申し出る.掛け物とともに、利休は様々な品を彼らの前に置いた.最後に皆がそれらの美しさをたたえ、利休はその器を一つずつ、集うものに形見として手渡した.碗だけが彼のところに残った.

「不遇の唇によって汚れた、この小さな器を、決して使わせまい」

 彼はそう言い、粉々に砕いた.

The ceremony is over; the guest with difficulty restraining their tears, take their last farewell and leave the room. One one only, the nearest and dearest, is requested to remain and the end. Rikiu then removes his tea-gown and carefully folds it upon the mat, thereby disclosing the immaculate white death robe which it had hitherto concealed. Tenderly he gazes on the shining blade of the fatal dagger, and in exquisite verse thus addresses it:

 茶会は終わった.涙を堪えがたい客は最後の別れを述べ、部屋を後にした.ただ一人だけが、最も親近なものが最期を見届けるよう頼まれた.利休は茶会の衣服を脱ぎ、注意深く畳の上にたたむと、隠れていた真っ白な死装束が現れる.優しいまなざしで彼は輝く生殺の刃を見つめ、それに呼びかけ次のような見事な句を詠んだ.

“Welcome to thee,

O sword of eternity!

Through Buddha

And through Dharma alike

Thou hast cleft thy way.”

汝よ、来たれ、

永遠の剣よ

仏陀を

達磨をも

汝は切り裂き道を拓くのだ.

With a smile upon his face Rikiu passed forth into the unknown.

 微笑とともに利休は永遠の世界へと旅立った.

人生七十 力囲希咄 吾這宝剣 祖仏共殺提る我得具足の一太刀 今此時ぞ天に抛

千利休


これで茶の本は終わります.長い間ご愛読ありがとうございました.

もちろん、これまで通りブログは続いていきます.

The Book of Tea: 15

white concrete bridge
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People criticise a picture by their ear

One is reminded in this connection of a story concerning Kobori-Enshiu. Enshiu was complimented by his disciples on the admirable taste he had displayed in the choice of his collection. Said they, “Each piece is such that no one could help admiring. It shows that you had better taste than had Rikiu, for his collection could only be appreciated by one beholder in a thousand.” Sorrowfully Enshiu replied: “This only proves how commonplace I am. The Great Rikiu dared to love only those objects which personally appealed to him, whereas I unconsciously cater to the taste of the majority. Verily, Rikiu was one in a thousand among tea-masters.”

 このことと関連して、小堀遠州についてのある話が思い起こされる.遠州は彼の収集物から選定し並べたものに対して弟子は世辞を述べた.彼らは「どの品も褒めずにはいられない見事なものばかりです.あなたが利休よりも優れた鑑識をお持ちだと言うことですね.利休の品を理解できるのは千人に一人といませんよ」と述べた.悲しみにくれて遠州は次のように返事をした.「ということは私がいかに俗物かを示すにすぎない.偉大な利休はあえて自分だけが好むような品を愛した.しかし私は無意識にも多数派の嗜好に媚びたのだ.まさに利休は千人に一人の茶人である」

It is much to be regretted that so much of the apparent enthusiasm for art at the present day has no foundation in real feeling. In this democratic age of ours men clamour for what is popularly considered the best, regardless of their feelings. They want the costly, not the refined; the fashionable, not the beautiful. To the masses, contemplation of illustrated periodicals, the worthy product of their own industrialism, would give more digestible food for artistic enjoyment than the early Italians or Ashikaga masters, whom they pretend to admire. The name of the artist is more important to them than the quality of the work. As a Chinese critic complained many centuries ago, “People criticise a picture by their ear.” It is this lack of genuine appreciation that is responsible for the pseudo-classic horrors that to-day greet us wherever we turn.

 今日、芸術に対する表面上の熱狂が実際の感性に基づいていないというのは実に残念なことである.この我が国の民主的時代において自分たちの感情を顧みず人々が何が最も人気があることに対して喚いているのである.

