日々のあれこれ

茶の本について

 記事を投稿してようやく80になった.サイトの連載も少しずつ増えてきたので、伴って徐々に整理をしている.主にURLのスラッグである.それからメニューに過去連載のまとめ(記憶/物語超越・脱出現象学時間論茶の本饗宴)を設けた.ぜひ利用していただきたい.

 思った以上に「茶の本」の反響が多く、主に外国の方の訪問が多い.実に興味深いことだ.一つ、翻訳について説明をしておくと、「茶の本」の原題である「The Book of Tea」はすでに著作権が失効している.だからといって好き勝手して良いというわけではないのは知っていて、著者に敬意を払いつつ翻訳をさせてもらっているということになる.商用に使う気は毛頭なく、もし全翻訳が終わった暁には、青空文庫へのリンクを申請しようかと思っている.もちろん、翻訳に粗があるので全体を読み直して研磨するつもりだ.

アラブ文学について

 大学書林で買った「現代アラブ文学選」は、私にとって貴重なアラビア語のテキストである.現在はハリール・ジブラーンの「預言者」とアブドゥル・ラティーフ・ラアビーの「監獄の手紙」を教材にして翻訳をしながら勉強をしている.アラビア語を勉強して思うことは、アブジャドと呼ばれる子音のみによる文字表記法の普遍性である.我々のうちインターネット・ミームに明るいものは「TDN表記法」という独特の呼名法があることを知っている.これはヘブライ語やアラビア語と同じアブジャドである.この偶然の一致には恐れ入った.

中東精神医学について

 私が医学を志した理由の一つに「狂気」の理解がある.つまり「おかしい」とはどういうことか、ということである.それは精神医学という分野で説明をしようとするのが現代人の理解である.さらにそれは独仏の病理学理論が大いに下地になっていて、我が国でも有数の病理学的考察が勃興した.「ファントム空間論」はその一つである.

 私が考えているのは現代の精神医学の理論体系には西洋アメリカ、一部日本のものが大変であり、そこに中東、アフリカ、アジアが含まれていない.彼らはどのような理解をしてどのようにして精神病病理を捉えているのかは大いなる疑問である.我々と同じ理論体系なのだろうか.それとも中東なりの精神病理学があるのだろうか.

 精神病における言辞として「アッラーAllah」に関する内容、「ムハンマドMuhammad」の血統妄想などはありそうだが、こうした話題は宗教上かなりタブーなはずである.彼らは狂気をどのように取り扱うのだろうか.「ジンJinn」による憑依、とでも今更言うつもりだろうか.すぐに断罪してしまうのでは無いか.

 日本における「対人恐怖症」、朝鮮の「ファビョン火病」、東アジアの「アモックamok」、「コロkoro」の他にポルトガルでは「サンゲ・ドルミドsangue dormido」、ラテンアメリカでは「アタケ・デ・ネルビオスataque de nervious」といった文化結合症候群というものがあるのだから、中東にあっても良さそうである.

 結婚は個人恋愛というより家族、部族の政治的結婚といった印象を持つ.現代であればそれほどないのかもしれないが、結納金が絡んでくる以上、結婚には政治的な権謀術数が尽きないだろう.となれば女性の意向は無視される可能性も高そうだ.フェミニストも激おこぷんぷん丸である.一部は神経症になっても無理はなかろう.だがこれは疾患なのか.彼らはどうやって事態を躱しているのか.

 私はそうしたことを勉強してみたいと思っている.たぶんこの領域でそうした人はだれもいないはずであるか、極めて少ないはずだ.玄奘三蔵のように、私はいつか留学をして文献の理解をしてみたい.いうなれば中東精神医学史、である.

運転について

 自動車の運転をすると気分が落ち着く.考え事をするにはよい空間だと思う.背中から優しく押し出す水平六気筒MA-122型エンジンの動力.サッとキックダウン、意に答えるべく猛チャージするときの美しい音色といったら.PDKは電光の速さでシフトダウンする.コーナーは無駄なブレーキを踏まずに進入し丁寧なステアリングで素早く脱出する.車内全般ものすごく静かでは無いが、なにか優しくも堅牢な殻に包まれている感がある.居心地が良い.外観も素晴らしい.メタリック塗装の光沢はきらめきではなく、ゆったりとした淡い輝きを放つ.空模様によって鈍色になれば青ざめることもある.

 私は近年のフロントグリルが醜悪な車にどうしても親近感を持てない.グリルがでかくなり周りをクロームメッキで覆う趣向はできればみたくない.所有している人には恐縮だし、皆好きな車を買えばいいのは大賛成である.だがそれらがかっこいいという人と私は話が合わないだろう.私は曲線で構成される艷やかなボディの方が好みだ.私は最近、国内の自動車の番組を見なくなった.YouTubeもそうであるが、彼らの抱えている自己欺瞞に満ちた言動が見え透いてしまって、どうも真面目に見れなくなってしまった.じゃあ見なくていいぞ、という声があるかもしれないが、私は本当に最近見ていない.安心していただきたい.YouTubeでは最近は80sや90sのポップスを聞いている.音作り、打ち込みや歌詞の雰囲気が好きだ.あとは陳建一氏と三國清三氏の料理動画、それからクサガメの日光浴動画が多い.

実存について

 最近、亀吾郎法律事務所の三郎(さぶちゃん)が吾郎(ごろうちゃん)に発情していることを知る.お尻の匂いをクンクン嗅いだり、頭突きを食らわせている.なぜ頭突きをするか.私が知りたい.学問的理解でいえば求愛であろう.頭突きをされたメスは性交渉合意のサインを出すと、オスはメスの後方に周り、動物界の例ポージングで交尾を始める.

 さぶちゃんはいささか性急で合意形成が出来ていないのに、交尾をしようとするものだから凸が凹に入らなくて困った顔をしている.ごろうちゃんもごろうちゃんで、無頓着で全く気づく素振りがない.恋愛マンガにおける鈍感な立場だ.頭突きをされてるのだから気づいても良さそうである.頭突きを喰らいすぎて流石にキレているときもある.我々としてはさぶちゃんの恋路を応援したい.

頭突き

 もう一つの応援したい恋路は、某国の王女である.婚約者の母親に関する金銭がらみのスキャンダルが知られ、人々は結婚に反対しているとか.していないとか.少なくともメディアでは結婚に好意的でない印象を持つ.醜聞への食いつきは凄まじい.

 私が当事者であれば、溜まったものでは無い.しょーがねぇだろ好きなんだから.といった具合で、J. P. Sartre によれば実存は本質に先行するようである.好きになった理由を語る術はない.王女の家系をたどるとどうやら伝説級の血脈であるから、権威付けが高まるのだろう、それに媚びる人やそれで生きている人にとって反感を買うのかもしれない.ともかく王室、王家というのは神経症の巣窟のような気がしてならない.侍医は何というのだろうか.「姫、これは試練ですぞ」

 どうか心安らかに万事がうまくいくことを願っているばかりである.

 

The Book of Tea: 15

white concrete bridge
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People criticise a picture by their ear

One is reminded in this connection of a story concerning Kobori-Enshiu. Enshiu was complimented by his disciples on the admirable taste he had displayed in the choice of his collection. Said they, “Each piece is such that no one could help admiring. It shows that you had better taste than had Rikiu, for his collection could only be appreciated by one beholder in a thousand.” Sorrowfully Enshiu replied: “This only proves how commonplace I am. The Great Rikiu dared to love only those objects which personally appealed to him, whereas I unconsciously cater to the taste of the majority. Verily, Rikiu was one in a thousand among tea-masters.”

 このことと関連して、小堀遠州についてのある話が思い起こされる.遠州は彼の収集物から選定し並べたものに対して弟子は世辞を述べた.彼らは「どの品も褒めずにはいられない見事なものばかりです.あなたが利休よりも優れた鑑識をお持ちだと言うことですね.利休の品を理解できるのは千人に一人といませんよ」と述べた.悲しみにくれて遠州は次のように返事をした.「ということは私がいかに俗物かを示すにすぎない.偉大な利休はあえて自分だけが好むような品を愛した.しかし私は無意識にも多数派の嗜好に媚びたのだ.まさに利休は千人に一人の茶人である」

It is much to be regretted that so much of the apparent enthusiasm for art at the present day has no foundation in real feeling. In this democratic age of ours men clamour for what is popularly considered the best, regardless of their feelings. They want the costly, not the refined; the fashionable, not the beautiful. To the masses, contemplation of illustrated periodicals, the worthy product of their own industrialism, would give more digestible food for artistic enjoyment than the early Italians or Ashikaga masters, whom they pretend to admire. The name of the artist is more important to them than the quality of the work. As a Chinese critic complained many centuries ago, “People criticise a picture by their ear.” It is this lack of genuine appreciation that is responsible for the pseudo-classic horrors that to-day greet us wherever we turn.

 今日、芸術に対する表面上の熱狂が実際の感性に基づいていないというのは実に残念なことである.この我が国の民主的時代において自分たちの感情を顧みず人々が何が最も人気があることに対して喚いているのである.

 彼らは精錬なものではなく、高い値段のものを求める.服飾に凝ったものであり美しいものではない.大衆にとって彼ら自身の産業主義の価値ある製品である絵入り定期刊行物のほうが、礼賛するふりをしている初期のイタリア人や足利時代の巨匠よりも、芸術的享受にはより消化が良いだろう.作品の質よりも芸術家の名前がより重要なのである.中国の批評家が何世紀も前に「人々は絵を耳で批評する」と言った.今日我々がふりむけば目につく擬古典的な恐怖の数々に対して真の鑑賞の欠落が責任を負うべきである.

Another common mistake is that of confusing art with archaeology. The veneration born of antiquity is one of the best traits in the human character, and fain would we have it cultivated to a greater extent. The old masters are rightly to be honoured for opening the path to future enlightenment. The mere fact that they have passed unscathed through centuries of criticism and come down to us still covered with glory commands our respect. But we should be foolish indeed if we valued their achievement simply on the score of age. Yet we allow our historical sympathy to override our aesthetic discrimination. We offer flowers of approbation when the artist is safely laid in his grave. The nineteenth century, pregnant with the theory of evolution, has moreover created in us the habit of losing sight of the individual in the species. A collector is anxious to acquire specimens to illustrate a period or a school, and forgets that a single masterpiece can teach us more than any number of the mediocre products of given period or school. We classify too much and enjoy too little. The sacrifice of the aesthetic to the so-called scientific method of exhibition has been the bane of many museums.

 もう一つのよくある間違いは芸術を考古学と間違えることである.遺物から生まれる尊敬の念は人間の最大の特質であり、喜んで我々はそれを大きく育みたいと思う.古の巨匠たちは未来の教化への道を拓いたことに対して立派な敬意が評されるべきである.

