お知らせ

beach water steps sand
Photo by Adrianna Calvo on Pexels.com

 こんにちは.いつも亀吾郎法律事務所をご贔屓くださりありがとうございます.

 弊事務所はブログを開設してから来月で六ヶ月目になります.投稿した記事がどれだけ閲覧されてきたか確認すべく、Google Analyticsを導入しました.そして検索キーワードを分析するためGoogle Search Consoleを始めました.さらにGoogle AdSenseを申請して、広告掲載を始めることになりました.皆さんも途中から広告があるな、とお気づきになったのではないかと思います.

 サイトの注目度を集め、より多くの人に見てもらうことで私たち事務所スタッフ一同の執筆への動機づけを高めたいと思い、Search Engine Optimisationと呼ばれる検索エンジンに対する工夫も始めることとしました.

 これらは一般的なブログの中で知られた常套手段ですから特別なことでは無いのですが、私たちにとっては見知らぬ世界であり大変新鮮味を感じています.

 何よりも大切なのは、わかりやすく見やすいサイトにすること.知識不足や技術不足でまだまだ納得できていないところは多々ありますが、少しずつ改良を重ねているつもりです.まずはこれまで煩雑だったブログタイトルを簡素なものにしました.

 そして同じシリーズ連載ものは通し番号をつけることで順序がわかるようにしました.今後も同一の規則を適用するようにしていきます.完結した連載ものは何らかの形で再び気軽に見てもらえるように、アーカイブ化を目指そうと思っています.見づらさ等、ご指摘の際は気軽にお願いします.連載ものは以下の通りです.(10月30日現在)

現象学シリーズ:「赤の現象学」に統一 (連載中)

プラトンの饗宴シリーズ:「饗宴」に統一 (完結済み)

茶の本翻訳シリーズ:「The Book of Tea」に統一 (連載中)

時間論シリーズ:「私の時間論」に統一 (完結済み)

超越・脱出シリーズ:「近年の異世界系小説にみる超越と脱出」 (完結済み) 

記憶/物語シリーズ:「記憶/物語を読んで」に統一 (連載中)

 その他記事は単発ものです.例外に大学院時代の課題がありますが試験投稿的側面が強いのでここでは紹介は割愛します.

 自分でいうのもおこがましいですが、どれも自分の記事の独自性に自信を持っています.引用は多いですが、その分、私の頭の中でしかたどり着けないであろう思考をできるだけ開示しているつもりです.翻訳も参照こそすれど、すべて私の文体です!

 もし「これやって!」という希望があれば社会通念にかんがみて快くお受けしたいと思います.もちろん、真面目な話だけでなく、私の好きなゲーム、自動車、料理、旅行の話もしたいと考えています.

 現象学は難しいので、少しずつ気長に連載していきます.焦らず、楽しく.

これからもよろしくお願いします!

*ファントム空間論の連載は都合によりしばらく見合わせます.

秋の芸術鑑賞会

さぶちゃんの絵画評論

さぶちゃん

 こんにちは.亀吾郎法律事務所の秘書、三郎と言います.さぶちゃん、と呼ばれています.いつも吾郎ちゃん並びに弊事務所の記事をご贔屓くださりありがとうございます!今回は私が初めての投稿として、事務所に飾っている絵画について紹介しようと思います.

 まずはこちらの絵をご覧ください.下の絵はオーギュスト・ルノワール(Paul-Auguste Renoir)の作品です.19世紀のフランスの印象派画家です.邦題は「雨傘」っていうのかな.吾郎ちゃんと以前、休暇でロンドンのナショナル・ギャラリーを訪れた時に、作品を気に入ってポスターを買ったんです.お土産に欲しい作品がいっぱいあって、一つだけ選ぶのに苦労しました.

Les Parapluies, Paul-Auguste Renoir, 1880-1886, Oil, Canvas, National Gallery, London

 皆さんはご覧になってどのような印象を持ったかはわかりませんが、我々は良いなと思って買いました.芸術論や美術史は詳しくないので薀蓄は語れないけれど、良いと思った所を紹介します.

 この絵は全体的に群青色です.良い色ですよね.みんなが傘をさしているから雨が降っているのかなと考えるのが妥当かと思います.薄暗い雰囲気は空模様や人の着ている服の色調から伺われるのかもしれません.ですがそれを打ち消すように、人々の表情が素敵で、我々はそこに惹かれました.特に、向かって左の女性.雨傘の題名にもかかわらず独りだけ傘をさしていません.そもそも持っていません.空のバスケットを持ち、スカートを少しだけまくりあげる姿は、これからどこかへ小走りしようとしているのかな、笑ってはいないが、穏やかな表情からは何か良いことがあるのかな、そんな予感を感じました.後ろにいる男性はもしかすれば女性が傘を持っていないのを察して傘に入れてあげようとしているのかもしれません.それは親切心で?或いは下心で?想像力を掻き立てます.ですが女性は後ろに気づいている様子がなさそうです.女性は自分のことでいっぱいなのか、別の相手を思い浮かべているのか.ただ彼女の目線はこちらを見ているようにも思います.

 向かって右側は家族連れでしょうか.母親と思われる女性が微笑んで、少女を見つめています.少女もにこにことこちらを見ているようです.少女が持っているのは輪回し「hoop & stick」で、遊び道具です.どこかで買ってもらったのかしら.その少女の姉であろう右端の女性は帽子をかぶっているので表情が見えません.もし彼女らが家族であればきっと裕福な家庭なのでしょう.衣服の装飾が豊かで左の女性の質素な服装と対照的です.かといって左の女性は健康的な印象を受けます.貧相ではありません.

 雨傘をささない若い女性と母親と一緒のあどけない少女.どちらもこちらを見ているようですが、我々の方には何があるのでしょう?

 ある一コマを切り取った、まるで写真のようですが、写真よりも画面からにじみ出る情報の余韻は多いように思いますし、それだけ我々が感じる何かは多彩に見えるのでしょう.群青ですが.

 我々はこの絵画のミステリー性に魅了されたと言っていいと思います.ルノワールの絵画の中ではこの絵はすごく有名ではないと思いますが、とても気に入っています.皆さんもロンドンを訪れる機会があれば、ぜひ美術館へ!ほとんど無料ですから!英国の芸術における度量の大きさたるや……大抵空いてるしなぁ.日本の都会の美術館はごったがえしてるからね…… 吾郎ちゃんはテート・ブリテンが好きだけど、私はナショナル・ギャラリーが好きです.掃除夫はテート・モダンも良いよって言ってたっけ.近くにバラ・マーケット(Borough Market)があるから、ご飯食べたりして……眺めてるだけでも楽しいです. 英国のご飯、酷評されていますけれど、そういうこと言う人は残念ですね.いつか英国の旅行の話も特集したいです.

これが事務所に飾っているポスターです.賃貸物件だから壁に掛けられず、残念.

 次はこちらの一枚.

