Gitanjali: 1

 イエーツからタゴールへ.ラビンドラナート・タゴールの著作、ギタンジャリから、序文の一部を抜粋.以下はイエーツの寄稿した序文になります.翻訳は亀吾郎法律事務所のエース、吾郎が行います.米国、インド、日本で著作権が失効しています.私達は原著に敬意を持って翻訳します.

From W. B. Yeats to R. Tagore. An introduction of “Gitanjali” by Rabindranath Tagore, Yeats wrote the recommendation for the work. Goro, our chief editor of Kamegoro Law Firm hereby dares to translate his introduction with full respect.

The copyright of “Gitanjali” has expired in the United States, India, and Japan.

Introduction

I

A few days ago I said to a distinguished Bengali doctor of medicine, “I know no German, yet if a translation of a German poet had moved me, I would go to the British Museum and find books in English that would tell me something of his life, and of the history of his thought. But though these prose translations from Rabindranath Tagore have stirred my blood as nothing has for years, I shall not know anything of his life, and of the movements of thought that have made them possible, if some Indian traveller will not tell me.” 

It seemed to him natural that I should be moved, for he said, “I read Rabindranath every day, to read one line of his is to forget all the troubles of the world.” I said, “An Englishman living in London in the reign of Richard the Second had he been shown translations from Petrarch or from Dante, would have found no books to answer his questions, but would have questioned some Florentine banker or Lombard merchant as I question you. For all I know, so abundant and simple is this poetry, the new Renaissance has been born in your country and I shall never know of it except by hearsay.” 

He answered, “We have other poets, but none that are his equal; we call this the epoch of Rabindranath. No poet seems to me as famous in Europe as he is among us. He is as great in music as in poetry, and his songs are sung from the west of India into Burmah wherever Bengali is spoken. He was already famous at nineteen when he wrote his first novel; and plays, written when he was but little older, are still played in Calcutta. I so much admire the completeness of his life; when he was very young he wrote much of natural objects, he would sit all day in his garden; from his twenty-fifth year or so to his thirty-fifth perhaps, when he had a great sorrow, he wrote the most beautiful love poetry in our language”; and then he said with deep emotion, “words can never express what I owed at seventeen to his love poetry. After that his art grew deeper, it became religious and philosophical; all the aspirations of mankind are in his hymns. He is the first among our saints who has not refused to live, but has spoken out of Life itself, and that is why we give him our love.”

I may have changed his well-chosen words in my memory but not his thought. “A little while ago he was to read divine service in one of our churches—we of the Brahma Samaj use your word ‘church’ in English—it was the largest in Calcutta and not only was it crowded, people even standing in the windows, but the streets were all but impassable because of the people.”

 数日前、私は腕利きと評判のベンガル人の医師に次のように言った.「私はドイツ語を知らないのです.しかし、もしドイツの詩人の翻訳が私を感動させたとしたら、私は大英博物館に行き、その人の人生について、思想について教えてくれるような英語の本を探すと思います.しかし、ラビンドラナート・タゴールのこれら散文の翻訳は私をひどく興奮させた以外の何ものでもなかったのです.にも関わらず、もしインド人の旅人が私に教えてくれなかったらば、私は彼の人生について全く知らず、これら著作を可能にした思考の動きについても知らなかったのです」

 私が動揺するであろうことは彼にとって当然のようであった.「私はラビンドラナートの本を毎日読んでいますよ.彼の一文を読むことは世界の悩みをすべて忘れることですから」と彼は言ったからだ.私はこう言った.「リチャード二世の統治下における、ロンドン在住のとある英国人はダンテあるいはペトラルカ詩集の翻訳を見せられたのですが、彼は自分の疑問に対する答えを本に見いだせなかったのです.しかし私があなたに質問するように、フィレンツェの銀行家やロンバルディアの商人も問いかけをしたでしょう.私の知る限り、この詩歌が申し分なく、しかも簡素であるので、新たな文芸復興があなたの国で生まれたことを、私は噂なしに知ることはなかったのです」

 彼はこう答えた.「インドには他にも詩人がいますよ.しかし彼と同じのものはいませんね.ラビンドラナートの時代といってよいでしょう.彼が我々の中で有名なのと同じ様にヨーロッパで有名な詩人はいないように思いますがね.それに彼の歌はベンガル語が話される西インドからビルマで歌われているのですよ.彼は初めて小説を書いた十九歳のときに既に有名でした.劇も彼が少し歳をとってから書かれました.いまでもカルカッタで演じられています.私は彼の人生の完全性を大いに讃えているのです.彼がとても幼かったとき、自然にあるものをたくさん書いていましたね.庭に一日中いたものです.二十五歳から三十五歳でしょうか、彼が深い悲しみに包まれたとき、彼は私達の言葉で最も美しい愛の詩を書いたのです」そして彼は感慨深く、次のように述べた.「私が十七歳のときに彼の愛の詩に受けたものは、言葉にすることができません.彼の芸術が深みを増すほど、それはより敬虔でより哲学的になりました.彼の賛歌には人間の熱望すべてがあったのです.彼は、生きることを拒まぬ人々の中で最初の慈悲深い人でしたが、人生そのものについては語るのでしたよ.そしてそのことが彼に我々が愛を注ぐ理由なのです」

 私は彼の考えではなく、彼の記憶の中にある彼の吟味された言葉を変えたのだろう.「少し前、教会、つまり我々がブラフマーサマージ、あなた方の言葉の英語で教会というものの一つで、彼は神聖な奉仕について読むところでした.教会はカルカッタで最も混んでいるだけでなく最も大きいのですが、人々は窓辺に立ってさえいました.その人々のせいで道が通れなくなったのでした」

 序文の一部を試験的に投稿してみました.これからどんな話が始まるのでしょう.序文でワクワクするのは久しぶりです.

ありがとうございました.

英語学習についての個人的見解

楽しくやれたらいい

 自然科学において、最も根拠のある主張、すなわちエビデンスが高いものというのは、メタアナリシス研究に基づく結果だという.その下には無作為対照研究(Randomised Control Trial: RCT)がある.さらにさらに根拠の低い試験や研究があり、最も根拠のないものは、(実は)専門家の意見である.だから専門家の意見をあてにするな、とはいわないが、「自分で取捨選択せよ」ということになる.逆にメタアナリシスの結果で帰無仮説が棄却されたからといってその仮説が正しいわけではない.尤もらしいだけだ.こういった誤解は現代でも続いている.ちなみに私は自然科学の畑を出自に持つが、「尤もらしい」とかいう妙な曖昧さが好きでない.

 さて、私がこれから話すことは自然科学の領域ではない.そもそも自然科学と人文科学というのは境界不明瞭だからあまりそういう話をしても仕方がない.エジプトとリビアの間に南北の直線を引いたようなものだ.どちらかといえば人文科学の話をする.私は亀吾郎法律事務所の職員に過ぎず、英語の先生ではない.専門家でも無い.だから自然科学の序列に従えば、この話は最も信憑性がないことになってしまう.「自分から信頼度をさげるとはやはり愚か者め」とお思いの一部諸兄は、落ち着いていただきたい.この論理でいくとあらゆるYouTubeの投稿者が熱く持論を語る行為がすべて虚しくなってしまう.だがそうでは無いだろう.私は、個人的な経験を未来の他者と分有できるか、可能性に賭けてみたいだけだ.

私の話から

 私にとっての初の語学体験は、公文式の英語のときだったと記憶する.単なるCDプレーヤーから流れる英文を聞いて、適切な回答を記述するトレーニングを要請された.

 小学二年生か三年生だったか.「あぁ、今日も洒落臭えなぁ」と思って課題をこなしていたところ、全身を駆け巡る極彩色の電撃が一閃.次の英文を書いた.

The hill is high.

私は英文から並々ならぬ霊感を受けた.

「今、自分は文章を作ったぞ」

という猛烈な興奮.当時の自分にとっては第二文型などどうでもよかった.傍から見れば、「いつもぼーっとしている〇〇くんがなんだかニヤニヤしているな、大丈夫かな」くらいだ.しかし、私は独自に創造という営為を成し遂げた、ホモ・サピエンスを自称するに等しいくらいの感動と自負に満ちていた(後にホモ・サピエンスは撤回した).

 この感興は忘れがたい.私に「自分史」というものがあれば間違いなく、世紀の大事件だった.そこから私は狂ったようにCDプレーヤーを再生した.そして聞きすぎて幾つものプレーヤーを破壊した.

 中学一年生の頃にはちょうど、「生き残った魔法使いの少年」が大人気になりつつあるころだった.私は「賢者の石」を一晩で読み終えたが、生ビール中ジョッキ一つでは足りないおっさんのように物足りなかった.実に見事な翻訳だった.どうやら本国では次回作「秘密の部屋」が出ているらしい.私はウズウズした.

「そうか、原著を読めばよい」

 早速あの手この手で入手し、「Philosopher’s Stone」を読み始めた.一頁目から苦戦した.当時の自分には知らない語だらけだった.文法もよくわからない.一文、一文を辞書を引いて、引いて、引いて、引いて、引いて、引いて、引きまくった.辞書とは今でも良き友人だ.中学校では朝の十五分間に読書の時間があった.辞書と本を持ち込んで、辞書を引く作業を続けた.辞書を使い倒す習慣が始まったのはこの頃からだろう.現在辞書はほぼ電子化した.Macintoshのパソコンを使っている方は、「辞書」のアプリケーションをぜひ利用していただきたい.大変優れた名脇役だ.私がブログを書く時はこれが欠かせない.中国語、韓国語、ドイツ語、フランス語、スウェーデン語、ノルウェー語、イタリア語、ポルトガル語、アラビア語……類語辞典も一部あるのが良い.

 話を戻そう.第七巻の最終章にたどり着いたときは魂が震えたものだ.その時には大学生になっていたと思う.そこまで時間がかかったのは他にも本を読み始めたからだ.幼児のころに絵本で読んだ「ガリバー旅行記」がとてもとても面白く、原書で読んでみようか、と思い書店で買って読んだときの打ちのめされた感覚も忘れがたい.知っている方ならわかるが、初版が1726年だ.読めなくはないが、古めかしく知らない単語がこれまた並ぶ.私はスラスラ読んで、ガリバーとともにリリパット王国にたどり着き、彼が巨人として火事の宮殿に小便をかける場面を読みたいと思っていたのに、なかなかリリパットにたどり着かなかった.「ガリバー旅行記」は途中で諦めてしまった.受験勉強も差し迫ってきたという事情もあった.Johnathan Swift(ジョナサン・スウィフト)の作品に込めた真意を知るに私は青すぎた.