 彼らは精錬なものではなく、高い値段のものを求める.服飾に凝ったものであり美しいものではない.大衆にとって彼ら自身の産業主義の価値ある製品である絵入り定期刊行物のほうが、礼賛するふりをしている初期のイタリア人や足利時代の巨匠よりも、芸術的享受にはより消化が良いだろう.作品の質よりも芸術家の名前がより重要なのである.中国の批評家が何世紀も前に「人々は絵を耳で批評する」と言った.今日我々がふりむけば目につく擬古典的な恐怖の数々に対して真の鑑賞の欠落が責任を負うべきである.

Another common mistake is that of confusing art with archaeology. The veneration born of antiquity is one of the best traits in the human character, and fain would we have it cultivated to a greater extent. The old masters are rightly to be honoured for opening the path to future enlightenment. The mere fact that they have passed unscathed through centuries of criticism and come down to us still covered with glory commands our respect. But we should be foolish indeed if we valued their achievement simply on the score of age. Yet we allow our historical sympathy to override our aesthetic discrimination. We offer flowers of approbation when the artist is safely laid in his grave. The nineteenth century, pregnant with the theory of evolution, has moreover created in us the habit of losing sight of the individual in the species. A collector is anxious to acquire specimens to illustrate a period or a school, and forgets that a single masterpiece can teach us more than any number of the mediocre products of given period or school. We classify too much and enjoy too little. The sacrifice of the aesthetic to the so-called scientific method of exhibition has been the bane of many museums.

 もう一つのよくある間違いは芸術を考古学と間違えることである.遺物から生まれる尊敬の念は人間の最大の特質であり、喜んで我々はそれを大きく育みたいと思う.古の巨匠たちは未来の教化への道を拓いたことに対して立派な敬意が評されるべきである.

 世紀の批判を無傷で抜けてきて、未だ栄光に包まれてやってきたという単事実でさえもわれわれの尊敬を集めるものだ.しかし人々の業績が単純に年齢で算定されるならば、我々は実際はおろかになるべきである.しかし我々は自分らの歴史的共感が審美的差別にを蹂躙していることを許容している.我々は芸術家が安らかに墓で眠りにつくときに称賛の花を手向ける.進化論を宿した十九世紀はより一層、種の中で個人の失見当の習慣を生み出した.蒐集家は時代や流派を説明しようと標本を集めることに神経質になり、二流の製品のいくつかよりも一つの傑作が与えられた時代や流派について我々に語ってくれることを忘れてしまうのである.我々はあまりに分類しすぎていて楽しむことがほとんどない.展示といういわゆる科学的理論のために審美的方法を犠牲にしたことが多くの美術館の悩みの種である.

The claims of contemporary art cannot be ignored in any vital scheme of life. The art of to-day is that which really belongs to us: it is our own reflection. In condemning it we but condemn ourselves. We say that the present age possess no art: –who is responsible for this? It is indeed a shame that despite all our rhapsodies about the ancients we pay so little attention to our own possibilities. Struggling artists, weary souls lingering in the shadow of cold disdain! In our self-centred century, what inspiration do we offer them? The past may well look with pity at the poverty of our civilisation; the future will laugh at the barrenness  of our art. We are destroying art in destroying beautiful life. Would that some great wizard might from the stem of society shape a mighty harp whose strings would resound to the touch of genius.

 同一時代の美術の主張は人生の企画において無視できるものではない.今日の芸術は実に私達に属しているものである.それは我々の反映である.それを断罪することは自身を断罪することにほかならない.今日の時代に芸術がないといういうものがいる.誰の責任というのか.古代に関する狂想曲にもかかわらず我々は自分の可能性に注意をほとんど払わないのは実に恥ずかしいことだ.苦しみもがく芸術家たち、冷たい侮蔑の影の中でさまよう疲れた魂たち!自己中心の世紀において、どのような霊感を我々はかれらに与えているのか.我々の文明が貧困だと過去が哀れみをもって見るのも無理はない.未来は芸術の不毛さを笑うだろう.我々美しいものを破壊することで芸術を破壊している.だれか大魔術師が社会の幹から有能な竪琴を作り出し、その弦が天才に触れて鳴り響かないだろうか.