 世紀の批判を無傷で抜けてきて、未だ栄光に包まれてやってきたという単事実でさえもわれわれの尊敬を集めるものだ.しかし人々の業績が単純に年齢で算定されるならば、我々は実際はおろかになるべきである.しかし我々は自分らの歴史的共感が審美的差別にを蹂躙していることを許容している.我々は芸術家が安らかに墓で眠りにつくときに称賛の花を手向ける.進化論を宿した十九世紀はより一層、種の中で個人の失見当の習慣を生み出した.蒐集家は時代や流派を説明しようと標本を集めることに神経質になり、二流の製品のいくつかよりも一つの傑作が与えられた時代や流派について我々に語ってくれることを忘れてしまうのである.我々はあまりに分類しすぎていて楽しむことがほとんどない.展示といういわゆる科学的理論のために審美的方法を犠牲にしたことが多くの美術館の悩みの種である.

The claims of contemporary art cannot be ignored in any vital scheme of life. The art of to-day is that which really belongs to us: it is our own reflection. In condemning it we but condemn ourselves. We say that the present age possess no art: – who is responsible for this? It is indeed a shame that despite all our rhapsodies about the ancients we pay so little attention to our own possibilities. Struggling artists, weary souls lingering in the shadow of cold disdain! In our self-centred century, what inspiration do we offer them? The past may well look with pity at the poverty of our civilisation; the future will laugh at the barrenness  of our art. We are destroying art in destroying beautiful life. Would that some great wizard might from the stem of society shape a mighty harp whose strings would resound to the touch of genius.

 同一時代の美術の主張は人生の企画において無視できるものではない.今日の芸術は実に私達に属しているものである.それは我々の反映である.それを断罪することは自身を断罪することにほかならない.今日の時代に芸術がないといういうものがいる.誰の責任というのか.古代に関する狂想曲にもかかわらず我々は自分の可能性に注意をほとんど払わないのは実に恥ずかしいことだ.苦しみもがく芸術家たち、冷たい侮蔑の影の中でさまよう疲れた魂たち!自己中心の世紀において、どのような霊感を我々はかれらに与えているのか.我々の文明が貧困だと過去が哀れみをもって見るのも無理はない.未来は芸術の不毛さを笑うだろう.我々美しいものを破壊することで芸術を破壊している.だれか大魔術師が社会の幹から有能な竪琴を作り出し、その弦が天才に触れて鳴り響かないだろうか.

天心、多いに怒っております.この議論、今も変わらない気がしませんか.

次回、第六章です.ここまでありがとうございました.

The Book of Tea: 14

time lapse photography of flame
Photo by Igor Haritanovich on Pexels.com

 茶の本、第五章の続きです.天心はどこか現代人に対して冷笑的な印象を文体に漂わせます.諦観すら感じます.どこか寂しげでもあります.なんとなくそんな気がします.

To the sympathetic a masterpiece becomes a living reality towards which we feel drawn in bonds of comradeship. The masters are immortal, for their loves and fears live in us over and over again. It is rather the soul than the hand, the man than the technique, which appeals to us, – the more human the all the deeper is our response. It is because of this secret understanding between the master and ourselves that in poetry or romance we suffer and rejoice with the hero and heroine. Chikamatsu, our Japanese Shakespeare, has laid down as one of the first principle of dramatic composition the importance of taking the audience into the confidence of the author. Several of his pupils submitted played for his approval, but only one of pieces appealed to him. It was a play somewhat resembling the comedy of Errors, in which twin brethren suffer through mistaken identify. “This,” said Chikamatsu, “has the proper spirit of the drama, for it takes the audience into consideration. The public is permitted to know more than the actors. It knows where the mistake lies, and pities the poor figures on the board who innocently rush to their fate.”

 傑作への共感は、友愛の絆によって惹きつけられ、生ける現実となる。達人たちは不死身である.その愛と恐怖が私達の中で幾度と生きているからである.手錬よりはむしろ魂が、技巧よりは人が、我々にとって魅力的である.より人間味が増すほど、我々の反応も深みが増すのである.巨匠と私達の間のこの暗黙の了解あればこそ詩歌や物語において我々が主人公とともに苦楽を共にすることができるのである.

 日本のシェイクスピアである近松門左衛門は、劇の脚本の第一原則の一つとして、作家の秘密に聴衆を引き込む重要性に重きを置いた.彼の門弟の何人かは彼に認められようと脚本を描いてきたが、一部のみが認められたに過ぎなかった.それはどこかシェイクスピアの「間違いの喜劇」に似ている脚本で、双子の兄弟が同一人物と誤認されることで苦労する話であった.「これこそ」と近松は言った.「演劇の本来の精神を持っている.聴衆を考慮に入れているからだ、大衆は役者よりも知る必要があるのだ.皆はどこに誤りがあるか知っていて、自分の運命に無垢に突っ走る哀れなや人物に同情するのだ」.

The great masters both of the East and West never forgot the value of suggestion as a means for taking the spectator into their confidence. Who can contemplate a masterpiece without being awed by the immense vista of thought presented to our consideration? How familiar and sympathetic are they all; how cold in contrast the modern commonplaces! In the former we feel the warm outpouring of man’s heart; in the latter only a formal salute. Engrossed in his technique, the modern rarely rise himself above. Like the musicians who vainly invoked the Lungmen harp, he sings only of himself. His works may be nearer science, but are further from humanity. We have an old saying in Japan that a woman cannot love a man who is truly vain, for there is no crevice in his heart for love to enter and fill up. In art vanity is equally fatal to sympathetic feeling, whether on the part of the artist or the public.

 洋の東西を問わず、巨匠は観衆に秘密を打ち明けることに暗示の価値を示すことを決して怠らない.我々の想定に対し示される思考の圧倒的な広がりによって畏敬の念を抱かずに傑作を吟味できるものはいるだろうか.

 それらはどれだけ親密で共感的であろうか.それとひきかえ現代の凡作の冷ややかさといったら.かつて我々は傑作に人の心から湧き出る温かみを感じたものだ.後にただの儀礼的な文句になってしまった.自身の技芸に没頭し、現代人は自身を超えることはほとんどなくなった.竜門の竪琴を呼び覚ませなかった音楽家のように、自身のことばかり歌うのである.彼の作品は科学に近いところにあるのかもしれないが、人情からはかけ離れている.日本の諺に、見栄はる男は女に好かれない、というのがあるが、そんな男に入り込み満たすための心の裂け目はない.芸術において虚栄は芸術家の側であれ、聴衆の方であれ、共感的感情にとって同義であるように致命的である.

Nothing is more hallowing than the union of kindred spirits in art. At the moment of meeting, the art lover transcends himself. At once he is and is not. He catches a glimpse of Infinity, but words cannot voice his delight, for the eye has no tongue. Freed from the fetters of matter, his spirit moves in the rhythm of things. It is thus that art becomes akin to religion and ennobles mankind. It is this which makes a masterpiece something sacred. In the old days the veneration in which the Japanese held the work of the great artist intense. The tea-masters guarded their treasures with religious secrecy, and it was often necessary to open a whole series of boxes, one within another, before reaching the shrine itself – the silken wrapping within whose soft folds lay the holy of holies. Rarely was the object exposed to view, and then only to the initiated.

 芸術において血盟の精神よりも神聖なものはない.出会ってすぐさま、芸術愛好家は自身を超越するのである.一瞬、彼は存在すると同時に存在しない.彼は無限のきらめきを捉えるが、彼の喜びを紡ぐ言葉はない.目には舌がないからである.彼は物質の足枷から解放され、精神は物質の律動を動かすのである.かくして芸術が宗教の近縁たらしめ人間を高尚にするのである.こうして傑作がなにか神聖になるのである.かつて昔、日本人が宗教的な崇拝とともに抱いていた芸術家への敬意は厚かった.茶人たちは、秘密の宝物を守っていたが、御神体は絹で覆われた柔らかく折りたたまれたもので、それに達するには一つまた一つと、いくつもの箱を開ける必要があった.それを見ることができる人は限られていた.見る場合でも、秘伝を授かった者のみに限られた.

At the time when Teaism was in the ascendency the Taiko’s generals would be better satisfied with the present of a rare work of art than a large grant of territory as a reward of victory. Many of our favourite dramas are based on the loss and recovery of a palace of Lord Hosokawa, in which was preserved the celebrated painting of Dharuma by Sesson, suddenly takes fire through the negligence of the samurai in charge. Resolved at all hazards to rescue the precious painting, he rushes into the burning building and seizes the kakemono, only to find all means of exit cut off by the flames. Thinking only of the picture, he slashes open his body with his sword, wraps his torn sleeve about the Sesson and plunges it into the gaping wound. The fire is at last extinguished. Among the smoking embers is found a half-consumed corpse, within which reposes the treasure uninjured by the fire. Horrible as such tales are, they illustrate the great value that we set upon a masterpiece, as well as the devotion of a trusted samurai.

 茶道が興隆する時代になると、太閤の諸将たちは勝利の報奨として広大な領土よりも希少な美術品を送られるほうが満足に感じたのであった.我々の好みの劇には細川氏の邸宅の損失と復興を主題にしたものがあり、そこには雪村による達磨の絵が保存されていたが、突如、侍の警護の不注意から失火したのである.貴重な絵画を救助するためあらゆる注意を排して、侍は燃える建物に駆け込み、掛け物を掴んだが、炎によって退路が絶たれたことを知るのみであった.絵画のことだけを考え、彼は刀で自身の体を切り裂き、裂けた袖で雪村の絵を包み、開いた傷口に容れたのであった.火事はとうとう消し止められた.灰燼の中に半焼の死体が見つかり、中には火から無傷の宝物が安置してあった.こうした話は、忠臣の侍の献身はもちろん、我々が傑作にかける価値の重さが、凄まじいことをよく説明している.

We must remember, however, that art is of value only to the extent that it speaks to us. It might be a universal language if we ourselves were universal in our sympathies. Our finite nature, the power of  tradition and conventionality, as well as our hereditary instincts, restrict the scope of our capacity for artistic enjoyment. Our very individuality establishes in one sense a limit to our understanding; and our aesthetic personality seeks its own affinities in the creation of the past. It is true that with cultivation our sense of art appreciation broadens, and we become able to enjoy many hitherto unrecognised expressions of beauty. But, after all, we see only our own image in the universe, -our particular idiosyncrasies dictate the mode of our perceptions.  The tea-masters collected only objects which fell strictly within the measure of their individual appreciation.

 しかしながら、我々は芸術が語りかける度合いがあることを覚えておかねばならない.我々が共感において普遍的であるならば普遍的な言語が存在するであろう.我々が有限の存在であり、伝統と因習の力があることは、遺伝的本能と同等に、芸術の楽しみに対する度量の視野を制限するものである.我々のこの独自性がある意味で理解に制約を課している.そして審美的人格がその過去の創造に親近感を抱くことを求めるのだ.なるほど醸成により我々の芸術鑑賞感覚が広がること、そして美の多くの未だ見ぬ表現を享受することができるのである.しかし、結局は宇宙において自分の心象を見るのみである.我々固有の特殊な性質が自身の知覚の様式を支配するのである.茶人も独自の鑑賞の測りを厳格に落とし込むことができる物品のみを蒐集したのであった.

 おそらく天心が文中で述べた双子の話は「雙生隅田川(ふたごすみだがわ)」でしょう.ここまで読んでくださり、ありがとうございます.