自分に合う参考書を選ぼう

 やはり、私にとって天啓であり革命とも言える出会いは原仙作の「英文標準問題精講」に尽きる.間違いなくRevelationでありRevolutionだった.今でもズタボロの雑巾のように大事に取っておいている.時々見返してはニヤニヤするし、英文を書く時の参考にする.ヘミングウェイ、ラッセル、エリオット、ウルフ、チャーチル、アインシュタイン、ニュートン、フィッツジェラルド、ミルン、オールビー、ミルトン.

 皆、私の心強い協力者である.故人だが.

 この本が私を受験勉強の苦しみから助けてくれたといっても良い.とはいえこの本は圧倒的に手強い.一般的な日本の大学入試のレベルを超えるだろう.だが、TOEICやTOEFLのひどくつまらない英文を読まされるよりは、はるかに気休めになる.「私が」文を読んでいる、という気にさせる.なんとか理解してみせようぞ、という気概をもたせてくれた.そして文の構造がつかめたときの心地よさといったら.当時の先達が「覚えるくらい何周もしろ」というので私も少なくとも三週はしたはずだ.一周目でつまづいた文章にまた出くわすと、まるで著者たちが「おかえり」と言っている気がしたものだ.

 私はTOEICのような共通試験のスコアで競り合うような議論は好きではない.私もTOEICやTOEFLは何度か受けたが、できればもう受けたくない.就職、入学の足がかりとして用意されるその試験は性質上、「ビジネス」に即した内容が多い.広告、新聞、メール、インタビューなどが題材になっている.どれも架空の内容で全体的に虚無感じるのは私だけか.「試験とはそういうもんだ、おとなしく口を閉じてろ、馬鹿者め」というお叱りがあるかもしれぬ.だがつまらない文をつまらないといって何が悪いのか.作成者の顔が見えない、というのがどうも気に入らない.「はいはい、委託されたのでとりあえず作っておきましたよ」というやっつけ感を感じてしまう.

 それに比べ、英文標準問題精講は、裏表紙に引用元の著者の写真が並んでいる(モノクロのせいか、遺影の様にも見えてしまう).誰某が書いている、とわかるのはとても良い.もちろん出典もある.だから後でさらに読みたくなった時に書店に行けば良いのだ.それに彼らが心血を注いだであろう、文章に見られる技巧、散文へのエネルギーが感じられる.それから編集者である原仙作・中原道喜の訳と解説に安定感がある.

 私にとって、名文や名著とそうでないものの違いを厳格に述べることは出来ない.だから上記の意見は誤解かもしれない.しかし、TOEICなどの勉強は問題の解き方を覚えるだけのような、手段が目的となってしまう危険に陥りやすいと思う.TOEICの先にある目的があれば、努力するに越したことはないだろう.楽しくやれたらいい.もし書き手の顔、意思を感じられるような時事の話題に触れたいのであれば、英字新聞をおすすめする.私は現在、Japan Timesの電子版を購読するようにしている.六ヶ月間の月額百円キャンペーンをやっている.よかったらどうぞ.もちろん利益相反はない.

文法について

 非専門家である私から、英文法について述べられることを挙げるとすれば、一つは、「文型」を意識して読むことだ.これはかなり重要な要素で、おろそかにしている人が多い.もう一つは「これは口語的だとか、文語だからあまり使わない方が良い」という意識を持ちすぎないことだと思う.この軛のせいで損をしている人は多いように思う.文語で書いて何が悪い.会話も文語を基礎にして何がいけないと言うのか.「表現が固いじゃん」固くて何がいけないのか.「もっとCasualな表現あるからそっちのほうがいいよ」という指摘は、表現の幅を自ら狭めているCasualtyに過ぎないと思う.それからまともな文法書を買うことが大切だ.私はロイヤル英文法を持っているが、単色刷りのシンプルな構成と大きな字、索引の充実は好感が持てる.一冊あれば一生使える.これで二度と買わなくて良いのだ.作文や文法について参考書を紹介するならば、さきほどの中原道喜や佐々木高政を挙げる.

聞くことについて

 聞こえた文章を書き取る訓練が最も良いように思う.これは筆記の練習にもなる.かつて私はディクテーションの鬼となったことがあった.「The Phantom of the Opera:オペラ座の怪人」という映像作品がある.小説や劇でも有名だ.Andrew Lloyd Webber という作曲家が映画に向けて書いた曲(どれも壮大だ)があり、私は当時、高校生の頃、自宅にオペラを響かせて歌詞を聞き取り、自作で歌詞カードを作ったことがあった.何百回か、延々とオペラが鳴り響いていたので頭がおかしくなりかけたが、語と語の連結を推測したり、発音と抑揚、文章の構造を考える上で良い訓練になった.オペラの歌詞を聞き取るだけで難易度が高いので、後々流行りのポップスやロック・ミュージックを聴いて歌詞を書き出しては、後日公開されている歌詞と照合する、という遊びをやっていた.高校生にしてはそこそこ狂っていた(やっぱりおかしくなっていたじゃないか!)方だが、自分は楽しんでいたと思う.この訓練は多言語でも応用が効く.今度はアラビア語でやってみようか.

話すことについて

 話すことは不肖あまり自信がない.発音と抑揚の付け方は幾分か指南できると思う.ただし私は非専門家だから、最も信頼におけない人材であることを断った上で話をする.発音に関して、海外で暮らしていないと発音が上手にならないのではないか、そう思っている人が多すぎて気の毒である.そんなことはない.小林克也という反例がいる.彼は大変きれいな英語を話すラジオDJで、彼は実に堂々と、崩れた英語を話す海外の連中と会話を成立させる.あっぱれである.彼の流暢さは抑揚の置き方にある.山下達郎もきれいな英語を話すと思う.Ride on Time〜

 また、RとLの違いにこだわりすぎる人が多い.聞き取れるに越したことはないが、初学者には酷だ.そういう人はイギリス英語を身に着けたら良いのではないか.Rの発音があまり気にならなくなる.それに子音をしっかり発音するので、文字と発音が一致して、きれいに聞こえる.私は中学生くらいに気づいてそうすることにした.かつてユース・ホステルの相部屋にいた英国人の青年と話をしたときに「君はいいイギリス英語を話すね」とお世辞を言われたのは良い思い出だった.あれは世辞だ.自慢話はこれくらいにしよう.

 先天的なバイリンガル、すなわち幼少期に外国に滞在したという、外国語のOSをインストールできた人々は外国語を話す時に脳内言語設定が切り替わるようだが、私はそうはいかない.だが、切り替わらなくたって良いじゃないか.言語体系の異なる我々が頑張って、別の言語を覚えようとしているのだ、文法がわかるだけでも素晴らしいと自信に思ったほうがいい.私だったら頭の中でおちおち英作文をする.ゆっくり丁寧に考えたら良い.

まとめ

 大した話はできなかったが、自分の主張は伝えられたのでこれでよしとする.結局は「学問に王道はなし」、ということになる.しかしながら原仙作によれば捷径はある.だから嘆かないでほしい.楽しく突き抜けるのがいいと思う.自分にとって親和性の良い題材を選ぶことが良いだろう.

 最後にミルトンの詩を紹介して締めよう.これは以前の亀吾郎語学教室でも引用した.語学を勉強する時はいつもこれを意識する.我々は地獄から這い出ようとする魔王サタンと同じだ.

Long is the way

And hard, that out of Hell leads up to Light.

Gates of adamant,

Barring us out, prohibit all ingress.

–John Milton, Paradise Lost

私の小論にお付き合いくださりありがとうございました.

بشرة حير/Boshret Kheir/Good Tiding

 こんにちは.久しぶりの三郎こと、さぶちゃんです.今日は楽しい楽しいアラブ・ポップをお届けします.歌手はエジプトの(多分)大御所、Hussain Al Jassmi | حسين الجسمي|フサイン・アルジャスミーです.さぶちゃんは、日本人からすると癖の強いアラブ・ポップスの中からリズミカルで耳に残る軽妙な楽曲を発掘しました!

 エジプト版「アジアの純真」に少し似ているかな.Billy Joelの「We didn’t start Fire」っぽいかも.いろんな地名が出てきます.全エジプトの友愛をよびかける曲なので、政治色があるのかな、と勘ぐる諸兄もいるかもしれませんが、「We are the World」みたいなもんでしょ.語頭や語尾で音韻を踏んでいて気持ちがいいです.

 物足りなくなってきた人がいれば、Remix版もYouTubeにあります!やったぜ.

 最期にさぶちゃんの和訳を載っけておきました.よかったらどうぞ.