無題、S. O. 製作年不詳、油彩、キャンバス、亀吾郎法律事務所

 こちらは日本のとある現代洋画家が描いたものです.これまで数々の賞を受賞したという立派な現役の画家さんです.我々の数少ない知人の中で、縁あって譲っていただいたものになります.お会いしたのは数回になりますが、大変元気な方です.海外を飛び回って芸術家仲間と絵を描いていたんですって.粋過ぎ!アトリエも拝見しましたが、高校の部室みたいなカオスがなんだかなつかしくて心地よかったです.

 写真を部分的にぼかしていますが、プライバシーのためです.下に生えているのは豆苗ですね.切っても伸びてくるのが豆苗の可愛らしいところです.

 さて、この絵は秋の那須高原だそうです.ということは奥にそびえるのは那須連山なのでしょうか.にしてもこの絵を描いた時はさぞかし良い天気だったのでしょう.快晴の空にうねるような雲.秋の雲はこんな感じですよね.風が吹いていて、雲が少しずつ動いていて、静的な絵ではあるが、動的な要素がしっかりあります.涼しい空気が肌をなでる感じが伝わってくるようです.目の前の草木は紅葉で鮮やかに色づいていますが奥の景色も紅葉が始まっていることがわかります.きれいな色遣いだと思いませんか.たくさん絵を描いてきた人だからできる色遣いなのかなと思います.木の葉の描写は陰影と重ね塗りを用いて立体的に表現されています.かといって写実的過ぎず表現の陳腐化が避けられていると思います.私と吾郎ちゃんは、かつて北海道の旭岳に行ったことを思い出しました.そのときも鮮やかな紅葉が見事で、ちょうど例の絵のような美しさでした.クリックすると拡大されるのでぜひご覧になってくださいね.

 似ていませんか?空気感、地平.色づく草木.写真は吾郎ちゃんが撮ったものです.なかなかよく撮れていると身内ながら思います.とはいっても絵の生み出す空気感と全然違いますね.北海道の話もいつかしましょうか.旭岳には二回登頂しましたよ!

 実は私、絵の左側にある断崖の部分、ちらっと描いてありますが、画家の技巧が垣間見えて好きなんです.勿論他の箇所は素敵なのですが、あえて全体を描かなかったところは作者の謙虚さがあるのかな、とか、ついつい考えてしまいます.岩肌を描くのは難しいと思うんです.影になっていると尚更.それをさり気なく描いている.すごいなぁと思ってしまいます.

 いかがだったでしょうか.絵について語れることは少ないですが、絵にまつわる思い出はたくさんあります.絵のいいところはどれも物語性を持っていることでしょうか.絵だけではないですね.どんな創造物、作品もみな物語を持っていて、どれも雄弁だけれど、静かに語る、そんな感じがします.亀吾郎法律事務所にはまだ他にも作品があるので、機会があれば紹介しますね.イタリアの絵があるんです.

 吾郎ちゃんはこの前食べたサムギョプサルにあまりにも興奮しすぎて記事がまとまらなくなっちゃったと反省していました.今度から気をつけると言っています.今後とも暖かく見守ってご愛顧いただければと思います.

さぶちゃん

ここまで読んでくださってありがとうございます.

 

美味しいピザを食べよう

 期せずして実現しなかった事柄というのは、時々起こるもの.その事態に対して私達はどんな気持ちを抱くか.悲観していたことが好転した場合は喜ばしい.楽観していたことが落胆に変わればもちろん悲しい.期待と現実の間に生じる差が大きくなればなるほど、感じるものも大きい.それは間もなく、私達夫婦(亀吾郎法律事務所の掃除夫と妻)にも訪れた.その日は所長と秘書は自宅でのんびりしていた.曇り空にところどころ晴れ間が見える暑い日だった.午睡していたボクスターは乾いた音を立てて目を覚ました.この六気筒の水平対向エンジンMA−122型は名機である.

 Instagramという米国発祥のアプリケーションがある.主にスマートフォンで撮影した画像データをインターネット上に投稿、投稿した画像や動画はアプリケーションで公開される.画像には注釈をつけることができ、他者にとって検索の助けになるよう、カテゴリが作成できる.共感を誘う視覚情報にはハートマークを与えることで投稿者への賛辞、称賛等を示すことができるとされる.このようなソーシャルメディアという世界はおそらく、軍事、諜報、様々な禁忌を除いてあらゆる人間の活動と相性がよく、七つの大罪を生み出す他に、経済効果にも大いに貢献していると思われる.

 妻と次のような話をした.どこかゆっくりと瀟洒な所で食事と喫茶をしたいねと.Instagramの中で、飲食店は見栄えの良い写真を投稿して宣伝していることを思い出した.訪れた客も思い出とともに提供された料理の写真を投稿し、共感を多く誘う店舗は界隈で有名となることを二人は知っていたので、それを利用して飲食店を探してみようということになった.

 石窯で焼いたピザが食べられるお店があるようだ.それは市街地から少し離れたところで静かな料理店を予想させる.ピザに対する評価は著しいようだし、なかなか個性的ではないか.満場一致で翌日、出かけて昼食を摂ることにした.

 50分くらいの片道であった.様々な道を通ったが、店に近づいてくるにつれてすれ違えないほど狭くなる区間が生じる.夜道は大変そうだ.途中小気味よいくねくね道があったので楽しい時もあった.やがて砂利の敷かれた駐車場に着く.駐車場といってもお店の駐車場ではなくて、広く解放されている敷地である.そこから降りて一分くらい歩き、店の前に心弾ませて入ってゆく.

 店の入口は足が悪い人にとって不都合なほどに狭く不安定である.店内は薄暗く、店員が忙しく歩きまわっている.期待していないが「いらっしゃいませ」という挨拶はなく、座席へ誘導されない.中々目が合わない.入っている客は数組ほど.天井が低いせいで思った以上に店内が狭く感じる.不穏な空気感である.

 眼力の強い店員がようやく応じて、席を案内すると思いきや、

「ピザはありませんが、カレーならあります」「カレーはこの二つです.他の前菜もあります、どうしますか」

 ピザはありません、どうしますか

 ひどく狼狽した.インドラの矢でも受けたような衝撃が走った.銃後の妻もそれを聞いて、悲痛な面持ちを隠せずにいる.銃撃と爆風を受けて傷を負ったのは私だけでなく、妻の期待と高揚感も吹き飛んだ.出されたメニューは薄暗くてよく見えなかった.

「どうしようか」

 私は消え入りたい気持ちを隠せずに妻に質問してしまった.妻は黙って首肯した.もし私独りであったら勇退したであろう.しかし遠路はるばるやってきたのだ.ここ以外に近辺に飲食店はない.悲しい二択を迫られてしまった.

「では空いているそこにどうぞ」

「はぁ」

 あちこち空いていたので「そこ」がどこなのかわからなかったが、店員の意図を汲み取って着座した.隣には楽しげな一組の若い男女.食事を終えてデザートを注文したばかりのようだ.表情は我々と対照的だった.席と席の間が近く、窮屈な気持ちを感じてしまう.妻はもう虫の息だった.メニューが改めて配られる.ピザの種類はかなり豊富だということがよくわかった.しかしピザはないのだ.ないものはない.カレーは確かに二種類.一つはマイルドココナッツカレー.もう一つは忘れてしまったが、1250円のカレーだったと思う.250円でチキンが追加できるという.値段は税抜価格である.1.08をあとで掛けないといけない.寒気がした.前菜や甘味を注文する気になれなかった.全体的にどれも値段が高かったのだ.

