「記憶/物語」を読んで 8

abstract blur bokeh bright
Photo by Md Iftekhar Uddin Emon on Pexels.com

偽りのプロット

 皆さんはHeinrich von Kleist(ハインリヒ・フォン・クライスト)という劇作家をご存知だろうか.私は知らなかった.十八世紀から十九世紀の人物である.「記憶/物語」の著者、岡真理は彼の小説「Das Erbeben in Chili」(チリの地震)を例に、出来事が人を領有するということについて理解を試みる.どうやら小説は1647年のチリで起きた地震を題材にしているようだが、あまりイメージが湧かないかもしれない.だが彼女はしっかりあらすじを紹介してくれる.我々は喜んで便乗しよう.先に述べておくと、筆者は1923年の日本の出来事を強く念頭に置いている.

 一組の恋人がいる.父親に二人は引き離され、女性は僧院へ入る.ある日男は恋人を追って僧院の庭で一夜の逢瀬を過ごす.女性は懐妊し、キリスト教の式典の最中に出産.僧院法を犯した罪を咎められ、死刑宣告される.男も投獄される.処刑の当日、大地震が起こる.街は大混乱に陥り、恋人たちは赤子ともに脱出、二人は奇跡的再会を喜ぶ.別の日、被災した男性が二人の元に援助を請う.快諾した恋人の好意に感動した男性は、自分の家族の元で食事をしようと誘う.

 余震がおさまり、周囲が落ち着いてきた頃、教会でミサが行われることになった.彼らもミサに出かける.神への感謝で始まる長老の説教は街の道徳的頽廃に代わり、とある男女の逢瀬を非難する.もちろん例の二人だ.不穏な空気のもと、群衆は偶然にもその恋人と赤子を認め、罪人であると糾弾する.恋人たちは民衆の私刑によって容赦なく殺されてしまう.赤ん坊も.唯一生き残ったのは恋人から好意を受けた男性だけであった.

 この作品は悲劇だ.単なる悲劇的作品ではなく、一瞬の暴力性が地震という<出来事>から人間へ転移する様を描写している.未曾有の大災害が人々にもたらした原因を恋人たちに転嫁する.僧院の庭でいちゃついた行為が涜神的だとして、神の怒りに触れたのだと.まぁ理不尽である.地震という人間にはとても手に負えないものを、人は神を冒涜した罰であるという物語に置き換えることによって、飼いならそうとする.以前の表現ならば、馴致である.現在は領有という語でも良いだろう.これに気づくのに随分時間がかかった.

 私達は抗えることのない出来事の暴力性に対して徹底的に無力だ.出来事に対して私達は主体性を否定された、という考え方に基づけば先の大衆の暴力は、その失われた主権を回復するために、主体性を否定された出来事の暴力性を忘却するために、暴力が人間に取り憑くものであった.その現象を憑依、転移という言葉で彼女は用いる.

 「チリの地震」は小説というフィクションである.かといって単なる虚構でないことは、我々は知っているはずだ.我々は幾多のメディアにおいて類例を見る.1999年に発売されたテレビゲーム「ペルソナ2罪」、2000年発売の「ペルソナ2罰」は、根も葉もないが現実になってしまう不可思議な現象が作品の根幹となっている.作品の背景は当時の日本の抱える社会問題と無縁でないという考察を見たが、そもそも「噂は最古のメディア」である.おそらく、普遍的な現象を現代に落とし込んだのだろう.噂が現実になる、ということはあながち不可思議ではない.

 さて、1923年に日本に起きた関東大震災を記憶している人はどれだけいるだろうか.2020年現在、ほとんどいないのでは無いか.関東大震災の混乱において、朝鮮人が凶悪犯罪・暴動を画策しているという流言のために、多くの朝鮮人ないし誤認された中国人、日本人が虐殺されたことを.