VERSE 1

This is an easy task, and you can do it

To the world you will speak out

And take an oath to make it better

You have been quiet too long

VERSE 1

Di farkit k’aab wahatmilha

Qaṣad aldunya hatquliha

Wuḥad buqaa ‘ahad tadilha

Siktiti ktir

VERSE 1

دي فركة كعب وهتملها

قصاد الدنيا هتقولها

وخد بقى عهد تعد لها

سكتت كتير

What did Egypt gain from your silence

Do not belittle your voice

Tomorrow, you will write it under your own stipulation

This is a good tiding

Khadit ayh miṣru biskutak

Matustakhsrsh fiha Ṣotak

Bitaktab bikarih bishuruṭak

Di boshret kheir

خدت ايه مصو بسكوتك

ماتستخسرش فيها صوتك

بتكتب بكره بشروطك

دي بشرة خير

CHORUS

Go call out for the ‘Saīdi’,

and your nephew from ‘Port Saīd’,

and the youth from ‘Alexandria’

for this is a gathering of men

CHORUS

Qawm nadi ‘a alsa’aidi

Wabn akhuk alburas’aidi

Walshabab alaskandraniu

allamuh di limat rijal

CHORUS

قوم نادي ع الصعيدي

وابن اخوك البورسعيدي

والشباب الاسكندراني

المه دي لمة رخال

And I will come with those from ‘Sohag’ and ‘Qina’, ‘Sinai’

those from ‘Al Mahalla’ who are the best of best

and the beautiful ‘Nubians’

No need to double check on the people from Suez

Everything is now jumbled together

And the people from ‘Al Ismailiyyah’ who have been through alot

Talk to me about the people from ‘Sharqiyya’

and together we are stronger

and together we are stronger

And Our hope is high

Wana haji m’a alswhaji

Walmhlawy ally myah myah

Walnubh aljumal

Matuṣysh alsaw aysh

Aldnya hayiṣuh kdh kdh

Walahasma’alawyh yamana kaduu al’ada

Klmny’a alsharaquh

wakhna waya b’aḍaqwaa

wa’amlna kabir

وانا هاجي مع السوهاجي

والمحلاوي اللي ميه ميه

والنوبه الجمال

ماتوصيش السوايسه

الدنيا هايصه كده كده

والاسماعلاويه ياما كادوا العدا

كلمني ع الشراقوه

واحناويا بعض اقوى

وآملنا كبير

VERSE 2

This is an easy task, and you can do it

To the world you will speak out

And take an oath to make it better

You have been quiet too long

VERSE 2

Di farkit k’aab wahatmilha

Qaṣad aldunya hatquliha

Wuḥad buqaa ‘ahad tadilha

Siktiti ktir

VERSE 2

دي فركة كعب وهتملها

قصاد الدنيا هتقولها

وخد بقى عهد تعد لها

سكتت كتير

The people from ‘Beheira’, ‘Menoufiya’, or “Damietta’

Those people are closer to me than my friends

‘Halayb’ are all family and friends

go call out for them

Buhayri manawafi aw dimyatiun

Dual aqrbly min akhwati

Halayb ahl waqarayib

Nadiluhum rh

بحيري منو في أو دمياطي

دول اقربلي من اخواتي

حلايب أهل وقرايب

ناديلهم رح

And the thing that stands out most

Is for us to see our beloved ones from ‘Giza’

Oh greetings with a thousand paces

towards the people of ‘Maturuh!

*Back to CHORUS

Waiktara hajah fiha miaza

Nashuf habaybana fi alijiza

Ya murhab alf khuṭuh ‘aziza

Banas maṭuruh

*Back to CHORUS

واكتر حاجه فيها ميزة

نشوف حبايبنا في الجيزة

يا مر حب ألف خطوه عزيزة

بناس مطروح

*Back to CHORUS

簡単なことさ、君ならできる

世界に向けて 声に出せ

もっとうまくやるって誓うのさ

君はずいぶん静かだったじゃないか

それでエジプトが何を得たっていうのさ

小さな声ではだめだ

明日、君は契約を結ぶ

絆(بشرة حير)のことさ

「サイーディ」たちのために声を出そう

「ポート・サイード」にいる甥にもね

「アレクサンドリア」の若者も

これは人々の集いなんだ

僕は「ソハグ」と「キーナ」、「シナイ」のみんなと一緒に行くよ

「アル・マハラ」の奴らは最高さ

「ヌバ」の美しい人も一緒だよ

「スエズ」のみんなはひと目でわかる

ごったがえしてきたな

苦労人の「アル・イスマリーヤ」のみんな

僕に「シャルキーヤ」の人たちのことを聞かせてよ

みんなで強くなるんだ

みんなで強くなるんだ

志を高く持って

簡単なことさ、君ならできる

世界に向けて 声に出せ

もっとうまくやるって誓うのさ

君はずいぶん静かだったじゃないか

「ビハイラ」「メヌフィヤ」「ダミエッタ」のみんな

一番の仲良しかもね

「ハライブ」は僕らの家族で友人だ

声を出そう

大事なことは「ギザ」の最愛の人に会いに行くことだ

幾千の足取りが

「マトゥルフ」に向かって出迎えに行くようだ!

和訳:三郎

.شكر

The Book of Tea: 20

Acknowledgement

謝辞

訳者あとがき

 かねがね私は「訳者あとがき」というものを書きたいと思っていた.ついにその日が来るとは!私にとって初の長編翻訳の完成だ.訳者あとがき、と記すことができ、大変光栄に思う.すごく嬉しくて感慨深い.

 読者の方はどのように感じてくださっただろうか.拙い翻訳だと思われるのも無理はない.天心の英文が素晴らしいと感じてくださったなら、訳者冥利に尽きる.私の目的はほとんど成就したと言ってよいだろう.彼の「茶の本」は七章に分かれている.どれも彼の知識の奥深さを語り、日本文化が海外に正しく評価されていない怒りと、自国ですらも理解されていない嘆きを冷静に、しかし情熱的に語る.

 天心は若くして英文に親しんだ.Ernest Fenollosa(アーネスト・フェノロサ)と知り合い、助手として彼の美術品収集に助力したことはよく知られている.英語との親和性が高い彼の描く文学世界は、美しく格調高く、しめやかであると思う.特に最終章は圧巻である.利休の死を描く最期の茶会は私にとって、彼がやはり日本人なのだと強く思う特徴があった.

 利休が門弟を招いて、彼らが待合に入った瞬間.時制が現在に回帰するのだ.詳しくいえばAs they look into–からである.これまでの評論はもっぱら過去形で説明を行ってきたのだが、この利休の最期の描写は、弟子たちの悲しみと緊張感に溢れる空気感をリアルタイムで説明するものである.

 この時制に関する日本語の特性は、以前の記事で紹介した.せっかくのなので再度掲載しておこう.

 敢えて出来事を時制変化を用いずに表現することは、特に我が国の文学的物語(narrative)の特徴として、多いに知られているものである.日本語について述べれば、そもそも日本語の文法は現在、過去、未来を鋭く区別しない.

 心のうちに祈念して、目を見ひらいひたれば、風も少し吹よはり、扇も射よげにぞなったりける.与一鏑をとってつがひ、よっぴいてひやうどはなつ.

 上記は「平家物語」において、那須与一が沖の波間に揺れる小舟に差し出した扇を海岸から射落とす場面である.過ぎ去った出来事を語りながら、現在形の文を混入させて臨場感を作り出す技法ははるか以前から知られている.矢を放つ主人公の動作のみが現在形である.神仏への祈念と風の静まりから決定的行動へ移る描写の現在形は際立ち、その一瞬の光景を浮かび上がらせる.これは決して暴力的というわけにはいかないだろうが、一気に読み手、聞き手を引き込むという点で、強力な誘導である.強制力を持つわけである.

 一方、近代ヨーロッパ語の場合は、動詞の語尾変化や助動詞と動詞の併用により、出来事の過去・現在・未来を、文法的に明示する.その中でも厳格な文法から一定の緩みを見ることができる.以下の例文を示す.

Alors, une idée l’exaspéra. C’était une saleté que ces dames voulaient lui faire en se conduisant mal chez elle. Oh! Elle voyait clair! …

Émile Zola, Vuillaume, 1876

 その時、一つの考えが頭をよぎって彼女は激しく苛立った.このご婦人方は、彼女の家で無作法に振る舞って、嫌がらせをしたんだ.ああ、はっきりわかるわ.

Dora stopped listening because a dreadful thought had struck her. She ought to give up her seat. She rejected the thought, but it came back. There was no doubt about it. 

Iris Murdoch, The Bell, 1958

 ドーラは恐ろしい考えが急に頭に浮かんできて、会話に耳を傾けるのをやめた.私が席をゆずるのが当然だわ.ドーラはその考えを打ち消したが、再び考えは戻ってきた.譲らなければならない.

 上記はいずれも登場人物の意識にのぼった考えを描出した文である.仏文では自由間接話法(Discours Indirect Libre/Style Indirect Libre)とよび、英文では描出話法(Represented Speech)ともいう.こうした技法を意識の流れ手法(Stream of Consciousness Technique)と呼ぶようである.このような技法は伝達動詞の支配から自由になる話法であるが、時制は必ず間接話法と同様に照応を求められる.時制は自由にはならず、時制が日本語のように読者を現在へ引き込むのではない.読者・聴者の意識が、あたかも作中の登場人物の意識であるかのように、過去へ誘うのであろう.強い言い方をすれば過去へ引きずり込むのだろう.

「記憶/物語」を読んで 2

 寡聞にして私は、時制のゆるい英文表現をこれ以外に知らない.おそらくあるのだろうが、限定的なのだろうと思われる.岡倉天心が日本人であるからこそ、彼以外に為し得ない日英ハイブリッドとも言える文学的表現の醍醐味を私達は味わうことができる.少なくとも私はそのように理解し、心躍らせながら作品を読み、翻訳をした.もう一度是非ご覧いただこう.In art the Present is the eternal.という句が沁みる.

–On the day destined for his self-immolation, Rikiu invited his chief disciples to a last tea-ceremony. Mournfully at the appointed time the guests met at the portico. As they look into the garden path trees seem to shudder, and in the rustling of their leaves are heard the whispers of homeless ghosts. Like solemn sentinels before the gates of Hades stand the grey stone lanterns. A wave of rare incense is wafted from the tea-room; it is the summons which bids the guests to enter. One by one they advance and take their places. In the tokonoma hangs a kakenoma, –a wonderful writing by an ancient monk dealing with the evanescence of all earthly things. The singing kettle, as it boils over the brazier, sounds like some cicada pouring forth this woes to departing summer. Soon the host enters the rooms. Each in turn is served with tea, and each in turn silently drains his cup, the host last of all. According to established etiquette, the chief guest now asks permission to examine the tea-equipage. Rikiu places the various articles before them, with the kakemono. After all have expressed admiration of their beauty, Rikiu presents one of them to each of the assembled company as a souvenir. The bowl alone he keeps. ‘Never again shall this cup, polluted by the lips of misfortune, be used by man.” He speaks, and breaks the vessel into fragments.

The ceremony is over; the guest with difficulty restraining their tears, take their last farewell and leave the room. One one only, the nearest and dearest, is requested to remain and the end. Rikiu then removes his tea-gown and carefully folds it upon the mat, thereby disclosing the immaculate white death robe which it had hitherto concealed. Tenderly he gazes on the shining blade of the fatal dagger, and in exquisite verse thus addresses it:

 すべて時制は現在形なのだ.天心はおそらく、このことを意図して書いたのではないか.だとすれば天心は大変な才覚を忍ばせている.ずるいというか恨めしいというか.利休の門弟が入室した瞬間に、時制が現在に回帰するのだ.私達は、利休とその門弟との最期の茶会に参席しているような臨場感に包まれる.ぐいと一気に引き込まれる.そして利休が自刃する瞬間までもが、現在にある.そう、自刃し、辞世の句を読むまでは.