 我々は示し合わせたかのように二人ともマイルドココナッツカレーとジンジャエールを注文した.料理が運ばれてくる間、妻は携帯電話を取り出し、私はあたりを見回した.音響に凝っている証なのか、オープンリールデッキが設置され、真空管アンプを通してなにかの曲が鳴っている.しかし耳を傾ける気にはなれない.天井は白い布で覆われている.屋外テントの天井を模しているようだ.建物の骨格は木材で、太い丸太で組んでいるように見えた.お金を節約した難しい建築であるように感じた.やはり天井は低い.床はなぜか段差ができているので圧迫感が強い.誰にとってもバリアフリーの対極であることは疑いようがない.柱にはスワッグが飾られている.精気を失われた私には磔になった藁か呪物でしかない.厨房に目をやると、白い顎髭を蓄えた男性が虚空を見つめている.おそらくピザを焼く為に存在しているのだろう、しかし当時は存在意義がないものとして役のない役に甘んじていた.壁にかかった黒板に描かれたピザのメニュー表はもはや虚構であった.

 親父とは反対に他の店員はいそいそと仕事をしていて、空気には張り詰めたものがあった.おそらくだが、店内は狭くてとても歩き辛いのだ.店員の動ける空間が細いので、移動が遅くなる.厨房へは段差をまたがないと行けないから、気を遣うし、すれ違うのも一苦労だ.明らかにピリピリして見えた.親父を除いてイライラしており、スタッフ同士の不和が推察される.マスクを常時している暑さ、息苦しさもあるだろう.隠しきれない苛立ちと焦燥感は慢性的な状態であることを示唆する.給仕する仕草は粗雑な様子で、もう少しで放り投げる仕草と受け止められかねない絶妙な加減.一体この職場に何が起きているのだろうかと好奇心を湧かせる以外、余暇を潰す策がなかった.終始会話を弾ませることがなかった.

 しばらくしてカレーとジンジャエールが出された.ストローとおしぼりは放り投げられた.カレールーの中心に白米が盛られていた.刻んだミニトマトが添えられている.ご飯はおそらく茶碗小盛りくらいだ.カレーを口に運ぶ.うん、カレーはよく炒めた玉葱と魚介の風味、やさしいココナッツミルクの風味で口当たりはよい.しかし塩気が足りない.自分でもこれならできそうだなと言い掛けて私達は慎重に言葉を選んだ.

 「なんだか塩気がもっとあるといいと思うんだけど」

 妻が先制する.同感であった.よくぞ言ってくれた.

 「うん.それに具がないね」と私.

 「えっ、よく探せばあるんじゃないかな」と一寸否認するも夢破れたり.

 すぐに「ないね」と妻.

 隣のカップルは一つのパフェを二人で仲睦まじく食べている.正確に言うと、男性が女性に一緒に食べようよと迫っている.男の押しが強い.ところであの男性の空腹は満たされたのだろうか.カレーとパフェで満足するのだろうか.他の客はどういう心境なのだろうか.

 妻は私より先に食べ終えた.少しして私も食べ終えた.ジンジャエールも飲み終えて何もすることはなくなった.

 「じゃあ、行こうか」

 勢いよく席を立ち、会計へ向かう.会計と入口と厨房は渾然一体となっており、そこには苛立つカグツチ(料理担当)と、うだつの上がらないガネーシャ(レジ打ち)と、身動きの取れないヘルメス(給仕担当)がいて、カオス(混沌)を形成した.会計を待つにも、どうも慣れない作業を一任されたガネーシャは、店内の最高神であるカグツチに電子マネー決済のやり方を訊く.その間佇立する私は、料理を運ぼうとするヘルメスの進路を塞いでいることに気づき、立つ位置をずらすが、まるで私が悪人であるかのように一瞥し給仕へ旅立つ.居心地の悪さを覚えた.

 会計を終えた.「ごちそうさまでした」と世辞を述べる.何もこだましなかった.

 扉を空けると、分厚い雲から光が漏れているような空で幾分かどんよりしていた.空気も湿っぽくて湿気は多かった.敗北を喫したようだった.暑苦しくて重々しい空気だった.

 「店の前の看板には『ピザがある』って書いてあったのにね」

 謙虚な妻が珍しいことを言う.妻も敗北を抱きしめていたのだ.

「お店は11時30分からで、我々は13時ちょうどに着いた.まさか一時間半でピザがなくなるとは思わなかったなぁ」

 私も悔しさで恨み言を述べた.ピザ屋に行ったのにピザがないという事態に上手く対応できなかった.

 ラーメン屋に行くとスープがなくなったのでお店閉めます、とか、蕎麦屋で蕎麦がなくなったので暖簾を上げることはよくある話で、今回の一件もそういう都合であったのは間違いのないことだ.斟酌して言えば仕方のなかったことだ.我々はそんなに外食をしないので、ピザにかける期待値は高かったし、とても楽しみにしていた.しかし、まさかピザがないとは思わなかった.それにそこまで店内の雰囲気が冥府のようだと思いもすまい.店舗を無作為抽出して、抜き打ち調査を行うメンタルチェック審問官のような気分にもなった.不覚にも従業員の精神医学的問題を直截してしまうとは予想しなかった.

 店内の作業空間に問題があるのだろう.基本的構造からして入口がわかりにくいために入口を探すことから始めなければならない.車椅子の方には到底入店できない.店内も見栄えのする箇所はあるが、人間の出入りする動線を十分に検討していない.設計上の問題を指摘しておかねばなるまい.厨房と厨房の間に会計場があるのは奇妙である.そして厨房と客間の間にも不親切な段差がある.客間は増築したのであろうが、不便である.そして、座席の間隔が密であるから、意図しない緊迫感を生み出す.音響効果も乏しい.この空間を設定したのは誰であろうか.虚空を見つめる親父か、その妻と思われるカグツチか.スタッフ同士の摩擦が見え見えである.指揮系統にも問題がありそうで、スタッフの連携が上手く行っていない.スタッフの余裕がないから、接客にも余裕はなくなるのだろう.ピザの評判は上々であるようだから、親父の焼くピザは確かにうまいに違いない.親父の輝きが眩しいと、それだけ映る陰影も色濃く増すのかもしれない.店を立ち上げたのは親父だろうか.だとすればその開店への志は尊いはずだ.だが従業員と集う客には配慮という光が行き届かず、陰りが広がっている.将来は明るくないと思う.生地の上の職人、頽廃を知らず.といった具合である.

 

 家路に着いて、我々は疲れ果てたが今回の食事を笑い話にして、この一件は終わった.しかし、ピザはどうしても食べたかった.