The Book of Tea: 13

Chapter V 第五章

gray dragon statue
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 雨の日は寒いですね.空気が一段と冷たくなるのを感じます.皆さんお元気ですか.ついに「茶の本」も五章に突入です.岡倉節ともいえる彼の芸術論、楽しいですよ.第三段落の文は美しいです.こういう文章が書けたらいいなぁ.

Art Appreciation 芸術鑑賞

HAVE you heard the Taoist tale of the Taming of the Harp?

 皆は「琴ならし」という道教徒の話を聞いたことがあるだろうか.

Once in the hoary ages in the Ravine of Lungmen stood a Kiri tree, a veritable king of the forest. It reared its head to talk to the stars; its roots struck deep into the earth, mingling their bronzed coils with those of the silver dragon that slept beneath. And it came to pass that a might wizard made of this tree a wondrous harp, whose stubborn spirit should be tamed but but the greatest of musicians. For long the instrument was treasured by the Emperor of China, but all in vain were the efforts of those who in turn tried to draw melody from its strings. In response to their utmost strivings there came from the harp but harsh notes of disdain, ill-according with the songs they fain would sing. The harp refused to recognise a master.

 かつて太古の時代、竜門の渓谷に桐の木があり、森の真の王であった.高くそびえ星々と会話した.根は地中奥深く生え、青銅のとぐろを巻き、白銀の龍がそばで眠っていた.そして有能な仙人がその木を竪琴に変えた.だがその堅固な精神をならすことは偉大な音楽家だけであった.中国の皇帝によってその楽器は宝物とされたが、みなが順番に弾こうとしてその努力はすべて無駄になった.最大の努力に対して竪琴からは侮蔑の荒々しい音が、喜んで歌おうとすると音色は気分を害するものであった.竪琴は主を認めることを拒んだのである.

At last came Peiwoh, the prince of harpists. With tender hand he caressed the harp as one might seek to soothe an unruly horse, and softly touched the chords. he sang of nature and the seasons, of high mountains and flowing waters, and all the memories of the tree awoke! Once more the sweet breath of spring played amidst its branches. The young cataracts, as they danced down the ravine, laughed to the budding flowers. Anon were heard the dreamy voices of summer with its myriad insects, the gentle patterning of rain, the wail of the cuckoo. Hark! a tiger roars, – the valley answers again. In autumn; in the desert night, sharp like sword gleams the moon upon the frosted grass. Now winter reigns, and through the snow-filled air swirl flocks of swan and rattling hailstones beat upon the boughs with fierce delight.

 ついに竪琴弾きの第一人者である伯牙が現れた.優しい手付きで悍馬を手懐けるように琴を愛撫し、優しく弦に触れた.彼は自然と季節を歌い、山々について、流水について、そしてあの木の記憶がすべて目覚めたのだ.再び泉の甘美な息吹がその枝の中から現れた.青春の奔流が渓谷で踊りだすと、花の蕾に笑いかけた.すぐさま夏の無数の虫たちの夢のような声が聞こえ、雨模様の優しさ、郭公の鳴き声が聞こえる.聞くのだ.虎が吠える.渓谷にこだまする.秋には荒涼とした夜、霜の降りた草の頭上に月の光が鋭い剣のように照らす.今や冬が訪れ、雪舞う空気に白鳥の群れが渦巻き、荒れる霜は喜々として枝を打つのである.

Then Peiwoh changed the key and sang of love. The forest swayed like an ardent swain deep lost in thought. On high, like a haughty maiden, swept a cloud bright and fair; but passing, trailed long shadows on the ground, black like despair. Again the mode was changed; Peiwoh sang of war, of clashing steel and trampling steeds. And in the harp arose the tempest of Lungmen, the dragon rode the lightning, the thundering avalanche crashed through the hills. In ecstasy the Celestial monarch asked Peiwoh where in lay the secret of his victory. “Sire,” he replied, “others have failed because they sang but of themselves. I left the harp to choose its theme, and knew not truly whether the harp had been Peiwoh or Peiwoh were the harp.”

 それから伯牙は旋律を変え愛を歌った.森が熱心な田舎者のように夢中であった.横柄な高くとまった女中のように、雲が輝き、通り過ぎる.地上に長い影が尾を引き、絶望のように黒い.再び調子が変わった.伯牙は争いを歌う.剣戟の音、軍馬の駆ける音を歌った.そして竜門の嵐が起きると、竜が稲妻に乗り、雪崩が轟々と丘に落ちた.中国の皇帝は恍惚として伯牙になぜ、彼は琴を勝ち取ったのか尋ねた.「陛下、」彼は答えた.「彼らはみな自分たちのことを歌ったからです.私は琴に主題を選ばせました.そして琴が伯牙であったか伯牙が琴であったかどうかは本当はわからないのでした.」

This story illustrates the mystery of art appreciation. The masterpiece is a sympathy played upon our finest feelings. True art is Peiwoh, and we the harp of Lungmen. At the magic touch of the beautiful the secret chords of our being are awakened, we vibrate and thrill in response to its call. Mind speaks to mind. We listen to the unspoken, we gaze upon the unseen. The master calls forth notes we know not of. Memories long forgotten all come back to us with a new significance. Hopes stifled by fear, yearnings that we dare not recognise, stand forth in new glory. Our mind is the canvas on which the artists lay their colour; their pigments are our emotions; their chiaroscuro the light of joy, the shadow of sadness. The masterpiece is of ourselves, as we are of the masterpiece.

The sympathetic communication minds necessary for art appreciation must be based on mutual concession. The spectator must cultivate the proper attitude for receiving the message, as the artist must know how to impart it. The tea-master, Kobori-Enshiu, himself a daimyo, has left to us these memorable words: “Approach a great painting as thou wouldst approach a great prince.” In order to understand a masterpiece, you must lay yourself low before it and await with bated breath its least utterance. An eminent Sung critic once made a charming confession. Said he: “In my young days I praised the master whose pictures I liked, but as my judgement matured I praised myself for liking what the masters had chosen to have me like.” It is to be deplored that so few of us really take pains to study the moods of the masters. In our stubborn ignorance we refuse to render them this simple courtesy, and thus often miss the rich repast of beauty spread before our very eyes. A master has always something to offer, while we go hungry solely because of our own lack of appreciation.

 この話は芸術鑑賞の秘訣をよく説明している.傑作とは我々の最も細やかな感性との交響曲である.真の芸術は伯牙であり、我々が竜門の琴なのだ.美の秘術で我々の存在という秘密の琴線が目を覚ます.その呼びかけに震え、わななく.精神は精神に語りかける.我々は聞こえないものに耳を澄ます.我々は見えないものを凝視する.達人は我々の知らないこと旋律を呼び起こす.長く忘れられた記憶は新たな意味を持って回帰する.恐怖によって押し込められた希望、我々があえて認知せずにいた仰望は、しきりに新たな栄光にいたるべくと前に立つ.私達の精神は芸術家が色付けをする画布である.描画の絵具は情緒である.明暗法は喜びの光であり、悲しみの影である.傑作は我々の中にあるように我々は傑作の中にいるのだ.

 

 芸術鑑賞に必要なこの情緒的な心の交流は相互譲歩に基づかねばならない.観衆は芸術家がどのように分かつか知らねばならないように、言伝を受け取る適切な態度を養わねばならない.茶の宗匠、小堀遠州は自身が大名であったが、つぎのような忘れがたい言葉を残している.

 「汝が偉大な太子に近づくように偉大な絵に歩み寄れ」

 傑作を理解するためには、その前では自身を低く、固唾を呑んで一言も発しないようにせよ.宗の著名な批評家は見事な告白を行った.

 「若かりしころ、自分の好きな絵画の宗匠を崇めたが、私は歳をとって宗匠が私が好みにあわせて絵を描いてくれたものを好む自分を讃えるようになったのだ」

 達人の作法を骨を折ってでも学ぶ人がまったくいないことは実に嘆かわしい.我々の頑固な無知においてこの単純な思いやりを拒むのである.そうして我々はしばしば眼前から見事な美の饗応を見逃すことがある.宗匠はつねに何かごちそうを与えてくれる.我々が自身の鑑賞の仕方を知らないゆえに一人腹をすかせるのだ.

最後まで読んでくださりありがとうございます.

たまにはゆるい話を

 親愛なる読者の中には、亀吾郎法律事務所が硬派なブログであると思っているかもしれないが、硬いのはクサガメの甲羅なのであって、本人の頭は至ってゆるい.そんなゆるさをブログにも反映させてみよう.小論をいくつか述べたい.

急接近する巨匠たち:麻婆豆腐について

apartment blinds cabinets chairs
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 以前、私は麻婆豆腐について好きなことを述べた.麻婆豆腐の貢献人である陳建一についても述べた.

 陳建一は圧倒的な技巧と豊富な食材を惜しげもなく我々の前に披露し、「公益社団法人日本中国料理協会」というYouTubeアカウント名で麻婆豆腐界の頂点に最も近いであろう存在であった.頂点に近いために、我々世俗の者にとっては到底及ばない世界でもあった.

 そんな彼が、新しい動画を出した.「陳建一が自宅で作る麻婆豆腐」という前作よりも遥かに力抜けしたようなサムネイルが目を引く.一体どうしたというのか. 

 陳建一がなんと、スーパーマーケットで手に入らない食材を代用して自宅でできる麻婆豆腐を紹介するという動画である.なんという衝撃.遥かなる高みにいた彼は、俗人である我々にその長い手を差し伸べてくれるのだ.

「葉ニンニクはスーパーマーケットにありませんから青ネギで結構です」

「鶏ガラスープを入れるのはうちの店ですが、ご家庭では大変ですから、お水でいいです」(水でいいのか)

「『豆板醤と甜麺醤』はここではユウキ食品さんのを使いましょう、香りが良いんですよ」

 素材は市販のもの、技術は最高峰、とはいっても我々でも簡単に作れるように一般の厨房で調理してくれる.RPG(ロールプレイングゲーム)で言えば、ゲームの序盤からものすごく強い人物が助太刀してくれるような心持ちである.

 というわけで早速私は作ってみた.前回の記事を読んでくださった方のためにいえば、マーマイトは使っていない.麻辣の薫風が鼻孔に侵入し、食欲を駆り立てるいつものプルプルが完成した.私にはおやつのようなごちそうである.美味しかった.妻も美味しいと言ってくれた.喜びは望外近くにあるのだ.

急接近する巨匠たち:アッシュパルマンティエについて

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 もう一人の巨匠をご紹介したい.北海道増毛市出身のフランス料理人といえば、三國清三氏である.彼の名を冠した料理店は都心や郊外にいくつかあるようだが、なかなかに美味しい.実際に彼が腕をふるったのかはわからないが.

 フランス料理というのは、パンチの効いた味付け、こってり、ずっしりとした重量感あるものを私は想起する.そして食材を魅せる、という点で優れた食文化の一つだと思う.かといって、日本の家庭でフランス料理をなにか作るとすれば、あまりイメージがわかないと思う.思いつく限りフレンチトースト(Pain Perdu)が手っ取り早いだろうか.

 亀吾郎法律事務所でも最近はまかない料理として、ガレットを作ることがあった.そば粉をつかったガレットにベーコンと目玉焼きを和えるそれは、そばのクレープのようなサクサクふわふわのとろとろで、朝から幸せが体中の穴という穴から吹き出す.

