投稿百回目に思うこと

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誰のどんな問題を解決するのか

 実は亀吾郎法律事務所のブログを開設して今回で百回目の投稿になる.これまでの間、何を書こうかなと考えているうちに身構えてしまい、なかなか記事を書くことができなかった.変に気負ってしまってはいけない.なにを書けばよいのかと事務所のスタッフに訊いてみたら「百回目はおめでたいのだから、めでたいことを書けばよい」という.うーむ.めでたいことが思いつかない.世の中で報道される時事でめでたいことも少ないように思う.やはり世界中がウィルス感染症の話題でもちきりだ.ウィルスの話はたくさんだ.亀吾郎法律事務所は誰にとっても平穏で心安らかに過ごせる場所であるべきだ.だからウィルスの話はしない.

 最近、私、吾郎が考えている話をしたいと思う.私が何を考えているかというと「亀吾郎法律事務所」の方向性に関する問題である.ブログを開設してから実にたくさんの方々に来ていただいた.まずこのことについてお礼申し上げたいと思う.いつもありがとうございます!亀吾郎法律事務所は「法律に門外漢」といういい加減な副題を掲げて精神医学、哲学、語学や一部社会学、芸術について自分の考えを論じてきた.放埒と言われてはやや閉口してしまうのだが、私達自身は自由奔放に記述することができ、スタッフの精神の安定に大きく寄与したように思っている.今後もこの奔放さを継続して自由に言論活動を行っていきたい次第である.

 その方向性の中で私がこの頃気にしているのは「このブログの需要とはなんぞや」という問題である.「いやいや、こんな弱小ブログ、だれも求めてないぞ」という辛辣なご意見は当然あるだろう.それはそうかもしれない.さきほど述べたように、この記事は好き勝手に筆を走らせて記載したにすぎないのだから「このブログの記事が向かう先は画面の向こうの読者」とうそぶいて実は自分のために書いているのだ、と指摘されても否定はできない.ブログの志向性が自己に向かっているというわけだ.記事を書いてカタルシスに浸るのも、読者に志向しているのではなく、実は深層で自分に向けて記事を書いていたのだから究極は自慰的な要素があったわけだ.

「なんという卑劣漢.人非人!なんだかんだいって貴様は自分の事しか考えていないわけか.人でなしめ!悪辣な屑よ」

と罵るのも結構であるが、前述を踏まえたうえで内省を深めてみると、次のようなことを思いつく.確実ではないのだが、間主観的(広く言えば客観的)に考えてみれば、我々と同じブログを書く人々や、物書きというのは文章が他者へ開かれている一方で、それが志向するところはすべからく自己を向いているのではないだろうか、ということだ.それはときに自己治療的であったり、自己愛であったり、自己耽溺、自己欺瞞でもあるように思う.私達が広告を貼り付けてブログを投稿するのは、内心広告収入を得たいという利己主義に基づく行為であるし、たまたま広告主と利益が一致しているだけだ.誰でもやっぱりお金はほしいのだ.誰が読むかわからないのに、誰も来ないかもしれないのに、私のような三文記事を延々と書き連ねるのは、真の利他的な聖人か、平凡で利己的な俗人でしかない.

 こういうことを書くと、他のブロガーの顰蹙を買ってしまって「いいね」がもらえなくなってしまうかもしれないのだが、それはそれで結構なことだと思う.ある意味私の企てが成功したといえる.

 もう一度話をもどそう.私達スタッフは「このブログは誰のどんな問題を解決するのか」ということを考えている.しかしつまるところ志向性は自己の欲望へと行き着くのだという見解に我々は達した.とはいってもその中間項に他者=読者がいるのだから、仮に建前であったとしても、自己の欲望が他者を介在してでも、「誰かの問題」を解決できればいいな、と思っている.本当に.

 そこで亀吾郎法律事務所は以下の二点について考えた.このブログの目指すところ、すなわち理念といったところである.まずは「誰のどんな問題を解決するか」という問に対して、私達は次のように考える.

「社会から疎外感を感じる人々、居場所をなくして困っている人、生きづらさを抱えている人」の、「自分の弱さを冷静かつ真摯に受け入れたい、学術的に理解したいという願い」をユーモアとともに解決するブログ

と銘打つことにしたい.そしてもう一つは、

(社会通念上健全と思われる方向性において)圧倒的に個性的で突き抜けた記事を目指すこと

である.いかがだろうか.このようにした理由の一つに、自分自身もそのような思いを体感していること、広い意味で類似した思いを抱えている人々がどのような心情を抱いているかをよく理解したいという考えがある.それを扱うことによって、単なるブログ執筆に終始しないという自律心が芽生えるし、自身の勉強、記事執筆の動機づけにもなる.そして記事の内容は自分の信条を貫いたものかつ、超絶怒涛、個性あふれるものを目指したいという野心に基づいている.私は医学の出自であるものの、人文科学寄りのテーマに親和的な傾向があると思っている.精神医学という分野の中でとりわけ自然科学とはいえない領域を扱うことによって、インターネットの世界でも明るみにでなかった部分に光を照らすことができるのではないかと思っている.特に精神病理学の役割は大きいのではないかと思う.私が知る限り、精神病理学の文献は非常に難解で文章が硬い.こうしたところがこの学問を高潔にする一方で、とっつきにくさを出してしまっている印象がある.私は私なりにこの学問に理解を示しつつ、若気の至によって何らかの方法で茶化してみたり、現代の流行や事象を例えを用いてこの学問への抵抗を減らして行ければよいかと思っている.また、英語を主とする外国語の翻訳や鑑賞を通して、語学の勉強を行うことや、文学の紹介と通じて、亀吾郎法律事務所の新境地を開拓できたら嬉しい.実際、以前投稿したエジプトのポップ音楽はなかなか好評だったように思う.また、「フォン・ドマルスの原理」の紹介も思いの外、表示数が多かった.