 「ピザがないのなら作れば良いじゃない」という金言のもとに、家族の団結が行われた.翌日妻は生地をこねる.私はピザソースを作る.チキンも焼いた.二人でトッピングをてんこ盛りにして、最後に妻がオーブンで焼いてくれた.吾郎と三郎は水槽でプカプカしていた.上の写真はピザのないピザ屋よりも勝る美味しいピザである.味は美味しかった!

 これで話は終わりである.ピザ屋への私怨を書くつもりはなかった.ただ期待していたことが残念な結果になったことは確かだった.しかし最終的に美味しいピザを食べることができた.私は悲劇的転帰よりも喜劇的な結末が好きだ.

 一つ、彼らにとって不幸であったのは、皆マスクをつけていたことかもしれない.ただでさえ暑苦しいものを何時間もつけるのは大変つらいことだ.それにマスクの下の表情が見えないと、人同士の距離は心的距離すら遠くなる.適切な意思疎通を取ることはもはや不可能である.この流行している新型感染症の影響は山の中にあるピザ屋にも及ぶことを知る.

 山奥のピザ屋まで不安焦燥が昂じるのは非常事態である.心の底から感染症の収束を願うばかりである.あらゆる流言飛語、不合理な政策、片言隻語を捉え、冥界へと引きずり込もうとする邪な意思が隠れもしなくなっている.実証し得ない風評がやがて人々の不安の中で醸成され、伝播してゆく.それはいつか実体を伴わないが存在する驚異として我々のすぐ近くに潜むようになる.怒りや不安、悲しみに身を任せ、言葉を武器に罵詈雑言を重ねるのではなく、冷静かつ謙虚な気持ちで、人々と世界にどのような心の動きが起きているのかを注意深く観察することが肝要だ.

 亀吾郎法律事務所は今後も言葉の持つ力を十分に勉強し、力を正しく行使できるよう修練に努める所存である.

ここまで読んでくださってありがとうございました.

 

談話異聞録

Hegelを読む所長.

 以下は亀吾郎法律事務所の職員である吾郎と三郎の雑談.

三郎「吾郎ちゃん、ついに超越と脱出の話を書き終えたねぇ、大変だったねぇ」

吾郎「うむ、大変だつたな.話をどのように纏めるかが難しくてな.さぶちやんには随分助けてもらつた.ありがたう」

三郎「まだ自分で問題提起するシリーズは終わってないけどね.あれはどうなるのさ」

吾郎「勿論、構想を大いに練つてゐるところだ.もう少し自分の中で知識を受肉せねばなるまい」

三郎「どういう展開になるかちょっとだけ教えてよ」

吾郎「無論いいだろう.実は木村敏の考え方を御紹介するつもりだ.時間についての彼の洞察は見事と言わざるを得まい」

三郎「そんなにすごいのかぁ、楽しみだねぇ.そういえば事務所の掃除夫のことなんだけど」

吾郎「いつも吾輩の口述を文章化して投稿してくれる奴のことか.他にも彼奴は賃料を払う、税金を払つたり、人間界と折り合いをつけてくれるな.納付額を見て具合を悪くしたようで大丈夫なのか.いつも掃除は雑だが、甲羅磨きが上手くなつてきた.彼奴がどうかしたか、最近独逸製の合成食に飽きてきたと伝えてくれ」

三郎「段々読者の皆さんが増えてきて嬉しいって言ってたよ、僕もテトラレプトミンは飽きてきたよ.でも吾郎ちゃん、鶏むね肉とかお刺身の血合いのところ食べすぎて具合悪くなったことあったでしょ.掃除夫の奥さんが心配してるから駄目だよ、また入院したら大変だよ」

吾郎「ぐぬぬ.あれより上等なものが市販化されているではないか」

三郎「レプトミンスーパーのこと?あれ美味しいよね.エビの香りがしてさぁ.あれ食べるともとのレプトミンには戻れないよ、でも掃除夫は値段が高いから渋ってるんだって」

吾郎「そうか.だが彼奴等はこの前伊太利亜料理店に行つてStrangozziやTagliatelleなるパスタを鱈腹食べたと聞いたぞ、妻の方は仔羊の炙り肉を注文したそうだし、掃除夫は偉そうに豚肉の網焼き肉を食べて『この豚は間違いなく徳の高い豚だ!前世で大変尊い徳を積んだに違いない.豚への価値観が変わる大変な代物だ!』と変なことをほざいていたと」

三郎「変なことを言うのはいつもだよ.何かの一周年と納車三周年を記念して、ということらしいよ.法律事務所も一周年を迎えたらお祝いだね、僕らも車が修理から戻って来たらドライブ行こうよ、早く乾いた6気筒の音が聴きたい.なんでも新しいブレーキパッドがPAGIDなんだって?」

吾郎「よく知つているね.なんでも制動力と耐久力を兼ね合わせるようだ.金は掃除夫が払うと言つていた.吾輩は西日本の方へ行つてみたいなァ、温泉や神社仏閣、美術館、景勝地を巡つて心を揺らす体験をしたい」

三郎「吾郎ちゃんはそういうの好きだよね.僕は車のシートに包まれると固定力があって、いい意味で狭いから密閉感があって.車の中に入り込むというか一体感を感じるような.赤子が卵の中にいるような安心感ってのは言いすぎかもしれないけど、ほっとするんだ.エンジンが真後ろにあるからなのかな.幌を開けて風に当たるのもいいけど、雨音が幌を打つ音も好き.」

吾郎「さぶちやんはポエチツクなところがあるな、ドライブは雨でも楽しいのは同感だ、休みをとつて脱出しようか」

暴食ライフ、ベルゼブブと化した若輩

 皆さんは台湾に行ったことはあるだろうか.「行ったことありますよ」という方もいればそうでない方もいるだろう.台湾に求めるものは人それぞれで「どういう系統が好きなの」と問われれば十人十色の返事が来るに違いない.その中でも「そうですね、私は夜市を歩くグルメ系ですかね」という回答はきっと多そうだ.私も何度か訪れたことがあるが、少ない体験の中で特に心に残った食べ物を紹介してみようと思う.はじめに断っておくと、観光情報を提供するものではなく、感想を述べるに留めるので、有益な情報が安易に入手できると誤って期待してしまわないようにお願い申し上げる次第である.

阿宗麺線

 トロトロの鰹出汁ベースとするスープにクッタリした麺と牛もつが放り込まれお好みのチリソースとニンニク、酢でカスタマイズできる一品、パクチーの香りが清涼感をもたらす.大で70元.とてつもなく美味い。繁華街の中にあるのでやかましいし、なぜか怪しいおばあさんがしつこく話しかけてくる珍事もあったがこのお店のために訪れる価値があると思う.

趙記菜肉饂飩大王

 セロリと海苔のスープに一口ではとても入らないボリューミーなワンタンが小で6つ.具材に香りを引き立てるセロリを入れるのは日本の才覚では想起不能、天才の所業である。ワンタンの中身も尋常ならざる密度で肉と野菜で幸せを運ぶ.95元.途方もなく美味い。夜の9時近くに入るとほとんどお客さんはおらず、「わんたん?」と訊かれるのでおとなしく首を立てに振れば良かった.