 2011年の東日本大震災でもデマは繰り返されたのでないだろうか.「拡散希望」というSNSでの大衆の意思によって猛スピードで広がった根も葉もない噂は、抗えない出来事の暴力性に対する私達の転移現象だろう.出来事に偽りのプロットを与えること、それは私達が出来事を物語として完結させ、別の物語を生きるため、出来事の暴力を忘れるためだ、と彼女はいう.

 私達に残されたものは記憶の痕跡、出来事の痕跡のみである.出来事がそれ自身の記憶を語った痕跡、それは「女の歓びを知らない」という証言であれば、「Adieu」でもあり、(Tel al Zaatar(مذبحة تل الزعتر))でもある.出来事をどのようにして分有するかは、私達がその痕跡を現在の物語として如何に呼び戻すかに賭けられている.


難民的生

silhouette of man during nighttime
Photo by brenoanp on Pexels.com

Que veut dire témoigner? Non pas se faire pur spectateur, mais vivre avec; non pas contempler, mais partager; non pas se tenir en haut. où l’histoire se décide, mais être en bas où elle se subit. En bas, au plus bas, où le mot disponibilité cesse d’être un verbiage, pour devenir l’acte même d’exister.

En bas, au plus bas, il y eut Genet……

René Schérer, 

Zeus Hospitalier; Éloge de l’hospitalité

 証言するとは何をいうのか.純粋な傍観者となることではない.それは、共に生きることだ.観察するのではなく、分かち合うことだ.歴史が決定される高みに立つのではなく、歴史が耐えられている低さに身をおくこと.低く、どこまでも低く、受容性という言葉がもはや駄弁ではなく、現に生きる行為そのものになるような、そういう低さに身をおくこと.

 低く、どこまでも低いところ.そこにジュネがいる……

(ルネ・シェレール『歓待のユートピア』)

 突然の引用で恐縮だが、上記の仏文と和文は、「記憶/物語」の冒頭と終盤に挟まれている.René Schérer(ルネ・シェレール)とはフランスの哲学者である(これまた私は知らなかった).彼の文中のジュネという人物は、岡が出来事の痕跡を説明するために触れる作品「Quatre heures à Chatila(シャティーラの四時間)」の著者Jean Genet(ジャン・ジュネ)であり、彼は、1982年に西ベイルートの難民キャンプでおきたパレスチナ人虐殺事件後に現場に踏み入れた体験(ルポタージュ)を記したことで知られるようだ.詩人、エッセイスト、政治活動家としても有名である.

 彼の著述は一般的な報道の文章とはかなり異なり、詩的で幻惑的でもある.岡は「シャティーラの四時間」にジュネが語る言葉のどの一つにも、ジュネの署名が書き込まれている、という.署名とはなんぞや.少し考えてみよう.彼は取材中基本的に独りであったようだ.一人、凄惨な現場では生きた人の声はしない.しかし文中には非人称の声がこだまする.死者を目の前に彼は「ご覧なさい」という他者の声を聞く.幻聴なのか.そうではない.詩的に言えば、それは死者の声である.やっぱり幻聴じゃないか、という人に向けて言えば、ジャン・ジュネ自身の、彼の意識の声でもある.その声はしきりに「御覧なさい」と現場を見るように促す.そして彼はよく捉えようと目を凝らす.だが、「御覧なさい」という声は続くのだ.

 私達はすべてを見ているのではなく、何もみていないという背理をその声によって理解する.彼の署名は彼の独自性あるテクスト、とでも言えばよいのか.

 我々は出来事に対する証言者の徹底的無能さを見る.さらにジャン・ジュネの徹底的受動性をも示す.出来事の記憶を分有するということは、この他者の声にその無能さと受動性において応答するものにほかならないと、彼女は章を結ぶ.そして最後にルネ・シェレールを持ち出す.もう一度見てみよう.

