ニュー・ジャック・スイングに寄せて

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 ニュー・ジャック・スイング(New jack swing: NJS)という音楽ジャンルがある.ご存知でない方に素人なりの説明をすると、1980年代後半から90年前半にかけて流行したジャンルで、黒人音楽家を中心に、歌謡曲の音楽シーンを席巻したとされる.ジャズやポップスやリズム・アンド・ブルースに近いのかもしれない.

 この頃の私は、まだ存在も怪しく、人間としても曖昧な状態であったので記憶にない.NJSを知ったのは2000年代後半であった.その時は私は一介の浪人であり、主に川口市で住み込みで勉強をしていた.大学受験という戦場を生き残るべく、私は朧気な幽鬼(ゴースト・オブ・カワグチ)となって、満員電車の薄い酸素を吸い、都会のすえた臭いやタバコの煙を否応なく浴びていた. 

 とあるNJSの代表的な音楽家がその頃プロポフォールの呼吸抑制で死亡し、世間は皆こぞって「R. I. P.」という言葉を使いはじめ、小児性愛の嫌疑で煙たがられた彼を掌返しして、優れたエンターテイナーとして称賛し始めたときであったと思う.実際に傑出した人物であったのだが.

 私は、模擬戦ともいえる模試をいくつも受け終えて、ヘトヘトとなり川口市のショッピングモールにあるCDショップに癒やしを求めていた.音楽を聴くこと、寝ること、食事が癒やしだった.以前購入したエミネム(Eminem)のアルバム、「Relapse」を聴いたとき、それは覚醒剤の後遺症再燃を音楽にした内容で、曲も歌詞も病的に狂気じみていたために、買って興ざめしてしまった苦い経験があった.その失敗を繰り返したくないと思い、私はアルバム選びを慎重に行おうとしていた.エミネムを非難するつもりはなく、勿論、彼の曲には「Lose yourself」や「Stan」、「Without me」といった洗練された怒りと痛烈な風刺が込められたものが多く、浪人の身によく沁みたものであった.期待して新作を買いたくなっただけだった.

 訪れたCDショップも漏れなく「R. I. P.」で飾られた希代のエンターテイナーを追悼するコーナーを設け、悼みを経済の力にする意図があったように思う.私は結果的にその意図に便乗した.彼は御存知の通り、マイケル・ジャクソン(Michael Jackson)である.当時、CDはまだ売れていた時代で、ガラケーが流布していた.音楽配信が定額制(サブスクリプション)ではなかった頃で、もっぱら元データをパソコンに取り込んだり、携帯電話に移植することが求められた.そういった時代は、そういうものだとして、特に不自由しなかった.アルバムの表紙(ジャケット)は今でもそうかもしれないが、音楽家の思想・信条・作風を象徴する、そんな理解で私は鑑賞していた.

 「Dangerous」というアルバムがある.これは1991年に出た作品で、ジャクソンの黄金期にあったものだと思う.このアルバムのジャケットは奇怪である.彼の中性的な眼差しだけがベネチアンマスクのように縁取られており、何かを招くような門の華飾になっている.周囲には様々な偶像が描かれ、意味深なのか意味不明なのか、一目見てわかるようなものではなかった.背景は真っ暗で華美すぎる上記の装飾と対照的である.どこか無機的な彼の目線を除けば、静かな狂気を感じる.彼の栄光とその内面の陰りを示唆しているのかはわからないが、熱心なファンであれば十分な薀蓄を語るに足るデザインであろう.

 私はそのジャケットに惹かれた.ジャクソンのことは全く知らなかった.若干Freakyな人物なのかな、といった前情報しか知らなかった.偏見もなかった.だからあまり期待はしなかった.「Relapse」の教訓は生かされなかった.

 学生寮に戻り、私はCDプレイヤーにディスクをはめて、再生した.ガラスの割れる音がして、

“One, two, three, jam…”

という声がし始めてまもなく、今まで聴いたこともない音が、私を揺さぶった.何だ、この音作りは.何かを引きずるような、叩きつけるような、打ちのめすような旋律は.それにこの透き通るようでパンチの効いた声は聴いたことがない.これがマイケル・ジャクソンか.