鴨肉扁

 ガチョウの肉専門店らしく、チャーシューっぽい肉はガチョウのようだ.米麺を注文。スープはこれまで味わったことのない感覚で、山岡家のプレミアム塩とんこつ以上の脂ぎっとりではあるが箸が進む恐ろしい思いをした.麺はもはやスープと融合しており、麺の細さは白髪の老婆のそれと同等である.老婆の白髪を食ったことはないが食中に羅生門の件を思い出した.60元で美味い.

紫米飯團

 朝食のお粥のお店が閉まっていたので途方に暮れていたところ、数秒で台湾おにぎり屋さんの屋台を発見。一瞬で憂いは晴れ、おにぎりを注文。紫色のもち米を薄く伸ばし、その上に具材をあれよあれよとぶち込んでいく。キムチ、牛蒡の漬物など、穀類系の味もしたが、何を食っているのかわからないがとにかく美味い。センターに揚げパンを加え、完成.神の創造物である.綜合、という一番人気らしいものを頼んだのでおそらくなんでもかんでも突っ込まれたのだろうが、働かないで食う飯は美味いぞ.アイスミルクティーもくれた.60+20=80元.台湾の食文化の優越を見せつけられた、美味い.写真は食べかけである.申し訳ない.

阿江鱔魚意麺

 鱔魚意麺とかいう、田うなぎをなんやかんやして意麺に和えた一品.意麺というのは台南のご当地麺のようだ.黒胡椒とニンニクのシンプルな味付けだが、魚の骨や臭みが一切なく川魚の歯応えを堪能しつつ、縮れ麺をすする.120元.文句なしに美味い.勲章ものである.調理する親父に「ニイチャン、ヤキソバ?すーぷ?」と訊かれるので「ヤキソバ」と答えてもいいし、汁そばが食べたければ「すーぷ!」と答えても失敗することはない.食べてると「ニイチャン、うまい?イチバン?」と訊かれる.にこにこしながらうなずいているだけで良かった.さばいてあるウナギは鮮血の色だし、調理する親父の手は痛々しい傷だらけで心配になるがきっと神々の寵愛によって大丈夫なのだろう.

蚵仔煎

 養殖した牡蠣を卵で包んだ一品、シャキシャキもやしなどを乗せて鉄板で焼く.台湾のお好み焼?らしきものと考えて良さそうだ.元来自分は牡蠣が苦手であるが、この料理は大抵小粒の牡蠣なので生臭さは感じない.様々な病原性のウィルスが気になる諸兄も多いかもしれないが、未だ敗北は喫していない.いろんなところで売っているので、自分だけの蚵仔煎を見つけてもいい.見つけなくてもいい.

蒜味蟹脚

 半分に割った蟹にニンニクをこれでもかと練りこんだのち、油であげたパワーディッシュ.終始ニンニク.徹頭徹尾ニンニク.蟹の足はばらされていないので自分でボキボキ節足を破壊する必要がある.ものすごくベタつく.美味しいのだが、取り扱い注意である.値段は忘れてしまった.適当な写真がなかったので昼寝しているおばちゃんとソーセージの一枚をどうぞ.

牛排

 夜市で食べたのは要するに牛肉ステーキのようなものだった.ファミレスで見かける鉄板の上にジュージューの肉.肉の下には焼きうどん.目玉焼きもセット.デミグラスソースがかかっている.提供されるスピードが尋常でない.100元くらい.うーん、小生はじーぱいが好きだなぁ.

魯肉飯

 台湾を訪れたら万人におすすめできるご飯だと思う.ガイドブックには絶対載っているに違いないやつ.味玉を一緒に注文してハフハフ口の中に頬張るといい.ファンタジーが起きる.あまりにも美味しいので我が家で再現してみようと炊飯器で作ってみたが、自宅でもファンタジーを体験した.五香粉の香りはくせになる.あれだけ感動したはずなのになぜか魯肉飯の写真が一枚もなかったので、孔子廟の亀をご覧になっていただく.

鶏排

 いわゆるフライドチキン.懐かしい駄菓子のようなジャンキーな香りがしたり、ピリ辛だったり、なんだか香ばしくて熱々で硬口蓋の皮がめくれそうになる感じ.どれも大きくて食べ出がある.様々な鶏排があるので、食べ比べをしたが、私は娘娘鶏排(にゃんにゃんじーぱい)が好みであった.鶏排には冷たいドリンクがよく合う.罪深い.

金得春捲

 薄いクレープ生地の中に、キャベツ、エビ、豚肉、ニンニクなどがたんまり詰め込んであって、砂糖をまぶしたピーナッツの香りも漂う.このメニューの考案者は一体どうしてしまったのだろうか.なぜこんなことを考えてしまったのか.そんなことが気になる.淡々と猛スピードで売りさばくお店.お客は絶えない.美味しいのだが、形容しがたい.

蝦仁飯

 エビご飯.鰹出汁で炊いたであろう少しびちゃびちゃのご飯に小エビが乗っている.ご飯は少なめなので食べきれないことはそんなにない.おやつ感覚で食べてしまえる.箸がでかいので湿ったご飯粒を回収するのがなかなか大変だった.簡単そうで実は難しい奥深い味.

擔仔麺

 エビの出汁が効いたスープに肉そぼろとニンニクの香りがするラーメンのようなもの.老舗の擔仔麺を食べたが、なかなかに美味しい.麺はコシのある中細麺で、スープとよく合う.ものすごくうまい、おかわり!というわけではないが、ハズレが全くない台湾は恐ろしい.

 この他にまだまだ食べた料理はあるのだが、丁度いい写真がない、あるいは写真を撮っていない、投稿者が息切れしてしまったという不運により掲載できていない.写真があるからといってよく撮れているわけでもないから、筆者のカメラワークの下手さがよく分かるであろう.台湾を訪れて感銘を受けるのは、みんな人柄が温和で、言葉足りない私になんとか疎通をとろうとしてくれる親切心である.(唯一タクシーの運転手1名とは反りがあわなかった)よく親日だから、という意見はあるが、決して日本人にだけ優しいわけではなくて、外から来たお客さんを厚遇してくれる器の大きさが台湾の方々には備わっているのだろう.心から尊敬する.

 何度でも訪れたいと思う場所だ.いつか例の感染症が収束した暁には、暴食の大罪人として、また盛大にご飯を食べて罪を重ねたいものである.

北海道走行回想録

 以下は過去に妻と旅行に出かけたときの自動車短評です.あえて略語や略称を使っていますが、ご宥恕ください.