天心、多いに怒っております.この議論、今も変わらない気がしませんか.

次回、第六章です.ここまでありがとうございました.

The Book of Tea: 11

scenic view of bamboo trees
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吾郎(ごろうちゃん)
吾郎(ごろうちゃん)

ほとんどの記事を執筆しています.甲長20cm,体重900g超になりました.体格に負けないくらいずっしりと読み応えのある記事を目指しています.

 こんにちは.茶の本の続きになります.詩歌を訳すほうが、文章を訳すよりも大変でした.コツはあまり考えすぎずに直観でさささーっと訳してしまうことです.もとの歌を英訳した天心に関してはもはや何もいわなくていいでしょう.これが才能というやつですね.

A cluster of summer trees, A bit of the sea, A pale evening moon.

The simplicity and purism of the tea-room resulted from emulation of the Zen monastery. A Zen monastery differs from those of other Buddhist sects inasmuch as it is meant only to be a dwelling place for the monks. Its chapel is not a place of worship or pilgrimage, but a college room where the students congregate for discussion and the practice of meditation. The room is bare except for a central alcove in which, behind the altar, is a statue of Bodhi Dharuma the founder of the sect, or of Sakyamuni attended by Kashiapa and Ananda, the two earliest Zen patriarchs. On the altar, flowers and incense are offered up in memory of the great contributions which these sages made to Zen. We have already said that it was the ritual instituted by Zen monks of successively drinking tea out of a bowl before the image of Bodhi Dharma, which laid the foundations of the tea-ceremony. We might add here that the altar of the Zen chapel was the prototype of the Tokonoma, – the place of honour in a Japanese room where paintings and flowers are placed for the edification of the guests.

 茶室の簡素さと純粋さは禅林を見習うことによって生じたのであった.禅林は他の仏教宗派と異なるので僧侶にとってただの住所となっている.礼拝堂は崇拝や巡礼の場所ではなく、学生が問答と瞑想の練習のため集まる学問の部屋であった.その部屋は中央にくぼみがあり、祭壇の後ろには菩提達磨、流派の創始者あるいは迦葉と阿難陀が連なった釈迦牟尼の像があり、二人の初期禅道の祖師以外何もないのである.祭壇の上には、花と香が禅に対して賢人がなした偉大な貢献を記憶するために捧げられている.

 禅僧が菩提達磨の像の前でひとつの碗の茶を次々続けて飲む儀礼的なものだとすでに言及した.菩提達磨は茶の湯の創始者であった.禅の祭壇は床の間、すなわち絵画や花が客人を教化するために配置された日本の部屋の上座の原型であったと付言しよう.

All our great tea-masters were students of Zen and attempted to introduce the spirit of Zennism into the actualities of life. Thus the room, like the other equipments of the tea-ceremony, reflects many of the Zen doctrines. The size of  the orthodox tea-room, which is four mats and a half, or ten feet square, is determined by a passage in the Sutra of Vikramadytia. In that interesting work, Vikramadytia welcomes the Saint Manjushiri and eighty-four thousand disciples of Buddha in a room of this size, –an allegory based on the theory of the non-existence of space to the truly enlightened. Again the roji, the tea-room, signified the first stage of meditation, –the passage into self-illumination. The roji was intended to break connection with the outside world and to produce a fresh sensation conducive to the full enjoyment of aestheticism in the tea-room itself. One who has trodden this garden path cannot fail to remember how his spirit, as he walked in the twilight of evergreens over the regular irregularities of the stepping stones, beneath which lay dried pine needles, and passed beside the moss-covered granite lanterns, became uplifted above ordinary thoughts. One may be in the midst of a city, and yet feel as if he were in the forest far away from the dust and din of civilisation. Great was the ingenuity displayed by the tea-masters in producing these effects of serenity and purity. The nature of the sensations to be aroused in passing through the roji, differed with different tea-masters. Some, like Rikiu, aimed at utter loneliness, and claimed the secret of making a roji was contained in the ancient ditty:

 我が国の偉大な茶の宗匠はみな禅の学徒であり、禅道の精神を生活の実際に導入しようとした.このようにして、部屋は、茶の湯の他の道具の様に、禅の教義の多くを反映している.標準的な茶室の大きさは、四畳半あるいは十尺平方で、ヴィクラマーディティヤ王の経典「維摩経」の文によって決められている.興味深い作品の中で、ヴィクラマーディティヤ王は文殊菩薩と、四万八千のブッダの弟子をこの大きさの部屋で迎える.真に悟りを開いたものにとって空間は存在しないという理論に基づいた寓話である.