 すかさず私は、付属の歌詞カードを眺めた.最近はCDを買わないので事情を知らないが、当時のCD付属の歌詞と和訳が乗った小冊子はとても好きだった.誰だかわからないふざけた名前の人物が、歌手の来歴と曲の紹介を綴っていて、純粋な読み物として面白かったのだ.現在はどうなっているのだろうか.

 一曲目は「Jam」という.歌詞からして果物を煮込んで瓶詰めにしたものではなさそうだ.

“Jam, it ain’t too much for me to”

と歌詞には繰り返しある.Jam、という言葉をどう訳するかが鍵のようだ.語順からしてto不定詞の後であるから、動詞として用いるはずである.あるいは先頭に来ているから、やはり動詞の命令形として一部使いそうだ.という推測はつく.私が当時読んだ歌詞カードには「jam」は次のように訳してあった.

「集中せよ」(*Wikipediaの記事では「集中よ」とある)

 ふーむ.と私は疑りながらも、一応の説得力を持つ訳だなと当時は思わざるを得なかった(*集中よ、の訳はよくわからない).辞書で引いても「集中」という解釈は出てこない.さてどうしたものか.ところで”it ain’t too much for me to”に触れておくと、ain’tというのは、is not, am not, are notの略という理解で良いだろう.Itは形式主語であり、意味上の主語はforに続くmeである.つまり、「私にとって(to以下は)多すぎることはない」、「私には(to以下は)どうということはない」、「(to以下は)どうってことないぜ」の意で通せる.(to以下)のことはjamにもつながるので後述する.

 彼の歌詞の訳はウェブ上で沢山あるので今はいつでも参照できる.私がゴースト・オブ・カワグチだった頃、そういうものはまだ少なかったから、言葉を調べたり、訳を考えるには己の髄脳で考えるのが早かった.才能が許せばの話だが.当時は才能が許さなかったので、今考えている次第である.かといって今の私に才能があるわけではない.

 jamはあまり良い意味で用いられないことが多い認識である.例えば、交通渋滞はtraffic jamである.これが最もjamの名詞的用法として理解しやすいだろう.Thesaurusで調べてみれば、

1. a traffic jam: tailback, line, stream, hold-up, obstruction, congestion, bottleneck, stoppage

2. informal I’d tell you if we ever got into a real jam: predicament, plight, tricky situation, ticklish situation, awkward situation, spot of trouble, bit of bother, difficulty, problem, puzzle, quandary, dilemma, muddle, mess, quagmire, mire, imbroglio, mare’s nest, dire straits; with nowhere to turn

といった具合である.動詞はというと、

1. he jammed a finger in each ear: stuff, shove, force, ram, thrust, wedge, press, push, stick, squeeze, compress, confine, cram, pack, sandwich, insert.

2. several hundred friends and celebrities jammed into the shop students soon jammed the streets: crowd, pack, pile, press, squeeze, cram; throng, occupy, fill, overfill, overcrowd; obstruct, block, clog, congest; North American mob.

3. the rudder had jammed: stick, become stuck, catch, seize (up), become immobilised, become unable to move, become fixed, become wedged, become lodged, become trapped.

であり、何かがギュウギュウ詰めになっている、鮨詰め状態で閉塞している状態を表していることに変わりない.辞書的にそんなに良い意味ではない.正月の福袋をもらいにギュウギュウになる人々を見て良い気はしない.ギュウギュウ詰めで嬉しいのは餃子や肉まん、焼売などだろう.

 ジャムが果実を煮詰めて濃縮したもの(concentration)と考えれば、濃縮という言葉を人間の動作に適用すると「集中」といった言葉になるのかもしれない.しかし、待てよ.

“Jam, it ain’t too much for me to”

ばかりに気を取られていると大意を見失うやもしれない.以下に歌詞の一部を引用する.