 そして玉ねぎと人参を炒め、さらにひき肉を加えて炒めたものをグラタン皿にしいて、マッシュしたじゃがいもを覆い、オーブンで200℃二十分程度加熱する.この料理を、我々は夕餉にすることが多く、亀吾郎法律事務所の定番メニューである.この名前を我々は(豚ひき肉だが)コテージパイと呼んでいた.英国料理だと思っていたのだ.

 オテル・ドゥ・ミクニというYouTubeアカウント名の三國清三氏は、上記とほぼまったく同じ工程で調理するものを「アッシュパルマンティエ(Hachis Parmentier)」と言っていた.英国はフランスと百年も戦争するほど仲がいいことは知っていたが、なるほど料理もよく似ているのだと大変勉強になった.確かに、肉と芋はものすごく相性がいい.肉じゃが然り、ハンバーガーとポテト然り.ちなみにHachisという言葉は英語でいうところの、Hash(細かく刻む)である.パルマンティエというのは、人名のようでヨーロッパにじゃがいもの普及に貢献したというAntoine-Augustin Parmentierから取られているようだ.要はじゃがいもおじさんである.すばらしい.

 Cottage PieのCottageは一般的な家を指すから、コテージパイも家庭料理であるし、アッシュパルマンティエも家庭料理だそうだ.亀吾郎法律事務所も知らず識らずのうちに家庭料理を作っていたのだった.やはり喜びは思いがけない.フランス料理は宮廷料理ばかりだと思っていた私は愚かでもあった.同時に美味しい家庭料理を知ることは幸せであった.

作り手の顔が見えるということ

 陳建一氏も三國清三の動画も観ていて感じるのは、「作り手の顔が見えるとほっとする」ということに尽きる.マクドナルドハンバーガーの作り手はわからずとも美味しいのはわかるが、そういうことではなく、作り手の思想がなんとなくわかる、ということと、その思想が共感を呼ぶ、ということのなのだろう.

 レストランに行って、ときどき出くわすのが、料理人自ら我々のところへ来て挨拶をしてくれることだ.

「これから少しずつお出ししますのでね、ゆっくりしていってください」

 なんて言われてしまえば、ゆっくりしないわけにはいかないではないか.開放的なレストランであれば、敢えて厨房と客間の隔たりをなくして、調理風景を見せてくれるところがある.そこまでしなくてもよいと思うが、挨拶してくれるのは個人的に嬉しい.忙しいのだろうから決して無理はしないでほしい.けれどもその心遣いが私にとってはキュンキュンと来るのである.そして、ほとんどの場合、そういったお店の料理はすごく美味しい.反例があるかもしれないから、盲信するつもりはないのだが、私は大事な日や妻と外食する時は作り手の顔がみえるレストランを一つの着目点としている.

 私は今後、じゃがいものガレットや鶏レバーのパテ、コック・オー・ヴァン(Coq au vin)を作ってみようと思っているところだ.料理は実に楽しい.

 かつては、ほんの一握りの師弟たちが名工の技を盗んで研究したであろう味が、簡単に市井に及んでしまうのは時代の流れなのだろう、人によっては少し切なくもあるかもしれない.

 いつも「いいね」をつけてくださる方はもちろん、様々な方に見ていただいて嬉しい限りです.ありがとうございます.

Memory/Narrative: 1

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 この記事は「記憶/物語」を読んでの英訳になります.

This essay is an English translation of “「記憶/物語」を読んで”.

Event, History, Memory and Narrative

When I was a junior high school student, there was a assembly in the school gym on the hottest day of summer, the holiday was close to came. The assembly was a talk about “The Pacific War”, spoken by a former school girl, the survivor of the Battle of Okinawa, June, 1945.  I personally thought that it was an invaluable talk. I was hugely expecting to listen to her talk, because she had survived the war, also vaguely I was curious about World Modern history. I believe that there must be few students who willingly listened to the talk like me. The reason is that it would be impossible for youngsters to put up with the tales of the old stranger in the sultry school gym. I knew that there were people asleep. But I am not apt to blame on them at all. I was one of the guy who simply listened to the talk for just satisfying own curiosity of the war, although I sympathised the cruelty of the war on the ground. So, I admit that I was a student who was not appropriate for the talk that ought to be, that I have no right to denounce other students who were asleep. It would rather be a majority if I were indifferent with the testimony of the war as a student of junior high school living in the remote city from Okinawa. I wonder that the estrangement from the situation must be extraordinary that present day students wishing to enjoy summer vacation and the former boys and girls seventy-five years ago resign themselves to fate who were given hand grenades which suggest them to suicide against their will in the trench, in the same summer.

I strongly believe that everyone should remember these tragedies had happened in the past, and the opportunities to know the facts must be given through the public place. But, it may be a difficult matter to discuss when to have opportunity, I personally guess that it would be better to let them know in the term of compulsory education. The time flies, the survivors of the war live out their natural life span, so that it would be getting difficult to ask for a testify the memory of tragedy even if we obtained their consent. It has been 75 years since the war was over.

Why the war happened ? I think people who can answer this question are very few. Why the war must not be occurred forever? This question also can be answered by very few number of people, I guess. In our country, the lesson that the war must not be repeated is broadcasted in June, and August. Memorial service for the war is held every year, mourning ceremony is reported in the TV.  The mourning is the work of reminiscence of dead. The process of universal healing for those who involved and died in the war(it is different nuance with ‘worshipping the souls of the war dead’). It is good thing for mass-media to broadcast these events. But what should they report the most is that to listening to the whispers of ‘narratives’ suggested by the behaviour of people praying in June 23rd, August 6th, 9th and 15th, I believe. Why happened the general mobilisation that enforce people to service an absurd event?  I have been questioning myself about this since I was a child. I knew tentatively the logics and a complete history of Japan but I could not learn any more while I was taking the class of social study. I did not expected at any rate, but evening TV news never taught me the answer. The news always dispassionately tells us only truth likely facts. 

“Do not repeat the war, never to happen the tragedy.” 

Okay, okay, I understood. but tell me why you say so.

“Because It is tragic.” I knew it! That is not what I want to know. When I was a kid, I thought like that. Is that a common knowledge for adults? That’s why they won’t tell me.

But later on, I could feel the reason to deny the war by watching overflowing insanity of war, suggested from documentary film, such as “NHK special” at 9 o’clock, and “The 20th century on film(Eizo no Seiki)”, which was collaborated with ABC Television.  Moreover, I found that this “Event” is in truly complicated situation. I also found the difficulty to speak of the reason why we Japanese had began the Pacific War. Then I thought that the sequence of “Memories” would gradually fade out, and the handing down of narratives might not succeed.

The time goes by, I grew up a bit, I had a chance to visit the United Kingdom. The news program on TV that I watched in hotel on September 2nd was the broadcast of “Victory over Japan day”, as the stance of a victorious nation. I rapidly felt uneasiness like a cold breeze in the UK, reminded me of the feeling that I was in the country which used to fight against our country, even now they celebrated the victory over us. Probably It may be the first time for me to touch the shadow of the war. What I knew were fragments memory that my grand-grandfather served in the battlefield of Manchuria, and my grandfather was nearly expelled from school due to lese majesty. Another grandfather wished to enrol as navy officer but he failed in examination for admission. The more change of generation takes place, the less reliability of spoken tales, and they get short, sometimes surprising punch line appears, otherwise the narrative turns into the record which only tells that one went there and there, Even the memories of my true family fades away.

I have began to answer and find the question by reading books of Modern history of Japan written by specialities like Ms. Kato Yoko and so-on.  It is true that some writing of her has the same questioning as me. She tries to make a discussion with high school students on the case as if we were the statesmen of Japan at the era of Pacific war, standing on an equal footing. Of course I have read the book, but it has been a quite long time since I finished it, so that I cannot tell you right now in detail. However, I am sure that the writing was worth reading in that she considers how the Japanese executives made decision in the critical moment of history, and she tries to describe how they felt at that moments as much as possible. 

During my reading, I found that some beings insisting sharp remarks and (it may be all very reasonable for them to)confront the books which were written by highly specialised authors, based on thousands of references and former controversial studies. They speak aloud and we cannot ignore them.  By all means we should listen to what they are saying. Their voices echo regarding negative “events” such as the Nanjing massacre, comfort women, saying “There were no such things.” History revisionism, desertification of memories, letting past be bygones. Various words are rushing through my mind. Although we are sure to have walked one straight line of “History”,   there seems to be tracks of two, three or more lines when we look back. Which line did we walk through? Suddenly I am likely to be suspicious of the “narrative”  that I have believed a little while ago. The voices inflame our self-esteem, attempting to conserve the dignity of one’s country from the past to the present. The voices echo with loudly speaking of authenticity of following timeline of our history. Sometimes they are comfortable to our ears, and attracting. I wonder  I am a traveler walking among the woods seduced by a whisper of pixie, or a sailor who voyage around the sea yield to the temptation of a sing of Siren.

All of a sudden, everything turned to chaos that I felt like that I cannot understand whole things mentioned above. How should I understand history, narrative and folklore? Survivors who lived “Events” are ageing gradually and passing away, memories are fading as time goes by, they are spreading into branches, and turned into narratives. In order to appreciate why would “Event” has happened, we must think of the royal way of handing down narratives. If the way exists.

Recently, I have read a book(which belongs to my wife), written by Oka Mari, titled as “Memory/Narrative”, published by Iwanami Shoten. This discussion was written in 2000, what I own is noted that it is printed in 2014, as 14th edition. I think it suggests that this book are widely read. It has about 110 pages, I found it is a good amount for me to read carefully. Her insight starts from the “Event” that massacre of Palestines took place in August 12th, 1976, where the place named “thymes thriving hill”, “Tel al-Zaatar, تل الزعتر”. She mentions the questions occurred by reading the work of Liana Badr, who is a Palestine writer, “The Eye of the Mirror”, written about the massacre. Then she proceeds her questions as follows.

 How could we share the memory of “Event’? In order to possess Memory of “Event”, the “Event” should firstly be told, should be handed down. What is the mean of telling  memory of “Event” as it is shared genuinely with others? Is it possible to exist such narrative? Will it be consisted as we expected? If it exists, is that a matter of precision of realism? Numerous questions occurs.

There must be a critical meaning for thinking about the possibility of sharing memory of “Event”, when we are involved with the struggle of memory regarding various ”Events”, in the present. I would like to think of these questions by starting following discussion.

The verb “share” means “have a portion of (something) with another or others”. Her questions like these are quite stimulating for me, I am not sure that I can solve them anyway, I found that this could be the utmost opportunity to reflect on these matters of mine.

Thanks for reading so far.

ファントム空間論の応用性についての検討

brown pendant lamp hanging on tree near river
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まえがき

 前の記事で、私は統合失調症に関して沈黙することにした、と述べた.だが疾患の内容や治療方法にはあまり触れず、別の形でファントム空間を取り上げることはできないか、と私は考えた.以下はその言い訳と、これからの抱負である.