“Welcome to thee,

O sword of eternity!

Through Buddha

And through Dharma alike

Thou hast cleft thy way.”

With a smile upon his face Rikiu passed forth into the unknown.

 利休の絶唱は原文では以下のものとなる.

人生七十 力囲希咄 吾這宝剣 祖仏共殺提る我得具足の一太刀 今此時ぞ天に抛

「力囲希咄」(りきいきとつ)とは「腸をしぼって思わず発する一喝、一声」を言う.唐木順三をして「㘞地一声の怒電」というようである.静かな諦念とは相容れない激しい気負いなのだという.

「㘞地一声の怒電はまさに対立の頂点であったが故に、その故を以て対立を超える」

 これはヘーゲルの弁証法的な考えに通ずる命題である.

 あまりイメージがつかない人は、武論尊による「北斗の拳」が大いに参考になるだろう.ケンシロウに経絡秘孔を突かれ敗北する人々は「あべし」、「ひでぶ」といった声をあげて死亡する.これこそ力囲希咄、㘞地一声の怒電であろう.形容しがたい声とでもいうのか.断末魔の叫びともいえる.この声を以て人は死を、諦念を超越しようとする.

 だが、天心の英文にはその「力囲希咄」に相応するものがない.なぜか.様々な訳者のあとがきにもその考察がある.決して、天心にとって利休の死は弁証法的な対立がテーマではなかった.止揚することが本意ではない.利休が彼岸へ渡ることで、

Harmony with the great rhythm of the universe

となることが重要なのであったという.私も強く同調する.天心にとって死の超克などどうでもよかった.従容として死を受け入れ、永遠の世界へ潔く旅立つことを良しとした.それが日本人の、日本文化の真髄なのだと.これは手塚治虫による「火の鳥」が理解の参考になる.登場人物は皆生への希求が甚だしく、死を恐れる.しかし、火の鳥は死を恐れず、一つの超生命体ともいうべき「コスモゾーン」への融合を受け入れるよう優しくも厳しく諭す.おそらく、天心の思い描く世界はこの「コスモゾーン」への融合、死との融和であった.幸いにして、この思想は引き継がれた.

 しかし、不幸にして天心は敗北した.西洋文明の怒涛のロジックに負けた.もちろん、我々も負けた.死をいたずらに美化する我が国の虚飾が作られた.圧倒的な敗北だ.作品には天心の諦観が、ペシミズムが浮かばれる.そして、我々の中に、私のようなものが天心の心情に投影を果たす.だから、天心の労苦は無駄ではない.天心は負けたが、彼の理念は生き続けている.この作品も宇宙の偉大な調律に調和し、世界中で愛され続けているのだ.私もこの調律に調和すべく、拙い翻訳を行ったわけである.翻訳の質としては敗北だが、これはこれでよい.こうして皆さんにお届けできたのだから.

本当にありがとうございました.

The Book of Tea: 19

Chapter VII

TEA-MASTERS

IN religion the Future is behind us. In art the Present is the eternal. The tea-masters held that real appreciation of art is only possible to those who make of it a living influence. Thus they sought to regulate their daily life by the highest standard of refinement which obtained in the tea-room. In all circumstances serenity of mind should be maintained, and conversation should be so conducted as never to mar the harmony of the surroundings. The cut and colour of the dress, the poise of the body, and the manner of waking could all be made expressions of artistic personality. These were matters not to be lightly ignored, for until one has made himself beautiful he has no right to approach beauty. Thus the tea-master strove to be something more than  the artist, —art itself. It was the Zen of aestheticism. Perfection is everywhere if we only choose to recognise it. Rikiu loved to quote an old poem which says: “to those long only for flowers, fain would I show the full-blown spring which abides in the toiling buds of snow covered hills.”

 宗教において「未来」は我々の後ろにある.芸術において「現在」とは永劫である.芸術の真の理解は生ける感化を作り出すことができるものにのみ行われる.こうして彼らは茶室で得られる最上級の風雅により日常の生活の調整をはかるのである.あらゆる状況下で精神の静穏は保たれるべきであり、周囲の調和を決して乱さぬように会話は行われるべきである.整髪と正装の色、体の姿勢、歩容は芸術的人格の表現でなされる.これらのことは軽んじられるべきではない.というのは、自身が美しくあろうとしない限り美に近づく権利はないからである.こうして茶の宗匠は芸術家よりも、芸術そのものよりも、それ以上のものになろうとするのである.それは審美主義の禅であった.完全性を認識しようとすることだけで、それはどこにでもあるのだ.利休は古い詩を引用することを好んだ.それは次のようなものである.

「花を待ち望むものに、なんとか地中から出そうとあがく、雪に覆われた芽にひそむ満開の姿を見せたいものだ」

花をのみ 待つらん人に 山里の 雪間の草の 春を見せばや

Manifold indeed have been the contributions of the tea-masters to art. They completely revolutionised the classical architecture and interior decorations, and established the new style which we have described in the chapter of the tea-room, a style to whose influence even the palaces and monasteries built after the sixteenth century have all been subject. The many-sided Kobori-Enshiu has left notable examples of his genius in the Imperial villa of Katsura, the castles of Nagoya and Nijo, and the monastery of Kohoan. All the celebrated gardens of Japan were laid out by the tea-masters. Our pottery would probably never have attained its high quality of excellence if the tea masters had not lent to it their inspiration, the manufacture of the utensils used in the tea-ceremony calling forth the utmost expenditure of ingenuity on the part of our ceramist. The Seven Kilns of Enshiu are well known to all students of Japanese pottery. Many of our textile fabrics bear the names of tea-masters who conceived their colour or design. It is impossible, indeed, to find any department of art in which the tea-masters have not left marks of their genius. In painting and lacquer it seems almost superfluous to mention the immense service they have rendered. One of the greatest schools of painting owes its origin to the tea-master Honnami-Koyetsu, famed also as a lacquer artist and potter. Beside his works, the splendid creation of his grandson, Koho, and of his grandnephews, Korin and Kenzan, almost fall into the shade. The whole Korin school, as it is generally designated, is an expression of Teasim. In the broad lines of this school we seem to find the vitality of nature herself. 

 なるほど茶の宗匠の芸術への貢献は多方面にわたっている.彼らは古典建築と内装装飾に完璧に革命をもたらし、茶室の章において述べた新しい様式を確立したのであり、十六世紀の後、寺院や宮殿さえをも感化した様式が皆主体となったのである.多彩な才能をもつ小堀遠州はその才能を桂離宮、名古屋城や二条城、そして孤篷庵の寺院において目覚ましい例を残した.日本の名高い庭園はすべて茶の宗匠によって設計されたものである.もし茶人がその霊感を貸すことがなかったならば、我が国の陶器は高品質の優越を獲得することはなかったであろう.茶会で用いられる道具の工芸は我が国の陶芸家の創意工夫の類まれな努力を要する.遠州の七窯は日本の陶芸を学ぶものにとって知られている.我が国の織物にはその色彩や意匠を考案した茶人の名を冠している.事実、茶人がその才覚を残さずにおかなかった分野を探すことはできない.絵画と彫刻において彼らが貢献した膨大な奉仕について言及するのはほとんど無駄であるように思われる.

 茶人である本阿弥光悦に起源を持つ絵画の偉大な流派の一つは、蒔絵、陶芸でも名を馳せている.彼の作品に加え、彼の孫である、光甫や甥の子供である光琳や乾山の素晴らしい創作は陰りを帯びてしまうほどである.光琳派、総じて名付けられるのは、茶道の表現と言われる.この流派の太い線において我々は自然そのものの生命力を見出す.

Great as has been the influence of the tea-masters in the field of art, it is as nothing compared to that which they have exerted on the conduct of life. Not only which they have exerted on the conduct of life. Not only in the usages of polite society, but also in the arrangement of all our domestic details, do we feel the presence of the tea-masters. Many of our delicate dishes, as well as our way of serving food, are their inventions. They have taught us to dress only in garments of sober colours. They have instructed us in the proper spirit in which to approach flowers. They have given emphasis to our natural love of simplicity, and shown us the beauty of humility. In fact, through their teachings tea has entered the life of the people.

  芸術の分野に茶人が及ぼした影響は大きいが、人生の執り成しに重きをおくことと比べるほどではない.彼らは人生の執り成しにのみ重きをおいたわけではない.上流社会の用法においてだけでなく、あらゆる我ら自国の家庭の整理においても、重きをおいており、我々は茶人の存在を感じるのである.我が国の繊細な料理の多くは、食材を提供する方法と同じように、彼らの発明である.彼らは地味な衣服を着るよう説いた.花に歩み寄るときの正しい心構えを教えてくれた.簡素さに対する自然な愛を強調し、人情の美しさを示した.事実、彼らの教えを通して茶は人々の生活に入っていったのだ.

Those of us who know not the secret of properly regulating our own existence on this tumultuous sea of foolish troubles which we call life are constantly in a state of misery while vainly trying to appear happy and contented. We stagger in the attempt to keep our moral equilibrium, and see forerunners of the tempest in every cloud that floats on the horizon. Yet there is joy and beauty in the roll of the billows as they sweep outward toward eternity. Why not enter into their spirit, or, like Liehtse, ride upon the hurricane itself?

 我々が人生と呼ぶ愚かな障碍という怒涛の海に浮かぶ自分の存在を正しく律する秘訣を知らぬものは、幸せかつ満足しているように甲斐なくあがく惨めな状態に絶えずある.我々は千鳥足で倫理的平衡を保とうとし、地平線に浮かぶ嵐の先駆けを見る.しかし喜びと美しさは永遠へ志向する外へ吹き抜けるように、うねりの中にある.その魂の中になぜ入ろうとしないのか、列氏のように旋風に乗ろうとしないのか.

He only who has lived with the beautiful can die beautifully. The last moments of the great tea-masters were as full of exquisite refinement as had been their lives. Seeking always to be in harmony with the great rhythm of the universe, they were ever prepared to enter the unknown. The “Last Tea of Rikiu” will stand forth forever as the acme of tragic grandeur.