 記事を百書いて、ようやくブログの方向性が見えてきたように思う.先達のブロガーたちが「つべこべ言わず記事を百は書け」という理由もなんとなくわかるような気がする.私達、亀吾郎法律事務所はスタートラインに立ったばかりだということを知る.

 事務所スタッフは「めでたいことを書けば良い」ということだったが、「目出度い」記事ではなく、「愛でたい」記事になってしまった.期せずしてブログ投稿百回目の内容はこれから私達がどのような記事を書いてゆくか、という所信表明のようなものになった.

 これからも亀吾郎法律事務所をよろしくお願いします.私達は「社会から疎外感を感じる人々、居場所をなくして困っている人、生きづらさを抱えている人」の、「自分の弱さを冷静かつ真摯に受け入れたい、学術的に理解したいという願い」に応えられるよう、日々面白おかしく、楽しく記事を投稿し続ける所存です、私達は旅人を吹き飛ばす北風ではなく、ぬくぬくと暖かく旅人を照らす太陽でありたいと心から思っています.

 

小論あれこれ

二つのタイムズ

 12月16日から審査の結果「ジャパンタイムズ」紙と提携することとなり、小サイトに広告を掲載することに相成った.ありがたいことである.だから一応宣伝だけしておこう.「ジャパンタイムズ」とはいっても「ジャパンタイムズ・アルファ」といって、内容は平易な方かつ、一週間に一度の発行であるから小規模なものになる.つまりは英語の初学者に向いている、ということになる.和訳もついているという.そして電子媒体ももれなくついてくるそうだから、安心していただきたい.牛丼を頼むと味噌汁もついてくる感じか.時事に関心があって、英語の勉強を始めたい、という方にはおすすめしやすい.

 亀吾郎法律事務所は事務所らしく、「アルファではないジャパンタイムズ」を購読することにした(ということはオメガなのか?).月額100円のキャンペーン中であったからだ.100円ならばラーメン屋でトッピングを我慢すれば良い.電子版なので場所を取らずに済むのはとても良いと思う.とは言っても亀吾郎法律事務所のスタッフが新聞を取る狙いは別にある.極論、時事問題などどうしようもないのだ.クサガメにとっても人間にとっても.私達にできることは各々の素養を伸ばすことだ.私達は語学力のさらなる上達に心を傾けている.私はなぜ、自分の英文がぎこちなく、つまらないかを理解したような気がしている.結論からいえば、圧倒的に語彙力が足りないということだ.だからどうしても表現が平坦になる.「それでいいでしょ」という意見はごもっともなのだが、私はもっと深く、どこまでも深い語学の真髄のようなものを味わってみたいと密かに思っている.少なくともあと2000語から3000語は語彙を増やすことが必要だ.そのためにはどうするか、事務所のみんなが思いついたのは活字を読むことだ.「ジャパンタイムズ」を購読するメリットはもう一つある.抱き合わせで「ニューヨーク・タイムズ」が付帯する.二社の紙面を見比べるという面白いことができるではないか.特に社説は興味深い.できればブログに掲載して紹介することも考えたのだが、著作権の都合でそれはできない.だからこの楽しみは内輪でやるとしよう.

語彙を増やすには

 語学の勉強において、語彙を増やすことはしばしば難しい課題だと思う.それは長く、苦しい.まるで修行のようなものだ.私は高校生時代以来の修行に望むつもりでいる.だが、当時よりも技術革新が進んだおかげで覚える工夫さえすれば、あとは個人の資質次第、という幸運となった.では、どのようにするか.

 一つは明確な最終到達目標を掲げること.私の場合は「とある試験」を受けることで成就する、ということになるか.それは絶望ではなく希望的なものであるほうが良い.

 もう一つは、私だけの特権である「The Book of Tea」を再利用する方法である.「とある試験」に即した単語集を購入し、それに記されている2000語超の単語と照合する.これにはGoogleのSpreadsheetを使う.そのためにまずは手入力で2000語の単語を打ち込み、リストを作成する.続いて亀吾郎法律事務所のブログにある「The Book of Tea」の英文をすべて一編にしてPDF化する.この作業はGoogleのDocumentsを使う(のちにProject Gutenbergで簡単に手に入ることを知る).あとは⌘+Fで、単語集に載っている単語があるかを照会し、照会した単語と一緒に例文を抽出、独自の例文集を作成するというものだ.これに対して「なぜ、単語集に載っている例文を使わないのか」という質問が考えられる.なぜか.それには二つ理由がある.一つは、私の性癖だからだ.フフフ、何も言えまい.もう一つは「この私が』、単語を覚える」のであり、「私が単語集に覚えさせられる」のではない.私が時間をかけ、ATPを消費し、打ち込んだ努力の結晶は「私自身によってのみ為された営為」であり、一つの有機的な情動体験であると考えるからだ.人間やクサガメの記憶というのは、情動体験が伴うと定着しやすいことが知られている.ここでは肯定的な情動体験を利用し記憶の定着を深めることにする.要するに愛着が湧いている.