Photo by Kaique Rocha on Pexels.com

 いつだったか初秋にフェリーを使って北海道を訪れた.車両の前後に二人1週間分の荷物を積んでの旅行であったが、そこそこ重量感を感じる走行だった。自然吸気ゆえの立ち上がりを常に自覚する加速感であるが、今回はそれをより一層感じるものであった。かといって苦しそうな加速というわけではないのだが、普段使いの加速感をよく知っている自分としてはもう一声欲しかったのは正直なところである。しかしながら十分な働きをしてくれたのは事実で、幌を開けて20度くらいの気温で公道走行する分には風が凪いで心地良い。五感を刺激し決して速度だけが車を優越するものではないのだと気づかせてくれる。決して性能が悪いと言っているわけではない。細かい話をすると、PDKはグランドツアーには優れたシフトチェンジをした。加速が必要な時はキックダウンによって瞬時に2速まで落ち猛チャージによって、一気にスポーツカー足らしめる官能的な炸裂音を伴う。しかし、ある程度速度が達して満足すると、素早くオーバードライブになるべく7速に入るため、ある程度ギアを低く保つには積極的にパドルシフトでマニュアルにするか、スポーツモードで引っ張る必要がある。ガンガン走るのも元気がいるし、同乗者をのせてそんな走りをし過ぎても興が冷めるわけで、流石に緩急は必要だ。北海道にはいろは坂のようなタイトカーブが多いわけではなく、高速コーナーの方が多く、長いのでクロスレシオのギア比の車の方が総合的に良い。ボクスターはその辺、ケチのつけようがない。PASMを使用してみたが、推定100キロ増の車重ではすでにサスペンションは硬さをもっており、快適性が無駄に損なわれる可能性が高かった。北海道の郊外の路面はおおよそ不整であるために凹凸を拾い、ハンドルも流されるほどに敏感に路面状況を伝えてくる。決して車が悪いわけではなく、道路環境の劣悪さが大きな誘引だろう。したがって、今回の旅行ではアクティブサスペンションはほとんど使用せずノーマルライドでの走行を主とした。同乗者がいることも配慮してである。冷暖房やナビゲーションシステムの使いやすさは通常通りであった。レーダー探知機も有効活用し、一度ネズミ捕りに美瑛で遭遇した他はヒヤリハットすることはなかった。時代の潮流だろうが、煽り運転や煽られる運転に一層気を配る運転でもあった。風貌からはこちらが煽る側に立ちそうな装いなのだろうが、基本的に当方は流れに乗って適材適所で追い越しをかけるくらいだから至極真っ当な運転をしたように思う。

 かなり恐怖を抱いたのは日高峠の濃霧の中、登坂車線の追い越し側を一定の速度で巡航していたところ、一瞬にしてスイフトスポーツが後方視界に出現、よもや突かれるくらいの距離まで詰められていたことであった。酷く狼狽した、というか狼狽える隙もなく接近され、左から強引な追い越しを受けたのは衝撃であった。ポルシェがスズキに負けるなんて、という幼稚な次元ではなくて、優劣どころか、濃霧の夕方で視界不良な状況において極めて自己中心的な運転をするものがいるのかと思うと、いかに自分が気をつけていようとも事故が避けられない運命もあるのだと思った。ハンドルを握っているうちはこの恐れが付きまとうのだろうと感じるしかなかった。まして、これからの運転が一人だけではなくて、一緒に乗ってくれる人がいるものになるのだから尚更のことである。ボクスターの欠点は左後方視界の不良である。左からの接近が感じられにくいのである。ミラーでも死角が存在する。特に追越車線を走るときに左からの近接が生じると緊張感を感じないまま一寸先が暗転する可能性がある。よって、常に後方視界は気を配っている。走行の半分は後方確認といっても過言ではないくらいの配慮がいると思う。

 それ以外は心配なく時間が過ぎた。一足早い冬の訪れを肌で感じることができた。この時間が私だけのものではなく、一瞬一瞬を一緒に感じてくれた人がいたのは私の最大の喜びである。ボクスターでのグランドツアーを敢行するなら期間は1週間未満がベストだろう。パワーウェイトレシオの問題があるように思われる。SやGTSなら話は違うかもしれない。982ならではのターボだったら許容できるかもしれない。おそらく911やパナメーラの方が豪華で優雅に北海道を走行できるだろう。荷物も入るしパナメーラなら四人載せても一級の走りをするに違いない。しかし、私の身の丈にはボクスターで良い。決して速くないが、それ以上のものを感じることができると思う。異論はあるだろうが、この考えとそれに至るまで私たちが走ってきた時間は不可侵の領域である。

気づけばグリーンイグアナ

 先日、妻と淡水魚の水族館を訪ねました.大きな敷地の中には大きな池が会って、その中心にガラス張りのルーブル美術館のような建物があります.水族館の入口には鯉のぼりを模した、何百もの鮎のぼりが風を吸って、元気よく泳いでいました.見物人は少ないのでゆったりと静かな空間で集中して魚を観察することができました.マス、ヤマメ、タナゴ、フナ、オイカワ、コイ、ドジョウ、ウナギ、カエル、イモリ、ザリガニ、サワガニなど淡水でよく観られる生物がゆったり暮らしていて、少し羨ましく思いました.ガラスから差し込む日光が眩しくて、蓮の葉は大きく葉を広げるのとは対称に、我々は瞳孔を小さくして少し暗い館内を探索します.淡水魚だけでなくて海水魚や汽水域の魚も少し展示してあって飽きることがありません.アジ、タイ、マグロ、サメ、ヒラメ、フグ、ウツボ.正直にいうと時々美味しそうだな思うときと、この魚、あな恐ろしと思うことが多かったです.読者諸兄には私の見識の狭さに呆れるかもしれませんね.しかし背びれ尾びれが動くときの一切の無駄の無さと優雅さ、光に反射するウロコ.しなるように動く細長い流線.そしてそれら形態へと至らしめた進化の道筋あるいは万象の妙技にはただただ感嘆するばかりでした.

 水族館や動物園を訪ねるときは、自分(の世界)と動物(の世界)の対比を行うことがもっぱらかと思います.自分の知識と実物を照らし合わせて違いを感じ取り、そこに感動する、思いを共有する、新たな情報を得ることが多いのではないでしょうか.水族館はそれが面白いのです.マリンスポーツをやる人は水中生物の知る力学に感動し競技への新たな着想を掴むのか、芸術家は生き物の息遣いや水と光が作り出す不可思議な空間に魅せられるのか、いずれもどうなのかはわかりませんが、私が少し考えたのは妻とのやり取りを介した以下のようなことです.

 砂場に潜って両眼だけを出しているヒラメを見て私はこう言いました.

「あのヒラメのように、平べったく砂の色とほとんど同じ色合いで景観に潜るというのは全く信じがたい技ではありませんか.ということはヒラメは砂の色と自分が砂に潜るときの体の形をよく理解している、自分が隠れたときにどのような姿になるかをおおよそ知っていて、まるで他者からの眼差しを意識して姿を発展させたかとしか思えないような造形です」

 妻は少し考えて言います.

「私は自然選択説というものを学んだことがあります」

「ほう」

「進化を説明するとき、自然環境が生物に無目的に起きる変異を選択し、進化に方向性を与えると」

「つまり、ヒラメは意識せずにあのようになったと」

「ええ、学者はそういいます、私はそう教わりました」

 妻はいつも冷静です.