 証言するとは何をいうのか.純粋な傍観者となることではない.それは、共に生きることだ.観察するのではなく、分かち合うことだ.歴史が決定される高みに立つのではなく、歴史が耐えられている低さに身をおくこと.低く、どこまでも低く、受容性という言葉がもはや駄弁ではなく、現に生きる行為そのものになるような、そういう低さに身をおくこと.

 低く、どこまでも低いところ.そこにジュネがいる……

 低さ、というのは受動性の類語のように私は受け取る.受動性の極みという点でジャン・ジュネは評価されているように思う.どこか機会を作って彼の著作を読んでみたい.何か今まで見えていなかったものが見えてくるかもしれない.

 つまるところ、私達が出来事の記憶を分かち合うためには、私達は、能動的にではなく、受動的に、そして我々がどうしようもなく無力なのだと自覚することが不可欠なのだ、ということか.

 最終章は「出来事を生きる」である.最後は筆者が、Routie Joskowicz(ジョスコヴィッツ)氏と雑誌の特集のため対談した話をする.このやり取りにおいて筆者は、氏が以下のような経歴の人物であることを紹介する.彼女はユダヤ系ポーランド人を両親に持ち、イスラエルで出生、家族でフランスに渡り同国籍を取得、再び19歳の時にイスラエルに戻る.そこで日本人男性と知り合い、結婚を機に日本へ移住.仏国籍を離脱した上で日本国籍を申請するが、法務省に却下され、一時無国籍状態となる.

 その対談の中で筆者は彼女に「祖国はどこ」と尋ねた時の、彼女の深い沈黙を振り返る.目に涙を浮かべ、沈黙をようやく破りぼそりと「ポーランドかな」とつぶやく、という印象的な出来事は、後に編集された紙面には記されていない瞬間であった.筆者は動揺する.「イスラエル」でも「フランス」でもなく「ポーランド」だとは思わなかったと述べる.自分がした質問が彼女にとってどのような意味を持つのか、見てはみけないものを見た気持ちがして、後退りをしたようである.ここからの描写は、これまでの「記憶/物語」のすべてが総括されたかのように、疾風怒濤の勢いで彼女の脳裏を、<出来事>の記憶についての思考が駆け巡る.今までの著述は、この対談の時に筆者が想起したことを彼女自身が理解したいが為に包括されたように思われる.だから彼女の思考は、各章を読み進めてきた我々にとって、難しいものではないと思う.

 筆者はだいぶ狼狽し、その後の面接もどうやらぎこちないものであったと述懐する.それ故に筆者にとって、その対談の時間はジョスコヴィッツ氏の<出来事>を筆者と分有するものであったように思われる.分有とは書かれていないのだが.

 ジョスコヴィッツ氏は「祖国」を失っている.ということは、「祖国」を失った人を「難民」と呼ぶのなら彼女も「難民」なのだ、と筆者はまとめる.フランス語が母語であろうと、ユダヤ人を迎え入れる国があろうと.

 筆者は締めくくりを以下のように行う.

 「難民」とは<出来事>をナショナルな歴史/物語として、決して領有しない者たちのことである.人が出来事を領有するのではなく、出来事が人を領有する.そうした出来事を生きる人々のことでもある.物語としてではなく、出来事として分有するのは、難民たち、難民的生を生きる者たちだけだ.出来事の記憶の分有可能性は私達が「難民」に生成すること、難民的生を生きることのなかにある、と.

 難民的生を生きる.彼女らしい表現である.私達はようやく答えらしいものにたどり着いた.私は安堵している.ただし難民という言葉は私にとってあまり馴染みがない.難民というのは辞書を引くと、次の通りだ.

 一、天災・戦禍などによって生活が困窮し、住んでいた土地を離れ安全な場所へ逃れてきた人々

 二、人種・宗教・政治的意見などを理由に迫害を受けるおそれがあるために国を出た人.亡命者.

 三、転じて、何かから溢れてしまった人々を俗にいう語.