 だが流石に「The Book of Tea」だけでは2000語には及ばない.なので他の著作を検索中である.それも著作権が失効している作品が望ましい.また進捗があればお伝えしたいと思う.

 もう一つの脱出・超越

 以前述べた小論「超越・脱出」で幾つかの脱出方法を考察したことがあった.「欣求浄土に先行する厭離穢土の一貫性」、「解離現象」、「自殺」といった方法を挙げ、「異世界系小説」における関連性を考えることがあった.その時の私は懸命に「脱出」という方法について考えていたのだが、なかなか思いつかなかった.

 しかしながら、ここ最近、自分が実際にその体験「脱出・超越」をする運び(まさか自分がするとは思わなかった!)となった.これは本当に、本当に気が付かなかったのだが、その脱出と超越は思いもよらぬ方法で、しかも極めて現実的な方法であった.

 私は急遽第六部を執筆する構想を練っている.私が当時書いた冒頭の文章はでっち上げのつもりだったのに、なんだか自分の苦痛を表しているかのようで思わずハッとする.

「今」自分が置かれている状況がとても辛い、現状に満足していない、なんとかして抜け出したい.そんなとき私達はどうするだろうか.休暇を取る?仕事をしている人なら職場になんて言おうか.「言いづらくて……」「きっと上司に小言を言われる」「申請が面倒くさいのです」という感想を持つ人は少なくないだろう.

「法事がありまして……」嘘がバレたらどうしようと思う人もいるだろう、取れる休みもせいぜい1日2日だ.「風邪を引いたことにしよう」医療機関を受診した証明をもらってきてくださいと言われるとうまくいかない.嘘をつくにも頭を使う.もし休暇が取れたとしても行程を考えると思うと大変だ……お金もかかるし…… そう考えている人はきっと疲れている.疲れている人は多い.

いっそ誰も自分のことを知らないどこかに行ってしまいたい、そう夢想する人はいるだろう.私はそう考えたことがある.皆さんはどんなところに行くことを考えるだろうか.

近年の異世界系小説に見る超越と脱出:1 より

 私は私で形容し難い問題を抱えていて、なかなか前進することができなかった.考えても考えても出てこなかった.しかし案外答えは近くにあったのだ.実は私に最も近い人が答えを教えてくれていた.

 「もったいぶらずに早く答えを言えよ」と思う読者はどうかこらえていただきたい.ここで種を明かしては興が醒めてしまう.いつか追補記事を書くつもりだ.

 昔の執筆内容を振り返ると、当時の自分の考えていたこと、感じていたことがありありと蘇る.「あぁ、自分はこう考えていたのか」「あのときから、悩んでいたんだな」と感慨深い.私自身の精神病理を垣間見た気がする.思考の静止というのはこのような状態をいうのか、と.私は記事を書いて良かったと思う.これが自由連想法なのだろうか.それについても少しだけ触れることにしよう.

 結局、脱出は困難である.私は論考を書き進めながら、どんな結末になるかは私の筆任せにしていた.まぁ楽観できる結語を期待するのは難しい.一応、一時的な脱出は可能だ.旅行は脱出だが、死ぬまで旅行を続けることは現実的でない.帰還することが前提になる.亡命という手段はあるが、日本人はほとんどその選択肢をとらないだろう.もう一つは空想へ脱出すること.しかしこれは虚構にすぎず儚いものだ.それでもよければ脱出してもいいが、現実への諦念が色濃くなる.解離.これは条件付きの脱出だが、尋常ならざる苦痛が伴う.例外的な手段と考えるべきだ.

 そして自殺.究極の手段.たった一度きり.すべてが終わるが、本当にすべて終わる.苦しみも悲しみも消える.だが、かけがえのない存在や生きていたとき感じた正の感情、思い出、何もかも消えてしまう.そして死を考え続け、選ぶことはとてつもなく辛い作業だ.残された人にとっても.

近年の異世界系小説における超越と脱出:5 より

 私は、「脱出は困難」としていた.何度でも言うが本気でそう思っていた.頑迷になっていたのだろうかと思うくらい.私は何時間も何日も考えていたことだったがここ最近まで気づくことができなかった.無意識のうちに気づいていたのかもしれないが、心の中で必死に打ち消していたのだろう.本当に情けない.だが文章は嘘をつかなかったわけだ.

 私はただ死ぬことばかりを考えていたようにも思う.当時から死は魅力的だった.今は少しだけ魅力が減ったのかもしれない.それでもタナトス(死への欲動)は妖しく微笑むことがある.今でも次のような気持ちは変わらない.本当に吐き気がする.