 美しいものとともに生きてきたものが、美しく死ぬことができる.偉大な茶人の最後の瞬間はその人生と同じように非常に美しく高潔であった.宇宙の調べとともに調和の中において常に探求しているので、彼らは未知の領域に入る覚悟ができていた.「利休の最後の茶」は悲劇的終局の極致であり続けるだろう.

Long had been the friendship between Rikiu and the Taiko-Hideyoshi, and high the estimation in which the great warrior held the tea-master. But the friendship of a despot is ever a dangerous honour. It was an age rife with treachery, and men trusted not even their nearest kin. Rikiu was no servile courtier, and had often dared to differ in argument with his fierce patron. Taking advantage of the coldness which had for some time existed between the Taiko and Rikiu, the enemies of the latter accused him of being implicated in a conspiracy to poison the sespot. It was whispered to Hideyoshi that the fatal potion was to be administered to him with a cup of the green beverage prepared by the tea-master. With Hideyoshi suspicion was sufficient ground for instant execution, and there was no appeal from the will of the angry ruler. On privilege alone was granted to the condemned–the honour of dying by his hand.

 利休と太閤秀吉との友情は長かったので、偉大な武将がその茶人に抱く尊敬も厚かった.しかし君主との友情は危険な名誉でもあった.裏切りの流行した時代であったから、武将は最も近い血族でさえ信用しなかった.利休は盲従的廷臣ではなかったので、気性の荒い庇護者にも異を唱える勇気があった.太閤と利休の間に存在したいくらかの冷涼な関係につけこみ、利休の敵は専制君主に毒を盛ろうとする陰謀を企てていると非難した.茶人によって準備された緑の飲み物が入った碗に致命的な毒が入っているという噂が秀吉の耳に入った.疑念の秀吉は即時に処刑を命ずる十分な根拠であり、怒れる君主に従う以外方法はなかった.唯一の権利は自らの手で死ぬ名誉であった.

On the day destined for his self-immolation, Rikiu invited his chief disciples to a last tea-ceremony. Mournfully at the appointed time the guests met at the portico. As they look into the garden path trees seem to shudder, and in the rustling of their leaves are heard the whispers of homeless ghosts. Like solemn sentinels before the gates of Hades stand the grey stone lanterns. A wave of rare incense is wafted from the tea-room; it is the summons which bids the guests to enter. One by one they advance and take their places. In the tokonoma hangs a kakenoma, –a wonderful writing by an ancient monk dealing with the evanescence of all earthly things. The singing kettle, as it boils over the brazier, sounds like some cicada pouring forth this woes to departing summer. Soon the host enters the rooms. Each in turn is served with tea, and each in turn silently drains his cup, the host last of all. According to established etiquette, the chief guest now asks permission to examine the tea-equipage. Rikiu places the various articles before them, with the kakemono. After all have expressed admiration of their beauty, Rikiu presents one of them to each of the assembled company as a souvenir. The bowl alone he keeps. ‘Never again shall this cup, polluted by the lips of misfortune, be used by man.” He speaks, and breaks the vessel into fragments.

 自己を犠牲にすることに定められた日に、利休は主要な弟子を最後の茶会に招いた.嘆きに満ちて、約束の時間に客は待合に集まった.庭路に目をやると木々は震えているように見え、家を求めてさまよう幽霊のすすり泣きのように葉がざわめいた.冥府の前の厳しい歩哨のように石灯籠が立っている.希少な香の香りが茶室から漂う.それは客人が入室を許される招きである.一人ひとり、前に出て席につく.床の間にかかる掛けの間は、万物の儚さについて扱う古の僧侶によって書かれた見事な書があった.火鉢の上で湧いている茶釜の音は、夏の別れを悲しみ鳴く蝉の音に似ている.やがて主人が部屋に入る.各々茶がもてなされ、黙々と碗を飲み干し、主人が最後に飲む.しきたりに従い、主賓が茶具の閲覧を申し出る.掛け物とともに、利休は様々な品を彼らの前に置いた.最後に皆がそれらの美しさをたたえ、利休はその器を一つずつ、集うものに形見として手渡した.碗だけが彼のところに残った.

「不遇の唇によって汚れた、この小さな器を、決して使わせまい」

 彼はそう言い、粉々に砕いた.

The ceremony is over; the guest with difficulty restraining their tears, take their last farewell and leave the room. One one only, the nearest and dearest, is requested to remain and the end. Rikiu then removes his tea-gown and carefully folds it upon the mat, thereby disclosing the immaculate white death robe which it had hitherto concealed. Tenderly he gazes on the shining blade of the fatal dagger, and in exquisite verse thus addresses it:

 茶会は終わった.涙を堪えがたい客は最後の別れを述べ、部屋を後にした.ただ一人だけが、最も親近なものが最期を見届けるよう頼まれた.利休は茶会の衣服を脱ぎ、注意深く畳の上にたたむと、隠れていた真っ白な死装束が現れる.優しいまなざしで彼は輝く生殺の刃を見つめ、それに呼びかけ次のような見事な句を詠んだ.

“Welcome to thee,

O sword of eternity!

Through Buddha

And through Dharma alike

Thou hast cleft thy way.”

汝よ、来たれ、

永遠の剣よ

仏陀を

達磨をも

汝は切り裂き道を拓くのだ.

With a smile upon his face Rikiu passed forth into the unknown.

 微笑とともに利休は永遠の世界へと旅立った.

人生七十 力囲希咄 吾這宝剣 祖仏共殺提る我得具足の一太刀 今此時ぞ天に抛

千利休


これで茶の本は終わります.長い間ご愛読ありがとうございました.

もちろん、これまで通りブログは続いていきます.

帰納と演繹、アイデンティティ

音楽の嗜好について

 亀吾郎法律事務所のごろうちゃんとさぶちゃんの間で、奇しくも一致した見解がある.今回はそれについて話をするとともに、世の中の難しい質問に対するトラブルシューティングを試みたい.


「好きな音楽は何ですか」「最近何聴いているの」

と訊かれるとやや返答に困ってしまうことがないだろうか.

「ウ~ン、IncognitoやJamiroquaiのようなアシッド・ジャズかなぁ」「何聴いているって言われても新旧の曲だからなぁ」「Nile Rodgersのような楽曲もいいかも」「うん」

 熱烈なファンや説明がうまい人でない限り、「好きな音楽」を説明することは難しいのではないか.ジャンルを答えればいいのか、アーティストを答えればいいのか.曲名なのか.演奏のとあるパートなのか、声なのか.

 例えば、さぶちゃんはPost Maloneの”The Circles”という曲が気に入っているが、決して他の曲が好きなわけではない.ごろうちゃんはHiroshi Watanabeの“Get it by your hands”という曲がフェイバリットなのだが、他の曲に詳しいわけではない.

 要するに「へぇ、Post Maloneが好きなんだ」と誤解されたくないのである.せっかくのいい声なのにライブ中も喫煙しているので、肺がんや喉頭がんなどの発がんリスクが高くて医療人としてヒヤヒヤする.歌手生命が危ぶまれる.さらにはいつの間にか入れ墨だらけになってしまい容姿も正直に言えば、怖い系の人になってしまった.発言の途中に必ず、Fで始まる用語を使うので、無作法な人なのかなと心配になる.つまり、人柄には惹かれない.歌唱力は抜群だが、他の曲に対する感動はそこまでとはいかない.とはいっても、”The Circles”は歌詞もメロディも郷愁を誘う美しいロック・ミュージックだと思う.

 つまり、もっと簡単にいうと、質問者が勝手に帰納的結論を導かないでほしいと思うことがある.前提が真だからといって、結論が真では無いのだ.ごろうちゃんが「虹」が好きだからと言って、「電気グルーヴ」が好き、ということにはならない.

 では、「ロック」が好きなのか、と言われるとこれまた難しい.ロック・ミュージックは多義的過ぎる.ごろうちゃんとさぶちゃんは、面倒くさがりなので「そうです」と答えるそうだ.相手がどのような文脈で言っているかわからない場合は、「そうです」といってそうそうに議論を切り上げることにする事が多い.

 ロックにもグラム・ロックや、グランジ・ロック、メタル、カントリーなど様々だ.一つのジャンルのなかに複数の下位分類があることは我々はよく知っている.しかし私達は日常の会話でそれを無意識に忘れてしまうことがあるのかもしれない.

 つまり、これらから何を述べたいのかといえば、「好きな音楽はなにか」という問いに対して、「〇〇です」という回答は難しいということ、そして私達亀吾郎法律事務所のスタッフは「曲一つひとつに対して愛着を持つのであって、よほどその音楽家に通じていない限り、どのアーティストが好きだ、とはいえない」ということだ.

 この議論は他のカテゴリについてもいえると思う.文学もそうかもしれない.好きな旅行先、好きな車、好きな衣服のブランド.皆さんはうまく説明できるだろうか.

 我々、亀吾郎法律事務所が提案するこうした質問に対する回答は、

「うーん、一概に言えないですね」「あなたはいかがですか」

というものである.あぁ、なんと凡庸なのだろうか.だが聞き手の意図を、文脈を確認するためにはこれが無難だ.相手がどのような答え方をするかで、自分の態度を決めればよい.答えがある人は自分の言葉を紡げば良い.このテーマは答えをもたない人のためにある.J. Lacanによれば、自分の欲望は他者の欲望だ、という.自分が何を欲しているかは、他者が何を求めているかを知ればよい.

 会話はひどく難しい.

ここまでありがとうございました.