 近年、統合失調症は罹患数が減少しているだとか、病勢が弱まっているという指摘がなされることがある.事実かどうかはともかく、それは実臨床でも感じることは多いかもしれない.最近の傾向は気分障碍、不安障碍、発達障碍、認知症、物質使用障碍(アルコール・違法薬物等)なのだろう.だからといって統合失調症の治療がおろそかになってよいわけでは決してないのだが、他に考えなければならぬ疾患群が極めて多様である、ということで良いと思う.

 精神疾患は社会と密接な関わりがあることは多くの指摘がなされている.社会のあり方を無視して疾患の総体を掴むことはできないだろう.流行り廃りがあるといえばやや語弊があるが、発達障碍への関心は年々強まっているし、「自分が発達障碍なのでは」という関心をもって、診察室を訪れる人は多い.

 精神病理学的な考察には、発達障碍圏は自身への志向性に無関心である一方、統合失調症圏は志向性に敏感であるというものもあり、それはなるほど明快な要素ではある.だから自身の志向性に無関心である傾向が多い人々がはたして発達障碍なのかというと、直観ではあまりそんな感じはしないのだが、実際に心理学検査を行うと、有意なDiscrepancyが指摘されることはしばしばである.

 また、先輩の医師が「発達障碍か統合失調症かもしれない」という申し送りや紹介をするとき、「一体どういう文脈で言っているんだ」という疑問を持たざるを得ないことは頻回であった.どうも専門の中でも考えの混在あるいは、区別のついていない医師がいるようである.教科書的な区分が通用しない症例がいるのは重々理解しているが、基本的な症候がわかっているのかどうかアヤシイ先生がいるのは嘆かわしいことだ.

 キーワードとなるのは何らかの「敏感な状態」であるのかもしれない.体系だった幻覚妄想状態はあまりないが、発達障碍圏でも幻覚妄想状態が示唆されることはあるし、いわんや統合失調症をや、である.外界とのつながりが突如断絶し、周囲の世界が大きく変容した感覚を得るようだ.こうした感覚は妄想気分、妄想知覚として説明される.

 とある若い人が目をギラギラさせて、

「アマテラスオオミカミが勅命をくだした声がわたしだけに聞こえるような特定の音声周波数を通して聞こえたのだ!わたしはヨモツヒラサカからイザナミノミコトを帰還させてニニギノミコトとして国産みをすすめるのだ!」

 とかなんとか言っているのは、一次妄想から発展してある種体系だった妄想である(上記は私がつくったデタラメだが).

 一方で、真面目な会社員が次のように言ったとする.「仕事に行くとどうも会社の職員がヒソヒソ話をしている.よく聞こえないので話の内容はわからないが、おそらく私のことに決まっている.私の会社でのミスを知っていて、皆が私を嘲笑し、非難しているだ」というものは、状況によっては、理解できる愁訴である.こうしたものは二次性妄想として、妄想知覚と区別される.

 現象学的な知識を動員してみると、前者は突発的な意味不明な内容について確信している可能性を考える.本来、絶対的所与性である「内在」に深刻な機能不全・機能失調が起きている恐れがある.道端に咲く花をみて、「あれはうんこです」という人はなにかの酷い冗談か深刻な確信形成の病理を抱えていると思う.

 後者の方はある程度合点がいく内容である.周りが話をしているのを見て、「自分の話をしている」という理解が正しいかはどうかとして、「話をしている」という知覚は妥当のように思う.だが、それが自己を巻き込んだものかどうかは、状況によりけりだが、かなり疑わしい.これも「内在」に部分的失調があるのだろう.やはり確信形成に問題があるものとして妄想は存在する.

 最近は、テレビのワイドショー、一般人のインタビューなどで個人が自分の空想を語ることを「妄想する」と言うことを耳にする.

「もし宝くじがあたったら一生働かないですむ妄想しちゃいますよね~」

 これは妄想の使い方として正しくない.妄想は空想ではない.妄想は簡単にいえば、「訂正不可能な確信水準の言辞」である.とはいっても、こんなことを真面目に指摘して論破したつもりになるのは非常に痛痛しい人になってしまうのはよくわかっているので人前ではこうしたことは言わないが、私はそう思っている.

 だが、妄想という言葉が誤って広まり、妄想の語義が弱まったと考えると、妄想が世間に親和的になったのかもしれない.妄想の民主化といったらよいのか.前に私は、精神疾患は社会の動きと密接だと述べた.こうした言葉の捉え方の変化が一つの病勢の弱まりに関係しているのではないかとこっそり思っている.決してこの考えを確信しているわけでないことはご理解いただきたい.

 さて、私は社会のもう一つの趨勢として「敏感さ」があるのではないかと思っている.勿論、統合失調症には特有の敏感さがあるのだが、私の言いたいのは疾患とは言えないまでも、「繊細さん」や「Hyper Sensitive Person/People」と呼ばれる人々のことである.どちらかというと、先に挙げた例の後者である.こうした悩みを抱えている方は大変多いのではないか.何しろ書店にいけばこうした「HSP」関連の書籍がとても多い.インターネットの特集やコラムでも「HSP」に関する記事を目にすることもある.

 私も割と、「Sensitive」(敏感)な人種だ.HSPの定義は今後の記事に譲るが、私はこうした「繊細な人」がとても困っているのではないか、生きづらさを感じているのではないか、と常々思っている.

 私はとてもとても膨大な理論を提唱する知恵もなければ経験もないので、大それたことはできないのだが、かつての統合失調症の論理的精神病理であるファントム空間論がその理解の助けになるのではないかと考えた.一体お前は何を言っているんだ.これは統合失調症の病理じゃないか、という批判はあるだろう.それは別に良い.そんなことは知っている.だが、ファントム空間論は、人が取りうる心的距離のことを広くいう仮説である.心的距離、心の間合いとでも言おうか.心の距離感の学問仮説といえば、統合失調症に限らずとも学問的理解を経て、他の心的問題に関する理解に応用できるのではないか.

 少し学問から離れた話をしてみよう.

 「新世紀エヴァンゲリオン」というアニメ・映画を観た私は、エヴァンゲリオン初号機と第四の使徒「サキエル」が死闘を繰り広げるのを観て、「これは心と心の距離感の比喩ではないのかな」と素人ながら感じたものである.特に初号機が使徒の「A.T. フィールド」(絶対不可侵領域・絶対恐怖領域)を破って攻撃する描写は十代の青少年に対する暴力的な心の侵入をよく描写したもののように思った.A. T. フィールドの展開範囲や強度は、ファントム空間論の理解の助けになりそうである(と思ったのだ).

 よってこうしたアニメ作品も積極的に援用して自分の考えを述べてみたい.エヴァンゲリオンに興味のある方は勿論、自分が「HSP」ではないかと思う方、様々な「敏感さ」に思いをはせている方にとって、少しでも安らぎの場となればと思い、私は前回の記事を一部撤回し、ファントム空間論の応用的解釈を目指すこととする.

 ここまで読んでくださりありがとうございます.今後も興味をもってくだされば幸いです.これは長期連載の予感……!?

The Book of Tea: 12

macro photography of green leaf
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Adobe of Fancy

Hello. The chapter four ends in this page and we’ll move on next chapter later. The translation was quite challenging but so comfy to me when the work came to the end. His style of writing is vigorous, contains a profound knowledge, and full of overwhelming passion. I can but manage to appreciate it by reading hundred times and trying to find what Tenshin meant to claim.


The name, Adobe of Fancy, implies a structure created to meet some individual artistic requirement. The tea-room is made for the tea-master, not the tea-master for the tea-room. It is not intended for posterity and is therefore ephemeral. The idea that everyone should have a house of his own is based on an ancient custom of the Japanese race, Shinto superstition ordaining that every dwelling should be evacuated on the death of its chief occupant. Perhaps there may have been some unrealised sanitary reason for this practice. Another early custom was that a newly built house should be provided for each couple that married. It is on account of such customs that we find the Imperial capitals so frequently removed from one site to another in ancient days. The rebuilding, every twenty years, of Ise Temple, the supreme shrine of the Sun-Goddess, is an example of one of these ancient rites which still obtain at the present day. The observance of these customs was only possible with some such form of construction as that furnished by our system of wooden architecture, easily pulled down, easily built up. A more lasting style, employing brick and stone, would have rendered migrations impracticable, as indeed they became when the more stable and massive wooden construction of China was adopted by us after the Nara period.

 数寄家、趣味の家という名はある芸術的な要求を満たすために作られた建造物であるという意味を含む.茶室は茶の宗匠のために作られたのであり、茶室のための茶の宗匠が作られたのではない.後世のためではなく、それゆえに儚い.誰もが自前の家を持つべきだという考えは日本人の古代の慣習に基づき、神道の迷信が命ずるところには、すべての住宅が家長の死ぬ際は避引き払わなければならない.おそらくなんらかの無意識な衛生概念のために実践されたのであろう.

 もう一つの早期の慣習とは新婚の各々の夫婦に新築を与えるべきだというものであった.そうした慣習は遷都のためであるとわかる.伊勢神宮は、改装は二十年毎に行われる.崇高な太陽女神の神殿であるが、古代のしきたりを今でも保っている一例である.こうした慣習を観察することは、あるいくらかの建築様式、すなわち、たやすく壊し、たやすく建てることのできる木造建築の我が国の体系により備えられるものとしてのみはじめて可能であった.

 より耐久性のある、煉瓦と石を用いるものがあるが、これによって転居が不可能になって、安定し強靭な中国の木造建築が奈良時代以降に用いられた.事実、移動は不可能となった.

With the predominance of Zen individualism in the fifteenth century, however, the old idea became imbued with a deeper significance as conceived in connection with the tea-room. Zennism, with the Buddhist theory of evanescence and its demands for the mastery of spirit over matter, recognised the house only as temporary refuge for the body. The body itself was but as a hut in the wilderness, a flimsy shelter made by tying together the grasses that grew around, – when these ceased to be bound together they again became resolved into the original waste. In the tea-room fugitiveness is suggested in the thatched roof, frailty in the slender pillars, lightness in the bamboo support, apparent carelessness in the use of commonplace materials. The eternal is to be found only in the spirit which, embodied in these simple surroundings, beautifies them with the subtle light of its refinement.

 しかしながら、禅の個人主義の優勢に伴い十五世紀には、古い思想は、茶室との関係において得られたものとして、より深い意味が吹き込まれた.

 禅道は、仏教徒の無常の理論と精神が物質を優越することを修得するためのその要請を伴って、肉体を一時的な避難のための家としてみなされた.肉体そのものは荒野に建てられた小屋に過ぎず、地面に生える草を結びあわせて作られた脆いしのぎ、それらが解けてしまうと再び荒れ地に戻るのである.茶室において儚さとは藁葺き屋根を意味し、細い柱の脆さ、竹の支えの軽さ、ありふれた物質をつかうことの見え透いた無造作なところに込められている.

 永遠とは精神にのみ見られる、すなわち、素朴な環境に体現し、みずからの上品なかすかな光とともに美化するものの中においてのみである.