 私は少ない経験ながらも若い人から高齢の方まで、悲痛な面持ちで診察室を訪ねてくる患者さんを相手にしてきた.皆職場を契機にうつ病や適応障害といった診断名になる.どなたも口を揃えて言うのは、休むにも休めなくて……私がいないと……仕事がなくなってしまったら……

 そういった言葉はとてもとても良くわかる.それぞれの言葉に対して私なりに説得力のある説明を試みたつもりだが、それではあまりに時間が足りなかった.一人の診察にかけられる時間は極めてわずかだった.たかが5分ではわずかな時間に何かしたくても神の言葉でない限り、その人を健康な世界へ導き勇気づけることは私にとってはあまりにも難しい.社会資源を目一杯使おうという言葉は聞こえがいいが、私のいたところでは資源は足りていなかった.だが「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」と言われているようで悔しくてたまらなかった.抗うつ薬をいくら出しても真のリカバリには遠いことは目に見えていた.如何に数を捌くかが求められた.私はその職場を離れることになった.今考えただけでも吐き気がする.そして私自身の不甲斐なさと力量不足があったことを認めざるを得ない.私は今でも申し訳ない気持ちでいるし、何か他にできたのではないかとずっと悔やんでいる.恥ずかしい話だが、私は電話相談や面接で「死にたい」という患者さんに「自殺してはいけない理由」をうまく説明できたと思ったことがないことをここに告白する.どう説明したらよいかかれこれ考えているが未だに名案が浮かばない.誓ってこれまで一度たりと手を抜いたことはなかったが、職業人として失格なのではと思うこともある.

同上

 今でも職業人として失格だと思うが、私は私なりの方法で償いをしたいと思う. 

ここまで読んでくださり、ありがとうございました.

 

Gitanjali: 2

 ラビンドラナート・タゴールによる「ギタンジャリ」の序文はウィリアム・バトラー・イェイツによって記されたものです.前回に続き、今回もその翻訳です.読んでいただければわかるのですが、簡単な単語なのに日本語にすることが難しい.とても難しいのです.直観ではわかる一方、誰かに伝えようとする瞬間から、日本語に変換する難しさを感じてしまいます.これは日英の文法構造が異なるからなのか.私が理解できていたとしても英→日は誰にとっても困難なのだろうか.それとも私が「わかっていない」からなのか.もし後者だとすれば自分の非力さが悲しい.英文の構造を守りつつ、日本語の柔軟さを意識して訳してみましたが、なんだかしっくりこないですね.

Introduction

I

Other Indians came to see me and their reverence for this man sounded strange in our world, where we hide great and little things under the same veil of obvious comedy and half-serious depreciation. When we were making the cathedrals had we a like reverence for our great men? 

“Every morning at three—I know, for I have seen it”—one said to me, “he sits immovable in contemplation, and for two hours does not awake from his reverie upon the nature of God. His father, the Maha Rishi, would sometimes sit there all through the next day; once, upon a river, he fell into contemplation because of the beauty of the landscape, and the rowers waited for eight hours before they could continue their journey.” 

He then told me of Mr. Tagore’s family and how for generations great men have come out of its cradles. 

“Today,” he said, “there are Gogonendranath and Abanindranath Tagore, who are artists; and Dwijendranath, Rabindranath’s brother, who is a great philosopher. The squirrels come from the boughs and climb on to his knees and the birds alight upon his hands.” 

I notice in these men’s thought a sense of visible beauty and meaning as though they held that doctrine of Nietzsche that we must not believe in the moral or intellectual beauty which does not sooner or later impress itself upon physical things. 

I said, “In the East you know how to keep a family illustrious. The other day the curator of a Museum pointed out to me a little dark-skinned man who was arranging their Chinese prints and said, ‘That is the hereditary connoisseur of the Mikado, he is the fourteenth of his family to hold the post.'” 

He answered. “When Rabindranath was a boy he had all round him in his home literature and music.” I thought of the abundance, of the simplicity of the poems, and said, “In your country is there much propagandist writing, much criticism? We have to do so much, especially in my own country, that our minds gradually cease to be creative, and yet we cannot help it. If our life was not a continual warfare, we would not have taste, we would not know what is good, we would not find hearers and readers. Four-fifths of our energy is spent in the quarrel with bad taste, whether in our own minds or in the minds of others.”

“I understand,” he replied, “we too have our propagandist writing. In the villages they recite long mythological poems adapted from the Sanscrit in the Middle Ages, and they often insert passages telling the people that they must do their duties.”

 他のインド人たちが私に会いに来た.そして、見え透いた喜劇や、半分本気の軽蔑にかこつけて、大小の事物を隠してしまう我々の世界においては奇妙に映ってしまうこの男(タゴール)に敬意を表しに来た.自国の偉人に敬意を表すように、我々が大聖堂を建てるのはいつのことになるだろうか.

 「毎朝三時に、ええ、私は観たことがありますのでね」ある人が私に言った.

 「彼(タゴール)は座って決して動かず物思いに耽るのです.そして二時間は神のなすがままに夢想から覚めることがありません.彼のお父上はマハー・リシーといって、時折そこで翌日までずっと座り続けるのでした.あるとき、河の上で、お父上は景色の美しさのために物思いに耽り始めました.漕手は彼らが旅を続けるまで八時間待っていたのですよ」

 そうして彼はタゴール氏の家族とそのゆりかごから偉大な人物がいかに幾世代にわたり生まれてきたかを教えてくれたのだった.