 再び路地、茶室は黙想の初段階と位置づける、自己啓発への小路である.路地は外界との連絡を絶ち、茶室そのものの審美主義の十分な楽しみにつながる新鮮な感覚を生み出すためにあった.

 庭道を歩く人は、常緑樹の黄昏を歩く時に乾いた松の葉が敷かれ、踏石が規則的な不規則性で並び、苔むした御影石の灯籠のそばを過ぎる時、その精神が普通の考えを離れ昇華するのを感じざるをえないだろう.

 都市の真っ只中にいるものは、まるで文明の塵芥から遠く離れた森林にいるかのような気持ちになる.

 茶の宗匠たちによって配置されたこれら静穏と純真の効果は見事な巧妙さであった.

 路地を通るときに生じる感覚の本質は、茶の宗匠によって異なる.例えば、利休は究極の寂寥を目指したが、路地の秘訣は次のような古歌に含まれていると主張した.

“I look beyond;

Flowers are not,

Nor tinted leaves.

On the sea beach

A solitary cottage stands

In the waning light

Of an autumn eve.”

私が向こうを見渡すと (見渡せば)

花はないし (花も)

紅葉もない.(紅葉もなかりけり)

浜辺には (浦の)

ひっそりと小屋が建つ (苫屋の)

秋の夕べの (秋の夕暮れ)

うす明かりの中で.

Others, like Kobori-Enshiu, sought for a different effect. Enshiu said the idea of the garden path was to be found in the following verses:

 一方、小堀遠州のように、異なる効果を求めたものもいた.遠州は庭の小道の着想は次の句に見いだされると述べた.

“A cluster of summer trees,

A bit of the sea,

A pale evening moon.”

夏の木々の群れ(夕月夜)

海がむこうに見える(海少しある)

淡い夕暮れの月 (木の間かな)

It is not difficult to gather his meaning. He wished to create the attitude of a newly awakened soul still lingering amid shadowy dreams of the past, yet bathing in the sweet unconsciousness of a mellow spiritual light, and yearning for the freedom that lay in the expanse beyond.

 この意味を集約することは難しくは無い.彼は新しく目覚めた魂が過去の影かかる夢の中で未ださまよう態度を作ろうとした.神秘的な心地よい光の甘美な無意識に浴し、遠く彼方に横たわる自由を切望するといったものである.

Thus prepared the guest will silently approach the sanctuary, and if a samurai, will leave his sword on the rack beneath the eaves, the tea-room being pre-ëminently the house of peace. Then he will bend low and creep into the room through a small door not more than three feet in height. This proceeding was incumbent on all guests, -high and low alike, – and was intended to inculcate humility. The order of precedence having been mutually agreed upon while resting in the machiai, the guests one by one will enter noiselessly and take their seats, first making obeisance to the picture of flower arrangement on the tokonoma. The host will not enter the room until all the guests have seated themselves and quiet reigns with nothing to break the silence save the note of the boiling water in the iron kettle. The kettle sings well, for pieces of iron are so arranged in the bottom as to produce a peculiar melody in which one may hear the echoes of a cataract muffled by clouds, of a distant sea breaking among the rocks, a rainstorm sweeping through a bamboo forest, or of the soughing of pines on some faraway hill.

 こうして、支度した客は聖域へと静かに近づく.そして侍であれば軒下に刀の鞘を置くと、茶室は優れて平穏の空間となる.そして人は腰を低くかがめて三尺もない高さの小さな扉を開けて部屋へ入ってゆく.この手続はどの客人も高貴だろうと低かろうと同じで、人情を教え込むようになっている.