The Book of Tea: 18

(What’s the Story) Morning Glory

The birth of the Art of the Flower Arrangement seems to be simultaneous with that of Teaism in the fifteenth century. Our legends ascribe the flower arrangement to those early Buddhist saints who gathered the flowers strewn by the storm and, in their infinite solicitude for all livings things, placed them in vessels of water. It is said that Soami, the great painter and connoisseur of the court of Ashikaga-Yoshimasa, was one of the earliest adepts at it. Juko, the tea-master, was one of his pupils, as was also Senno, the founder of the house of Ikenobo, a family as illustrious in the annals of flowers as was that of the Kanosin painting. With the perfecting of the tea-ritual under Rikiu, in the latter part of the sixteenth century, flower arrangement also attains its full growth. Rikiu and his successors, the celebrated Oda-waraku, Furuta-Oribe, Koyetsu, Kobori-Enshiu, Katagiri-Sekishiu, vied with each other in forming new combinations. We must remember, however, that the flower worship of the tea-masters formed only a part of their aesthetic ritual, and was not a distinct religion by itself. A flower arrangement, like the other works of art in the tea-room, was subordinated to the total scheme of decoration. Thus, Sekishiu ordained that white plum blossoms should not be made use of when snow lay in the garden. “Noisy” flowers were relentlessly banished from the tea-room. A flower arrangement by a tea-master loses its significance if removed from the place for which it was originally intended, for its lines and proportions have been specially worked out with a view to its surroundings. 

 生花の芸術の誕生は十五世紀の茶道と同時のように思われる.我々の伝説は、生花を嵐によって撒き散らされた花に集った初期の仏教徒の聖人に帰するとして、万物の生けるものへの無限の配慮において、水の器にそれを活けたのであった.偉大な画家であり、足利義政の宮廷の鑑定家であった相阿弥は、初期の生花の達人であった.茶の宗匠であった珠光は、彼の門弟の一人で、狩野の絵画のように生花の年代記が輝かしい池坊の創始である専応も門弟であった.

 千利休のもと茶の儀礼の完成にともなって、十六世紀の後期に、生花は完全な成長を成し遂げた.利休とその後継者、有名な織田有楽、古田織部、光悦、小堀遠州、片桐石州が新たな組み合わせを作ろうと切削した.

 しかしながら、私達が覚えておかないとならないのは、茶の宗匠の花の礼賛は彼らの審美的儀礼の一部をつくったに過ぎないことであり、そのものによる明らかな宗教ではなかったということである.生花は、茶室での芸術の他の作品のように、装飾の全体の図式に従属したのである.

 こうして石州は庭に雪が積もったときに寒梅を使うべきでないと決めた.「騒がしい」花は茶室から容赦なく追放された.茶の宗匠による生花は本来そうあるべき場所から除かれればその意義を失うのである.というのは、その線と釣り合いが特に周囲と景観に作用していたからであった.

The adoration of the flower for its own sake begins with the rise of “Flower-Masters,” toward the middle of the seventeenth century. It now becomes independent of the tea-room and knows no laws save that that the vase imposes on it. New conceptions and methods of execution now become possible, and many were the principles and schools resulting therefrom. A writer in the middle of the last century said he could count over one hundred different schools of flower arrangement. Broadly speaking, these divide themselves into two main branches, the Formalistic and the Naturalesque. The Formalistic schools, led by the Ikenobo, aimed at a classic idealism corresponding to that of the Kano-academicians. We possess records of arrangements by the early masters of this school which almost reproduce the flower paintings of Sansetsu and Tsunenobu. The Naturalesque school, on the other hand, as its name implies, accepted nature as its model, only imposing such modifications of form as conduced to the expression of artistic unity. Thus we recognise in its works the same impulses which formed the Ukiyoe and Shijo schools of painting.

 花自身のための称揚が「生花の宗匠」の興隆とともに始まったのは、十七世紀の中期にかけてであった.今や茶室から独立し、花瓶に課す法則を覗いて何もないことを知っている.

 新たな構想と方法の実践が今や可能となり、多くは原理とそれを生み出す流派であった.十九世紀の中期におけるある文人は生花には百以上の流派が計上できるといった.大まかに言えば、これらは様式派と自然主義派の二つの主流に分けられる.池坊の流れを組む様式派は、狩野派のそれに付随する古典的理想主義を目指した.山雪と常信の花の絵とほとんど再現したにひとしい、この流派の早期の宗匠たちによる記録がある.一方で、自然主義派はその名前が示す通り、自然をその模範として受容し、芸術的統合の表現に貢献するような形の修正を行うに過ぎなかった.

 このようにして我々はその作品において浮世絵と四条派の絵画を形作った同一の衝動を認めることができる.

It would be interesting, had we time, to enter more fully than is now possible into the laws of composition and detail formulated by the various flower-masters of this period, showing, as they would, the fundamental theories which governed Tokugawa decoration. We find them referring to the Leading Principle(Heaven), the Subordinate Principle(Earth), the Reconciling Principle(Man), and any flower arrangement which did not embody these principles was considered barren and dead. They also dwelt much on the importance of treating a flower in its three different aspects, the Formal, the Semi-Formal, and the Informal. The first might be said to represent flowers in the stately costume of the ballroom, the second in the easy elegance of afternoon dress, the third in the charming deshabille of the boudoir.

 時間があり、その時期の多様な花の宗匠による様式だった構成と細部の法則を、より十分に今や堪能することができればさぞかし興味深いであろう.そうすれば徳川期の装飾を治めた基礎的理論があきらかになろう.彼らは指導的原則「天」、従属的原則「地」、調和的原則「人」について述べ、それらの原則に具体的に表現できない生花は不毛で死んだものと考えられた.これら三つの観点、すなわち「正式」、「半正式」、「略式」(真、行、草)があり、花の扱い方の重要性を説明している.最初のものは舞踏室の正装に合うような花を、二番目は簡素で華やかなアフタヌーンドレスを着る時の花を、三番目は寝室の可愛らしい普段着を着る時の花だといえよう.

Our personal sympathies are with the flower-arrangements of the tea-master rather than with those of the flower-master. The former is art in its proper setting and appeals to us on account of its true intimacy with life. We should like to call this school the Natural in contradiction to the Naturalesque and Formalistic schools. The tea-master deems his duty ended with the selection of the flowers, and leaves them to tell their own story. Entering a tea-room in late winter, you may see a slender spray of wild cherries in combination with a budding camellia; prophecy of spiring. Again, if you go into a noon-tea on some irritatingly hot summer day, you may discover in the darkened coolness of the tokonoma a single lily in a hanging vase; dripping with dew, it seems to smile at the foolishness of life.

 個人的には花の宗匠よりもむしろ茶の宗匠が活けた花に共感する.それはその生命との親密さに基づいて我々を魅了し独特な配置を行う芸術である.我々はこの流派を「自然主義派」および「様式派」と区別して「自然派」と呼びたい.茶の宗匠らは自分の義務は花の選定で終わると考え、葉に自分の物語を言って聞かせるようにしたのである.

 晩冬に茶室に入ると、蕾のある椿、それは春の予言であり、ともに野桜の華奢な配置をみる.もう一つ、暑い夏の日、いらいらしながら正午の茶に赴くと、床の間の暗い涼しさの中に掛け花瓶に一輪の百合があり、露に濡れているのを見る.花は人生の愚かさに笑いかけているように見える.

A solo of flowers is interesting, but in a concerto with painting and sculpture the combination becomes entrancing. Sekishiu once placed some waterplants in a flat receptacle to suggest the vegetation of lakes and marshes, and on the wall above he hung a painting by Soami of wild duck flying in the air. Shoha, another tea-master, combined a poem on the Beauty of Solitude by the Sea with a bronze incense burner in the form a fisherman’s hut and some wild flowers of the beach. One of the guests has recorded that he felt in the whole composition the breath of waning autumn.

 花の独奏も興味深いが、絵画や彫刻との共演もうっとりするものだ.石州はかつてある水草を平らな盆におき、湖と干潟を暗示させ、壁には相阿弥による鴨が飛んでいる絵を掛けたのであった.もう一人の茶の宗匠である、紹巴というものは、浜の野草と漁夫の小屋を模した青銅の香炉を焚いて海辺の孤独の美の詩を添えた.ある客人は全体の構成に去りゆく秋を感じたと記録に残している.

Flower stories are endless. We shall recount but one more. In the sixteenth century the morning-glory was as yet a rare plant with us. Rikiu had an entire garden planted with it, which he cultivated with assiduous care. The fame of his convolvuli reached the ear of the Taiko, and he expressed a desire to see them, in consequence of which Rikiu invited him to a morning tea at his house. On the appointed day Taiko walked through the garden, but nowhere could he see any vestige of the convolvulus. The ground had been leveled and strewn with fine pebbles and sand. With sullen anger the despot entered the tea-room, but a sight waited him there which completely restored his humour. On the tokonoma, in a rare bronze of Sung workmanship, lay a single morning-glory—the queen of the whole garden!

 花の物語はきりがない.もう一つだけで終わりにしよう.十六世紀には朝顔は日本人にとって希少な植物であった.利休は一面に朝顔を植え、根気強く育てた.彼の朝顔の名声が太閤の耳に届くと、太閤は朝顔を見たいと思った.その結果、利休は彼を自宅で朝の茶に招いた.約束の日に太閤は庭を通ったが、朝顔はどこにもなかった.地面は平らになり細かい丸石が敷かれていた.怒りの君主は茶室に入ると、彼を待つ光景は彼をすっかり喜ばせた.床の間には、宗の希少な青銅の作品の中に一輪の朝顔があったのである.庭全体の女王とでもいうべきものであった.

In such instances we see the full significance of the Flower Sacrifice. Perhaps the flowers appreciate the full significance of it. They are not cowards, like men. Some flowers glory in death —certainly the Japanese cherry blossoms do, as they freely surrender themselves to the winds. Anyone who has stood before the fragrant avalanche at Yoshino or Arashiyama must have realised this. For a moment they hover like bejewelled clouds and dance above the crystal streams; then, as they sail away on the laughing waters, they seem to say: “Farewell, O Spring! We are on to Eternity.”

 このような例から、我々は花の犠牲というものを十分に理解できる.おそらく花はそのことを十分に理解しているのだろう.彼らは人間のように、腰抜けではない.ある花は死によって栄光を得る.日本の桜はそうであり、気ままに風に身を任せるのである.吉野や嵐山の桜吹雪の前に立つものは誰もがこのことを理解するにちがいないであろう.一瞬で花は宝石を散りばめた雲のように漂い、水晶の流れの上を踊る.そして、笑う水を流れていくのである.彼らはこう言っているように思える.

「春よ、さらば.我らは永遠に旅立つ」

 ここまで読んでくださり、どうもありがとうございました.