 「今日はどうやら、ゴゴネンドラナート、それにアバニンドラナート・タゴール、みな芸術家ですね.そしてドウィジェンドラ、ラビンドラナートの兄弟がいますね、彼は素晴らしい哲学者です.リスたちが枝からやってきて膝の上に登りますし、鳥たちは手の上に降りて止まりますよ」

 私は、こうした人々の思考に視覚的な美の感覚を見出す他に、あたかも彼らが、道徳を信奉してはならないか、あるいは何れにせよ物質的なものを超越し、自身に感銘を与えることのない理知的な美を信じてはならないというニーチェの教義を抱いているような気持ちがするのだ.

 私は「東洋では家の功績を保ち続けるにはどうするかを知っていますね.ある日、中国の印刷物を整頓していた美術館の学芸員が背の低い浅黒い肌の男を指差してこういったのです、『彼は帝の先祖代々の鑑定家ですよ、彼は家名を守る十四代目なのです』」といった.

 彼はこう答えた.「ラビンドラナートが少年の頃、彼の家の周りすべてには文学や音楽がありふれていましたよ」

 私には余剰という考えが、あの詩の簡素さが思い浮かんだ.そして、彼はこう言った.

「あなたの国ではたくさんの伝道師による作品や批評があるのですか.我々にはなすべきことがたくさんあります.特に私達の国では、我々の精神が徐々に創造性を静止させつつある状態です.しかしどうすることも出来ないのです.もし我々の人生が頻発する戦争になかったら、味わうことはなかったでしょうね.何が良いのかを知ることはなかったでしょう.人生には聞く側と読む側がいるということに気づかなかったと思うのです.我々の活力のうち八割は、自分の考えかそれとも他人のかどうかともあれ、悪い経験である諍いに費やされるのです」

「私にはわかりますよ」

 彼は続けてこう述べた.

「我々も伝道師によって書かれた作品があるのですよ.この村ではみな中世のサンスクリットからもたらされた長い神話の詩を暗唱するのです.そして彼らは節を挟んで自分たちのなすべきことについて人々に語り聞かせるのです」

拙いもので恐縮でしたがここまで読んでくださりありがとうございました.

Gitanjali: 1

 イエーツからタゴールへ.ラビンドラナート・タゴールの著作、ギタンジャリから、序文の一部を抜粋.以下はイエーツの寄稿した序文になります.翻訳は亀吾郎法律事務所のエース、吾郎が行います.米国、インド、日本で著作権が失効しています.私達は原著に敬意を持って翻訳します.

From W. B. Yeats to R. Tagore. An introduction of “Gitanjali” by Rabindranath Tagore, Yeats wrote the recommendation for the work. Goro, our chief editor of Kamegoro Law Firm hereby dares to translate his introduction with full respect.

The copyright of “Gitanjali” has expired in the United States, India, and Japan.

Introduction

I

A few days ago I said to a distinguished Bengali doctor of medicine, “I know no German, yet if a translation of a German poet had moved me, I would go to the British Museum and find books in English that would tell me something of his life, and of the history of his thought. But though these prose translations from Rabindranath Tagore have stirred my blood as nothing has for years, I shall not know anything of his life, and of the movements of thought that have made them possible, if some Indian traveller will not tell me.” 

It seemed to him natural that I should be moved, for he said, “I read Rabindranath every day, to read one line of his is to forget all the troubles of the world.” I said, “An Englishman living in London in the reign of Richard the Second had he been shown translations from Petrarch or from Dante, would have found no books to answer his questions, but would have questioned some Florentine banker or Lombard merchant as I question you. For all I know, so abundant and simple is this poetry, the new Renaissance has been born in your country and I shall never know of it except by hearsay.” 

He answered, “We have other poets, but none that are his equal; we call this the epoch of Rabindranath. No poet seems to me as famous in Europe as he is among us. He is as great in music as in poetry, and his songs are sung from the west of India into Burmah wherever Bengali is spoken. He was already famous at nineteen when he wrote his first novel; and plays, written when he was but little older, are still played in Calcutta. I so much admire the completeness of his life; when he was very young he wrote much of natural objects, he would sit all day in his garden; from his twenty-fifth year or so to his thirty-fifth perhaps, when he had a great sorrow, he wrote the most beautiful love poetry in our language”; and then he said with deep emotion, “words can never express what I owed at seventeen to his love poetry. After that his art grew deeper, it became religious and philosophical; all the aspirations of mankind are in his hymns. He is the first among our saints who has not refused to live, but has spoken out of Life itself, and that is why we give him our love.”

I may have changed his well-chosen words in my memory but not his thought. “A little while ago he was to read divine service in one of our churches—we of the Brahma Samaj use your word ‘church’ in English—it was the largest in Calcutta and not only was it crowded, people even standing in the windows, but the streets were all but impassable because of the people.”