「では、ヒラメの擬態と同じように、イカもタツノオトシゴが岩陰や海藻に紛れて身を隠すようになったのは、彼らの意識するところではない.しかし数ある子孫に現れた個性のうち生存に適さなかったものが、長い歴史の中で徐々に淘汰され、適したものがいつしか形質として選択される、と」「あんなに見事なのに.ナナフシの節足やハナカマキリの色彩もガの紋様は自身の体躯を客観的に認知せずにああなるだろうかねぇ」

「貴方の言いたいことはわかります、でも私はそういう知識を持っていると言ったに過ぎません」

「すごいねぇ」

 私は少し気まずくなって、妻の顔を見ずにガラス越しのヒラメと目を合わせようとしたのですが、ヒラメはじっと考え事をしているようで私にとりあってくれませんでした.

「少し喉が乾いたね、休憩しようか」「あすこのベンチがいい」「ええ」

 私達は日光が燦々と輝く外の景色を眺めながら休むことにしました.燕がヒューッと急降下して勢いよく高く揚がるのを見て、近くに巣があるんだね、帰りに見に行ってみようか、などと話をしました.蓮の花が咲き乱れ、アメンボがスイーッスイーッと水面を揺らします.実にのどかな光景に目を見張りました.ずっとこういう時間がつづくことはないと思いながらそれぞれヒラメのようにじっと考え事をしていたように思います.少し時が経って奥に進むと世界の淡水魚コーナーと称して、主に南米の熱帯に生息する巨大魚が展示されていました.いや、どちらかというと我々が見られていたのかもしれません.ピラルクーが悠々と泳ぎ、近くにはポルカドットスティングレイが張り付き、カンディルやピラニアがちょこちょこ水の中をかけっこしています.自分が水の中にいたら堪らないだろうと思いながら水中に設置されたガラスチューブを歩き、地上に上がります.外から見てルーブルの四面体のように見えたのは熱帯雨林を模した環境を保つためのガラスだったのです.鬱蒼とした森の中を歩いている気分で、なかなかおもしろいものでした.目の前にオウムのような鳥がいるのもびっくりしました.あとから知るとインコのようでしたが、妻は息が早くてあまり調子がよくなさそうだと心配していました.ほかにも何かいるかとキョロキョロしてみてもなかなか見つからないので立ち止まっていると、妻が

「ねぇちょっと、あれ」

Photo by Juhasz Imre on Pexels.com

 2mくらいの近さでそれは大きなイグアナが日光浴をしていたではありませんか.まったく物音せずにずっと林の定位置にいたのです.あんなに近くでイグアナを見ることはなかったし、気づかなかったこともびっくりです.かといって向こうは何かこちらに気を使うわけでもなく自分のことをしていたので、あたりに漂う空気は穏やかなものでした.怖いと思う気持ちは全然なくて、なんだか昔から知っている仲間に偶然出くわしたような嬉しい気持ちがしました.イグアナがそこにいてくれてよかったなと.

 帰ってから妻と話したことを調べてみました.もしかしたら私がヒラメを見て言ったことはJ. Lamarck(1744-1829) の唱えた用不用説に近いのかもしれません.現在進化論の潮流は妻が教えてくれたC. Darwinによる自然選択説にあるようですが、素人ながら確かによく観察と熟考を経て得られた学説だと思います.この自然選択説は変異は自然が淘汰し、偶然が支配するサバサバした学説であって、進化の過程において生物がああしよう、こうなりたいという密かな思いを排除したものとも考えられます.私自身、もっと知らなければならないことが沢山あるのを承知で言いますが、どんな生き物でも個々なりの密やかな思いがあっていいはずだと思います.これを主体性といえば少しすっきりした言い方になりますが、各々が形態・機能変化へ向かう何らかの力動が働いている、究極的には進化へと至る推進力<精神といっていいのだろうか?>が存在しているように感じるのです.私はロマンチックな話が好きなのでこういう考え方になりますが、この世界が確率や偶然だけでできているのではあまりにつまらなくありませんか.運命がきまぐれによって決まってしまうような考えはある意味単純明快ですが、我々がみな運命の囚われになるのは惨めでしょう.何か私達にとって捉えがたい生命固有の志向性が働いているだとか、運命に抗うベクトルが備わっているような、そんなある種の不可思議な方向づけがあるとしたら、僕らはカメレオンやタコともっと寄り添っていける気がするのです.

 こんな話、うちの事務所のスタッフくらいしか聞いてくれないかと思いましたが、あとで定向進化説(Orthogenesis)やNeo-Lamarckismといった生命の内的方向性を考える学説があると知りました.私よりずっと前に似たようなことを考えている人がいると知って、自分の凡庸さに気づきつつ、共感してくれそうな人が少しでもいるのだと思うとほっとしました.イグアナがそこにいてくれてよかったなと思う気持ちと同じでした.

結婚式を間近で見るということ

 結婚式というのは凄まじいエネルギーを要するものです.つい最近、兄の結婚式に参列してきました.神前式を以て粛々と執り行われました.奈良時代(神護景雲元年)から存在するという、とある神様の祝福が得られ、二人は無事夫婦として結ばれることができました.この神様は複数の神体の総称で、調べたところによると、大国主大神、多紀理姫、味耜高彦根命の三神を祀っているようです.味耜高彦根命は大国主大神と多紀理姫の子ということですから、家族経営のようなものでしょうか.縦二列で歩きながら、本殿に向かいます.スピーカーで繰り返し流れる越天楽の音色に乗って、巫女が舞い、神主が笛を吹く.新郎と新婦は紋付袴と白無垢を装い、親族は和装や洋装の正装で望む.実に現代的で微笑ましい風景でした.神酒が注がれ、少し口に含んで味を確かめると、足元に吹く冷たい風を体から暖めてくれるような気持ちがして、なんだか心地よい感じがしました.二人は誓いの言葉を仲良く読み上げ、結婚指輪をつけて無事に儀式が終わると今度は記念撮影.記念撮影はこの前後で何度も何度も行われるのですが、新郎新婦の嬉しそうな表情であることやいかに.これには、悠久の神々も恥じ入るような仲睦まじさで、私は視線をどこに向けてよいのかわからなくなってしまいました.

 本殿に参る前には有名な橋を渡るのですが、そこは一大観光地でもあります.夫妻はホテルの仕組んだロンドンタクシーを送迎車に見立てて乗車し、19世紀のおえらいさんのよう.我々は国産中型バスに乗り込み、昔なつかしバス旅行を思い出します.車を降りると様々な人々が偶然にも拍手など祝福をしてくれて嬉しいやら恥ずかしいやら.私が当人であったらあらゆる眼差しを受けてそのまま消え入りたいくらいでした.ただそういうわけにはいかないので真面目な顔をして歩きました.滅多に見ない景色でしたので、少しキョロキョロしてしまいました.澄んだ清流と、朱の橋が対照を成す色彩は見ていて飽きないものでした.自然といってもほとんどが人工物ではありますが、昔から工夫された景観を用いて催される結婚式もなかなかに立派です.いつまでも少年のような新郎と凛として溌剌な新婦の晴れ舞台にふさわしい景勝であったといえましょう.