That the tea-room should be built to suit some individual taste is an enforcement of the principle of vitality in art. Art, to be fully appreciated, must be true to contemporaneous life. It is not that we should ignore the claims of posterity, but that we should seek to enjoy the present more. It is not that we should disregard the creations of the past, but that we should try to assimilate them into our consciousness. Slavish conformity to traditions and formulas fetters the expression of individuality in architecture. We can but weep over those senseless imitations of European buildings which one beholds in modern Japan. We marvel why, among the most progressive Western nations, architecture should be so devoid of originality, so replete with repetitions of obsolete styles. Perhaps we are now passing through an age of democratisation in art, while awaiting the rise of some princely master who shall establish a new dynasty. Would that we loved the ancients more and copied them less! It has been said that the Greeks were great because they never drew from the antique.

 茶室が個人の好みに合わせるために建てられるべきというのは芸術における生命力の原理の強い主張である.芸術を、十分な理解に耐えるためには、同時代の生活にとり真実でならなければならない.私達が後代の主張を無視するべきであるというのではなくて、現在をより享受せよということである.過去の創造物を無視するというわけではなく、自分の意識に吸収しようとすべきである.伝統と形式への奴隷のような従順とは建築において個人主義の表現の枷である.

 我々は現代日本にそびえるヨーロッパ建築の風情のない模倣を嘆かざるを得ない.我々は驚く.なぜ最も先進的な西洋国家の中で建築がかくも独創を欠いて、時代遅れの様式を繰り返しているのはなぜかと.

 おそらく我々は芸術の民主主義化の時代にいるのだが、一方で新たな王朝を築く名君の勃興を待っている.願わくば昔を愛するより多く、模倣を少なくすることを!ギリシアが優れていたのは彼らが古代様式の域から脱していないことにあると言われている.

The term, Adobe of Vacancy, besides conveying the Taoist theory of the all-containing involves the conception of a continued need of change in decorative motives. The tea-room is absolutely empty, except for what may be placed there temporarily to satisfy some aesthetic mood. Some special art object is brought in for the occasion, and everything else is selected and arranged to enhance the beauty of the principal theme. One cannot listen to listen to different pieces of music at the same time, a real comprehension of the beautiful being possible only through concentration upon some central motive. Thus it will be seen that the system of decoration in our tea-rooms is opposed to that which obtains in the West, where the interior of a house is often converted into a museum. To a Japanese, accustomed to simplicity of ornamentation and frequent change of decorative method, a Western interior permanently filled with a vast array of pictures, statuary, and bric-à-brac gives the impression of mere vulgar display of riches. It calls for mighty wealth of appreciation to enjoy the constant sight of even a masterpiece, and limitless indeed must be the capacity for artistic feeling in those who can exist day after day in the midst of such confusion of colour and form as is to be often seen in the homes of Europe and America.

 「空き家」という言葉は万物が含有するという道教徒の理論を伝えるだけでなく、装飾的な主体において絶えず変化する必要があるという概念をもっている.いくらかの審美的雰囲気を一時的に満たすために、配置すべきものを除いて、茶室はまったくの空虚である.

 状況によって何らかの特別な芸術品が持ち込まれるが、すべては原理的な題目の美しさを強化するために選定され配置される.異なる音色を同時に聞き分ける人はいない.中枢の主題へ集中することでのみ美的存在の真の鑑賞は可能になる.このようにして茶室における装飾の体系は西洋、邸宅の内装がしばしば美術館に変わるところ、において持っているものの対極である.

 日本人にとって、装飾の簡素さや装飾方法の頻繁の変化に親しんでいる我々にとって、西洋の内装の変わることなくずらりと並んだ絵画、像、骨董品が富豪のただの卑しい陳列という印象を与える.

 一つの傑作でさえも常に鑑賞を楽しむためには大きな鑑賞の豊かさが必要である.ヨーロッパやアメリカの家庭でしばしば見られる色彩と様式のそうした混乱のさなかに何日もいられる者における芸術的感性とは、実に無限を要するのであるにちがいない.

“The Adobe of the Unsymmetrical” suggests another phase of our decorative scheme. The absence of symmetry in Japanese art objects has been often commented on by Western critics. This, also, is a result of a working out through Zennism of Taoist ideals. Confucianism, with its deep-seated idea of dualism, and Northern Buddhism with worship of a trinity, were in no way opposed to the expression of symmetry. As a matter of fact, if we study the ancient bronzes of China or the religious arts of the Tang dynasty and the Nara period, we shall recognise a constant striving after symmetry. The decoration of our classical interiors was decidedly regular in its arrangement. The Taoist and Zen conception of perfection, however, was different. The dynamite nature of their philosophy laid more stress upon the process through which perfection was sought than upon perfection itself. True beauty could be discovered only by one who mentally completed the incomplete. The virility of life and art lay in its possibilities for growth. In the tea-room it is left for each guest in imagination to complete the total effect in relation to himself. Since Zennism has come become that prevailing mode of thought, the art of the extreme Orient has purposely avoided the symmetrical as expressing not only completion but repetition. Uniformity of design was considered as fatal to the freshness of imagination. Thus, landscapes, birds, and flowers became the human figure, the latter being present in the person of the beholder himself. We are often too much in evidence as it is, and in spite of our vanity even self-regard is apt to become monotonous.

 「非対称の家」は我々の装飾的様式のもう一つの段階であることを意味している.日本美術品において対称を欠くことに対して西洋の批評家の指摘を受けてきた.これもまた、道教徒思想の禅道を通じて築かれた結果である.

 儒教の二元論の考えに深く根ざすもものと、仏教の三位一体の崇拝は対称性の表現に反対するものではない.事実、古代の中国の青銅あるいは唐王朝と奈良時代の宗教芸術を学ぶとすれば、我々は対称性の絶え間ない努力を認める.我が国の古典的内装の装飾は決定的に規則的配列である.しかしながら道教徒と禅の完全の理念は異なっていた.彼ら哲学の動的本質は、完全とは、完全そのものよりも完全を探求する過程を重視することにある.

 真の美は精神的に、不完全なものを完成させたものによってのみ発見される.生命の力強さとは成長の可能性にある.茶室では、全体の効果が自身との関わりのなかで完成なものにするために客人各々の想像力に委ねられる.禅道が現在も残る思考の様式となって以来、極東の芸術は表現としての対称性を完全だけでなく、反復をも故意に避けた.

 意匠の画一性は想像力の新鮮味にとり致命的と考えられた.そうして、風景、鳥、花が人物像よりも好ましい主題となった.後者はそれを所有するひとそのものである.我々はありのままの自己を表現することが余計すぎていて、我々の空虚さにもかかわらず自己認識は単調になりがちである.

In the tea-room the fear of repetition is a constant presence. The various objects for the decoration of a room should be so selected that no colour or design shall be repeated. If you have a living flower, a painting of flowers is not allowable. If you are using a round kettle, the water pitcher should be angular. A cup with a black glaze should not be associated with a tea-caddy of black lacquer. In placing a vase on an incense burner on the tokonoma, care should be taken not to put it in  the exact centre, lest it divide the space into equal halves. The pillar of the tokonoma should be of a different kind of wood from the other pillars, in order to break any suggestion of monotony in the room.

 茶室では反復を避けようとする考えが持続しているのである.部屋の装飾に対する多彩な事物は選択されても色や意匠は反復されるべきではない.生花があれば、花の絵は不要である.丸い茶釜があれば、水差しは角張ったものであるべきだ.黒釉の茶碗は漆塗りの黒茶筒と合わせるべきではない.床の間に香炉や花瓶を配置するときは、中央に置くのではないようにして、それが均等に半分に空間を割かないようにすべきである.床の間の柱は他の柱とは異なる木材であるべきで、部屋の単調性を破るようにすべきである.

Here again the Japanese method of interior decoration differs from that of the Occident, where we see objects arrayed symmetrically on mantelpieces and elsewhere. In Western houses we are often confronted with what appears to us useless reiteration. We find it trying to talk to a man while his full-length portrait stares at us from behind his back. We wonder which is real, he of the picture or he who talks, and feel a curious conviction that one of them must be fraud. Many a time have we sat at a festive board contemplating, with a secret shock to on the dining-room walls. Why these pictured victims of chase and sport, the elaborate carvings of fishes and fruit? Why the display of family plates, reminding us of those who have dined and are dead?

 ここでまた、日本の室内装飾方法が西洋の、我々が見る事物がマントルピースやどこもかしこもに対称に並べてあるところのそれと異は異なる.西洋の邸宅において我々はしばしば無用の繰り返しのように思われるものに出くわす.ある男が彼の等身大の肖像画が飾ってある前で当人と話をしていることがある.我々はどちらが本物なのかと思うのである.絵の男か、話をしている男か、そしてどれかが偽物だという奇妙な確信をもつのである.

 我々は宴会に着座して、晩餐会の壁に密かな衝撃を何度も受ける.なぜ狩りの犠牲の絵が、魚や果物の精巧な彫刻が描かれているのか.なぜかつてともに食事し、亡くなったことを思い起こすような家紋の描かれた器が並んでいるのだろうか.

The simplicity of the tea-room and its freedom from vulgarity make it truly a sanctuary from the vexations of the outer world. There and there alone can one consecrate himself to undisturbed adoration of the beautiful. In the sixteen century the tea-room afforded a welcome respite from labour to the fierce warriors and statesman engaged in the unification and reconstruction of Japan. In the seventeenth century, after the strict formalism of the Tokugawa rule had been developed, it offered the only opportunity possible for the free communion of artistic spirits. Before a great work of art there was no distinction between daimyo, samurai, and commoner, Nowadays industrialism is making true refinement more difficult all the world over. Do we not need the tea-room more than ever?

 茶室の簡素さと粗野からの自由が外界の苛立たしさを解き放つ聖域なのである.そうして美の礼賛を煩わされずに身を捧げることを可能にするのである.十六世紀において茶室は歓待を提供し、荒くれ者の戦士と日本の再興と統合に従事する者が労働からの休息を提供する.十七世紀において、徳川の厳格な形式主義が確立してからの後、茶室は芸術的精神の自由な親交に対する唯一の機会をもたらした.

 偉大な芸術作品の前に大名、侍、そして領主に違いはなかった.今日、産業主義が世界中で真の風雅をより困難にしている.我々はこれまでないほど茶室が必要なときはないのではないか.

 いつもありがとうございます.

Goro
Goro

The chief editor and translator of Kamegoro Law Firm.

沈黙すること

green lawns on hills near river under cloudy sky
Photo by Yunus Tuğ on Pexels.com

語らないことについて、ファントム空間論について

 私は、ある小説の一部を引用することからこの小論を始めたい.画家夏雄は主人公の一人である.

…夏雄は、決して逞しい生れつきというのではなかったけれども、病弱な衰弱した血の表れのような生いたちでもなかった.…世間的な目からみれば、彼は、”幸福な王子”の種族であった.まことにのびのびと育ち、その育ち方に、精神分析医の嘴を容れられるような材料はどこにもなかった.