 数日前、私は腕利きと評判のベンガル人の医師に次のように言った.「私はドイツ語を知らないのです.しかし、もしドイツの詩人の翻訳が私を感動させたとしたら、私は大英博物館に行き、その人の人生について、思想について教えてくれるような英語の本を探すと思います.しかし、ラビンドラナート・タゴールのこれら散文の翻訳は私をひどく興奮させた以外の何ものでもなかったのです.にも関わらず、もしインド人の旅人が私に教えてくれなかったらば、私は彼の人生について全く知らず、これら著作を可能にした思考の動きについても知らなかったのです」

 私が動揺するであろうことは彼にとって当然のようであった.「私はラビンドラナートの本を毎日読んでいますよ.彼の一文を読むことは世界の悩みをすべて忘れることですから」と彼は言ったからだ.私はこう言った.「リチャード二世の統治下における、ロンドン在住のとある英国人はダンテあるいはペトラルカ詩集の翻訳を見せられたのですが、彼は自分の疑問に対する答えを本に見いだせなかったのです.しかし私があなたに質問するように、フィレンツェの銀行家やロンバルディアの商人も問いかけをしたでしょう.私の知る限り、この詩歌が申し分なく、しかも簡素であるので、新たな文芸復興があなたの国で生まれたことを、私は噂なしに知ることはなかったのです」

 彼はこう答えた.「インドには他にも詩人がいますよ.しかし彼と同じのものはいませんね.ラビンドラナートの時代といってよいでしょう.彼が我々の中で有名なのと同じ様にヨーロッパで有名な詩人はいないように思いますがね.それに彼の歌はベンガル語が話される西インドからビルマで歌われているのですよ.彼は初めて小説を書いた十九歳のときに既に有名でした.劇も彼が少し歳をとってから書かれました.いまでもカルカッタで演じられています.私は彼の人生の完全性を大いに讃えているのです.彼がとても幼かったとき、自然にあるものをたくさん書いていましたね.庭に一日中いたものです.二十五歳から三十五歳でしょうか、彼が深い悲しみに包まれたとき、彼は私達の言葉で最も美しい愛の詩を書いたのです」そして彼は感慨深く、次のように述べた.「私が十七歳のときに彼の愛の詩に受けたものは、言葉にすることができません.彼の芸術が深みを増すほど、それはより敬虔でより哲学的になりました.彼の賛歌には人間の熱望すべてがあったのです.彼は、生きることを拒まぬ人々の中で最初の慈悲深い人でしたが、人生そのものについては語るのでしたよ.そしてそのことが彼に我々が愛を注ぐ理由なのです」

 私は彼の考えではなく、彼の記憶の中にある彼の吟味された言葉を変えたのだろう.「少し前、教会、つまり我々がブラフマーサマージ、あなた方の言葉の英語で教会というものの一つで、彼は神聖な奉仕について読むところでした.教会はカルカッタで最も混んでいるだけでなく最も大きいのですが、人々は窓辺に立ってさえいました.その人々のせいで道が通れなくなったのでした」

 序文の一部を試験的に投稿してみました.これからどんな話が始まるのでしょう.序文でワクワクするのは久しぶりです.

ありがとうございました.

英語学習についての個人的見解

楽しくやれたらいい

 自然科学において、最も根拠のある主張、すなわちエビデンスが高いものというのは、メタアナリシス研究に基づく結果だという.その下には無作為対照研究(Randomised Control Trial: RCT)がある.さらにさらに根拠の低い試験や研究があり、最も根拠のないものは、(実は)専門家の意見である.だから専門家の意見をあてにするな、とはいわないが、「自分で取捨選択せよ」ということになる.逆にメタアナリシスの結果で帰無仮説が棄却されたからといってその仮説が正しいわけではない.尤もらしいだけだ.こういった誤解は現代でも続いている.ちなみに私は自然科学の畑を出自に持つが、「尤もらしい」とかいう妙な曖昧さが好きでない.

 さて、私がこれから話すことは自然科学の領域ではない.そもそも自然科学と人文科学というのは境界不明瞭だからあまりそういう話をしても仕方がない.エジプトとリビアの間に南北の直線を引いたようなものだ.どちらかといえば人文科学の話をする.私は亀吾郎法律事務所の職員に過ぎず、英語の先生ではない.専門家でも無い.だから自然科学の序列に従えば、この話は最も信憑性がないことになってしまう.「自分から信頼度をさげるとはやはり愚か者め」とお思いの一部諸兄は、落ち着いていただきたい.この論理でいくとあらゆるYouTubeの投稿者が熱く持論を語る行為がすべて虚しくなってしまう.だがそうでは無いだろう.私は、個人的な経験を未来の他者と分有できるか、可能性に賭けてみたいだけだ.

私の話から

 私にとっての初の語学体験は、公文式の英語のときだったと記憶する.単なるCDプレーヤーから流れる英文を聞いて、適切な回答を記述するトレーニングを要請された.

 小学二年生か三年生だったか.「あぁ、今日も洒落臭えなぁ」と思って課題をこなしていたところ、全身を駆け巡る極彩色の電撃が一閃.次の英文を書いた.

The hill is high.

私は英文から並々ならぬ霊感を受けた.