Nation to nation all the world must come together
Face the problems that we see
Then maybe somehow we can work it out
I asked my neighbor for a favor she said later
What has come of all the people have we lost love of what it’s about

I have to find my peace cuz no one seems to let me be
False prophets cry of doom
What are the possibilities
I told my brother there’ll be problems,
Times and tears for fears,
We must live each day like it’s the last

Go with it, Go with it,

Jam
It ain’t too much stuff
It ain’t too much
It ain’t too much for me to
Jam
It ain’t It ain’t too much stuff
It ain’t Don’t you
It ain’t too much for me to

The world keeps changing
Rearranging minds and thoughts predictions fly of doom
The baby boom has come of age
We’ll work it out

I told my brothers
Don’t you ask me for no favors
I’m conditioned by the system
Don’t you talk to me
Don’t scream and shout

She prays to god, to Buddha
Then she sings a Talmud song
Confusions contradict the self
Do we know right from wrong
I just want you to recognize me in the temple
You can’t hurt me
I found peace within myself

 「私」の願いが他者たる社会へ届かない現実と、それでも社会へ協力を呼びかける「私」、といった具合だろうか.解釈は多義的になるとしても大筋は間違ってはいまい.メッセージ性はさておき、jamの意味を考えると「集中せよ」よりも「集結せよ」「集え」のほうが私見では良さそうである.その理由は歌詞の冒頭が一つになりうるだろう.「come together」は一緒になる、一つになる、という意味だ.「国家や人々が一つになって問題を直視せねば」という歌詞からわかるように、社会の関心を呼びかける文意を考慮すると、jamは「concentrate」よりも「unite」寄りの理解が適切と思われる.音楽の用語でジャムというのは、複数人が集まって即興の演奏をするような、ゴチャゴチャ感を含んだものを言うらしい.セッションというやつか.黒人の音楽一家を出自にもつジャクソンにとってjamは決して否定的な意味ではなく、むしろ人が集まることで偶然生まれる無限の可能性を言うのかもしれない.uniteという言葉は力強いが物言いがはっきりしているだけに、政治的な意味合いを含み得る.jamの方が音としてもシンプルで、通っぽく、俗っぽくて良い.昭和のツッパリみたいな言い方をすると、「つるむ」というのか.

 では訳はどのように反映させたら良いか.これは難しい問題である.韻を意識せずに訳することが許されるなら、「集まろう」、「まとまろう」、「さぁ一緒に」と言った具合だろうか.うまくいかない.団結でも良いが、「労働者よ、団結せよ!」のような誤解をされてしまうのも氏に失礼である.単なる命令形では上からの物言いで高圧的な感じを与える.のび太くんに「俺たち友達だよな?な?友達ですって言えよ」というジャイアンのようになってしまう.

「俺とつるもうぜ」

となると、男子生徒が一緒にトイレに行く「連れション」になってしまいそうで、私は採用できない.うむむむ.難しい.私はjamの訳を今でも10年近くずっと考えている.

 私は「Dangerous」以来、ジャクソンの歌うNJS調の曲が好みの一つになった.彼自身がどういう人物かはともかく氏の音楽は浪人時代の学業の賦活剤となった.聴力に悪影響を及ばさない程度に大音量で聴いていた.電車内のノイズキャンセラー、試験前の緊張感を緩和するメンターとして浪人時代の秋以降、ずっと聴いていたのだった.私の脳内セロトニン濃度を一定に保てたのは氏のおかげかもしれない.

 NJSが今も残っているのかどうか知らないが、私にとってこの音楽ジャンルは私の心を強く揺さぶった(swingした)であり、洋楽への関心をより惹きつけた重要な用語である.この曲を聴いたのは9月のことだった.私にとって9月は秋の訪れだけでなく、新たな音楽との歴史的邂逅でもあった.今でもこの季節になるとNJSが脳裏を揺さぶる.

ここまで読んでくださりありがとうございました.