 なるほど、もう一度辞書的な意味を確認すると彼女の考えはより一層わかりやすく浮かび上がる.私はこの小論の最初に立ち帰ることにしよう.

 書籍を読み進めていくうちに、極めて専門性の高い人物による、多数の文献と賛否両論の先行研究に基づいて記された著書に対して、(当然かもしれないが)真っ向と対立し、ときに辛辣な意見を述べる有形無形の存在が一定数いることに気づく.それは大きな声であり、決して無視できない勢力である.もちろん耳を傾けるべきではある.こうした声は南京大虐殺、従軍慰安婦といった負の<出来事>に関してもこだまする.そのようなことはなかったのだ、それは各々の任意で行われたのだ、もはや過ぎたことなのだ、と.歴史修正主義、記憶の風化、過去の清算.様々な用語が脳裏をよぎる.私達は「歴史」という一本の線を歩んできたと思えば、振り返ると二本、三本と沢山の線の軌跡があるように見える.一体私達はどの線を歩いてきたのだろうか、さきほどまで信憑していたはずの「物語」が疑わしくなってきてしまいそうになる.自尊心を煽り、過去から現在の自国の尊厳を保とうとする声、たどってきた線の正当性を高らかに述べる声が鳴り響く.それらはときに聞き心地が良く、魅惑的でもある.私は妖精の声に釣られて森林を逍遥する旅人か、セイレーンの声に誘われて航海する彷徨える船乗りか.

 急転直下の如く、突如何もかもがわからなくなってくる事態に陥った.私は歴史や物語、伝承を一体どのように理解したら良いのか.<出来事>を生きた証人の高齢化と減少、世代を経て薄れてゆく記憶、それに伴い枝分かれする物語.なぜ<出来事>が起きたのかを理解するには、物語の伝承を語り手の意思に忠実に行う方法についても考えなければならなくなる.忠実に行う方法があればの話だが.

 私なりの解答は以下である.小論のまとめでもある.

 前提として、出来事という現象を我々は言語によって完全に再構成することはできない.よって私たちが出来事を語る、という命題は文法上成立しても、現実には不可能である.その試みは幾度となく行われているが、それは私達が、出来事がもたらす理不尽な暴力性の前には圧倒的に無力であり、本質的にそれを否認する方向へと、偽りのプロットを適用することであるから、決して分有することはできない.私達は共約可能な普遍的感覚を持ち合わせているのだ.しかし時にそれはリアリズムの欲望や、ナショナルな欲望と融合し、かえって不条理な暴力性を欺瞞のうちに生起し続けてしまう危うさを孕んでいる.そこで私達は出来事とそれを語る言葉との間にある深い断絶を見るべきである.果てしなく乖離するその時間的空間的距離に私達は、暴力性の深淵を伺うことができる.その断絶に対して私達はひたすらに受動的かつ徹底的に観察を求められるが、その行為について我々は同時に無能であることを承知しなければならない.最後に、私達は難民という性格について想起し、彼らが現在も出来事を生きているという事実を知覚することによって初めて記憶の分有可能性が示される.

 一つ、著書を読み終えて気づけたことがある.それは、私が、とあるおばあさんの講演をこどもの時に聴くことができたのは紛れもなく幸運であった、ということだ.そしてそれを聴いて何もかもわかったかのようなフリをせずに、自分たちの状況と彼女の出来事の記憶との断絶を(当時はわからなかったものの)、実体を伴わない何かとして、ずっと違和感を持って考え続けてこれたことは私にとって、貴重な財産であった.

 私は、もうしばらくこの本の余韻に浸りたい.何度も何度も読み直して、十分吟味したつもりではあるが、まだ表層を削り取った程度の気持ちがするのだ.とはいえ、亀吾郎法律事務所にはやるべきことが山のようにある.ひとまず本書は書架にしまっておいて、次の依頼をこなすとしよう.

 これにて記憶/物語シリーズは完結です.ご愛読ありがとうございました.