「今、自分は文章を作ったぞ」

という猛烈な興奮.当時の自分にとっては第二文型などどうでもよかった.傍から見れば、「いつもぼーっとしている〇〇くんがなんだかニヤニヤしているな、大丈夫かな」くらいだ.しかし、私は独自に創造という営為を成し遂げた、ホモ・サピエンスを自称するに等しいくらいの感動と自負に満ちていた(後にホモ・サピエンスは撤回した).

 この感興は忘れがたい.私に「自分史」というものがあれば間違いなく、世紀の大事件だった.そこから私は狂ったようにCDプレーヤーを再生した.そして聞きすぎて幾つものプレーヤーを破壊した.

 中学一年生の頃にはちょうど、「生き残った魔法使いの少年」が大人気になりつつあるころだった.私は「賢者の石」を一晩で読み終えたが、生ビール中ジョッキ一つでは足りないおっさんのように物足りなかった.実に見事な翻訳だった.どうやら本国では次回作「秘密の部屋」が出ているらしい.私はウズウズした.

「そうか、原著を読めばよい」

 早速あの手この手で入手し、「Philosopher’s Stone」を読み始めた.一頁目から苦戦した.当時の自分には知らない語だらけだった.文法もよくわからない.一文、一文を辞書を引いて、引いて、引いて、引いて、引いて、引いて、引きまくった.辞書とは今でも良き友人だ.中学校では朝の十五分間に読書の時間があった.辞書と本を持ち込んで、辞書を引く作業を続けた.辞書を使い倒す習慣が始まったのはこの頃からだろう.現在辞書はほぼ電子化した.Macintoshのパソコンを使っている方は、「辞書」のアプリケーションをぜひ利用していただきたい.大変優れた名脇役だ.私がブログを書く時はこれが欠かせない.中国語、韓国語、ドイツ語、フランス語、スウェーデン語、ノルウェー語、イタリア語、ポルトガル語、アラビア語……類語辞典も一部あるのが良い.

 話を戻そう.第七巻の最終章にたどり着いたときは魂が震えたものだ.その時には大学生になっていたと思う.そこまで時間がかかったのは他にも本を読み始めたからだ.幼児のころに絵本で読んだ「ガリバー旅行記」がとてもとても面白く、原書で読んでみようか、と思い書店で買って読んだときの打ちのめされた感覚も忘れがたい.知っている方ならわかるが、初版が1726年だ.読めなくはないが、古めかしく知らない単語がこれまた並ぶ.私はスラスラ読んで、ガリバーとともにリリパット王国にたどり着き、彼が巨人として火事の宮殿に小便をかける場面を読みたいと思っていたのに、なかなかリリパットにたどり着かなかった.「ガリバー旅行記」は途中で諦めてしまった.受験勉強も差し迫ってきたという事情もあった.Johnathan Swift(ジョナサン・スウィフト)の作品に込めた真意を知るに私は青すぎた.

自分に合う参考書を選ぼう

 やはり、私にとって天啓であり革命とも言える出会いは原仙作の「英文標準問題精講」に尽きる.間違いなくRevelationでありRevolutionだった.今でもズタボロの雑巾のように大事に取っておいている.時々見返してはニヤニヤするし、英文を書く時の参考にする.ヘミングウェイ、ラッセル、エリオット、ウルフ、チャーチル、アインシュタイン、ニュートン、フィッツジェラルド、ミルン、オールビー、ミルトン.

 皆、私の心強い協力者である.故人だが.

 この本が私を受験勉強の苦しみから助けてくれたといっても良い.とはいえこの本は圧倒的に手強い.一般的な日本の大学入試のレベルを超えるだろう.だが、TOEICやTOEFLのひどくつまらない英文を読まされるよりは、はるかに気休めになる.「私が」文を読んでいる、という気にさせる.なんとか理解してみせようぞ、という気概をもたせてくれた.そして文の構造がつかめたときの心地よさといったら.当時の先達が「覚えるくらい何周もしろ」というので私も少なくとも三週はしたはずだ.一周目でつまづいた文章にまた出くわすと、まるで著者たちが「おかえり」と言っている気がしたものだ.

 私はTOEICのような共通試験のスコアで競り合うような議論は好きではない.私もTOEICやTOEFLは何度か受けたが、できればもう受けたくない.就職、入学の足がかりとして用意されるその試験は性質上、「ビジネス」に即した内容が多い.広告、新聞、メール、インタビューなどが題材になっている.どれも架空の内容で全体的に虚無感じるのは私だけか.「試験とはそういうもんだ、おとなしく口を閉じてろ、馬鹿者め」というお叱りがあるかもしれぬ.だがつまらない文をつまらないといって何が悪いのか.作成者の顔が見えない、というのがどうも気に入らない.「はいはい、委託されたのでとりあえず作っておきましたよ」というやっつけ感を感じてしまう.

 それに比べ、英文標準問題精講は、裏表紙に引用元の著者の写真が並んでいる(モノクロのせいか、遺影の様にも見えてしまう).誰某が書いている、とわかるのはとても良い.もちろん出典もある.だから後でさらに読みたくなった時に書店に行けば良いのだ.それに彼らが心血を注いだであろう、文章に見られる技巧、散文へのエネルギーが感じられる.それから編集者である原仙作・中原道喜の訳と解説に安定感がある.