 しかし、どこかしら、兄弟のなかで彼一人ちがっていたのである.両親はその微妙な較差の性質がつかめなかったので、永いこと恐怖に似た感情で彼を見まもった.それにしても夏雄はまことに心のやさしい息子で、その上末っ子で両親にも兄や姉にもこよなく愛され、自分がどこかちがっているかを自分自身にも感づかせないように育てられた.こうして当然のことながら、一人の自覚のない芸術家が誕生した.これは病気のうちでもっとも警戒すべき、自覚症状のない病気に似たものだった.

 山形家のような一族、まったく市民的な家庭から、どうして芸術家が一人忽然として生れて来たかは、解きがたい謎であった.あたりの物象に何ら注意を払わず、ひたすら社会と人間との関係に生き、そう生きることに何ら疑いを抱かずにいる人々の間に、ただ眺め、感じ、描くために生れついたような人物が出てくるとは!これは事実、親戚一同の尽きせぬ話題になったが、結局は才能という便利な一言で片付けられた.

(彼の作品「落日」が新聞社賞を受け、彼は世間的に有名になるが)

…その大人しく人を傷つけることを好まない典雅な性質は、あいかわらず誰からも愛され、彼が疲れて席を外そうと思う時は、持ち前の幾分憂鬱な子供っぽい微笑を人に示せばよかった.自分の名声と彼はほとんど没交渉に暮していた.人間社会に対して疎遠な、それでいてこれといった冷たさのない、いわば微笑を含んだ離隔をつねに持してきた夏雄は、何も新しい事態に処して態度を新たにする必要がなかった.すべてが自分の上に起った事件だという実感が少しもない.彼の人生には「何かが起る」ということはありえない.夏雄の目は依然として、自分の好きなもの、美しいと思うものをしか見ない.そのほかのものは目に入らないのである.

 しかしある時、彼が戸外でスケッチをしていると、一見して美術大学の学生だということがわかる四、五人の若い男女が背後を通り過ぎる.

…不自然な無言のまま、一人が口笛を吹き、夏雄の背後に全部の靴音がやや遠ざかったように思われたとき、夏雄は女の囁き声が、山気の透明のせいか、いやにはっきりと耳立つのをきいた.

「あれ、たしか山形夏雄だわ.売り出したと思って、いい気なもんね」

 夏雄はわが耳を疑った.この種の言葉を人の口からきいたことがなかったのである.

 自分が傷つくよりも先に、彼を驚かせたことは、何一つ悪いことをしないのに、自分の些細な名声が世間のどこかであの若者たちを傷つけていたという発見である.この若者たちに、自分が確実に愛されていないという思いは、大げさにいえば一種の失寵のように彼の心に響いた.「ある人は僕を愛さない!」…この驚くべき事実.それでいて、彼を本当に驚かしたのはこの事実そのものではなかった.そんなことは以前から百も承知であった筈なのに、百も承知であった筈のものに、これだけ驚かされたということが、彼を二重に驚かした.あの娘の、山気をよぎってひびいたほんの一言の生温かい声のために、彼と外界との構図は潰え、遠近法は崩れてしまった.

三島由紀夫、「鏡子の家」、新潮社、1959年

 ここからさらに彼は「風景から拒まれている」のを感じ「色彩ばかり押し寄せる夢」を見る.やがて、富士の樹海が眼前で「消えてゆき」、世界が「妙にけばけばしい象徴的構図をもった」混乱に陥るに至る.

 皆さんはどのような感想を抱くだろうか.私は三島をあまり読んだことが無いのだが、これは迫真の描写であり、よくもまぁ見事に書いたものだなといった感想をもった.

 こうした描写は、現代でいう統合失調症の発病過程を見ているような気持ちになる.同じ業界にいる多くの人々はこの文章を読んで、夏雄を注意深く観察しようと思うだろう.このような体験は「分裂病のはじまり」*という二十世紀初頭の精神科医クラウス・コンラート(Klaus Conrad)の著書における「トレマ期」という「なんとなく不気味な感じ」(妄想気分)から「富士の樹海が消えてゆく」世界没落体験、「アポフェニー期」という経過が相当しそうである.とはいっても疾患が明示されているわけでもないのでこれ以上の言及は無粋である.それにこれはフィクションである.

*分裂病という呼称は現在では用いないが、中井久夫による訳本は上記であるため、あえて採用している.精神医学的な諸問題において筆者は多くの人と同じアンチスティグマの立場であることを断っておく.

見出しの「ファントム空間論」はれっきとした統合失調症の仮説である.日本の精神科医である安永浩によって提唱された.とはいっても薬物治療が主体の現代では生物学的理解が進み、こうした病理学的理論は下火であるが、(たぶん)根強いファンは少なくない(はず).時折、精神病理学の学術誌において「ファントム空間論」の引用を見ることがある.決してオカルトではないし、とんでも空想科学でもない.先程の三島由紀夫の引用は、安永浩自身が引用したものを私が借用したに過ぎない.

 では「ファントム空間論」とはなにか.説明することは極めて難しい.難しいゆえに長期連載しようと思っていたし、自分自身の理解のために文章化したいと思っていた.

 しかしながら、この小論を書くにあたって、まずは統合失調症を説明しなければ、と思った.ではどのように説明したものか、と考えた.ならば、誰にむけて説明をするべきなのか、という疑問が浮かぶ.読者.それはそうだが、顔の見えない読者は様々で、どこまでの射程を想像すべきかはかなり難しいことになる.

 そして何よりも一体、私にどれだけこの疾患群を語る資格があるのだろうかという疑問である.世の中にはわかってないくせにわかったふりをして威張っている人が多い.そういう人に限ってやたらと声がでかくてうるさい.私はそうはなりたくないし、いざ語ろうと思うと(足がすくむというより)口から言葉が出ない.私の意見では無いが、例えとして「言語の危機」、「父性喪失」といったものが聞かれることもある.これらは様々な立場から出てきた業界用語である.これを一般に運用することはかなり危険である.ましてや、私がこの重要な疾患群を無責任に語ることは大変な問題である.

 言葉の持つ力は凄まじい.それだからこそ、その暴力性をもっとも蒙るのが統合失調症である.言語は自己を内面から転覆させてしまう.それは自己形成の危機である.よって「読者のために」「自分のために」というナルシスティックな動機で疾患を語る、ということは、治療者の立場であるはずの自分が最も加害する側に加担してしまうという恐ろしい事態でもある.亀吾郎法律事務所は誰にとっても安らぎの場所であるのに、そうなっては本末顛倒だ.法律事務所スタッフ一同、徹夜で協議した.

 協議の結果、私はひとまず勇退することにしようと思う.最近の私の考えは「語り得ないものについては沈黙すべき」である.この考えは自分の本来の性質を反映したものでもあるし、最近読んだばかりの「記憶/物語」に鼓吹されたことも大きい.だから、「この疾患は斯々然々で……」という説明を辞めにして、三島が「鏡子の家」で病態を語らずして圧倒的に描写したように、私吾郎も語らずして語ることを目指してみようと思う.

 では如何にして語るか.大それた方法論はないから、これまで通り、翻訳や評論、文学作品を下敷きにして私見を加えていく形で私なりの分有可能性を模索したい.私が恐れをなした、というよりは患者さんへの敬意と疾患への畏敬の念と捉えていただきたい次第である.

吾郎
吾郎

亀吾郎法律事務所の所長です.事務所のほとんどの記事を書いております.最近甲長が19.9cmになりました.

「記憶/物語」を読んで 8

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偽りのプロット

 皆さんはHeinrich von Kleist(ハインリヒ・フォン・クライスト)という劇作家をご存知だろうか.私は知らなかった.十八世紀から十九世紀の人物である.「記憶/物語」の著者、岡真理は彼の小説「Das Erbeben in Chili」(チリの地震)を例に、出来事が人を領有するということについて理解を試みる.どうやら小説は1647年のチリで起きた地震を題材にしているようだが、あまりイメージが湧かないかもしれない.だが彼女はしっかりあらすじを紹介してくれる.我々は喜んで便乗しよう.先に述べておくと、筆者は1923年の日本の出来事を強く念頭に置いている.

 一組の恋人がいる.父親に二人は引き離され、女性は僧院へ入る.ある日男は恋人を追って僧院の庭で一夜の逢瀬を過ごす.女性は懐妊し、キリスト教の式典の最中に出産.僧院法を犯した罪を咎められ、死刑宣告される.男も投獄される.処刑の当日、大地震が起こる.街は大混乱に陥り、恋人たちは赤子ともに脱出、二人は奇跡的再会を喜ぶ.別の日、被災した男性が二人の元に援助を請う.快諾した恋人の好意に感動した男性は、自分の家族の元で食事をしようと誘う.

 余震がおさまり、周囲が落ち着いてきた頃、教会でミサが行われることになった.彼らもミサに出かける.神への感謝で始まる長老の説教は街の道徳的頽廃に代わり、とある男女の逢瀬を非難する.もちろん例の二人だ.不穏な空気のもと、群衆は偶然にもその恋人と赤子を認め、罪人であると糾弾する.恋人たちは民衆の私刑によって容赦なく殺されてしまう.赤ん坊も.唯一生き残ったのは恋人から好意を受けた男性だけであった.

 この作品は悲劇だ.単なる悲劇的作品ではなく、一瞬の暴力性が地震という<出来事>から人間へ転移する様を描写している.未曾有の大災害が人々にもたらした原因を恋人たちに転嫁する.僧院の庭でいちゃついた行為が涜神的だとして、神の怒りに触れたのだと.まぁ理不尽である.地震という人間にはとても手に負えないものを、人は神を冒涜した罰であるという物語に置き換えることによって、飼いならそうとする.以前の表現ならば、馴致である.現在は領有という語でも良いだろう.これに気づくのに随分時間がかかった.

 私達は抗えることのない出来事の暴力性に対して徹底的に無力だ.出来事に対して私達は主体性を否定された、という考え方に基づけば先の大衆の暴力は、その失われた主権を回復するために、主体性を否定された出来事の暴力性を忘却するために、暴力が人間に取り憑くものであった.その現象を憑依、転移という言葉で彼女は用いる.

 「チリの地震」は小説というフィクションである.かといって単なる虚構でないことは、我々は知っているはずだ.我々は幾多のメディアにおいて類例を見る.1999年に発売されたテレビゲーム「ペルソナ2罪」、2000年発売の「ペルソナ2罰」は、根も葉もないが現実になってしまう不可思議な現象が作品の根幹となっている.作品の背景は当時の日本の抱える社会問題と無縁でないという考察を見たが、そもそも「噂は最古のメディア」である.おそらく、普遍的な現象を現代に落とし込んだのだろう.噂が現実になる、ということはあながち不可思議ではない.

 さて、1923年に日本に起きた関東大震災を記憶している人はどれだけいるだろうか.2020年現在、ほとんどいないのでは無いか.関東大震災の混乱において、朝鮮人が凶悪犯罪・暴動を画策しているという流言のために、多くの朝鮮人ないし誤認された中国人、日本人が虐殺されたことを.

 2011年の東日本大震災でもデマは繰り返されたのでないだろうか.「拡散希望」というSNSでの大衆の意思によって猛スピードで広がった根も葉もない噂は、抗えない出来事の暴力性に対する私達の転移現象だろう.出来事に偽りのプロットを与えること、それは私達が出来事を物語として完結させ、別の物語を生きるため、出来事の暴力を忘れるためだ、と彼女はいう.