 誰が先に入るか順番を決めるのは待合で待っている間に相互の了解で決まり、客人は一人ずつ音を立てずに入り着座する.最初に床の間の生花への敬意を表するのである.主催はすべての客人が着座し、静寂が支配し、茶釜の湯が沸騰する音が静けさを破るまで入室しないのである.

 茶釜の音がよく鳴り、鉄器のかけらが特有の音を奏でるのに底がちょうどよく整えられているからだ.それは雲によって瀑布が包まれた音、遠方の海が岩を穿ち、嵐が竹林を吹き曝し、どこか遠くの丘の松籟のように聞こえる.

Even in the daytime the light in the room is subdued, for the low eaves of the slanting roof admit but few of the sun’s rays. Everything is sober in tint from the ceiling to the floor; the guests themselves have carefully chosen garments of unobtrusive colours. The mellowness of age is over all, everything suggestive of recent acquirement being tabooed save only the one note of contrast furnished by the bamboo dipper and the linen napkin, both immaculately white and new. However faded the tea-room and the tea-equipage may seem, everything is absolutely clean. Not a particle of dust will be found in the darkest corner, for if any exists the host is not a tea-master. One of the first requisites of a tea-master is the knowledge of how to sweep, clean, and wash, for there is an art in cleaning and dusting. A piece of antique metal work must not be attacked with the unscrupulous zeal of the Dutch house wife. Dripping water from a flower vase need not be wiped away, for it may be suggestive of dew and coolness.

 日中でさえも部屋の明かりは抑えられている.というのは傾斜した屋根の低い軒がごくわずかな日光しか拾わないからである.

 天井から床の色合いまですべてがありのままである.客人は控えめの色の服装を注意して着ている.年月の出す円熟味はすべてに行き渡っていて、最近手に入れたのだとわかるものは皆禁じられている.竹の柄杓と麻の布巾は例外で新しいものと古いものの対照をなしている.両者は完璧に白く新しい.

 しかしながら茶室と茶道具が色あせようとすべてがまったく清潔なのである.真っ暗な隅に塵一つ無いのは、もしそれがあれば、その主催は茶人では無いからだ.茶の宗匠に求められる資質のうちの最初の一つは掃き方、清掃、洗浄の知識である.拭きとはたきには技芸があるからである.金属の骨董品は無作法で熱心なオランダの掃除婦にさせてはならない.花瓶からしたたる水を拭いてはならない.というのは雫と涼しさを与えるからである.

In this connection there is a story of Rikiu which well illustrates the ideas of cleanliness entertained by the tea-masters. Rikiu was watching his son Shoan as he swept and watered the garden path. “Not clean enough,” said Rikiu, when Shoan had finished his task, and bade him try again. After a weary hour the son turned to Rikiu: “Father, there is nothing more to be done. The steps have been washed for the third time, the stone lanterns and the trees are well sprinkled with water, moss and lichens are shining with a fresh verdure; not a twig, not a leaf have I left on the ground.” “Young fool,” chided the tea-master, “that is not the way a garden path should be swept.” Saying this, Rikiu stepped into the garden, shook a tree and scattered over the garden gold and crimson leaves, scraps of the brocade of autumn! What Rikiu demanded was not cleanliness alone, but the beautiful and the natural also.

 これに関連して、利休が茶の宗匠によって面白く清潔の思想について説明する話がある.利休は彼の息子、千紹安が庭の道を掃いているのを見た.「十分ではないよ」と利休が言ったのは、紹安が彼の仕事を終えた時で、やり直させようとしたのであった.一時間してくたくたになって息子は利休に「父上、もはや掃くところはありません.段差は三度洗いました.灯籠と木々は十分水をやりました.苔は新緑で輝いています.小枝や葉っぱ一枚も地面に落ちていません」と言った.「馬鹿者め」と利休は叱り、「庭の路地はそのように掃くのではないよ」このように言って、利休は庭に入り込んで木を揺すり庭に黄金色、紅色の葉っぱを散らし、秋の金襴の小布で覆ったのだ.利休が主張するのは清潔さだけでなく、美と自然そのものでもあった.

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