 私にとって、名文や名著とそうでないものの違いを厳格に述べることは出来ない.だから上記の意見は誤解かもしれない.しかし、TOEICなどの勉強は問題の解き方を覚えるだけのような、手段が目的となってしまう危険に陥りやすいと思う.TOEICの先にある目的があれば、努力するに越したことはないだろう.楽しくやれたらいい.もし書き手の顔、意思を感じられるような時事の話題に触れたいのであれば、英字新聞をおすすめする.私は現在、Japan Timesの電子版を購読するようにしている.六ヶ月間の月額百円キャンペーンをやっている.よかったらどうぞ.もちろん利益相反はない.

文法について

 非専門家である私から、英文法について述べられることを挙げるとすれば、一つは、「文型」を意識して読むことだ.これはかなり重要な要素で、おろそかにしている人が多い.もう一つは「これは口語的だとか、文語だからあまり使わない方が良い」という意識を持ちすぎないことだと思う.この軛のせいで損をしている人は多いように思う.文語で書いて何が悪い.会話も文語を基礎にして何がいけないと言うのか.「表現が固いじゃん」固くて何がいけないのか.「もっとCasualな表現あるからそっちのほうがいいよ」という指摘は、表現の幅を自ら狭めているCasualtyに過ぎないと思う.それからまともな文法書を買うことが大切だ.私はロイヤル英文法を持っているが、単色刷りのシンプルな構成と大きな字、索引の充実は好感が持てる.一冊あれば一生使える.これで二度と買わなくて良いのだ.作文や文法について参考書を紹介するならば、さきほどの中原道喜や佐々木高政を挙げる.

聞くことについて

 聞こえた文章を書き取る訓練が最も良いように思う.これは筆記の練習にもなる.かつて私はディクテーションの鬼となったことがあった.「The Phantom of the Opera:オペラ座の怪人」という映像作品がある.小説や劇でも有名だ.Andrew Lloyd Webber という作曲家が映画に向けて書いた曲(どれも壮大だ)があり、私は当時、高校生の頃、自宅にオペラを響かせて歌詞を聞き取り、自作で歌詞カードを作ったことがあった.何百回か、延々とオペラが鳴り響いていたので頭がおかしくなりかけたが、語と語の連結を推測したり、発音と抑揚、文章の構造を考える上で良い訓練になった.オペラの歌詞を聞き取るだけで難易度が高いので、後々流行りのポップスやロック・ミュージックを聴いて歌詞を書き出しては、後日公開されている歌詞と照合する、という遊びをやっていた.高校生にしてはそこそこ狂っていた(やっぱりおかしくなっていたじゃないか!)方だが、自分は楽しんでいたと思う.この訓練は多言語でも応用が効く.今度はアラビア語でやってみようか.

話すことについて

 話すことは不肖あまり自信がない.発音と抑揚の付け方は幾分か指南できると思う.ただし私は非専門家だから、最も信頼におけない人材であることを断った上で話をする.発音に関して、海外で暮らしていないと発音が上手にならないのではないか、そう思っている人が多すぎて気の毒である.そんなことはない.小林克也という反例がいる.彼は大変きれいな英語を話すラジオDJで、彼は実に堂々と、崩れた英語を話す海外の連中と会話を成立させる.あっぱれである.彼の流暢さは抑揚の置き方にある.山下達郎もきれいな英語を話すと思う.Ride on Time〜

 また、RとLの違いにこだわりすぎる人が多い.聞き取れるに越したことはないが、初学者には酷だ.そういう人はイギリス英語を身に着けたら良いのではないか.Rの発音があまり気にならなくなる.それに子音をしっかり発音するので、文字と発音が一致して、きれいに聞こえる.私は中学生くらいに気づいてそうすることにした.かつてユース・ホステルの相部屋にいた英国人の青年と話をしたときに「君はいいイギリス英語を話すね」とお世辞を言われたのは良い思い出だった.あれは世辞だ.自慢話はこれくらいにしよう.

 先天的なバイリンガル、すなわち幼少期に外国に滞在したという、外国語のOSをインストールできた人々は外国語を話す時に脳内言語設定が切り替わるようだが、私はそうはいかない.だが、切り替わらなくたって良いじゃないか.言語体系の異なる我々が頑張って、別の言語を覚えようとしているのだ、文法がわかるだけでも素晴らしいと自信に思ったほうがいい.私だったら頭の中でおちおち英作文をする.ゆっくり丁寧に考えたら良い.

まとめ

 大した話はできなかったが、自分の主張は伝えられたのでこれでよしとする.結局は「学問に王道はなし」、ということになる.しかしながら原仙作によれば捷径はある.だから嘆かないでほしい.楽しく突き抜けるのがいいと思う.自分にとって親和性の良い題材を選ぶことが良いだろう.

 最後にミルトンの詩を紹介して締めよう.これは以前の亀吾郎語学教室でも引用した.語学を勉強する時はいつもこれを意識する.我々は地獄から這い出ようとする魔王サタンと同じだ.

Long is the way

And hard, that out of Hell leads up to Light.

Gates of adamant,

Barring us out, prohibit all ingress.

–John Milton, Paradise Lost

私の小論にお付き合いくださりありがとうございました.