 私達に残されたものは記憶の痕跡、出来事の痕跡のみである.出来事がそれ自身の記憶を語った痕跡、それは「女の歓びを知らない」という証言であれば、「Adieu」でもあり、(Tel al Zaatar(مذبحة تل الزعتر))でもある.出来事をどのようにして分有するかは、私達がその痕跡を現在の物語として如何に呼び戻すかに賭けられている.


難民的生

silhouette of man during nighttime
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Que veut dire témoigner? Non pas se faire pur spectateur, mais vivre avec; non pas contempler, mais partager; non pas se tenir en haut. où l’histoire se décide, mais être en bas où elle se subit. En bas, au plus bas, où le mot disponibilité cesse d’être un verbiage, pour devenir l’acte même d’exister.

En bas, au plus bas, il y eut Genet……

René Schérer, 

Zeus Hospitalier; Éloge de l’hospitalité

 証言するとは何をいうのか.純粋な傍観者となることではない.それは、共に生きることだ.観察するのではなく、分かち合うことだ.歴史が決定される高みに立つのではなく、歴史が耐えられている低さに身をおくこと.低く、どこまでも低く、受容性という言葉がもはや駄弁ではなく、現に生きる行為そのものになるような、そういう低さに身をおくこと.

 低く、どこまでも低いところ.そこにジュネがいる……

(ルネ・シェレール『歓待のユートピア』)

 突然の引用で恐縮だが、上記の仏文と和文は、「記憶/物語」の冒頭と終盤に挟まれている.René Schérer(ルネ・シェレール)とはフランスの哲学者である(これまた私は知らなかった).彼の文中のジュネという人物は、岡が出来事の痕跡を説明するために触れる作品「Quatre heures à Chatila(シャティーラの四時間)」の著者Jean Genet(ジャン・ジュネ)であり、彼は、1982年に西ベイルートの難民キャンプでおきたパレスチナ人虐殺事件後に現場に踏み入れた体験(ルポタージュ)を記したことで知られるようだ.詩人、エッセイスト、政治活動家としても有名である.

 彼の著述は一般的な報道の文章とはかなり異なり、詩的で幻惑的でもある.岡は「シャティーラの四時間」にジュネが語る言葉のどの一つにも、ジュネの署名が書き込まれている、という.署名とはなんぞや.少し考えてみよう.彼は取材中基本的に独りであったようだ.一人、凄惨な現場では生きた人の声はしない.しかし文中には非人称の声がこだまする.死者を目の前に彼は「ご覧なさい」という他者の声を聞く.幻聴なのか.そうではない.詩的に言えば、それは死者の声である.やっぱり幻聴じゃないか、という人に向けて言えば、ジャン・ジュネ自身の、彼の意識の声でもある.その声はしきりに「御覧なさい」と現場を見るように促す.そして彼はよく捉えようと目を凝らす.だが、「御覧なさい」という声は続くのだ.

 私達はすべてを見ているのではなく、何もみていないという背理をその声によって理解する.彼の署名は彼の独自性あるテクスト、とでも言えばよいのか.

 我々は出来事に対する証言者の徹底的無能さを見る.さらにジャン・ジュネの徹底的受動性をも示す.出来事の記憶を分有するということは、この他者の声にその無能さと受動性において応答するものにほかならないと、彼女は章を結ぶ.そして最後にルネ・シェレールを持ち出す.もう一度見てみよう.

 証言するとは何をいうのか.純粋な傍観者となることではない.それは、共に生きることだ.観察するのではなく、分かち合うことだ.歴史が決定される高みに立つのではなく、歴史が耐えられている低さに身をおくこと.低く、どこまでも低く、受容性という言葉がもはや駄弁ではなく、現に生きる行為そのものになるような、そういう低さに身をおくこと.

 低く、どこまでも低いところ.そこにジュネがいる……

 低さ、というのは受動性の類語のように私は受け取る.受動性の極みという点でジャン・ジュネは評価されているように思う.どこか機会を作って彼の著作を読んでみたい.何か今まで見えていなかったものが見えてくるかもしれない.

 つまるところ、私達が出来事の記憶を分かち合うためには、私達は、能動的にではなく、受動的に、そして我々がどうしようもなく無力なのだと自覚することが不可欠なのだ、ということか.

 最終章は「出来事を生きる」である.最後は筆者が、Routie Joskowicz(ジョスコヴィッツ)氏と雑誌の特集のため対談した話をする.このやり取りにおいて筆者は、氏が以下のような経歴の人物であることを紹介する.彼女はユダヤ系ポーランド人を両親に持ち、イスラエルで出生、家族でフランスに渡り同国籍を取得、再び19歳の時にイスラエルに戻る.そこで日本人男性と知り合い、結婚を機に日本へ移住.仏国籍を離脱した上で日本国籍を申請するが、法務省に却下され、一時無国籍状態となる.

 その対談の中で筆者は彼女に「祖国はどこ」と尋ねた時の、彼女の深い沈黙を振り返る.目に涙を浮かべ、沈黙をようやく破りぼそりと「ポーランドかな」とつぶやく、という印象的な出来事は、後に編集された紙面には記されていない瞬間であった.筆者は動揺する.「イスラエル」でも「フランス」でもなく「ポーランド」だとは思わなかったと述べる.自分がした質問が彼女にとってどのような意味を持つのか、見てはみけないものを見た気持ちがして、後退りをしたようである.ここからの描写は、これまでの「記憶/物語」のすべてが総括されたかのように、疾風怒濤の勢いで彼女の脳裏を、<出来事>の記憶についての思考が駆け巡る.今までの著述は、この対談の時に筆者が想起したことを彼女自身が理解したいが為に包括されたように思われる.だから彼女の思考は、各章を読み進めてきた我々にとって、難しいものではないと思う.

 筆者はだいぶ狼狽し、その後の面接もどうやらぎこちないものであったと述懐する.それ故に筆者にとって、その対談の時間はジョスコヴィッツ氏の<出来事>を筆者と分有するものであったように思われる.分有とは書かれていないのだが.

 ジョスコヴィッツ氏は「祖国」を失っている.ということは、「祖国」を失った人を「難民」と呼ぶのなら彼女も「難民」なのだ、と筆者はまとめる.フランス語が母語であろうと、ユダヤ人を迎え入れる国があろうと.

 筆者は締めくくりを以下のように行う.

 「難民」とは<出来事>をナショナルな歴史/物語として、決して領有しない者たちのことである.人が出来事を領有するのではなく、出来事が人を領有する.そうした出来事を生きる人々のことでもある.物語としてではなく、出来事として分有するのは、難民たち、難民的生を生きる者たちだけだ.出来事の記憶の分有可能性は私達が「難民」に生成すること、難民的生を生きることのなかにある、と.

 難民的生を生きる.彼女らしい表現である.私達はようやく答えらしいものにたどり着いた.私は安堵している.ただし難民という言葉は私にとってあまり馴染みがない.難民というのは辞書を引くと、次の通りだ.

 一、天災・戦禍などによって生活が困窮し、住んでいた土地を離れ安全な場所へ逃れてきた人々

 二、人種・宗教・政治的意見などを理由に迫害を受けるおそれがあるために国を出た人.亡命者.

 三、転じて、何かから溢れてしまった人々を俗にいう語.

 なるほど、もう一度辞書的な意味を確認すると彼女の考えはより一層わかりやすく浮かび上がる.私はこの小論の最初に立ち帰ることにしよう.

 書籍を読み進めていくうちに、極めて専門性の高い人物による、多数の文献と賛否両論の先行研究に基づいて記された著書に対して、(当然かもしれないが)真っ向と対立し、ときに辛辣な意見を述べる有形無形の存在が一定数いることに気づく.それは大きな声であり、決して無視できない勢力である.もちろん耳を傾けるべきではある.こうした声は南京大虐殺、従軍慰安婦といった負の<出来事>に関してもこだまする.そのようなことはなかったのだ、それは各々の任意で行われたのだ、もはや過ぎたことなのだ、と.歴史修正主義、記憶の風化、過去の清算.様々な用語が脳裏をよぎる.私達は「歴史」という一本の線を歩んできたと思えば、振り返ると二本、三本と沢山の線の軌跡があるように見える.一体私達はどの線を歩いてきたのだろうか、さきほどまで信憑していたはずの「物語」が疑わしくなってきてしまいそうになる.自尊心を煽り、過去から現在の自国の尊厳を保とうとする声、たどってきた線の正当性を高らかに述べる声が鳴り響く.それらはときに聞き心地が良く、魅惑的でもある.私は妖精の声に釣られて森林を逍遥する旅人か、セイレーンの声に誘われて航海する彷徨える船乗りか.

 急転直下の如く、突如何もかもがわからなくなってくる事態に陥った.私は歴史や物語、伝承を一体どのように理解したら良いのか.<出来事>を生きた証人の高齢化と減少、世代を経て薄れてゆく記憶、それに伴い枝分かれする物語.なぜ<出来事>が起きたのかを理解するには、物語の伝承を語り手の意思に忠実に行う方法についても考えなければならなくなる.忠実に行う方法があればの話だが.

 私なりの解答は以下である.小論のまとめでもある.

 前提として、出来事という現象を我々は言語によって完全に再構成することはできない.よって私たちが出来事を語る、という命題は文法上成立しても、現実には不可能である.その試みは幾度となく行われているが、それは私達が、出来事がもたらす理不尽な暴力性の前には圧倒的に無力であり、本質的にそれを否認する方向へと、偽りのプロットを適用することであるから、決して分有することはできない.私達は共約可能な普遍的感覚を持ち合わせているのだ.しかし時にそれはリアリズムの欲望や、ナショナルな欲望と融合し、かえって不条理な暴力性を欺瞞のうちに生起し続けてしまう危うさを孕んでいる.そこで私達は出来事とそれを語る言葉との間にある深い断絶を見るべきである.果てしなく乖離するその時間的空間的距離に私達は、暴力性の深淵を伺うことができる.その断絶に対して私達はひたすらに受動的かつ徹底的に観察を求められるが、その行為について我々は同時に無能であることを承知しなければならない.最後に、私達は難民という性格について想起し、彼らが現在も出来事を生きているという事実を知覚することによって初めて記憶の分有可能性が示される.

 一つ、著書を読み終えて気づけたことがある.それは、私が、とあるおばあさんの講演をこどもの時に聴くことができたのは紛れもなく幸運であった、ということだ.そしてそれを聴いて何もかもわかったかのようなフリをせずに、自分たちの状況と彼女の出来事の記憶との断絶を(当時はわからなかったものの)、実体を伴わない何かとして、ずっと違和感を持って考え続けてこれたことは私にとって、貴重な財産であった.

 私は、もうしばらくこの本の余韻に浸りたい.何度も何度も読み直して、十分吟味したつもりではあるが、まだ表層を削り取った程度の気持ちがするのだ.とはいえ、亀吾郎法律事務所にはやるべきことが山のようにある.ひとまず本書は書架にしまっておいて、次の依頼をこなすとしよう.

 これにて記憶/物語シリーズは完結です.ご愛読ありがとうございました.