The Book of Tea: 16

Chapter VI

sunflowers
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 第六章、花が始まります.この翻訳も終盤ですね.花への天心の気持ち、多くの人が共感できるのではないでしょうか.最初は詩的な美しい散文から始まりますが、四段落から始まる花目線の痛烈な描写といったら.

Flowers

IN the trembling grey of a spring dawn, when the birds were whispering in mysterious cadence among the trees, have you not felt the they were talking to their mates about the flowers? Surely with mankind the appreciation of flowers must have been coeval with the poetry of love. Where better than in a flower, sweet in its unconsciousness, fragrant because of its silence, can we image the unfolding of a virgin soul? The primeval man in offering the first garland to his maiden thereby transcended the brute. He became human in thus rising above the crude necessities of nature. He entered the realm of art when he perceived the subtle use of the useless.

 春の曙の薄明に、林の中で鳥たちが神秘的な調子でさえずるとき、彼らが仲間と花について会話をしているような気持ちになったことはないだろうか.確かに花の鑑賞は人類にとって愛の詩を唄った時と同時期であろう.花において優れているところは、その無自覚なゆえに美しく、その静寂ゆえの芳しさなくして、どうして我々は顕になっていない純潔の精神を想起できるだろうか.太古の男性が彼の恋人に初めて花飾りを贈ることで、彼は蛮人から超越したのである.彼は自然の粗雑な本能を脱してこうして人間となったのだ.彼は無用のものを巧妙に使うことを知覚したときに芸術の世界へ入ったのであった.

In the joy or sadness, flowers are our constant friends. We eat, drink, sing, dance, and flirt with them. We wed and christen with flowers. We dare not die without them. We have worshipped with the lily, we have meditated with he lotus, we have charged in battle array with the rose and the chrysanthemum. We have even attempted to speak in the language of flowers. How could we live without them? It frightens one to conceive of a world bereft of their presence. What solace do they not bring to the bedside of the sick, what a light of bliss to the darkness of weary spirits? Their serene tenderness restores to us our waning confidence in the universe even as the intent gaze of a beautiful child recalls our lost hopes. When we are laid low in the dust it is they who linger in sorrow over our graves.

 楽しいときや悲しいとき、花は我々の永遠の友人である.我々は食べ、飲み、踊り、そして彼らとうつつを抜かす.我々は花とともに婚礼を挙げ、洗礼する.花なくして死ぬことはできない.我らは百合とともに敬い、蓮とともに瞑想し、薔薇と菊とともに戦陣に集ってきた.我々は花言葉で話そうとさえした.彼らなしに生きていけるだろうか.花の存在のない世界を考えるだけで恐ろしい.病床に花がないとしたらどんなに悲しいだろうか、疲れ果てた魂の闇に祝福の光を与えるのは何だろうか.可愛らしい子供をじっと見つめることでさえ我々の失われた希望を呼び戻すように、花の透き通った優しさは宇宙における我々の衰えつつある信頼を取り戻してくれる.我々が土に還るときに墓の上で悲しみに寄り添ってくれるのは花である.

Sad as it is, we cannot conceal the fact that in spite of our companionship with flowers we have not risen very far above the brute. Scratch the sheepskin and the wolf within us will soon show his teeth. It has been said that man at ten is an animal, at twenty a lunatic, at thirty a failure, at forty a fraud, and at fifty a criminal. Perhaps he becomes a criminal because he has never ceased to be an animal. Nothing is real to us but hunger, nothing sacred except our own desires. Shrine after shrine has crumbled before our eyes; but one altar forever is preserved, that whereon we burn incense to the supreme idol, –ourselves. Our god is great, and money is his Prophet! We devastate nature in order to make sacrifice to him. We boast that we have conquered Matter and forget that it is Matter that has enslaved us. What atrocities do we not perpetrate in the name of culture and refinement!

 悲しいことに、我々は花との友情にもかかわらず、あまり獣性を脱していないことを隠せずにいる.羊の皮を剥げばたちまち我々の中の狼が牙をむく.人は十代になると獣になり、二十代で狂人になり、三十代で失意にくれ、四十代で詐欺師となり、五十代で罪人となるといわれてきた.おそらく動物であることを辞めたことがないゆえに罪人になるのである.飢えを除いて現実的なものはなく、自己の望みのほか神聖なものはない.我々の眼前にある神社仏閣が次々に壊れてしまった.しかし一つの祭壇は保存されて、そこで我々は「自己」という至上の偶像に香を炊くのである.神は偉大で、金銭はその預言者である!私達は自然を犠牲にするため自然を破壊する.我々は物質を征服したのだと鼻にかけるも、物質が我々を従えているのだということを忘れている.文化と洗練という名の下、我々が犯す残虐性のほどはなんとひどいものか!

Tell me, gentle flowers, teardrops of the stars, standing in the garden, nodding your heads to the bees as they sing of the dews and the sunbeams, are you aware of the fearful doom that await you? Dream on, sway and frolic while you may in the gentle breezes of summer. Tomorrow a ruthless hand will close around your throats. You will be wrenched, torn asunder limb by limb, and borne away from your quiet homes. The wrench, she may be passing fair. She may say how lovely you are while her fingers are still moist with your blood. Tell me, will this be kindness? It may be your fate to be imprisoned in the hair of one whom you know to be heartless or to be thrust into the button-hole of who would not dare to look you in the face were you a man. It may even be your lot to be confined in some narrow vessel with only stagnant water to quench the maddening thirst that warns of ebbing life.

 教えてほしい、優しい花よ、星の涙よ、庭に立ち、蜂が雫の歌を口ずさむと蜂と日光に頭を垂れている花よ、汝は待ち構える恐ろしい運命に気づいているのか.夢見よ、揺らぎ戯れて夏の優しい微風にいる間は.明日は無慈悲な手がお前の喉を締めてしまうかもしれない.拗じられ、手足が分たれ、静かな生家から離れてしまうかもしれぬ.その一捻りは行きずりの淑女かもしれぬ.その指がお前の血でまだ湿っている間に、お前がどんなに愛らしいか告げるやもしれないのだ.これが優しさなのだろうか.お前にとって非常なものの髪に閉じ込められるか、お前が男ならばお前の顔を見ようともしない女のボタンの穴にねじ込まれる運命かもしれないのだ.命の衰退を警告する狂わせるような渇きを満たす、よどんだ水ばかりの狭い瓶に留められるのは、お前の定めなのかもしれぬ.

Flowers, if you were in the land of the Mikado, you might some time meet a dread personage armed with scissors and a tiny saw. He would call himself a Master of Flowers. He would claim the rights of a doctor and you would instinctively hate him, for you know a doctor always seeks to prolong the troubles of his victims. He would contort your muscles and dislocate your bones like any osteopath. He would burn you with red-hot coals to stop your bleeding, and thrust wires into you to assist your circulation. He would diet you with salt, vinegar, alum, and sometimes, vitriol. Boiling water would be poured on your feet when you seemed ready to faint. It would be his boast that he could keep life within you for two or more weeks longer than would have been possible without his treatment. Would you not have preferred to have been killed at once when you were first captured? What were the crimes you must have committed during your past incarnation to warrant such punishment in this?

 花よ、もしお前が御門の国にいるならば、鋏と小鋸をもった恐ろしい人物にあうことがいくらかあるかもしれない.彼は自身を花の宗匠と呼ぶ.彼は医者の権限を主張しお前は本能的に嫌うだろう.なぜなら医者というのは常にその患者の厄介事を引き延ばそうとするからだ.彼は筋肉を捻じ曲げ、整骨医の如く骨を脱臼させるだろう.赤く熱い炭で出血を止めようと燃やすだろう.そして、お前の循環を助けるために針金を突き刺すだろう.彼はお前に塩、酢、明礬、そして時折硫酸をかけて食うだろう.失神しそうに見える時、足に沸々とした湯が注がれるだろう.彼の治療なく放おっておいたよりも二、三週間ほど生きながらさせたといって自慢の種にするかもしれない.お前ならば最初に捕らわれたならばすぐに殺される方を選ぶであろう.このような罰を受けるとはお前の前世はどのような罪を犯したのだろうか.

The wanton waste of flowers among Western communities is even more appalling than the way they are treated by Eastern Flower Masters. The number of flowers cut daily to adorn the ballroom and banquet-tables of Europe and America, to be thrown away on the morrow, must be something enormous; if strung together they might garland a continent. Beside this utter carelessness of life, the guilt of the Flower-Master becomes insignificant. He, at least, respects the economy of nature, selects his victims with careful foresight, and after death does honour to their remains. In the west the display of flowers seemed to be a part of the pageantry of wealth, –the fancy of a moment. Whither do they all go, these flowers, when the revelry is over? Nothing is more pitiful than to see a faded flower remorselessly flung upon a during heap.

 西洋社会の間での無残な花の消費は東洋の花の宗匠によって扱われる方法よりもはるかに残忍である.アメリカやヨーロッパの舞踏室や晩餐の食卓を飾るため毎日何本もの花が切られ、翌日には捨てられる量は凄まじいに違いない.もしすべてを結んだら大陸を一周するであろう.それに加えこの圧倒的な生命への不注意、花の宗匠の罪はそれほどではない.彼は少なくとも、自然の経済を尊重し、犠牲を慎重な先見の明で選ぶ.そして彼らの残りに対して敬意を表する.静養では富の虚飾の一部のように花が陳列される.一瞬の享楽である.彼らはどこへいくのか.花よ、いつになれば幻想は終わるのだ.屍の山の上に無慈悲に投げられる花がしおれていくのを見るほど忍びないものはない.

The Book of Tea: 15

white concrete bridge
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People criticise a picture by their ear

One is reminded in this connection of a story concerning Kobori-Enshiu. Enshiu was complimented by his disciples on the admirable taste he had displayed in the choice of his collection. Said they, “Each piece is such that no one could help admiring. It shows that you had better taste than had Rikiu, for his collection could only be appreciated by one beholder in a thousand.” Sorrowfully Enshiu replied: “This only proves how commonplace I am. The Great Rikiu dared to love only those objects which personally appealed to him, whereas I unconsciously cater to the taste of the majority. Verily, Rikiu was one in a thousand among tea-masters.”