 結婚式の披露宴会場は1873年創業の老舗ホテルでした.こちらで会食が催され、仏式洋食のフルコースが提供されました.その味は正統派であろう、万人に好まれる味で、丁寧な下準備と作り手の技巧が容易に想像できました.せっかくですからメニューを紹介しましょう.乾杯の音頭は私が務めましたが、あまりうまくまとまりませんでした.謹んでお詫び申し上げます.

 オードブルは帆立貝のムースいくら添え.ムースの濃厚な味は食欲をそそります.キウイフルーツの爽やかなソースが魚介の臭みを消して、彩りも豊かにしているようでした.食事の途中で新郎新婦は来賓をよそにまた記念撮影へ席を外してしまいました.夕刻に絶好の場所があるとカメラマンがそそのかしたようです.しばらく帰ってきませんでした.

 スープは湯波の入ったコンソメスープ.市販のコンソメ顆粒を使う身としては、これ以上ない肉の香り引き立つ濃厚なスープという感じがしました.台湾で飲んだ牛肉スープによく似ています.琥珀色の透き通る液体は素朴ですが極めて熟練を要するであろう一品でした.

 魚料理は真鯛のソテー トマトソース.真鯛の肉がふわりと口のなかで壊れてゆきます.トマトソースが酸味と塩味を乗せて風味を奥深くしていく、皮はサクサクとしてすべてが計算づくといった品でした.パンが止まりません.夫婦は帰ってきました.

 口直しにシャーベットがやってきました.おそらくラズベリーでしょうか.口直しとはこういうものだと思わせるキリリとした冷たさと清涼感で次に運ばれてくるメイン料理への期待感を掻き立てます.

 肉料理は霧降高原牛フィレ肉のステーキ キノコのソース.しめじとしいたけをソテーし赤ワインで仕立てたソースという感じでしょう.シンプルな構成ながらもフィレ肉のとほどよく合わさり、美味しいの一言です.付け合せはブロッコリーとクレソン、柑橘の香り付けした人参のグラッセ.匠の業が光ります.奇をてらわず、王道を突き進んだレシピは老舗ホテルの伝統としてずっとあるのでしょう.

 デザートはムース・オ・ショコラ、メロン.チョコレートムースのしっとりとした風味.ベタつかず香り高い上品な甘さ、メロンも少し若い程よいシャキシャキ具合でいずれも嫌なところが微塵もない品でした.最後に珈琲を頂戴し、いよいよお開きかと思うと、突如プロジェクタとスクリーンが用意され、結婚式の総括を動画で振り返るものでした.こういう演出は数ある結婚式で観たことあるのですが、其の中に自分の兄が写っているとなんとも奇妙な感じがしました.奥さんとなる方はなかなかに綺麗に写って、それは見栄えがいいのです.その対となる相手が自分の兄ですから、まるで兄が女性と一緒に芝居をしているような.うまいたとえが思いつきませんが、難しい感覚でした.親父は嬉しそうな表情でした.向こうのご両親は涙を浮かべておりました.ほんの一コマが巧妙なアングルで撮影され、うまくぼかし、頃合いの良い速度に調整しているのですから、あらゆる動作が神がかって見えてしまうので、涙を流しても無理はないかもしれません.これも大国主大神の為せる業か.いいえ、ちょうど夏至の日ですからきっと夏の夜の夢なのでしょう.他にも新郎新婦の両親に花束と記念品贈呈の場面もありました.なんともお涙頂戴の場面です.妖精の仕業に決まっています.

  私にとってはこういう演出はどちらかというと苦手な方で、このような状況がややもすれば絶命してしまうに違いありません.ものすごい集中を要します.ですが、当人たちは至極幸福に包まれ、絶頂に差し掛かっているので無粋なことはしませんでしたし、唯一の兄がめでたく結ばれるのですから誠に結構なことです.披露宴が大団円に終わり、解散かと思いきや、さらに記念撮影が二人の中で行われました.あたりは日が沈んで真っ暗ですが、二人には夜の帳は降りずキラキラしていたのです.カメラの閃光、この日だけ許される気取ったポーズ、最後の最後までまばゆい光を放つ新たな夫婦の誕生を目の当たりにしました.我々はすでにエネルギーがそこをついてしまい、幻惑してクラクラしてきたので帰路につくことになりましたが、彼らはその煌めきを我々の前で絶やすことはありませんでした.さぁ、いつまでやっていたのでしょうね.

 厳しく窮屈な時代で執り行われた結婚式でしたが、実にめでたい一日でした.そのめでたい夫婦に新たな生命が誕生するというのですから、この先も楽しみです.私は変な叔父さんとなって、お子さんが反抗期を迎えたころに優しく出迎えるべく、修練を重ねていく所存です.

そんなにトバさなくてもいい

  ある日、妻と一緒に五浦海岸へ出かけました.天候は晴れ.有料道路と幹線道路を使って高速巡航すればおおよそ2時間で到着します.右から車が次々と我々を抜き去っていくことが多い速度でしたから急ぐことはありませんでした.

 五浦に着くと、磯の香りは湿った風に運ばれて、ここが海辺なのだと感じさせてくれました.少し歩いて高い場所から見渡すと、浦に打ち寄せる波とゴツゴツとした岩肌から聳える松の木、遠くの町並みと澄んだ空.海と空の境界はあまり気にならなくて、ただひたすら青い遠景が広がっていました.海沿いの小道を二人で歩いていくと、立派な門を構えた邸宅に、庭園、老舗旅館が立ち並ぶ静かな観光地といった趣で、手入れの行き届いていない雑木林は人気の少なさを感じます.我々が出くわしたのも老夫婦一組と犬の散歩する老女だけ.鶯がしきりに鳴いていました.鵯も.

決して都会ではないが、外はこんな薄暗さでした.

 久々にゆっくり周りの風景を見渡したような気がしました.風が凪いで草木がざわついて鳥が囀る、考えなくてもよくありふれた光景ですが、意識しないとこういう物音は気づかないのでしょうか.この日は意識させてくれるような場所だったからでしょうか.自分がただ意識しただけなのでしょうか.とても気分がよかったのは確かです.

 最後に天心の墓に二人で行きました.雑木林の中に空き地があってこんもりした丘がお墓のようです.つい最近誰かが手向けたであろう白菊がきれいでした.天心のことはほとんど知りませんでしたが、二人で手を合わせて帰ることにしました.少し陽が傾いて来ると、五浦の潮騒と斜陽の構図が似ていたからか、一人でニュージーランドに行ったときの景色を思い出しました.また戻ってこれたらいいですね、五浦もあの場所にも.

 帰路もゆっくり慌てず運転しました.7速で1500回転くらいか、ずーっと同じ速度で走るとびっくりするほどの燃費でした.二人なら退屈しませんね.サービスエリアで休憩して外から車を眺めると、なかなか景色に映える外観で、薄暗くなっていく空とぼんやり照らされる外灯が良い演出をする.車に乗り込んで同じ調子で進む.だんだんと見慣れた景色が戻ってきて、少し安心しました.いつもの場所で給油して帰宅.夕食を食べて、いつもどおり話をして寝ました.

 天心について興味が湧いたこと、トバさなくてもいいこと、外出もいいものだと.いろんな収穫のあった日でした.またよろしくお願いします.