 このことと関連して、小堀遠州についてのある話が思い起こされる.遠州は彼の収集物から選定し並べたものに対して弟子は世辞を述べた.彼らは「どの品も褒めずにはいられない見事なものばかりです.あなたが利休よりも優れた鑑識をお持ちだと言うことですね.利休の品を理解できるのは千人に一人といませんよ」と述べた.悲しみにくれて遠州は次のように返事をした.「ということは私がいかに俗物かを示すにすぎない.偉大な利休はあえて自分だけが好むような品を愛した.しかし私は無意識にも多数派の嗜好に媚びたのだ.まさに利休は千人に一人の茶人である」

It is much to be regretted that so much of the apparent enthusiasm for art at the present day has no foundation in real feeling. In this democratic age of ours men clamour for what is popularly considered the best, regardless of their feelings. They want the costly, not the refined; the fashionable, not the beautiful. To the masses, contemplation of illustrated periodicals, the worthy product of their own industrialism, would give more digestible food for artistic enjoyment than the early Italians or Ashikaga masters, whom they pretend to admire. The name of the artist is more important to them than the quality of the work. As a Chinese critic complained many centuries ago, “People criticise a picture by their ear.” It is this lack of genuine appreciation that is responsible for the pseudo-classic horrors that to-day greet us wherever we turn.

 今日、芸術に対する表面上の熱狂が実際の感性に基づいていないというのは実に残念なことである.この我が国の民主的時代において自分たちの感情を顧みず人々が何が最も人気があることに対して喚いているのである.

 彼らは精錬なものではなく、高い値段のものを求める.服飾に凝ったものであり美しいものではない.大衆にとって彼ら自身の産業主義の価値ある製品である絵入り定期刊行物のほうが、礼賛するふりをしている初期のイタリア人や足利時代の巨匠よりも、芸術的享受にはより消化が良いだろう.作品の質よりも芸術家の名前がより重要なのである.中国の批評家が何世紀も前に「人々は絵を耳で批評する」と言った.今日我々がふりむけば目につく擬古典的な恐怖の数々に対して真の鑑賞の欠落が責任を負うべきである.

Another common mistake is that of confusing art with archaeology. The veneration born of antiquity is one of the best traits in the human character, and fain would we have it cultivated to a greater extent. The old masters are rightly to be honoured for opening the path to future enlightenment. The mere fact that they have passed unscathed through centuries of criticism and come down to us still covered with glory commands our respect. But we should be foolish indeed if we valued their achievement simply on the score of age. Yet we allow our historical sympathy to override our aesthetic discrimination. We offer flowers of approbation when the artist is safely laid in his grave. The nineteenth century, pregnant with the theory of evolution, has moreover created in us the habit of losing sight of the individual in the species. A collector is anxious to acquire specimens to illustrate a period or a school, and forgets that a single masterpiece can teach us more than any number of the mediocre products of given period or school. We classify too much and enjoy too little. The sacrifice of the aesthetic to the so-called scientific method of exhibition has been the bane of many museums.

 もう一つのよくある間違いは芸術を考古学と間違えることである.遺物から生まれる尊敬の念は人間の最大の特質であり、喜んで我々はそれを大きく育みたいと思う.古の巨匠たちは未来の教化への道を拓いたことに対して立派な敬意が評されるべきである.

 世紀の批判を無傷で抜けてきて、未だ栄光に包まれてやってきたという単事実でさえもわれわれの尊敬を集めるものだ.しかし人々の業績が単純に年齢で算定されるならば、我々は実際はおろかになるべきである.しかし我々は自分らの歴史的共感が審美的差別にを蹂躙していることを許容している.我々は芸術家が安らかに墓で眠りにつくときに称賛の花を手向ける.進化論を宿した十九世紀はより一層、種の中で個人の失見当の習慣を生み出した.蒐集家は時代や流派を説明しようと標本を集めることに神経質になり、二流の製品のいくつかよりも一つの傑作が与えられた時代や流派について我々に語ってくれることを忘れてしまうのである.我々はあまりに分類しすぎていて楽しむことがほとんどない.展示といういわゆる科学的理論のために審美的方法を犠牲にしたことが多くの美術館の悩みの種である.

The claims of contemporary art cannot be ignored in any vital scheme of life. The art of to-day is that which really belongs to us: it is our own reflection. In condemning it we but condemn ourselves. We say that the present age possess no art: –who is responsible for this? It is indeed a shame that despite all our rhapsodies about the ancients we pay so little attention to our own possibilities. Struggling artists, weary souls lingering in the shadow of cold disdain! In our self-centred century, what inspiration do we offer them? The past may well look with pity at the poverty of our civilisation; the future will laugh at the barrenness  of our art. We are destroying art in destroying beautiful life. Would that some great wizard might from the stem of society shape a mighty harp whose strings would resound to the touch of genius.

 同一時代の美術の主張は人生の企画において無視できるものではない.今日の芸術は実に私達に属しているものである.それは我々の反映である.それを断罪することは自身を断罪することにほかならない.今日の時代に芸術がないといういうものがいる.誰の責任というのか.古代に関する狂想曲にもかかわらず我々は自分の可能性に注意をほとんど払わないのは実に恥ずかしいことだ.苦しみもがく芸術家たち、冷たい侮蔑の影の中でさまよう疲れた魂たち!自己中心の世紀において、どのような霊感を我々はかれらに与えているのか.我々の文明が貧困だと過去が哀れみをもって見るのも無理はない.未来は芸術の不毛さを笑うだろう.我々美しいものを破壊することで芸術を破壊している.だれか大魔術師が社会の幹から有能な竪琴を作り出し、その弦が天才に触れて鳴り響かないだろうか.

天心、多いに怒っております.この議論、今も変わらない気がしませんか.

次回、第六章です.ここまでありがとうございました.

The Book of Tea: 14

time lapse photography of flame
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 茶の本、第五章の続きです.天心はどこか現代人に対して冷笑的な印象を文体に漂わせます.諦観すら感じます.どこか寂しげでもあります.なんとなくそんな気がします.

To the sympathetic a masterpiece becomes a living reality towards which we feel drawn in bonds of comradeship. The masters are immortal, for their loves and fears live in us over and over again. It is rather the soul than the hand, the man than the technique, which appeals to us, – the more human the all the deeper is our response. It is because of this secret understanding between the master and ourselves that in poetry or romance we suffer and rejoice with the hero and heroine. Chikamatsu, our Japanese Shakespeare, has laid down as one of the first principle of dramatic composition the importance of taking the audience into the confidence of the author. Several of his pupils submitted played for his approval, but only one of pieces appealed to him. It was a play somewhat resembling the comedy of Errors, in which twin brethren suffer through mistaken identify. “This,” said Chikamatsu, “has the proper spirit of the drama, for it takes the audience into consideration. The public is permitted to know more than the actors. It knows where the mistake lies, and pities the poor figures on the board who innocently rush to their fate.”

 傑作への共感は、友愛の絆によって惹きつけられ、生ける現実となる。達人たちは不死身である.その愛と恐怖が私達の中で幾度と生きているからである.手錬よりはむしろ魂が、技巧よりは人が、我々にとって魅力的である.より人間味が増すほど、我々の反応も深みが増すのである.巨匠と私達の間のこの暗黙の了解あればこそ詩歌や物語において我々が主人公とともに苦楽を共にすることができるのである.

 日本のシェイクスピアである近松門左衛門は、劇の脚本の第一原則の一つとして、作家の秘密に聴衆を引き込む重要性に重きを置いた.彼の門弟の何人かは彼に認められようと脚本を描いてきたが、一部のみが認められたに過ぎなかった.それはどこかシェイクスピアの「間違いの喜劇」に似ている脚本で、双子の兄弟が同一人物と誤認されることで苦労する話であった.「これこそ」と近松は言った.「演劇の本来の精神を持っている.聴衆を考慮に入れているからだ、大衆は役者よりも知る必要があるのだ.皆はどこに誤りがあるか知っていて、自分の運命に無垢に突っ走る哀れなや人物に同情するのだ」.

The great masters both of the East and West never forgot the value of suggestion as a means for taking the spectator into their confidence. Who can contemplate a masterpiece without being awed by the immense vista of thought presented to our consideration? How familiar and sympathetic are they all; how cold in contrast the modern commonplaces! In the former we feel the warm outpouring of man’s heart; in the latter only a formal salute. Engrossed in his technique, the modern rarely rise himself above. Like the musicians who vainly invoked the Lungmen harp, he sings only of himself. His works may be nearer science, but are further from humanity. We have an old saying in Japan that a woman cannot love a man who is truly vain, for there is no crevice in his heart for love to enter and fill up. In art vanity is equally fatal to sympathetic feeling, whether on the part of the artist or the public.

 洋の東西を問わず、巨匠は観衆に秘密を打ち明けることに暗示の価値を示すことを決して怠らない.我々の想定に対し示される思考の圧倒的な広がりによって畏敬の念を抱かずに傑作を吟味できるものはいるだろうか.

 それらはどれだけ親密で共感的であろうか.それとひきかえ現代の凡作の冷ややかさといったら.かつて我々は傑作に人の心から湧き出る温かみを感じたものだ.後にただの儀礼的な文句になってしまった.自身の技芸に没頭し、現代人は自身を超えることはほとんどなくなった.竜門の竪琴を呼び覚ませなかった音楽家のように、自身のことばかり歌うのである.彼の作品は科学に近いところにあるのかもしれないが、人情からはかけ離れている.日本の諺に、見栄はる男は女に好かれない、というのがあるが、そんな男に入り込み満たすための心の裂け目はない.芸術において虚栄は芸術家の側であれ、聴衆の方であれ、共感的感情にとって同義であるように致命的である.

Nothing is more hallowing than the union of kindred spirits in art. At the moment of meeting, the art lover transcends himself. At once he is and is not. He catches a glimpse of Infinity, but words cannot voice his delight, for the eye has no tongue. Freed from the fetters of matter, his spirit moves in the rhythm of things. It is thus that art becomes akin to religion and ennobles mankind. It is this which makes a masterpiece something sacred. In the old days the veneration in which the Japanese held the work of the great artist intense. The tea-masters guarded their treasures with religious secrecy, and it was often necessary to open a whole series of boxes, one within another, before reaching the shrine itself –the silken wrapping within whose soft folds lay the holy of holies. Rarely was the object exposed to view, and then only to the initiated.

 芸術において血盟の精神よりも神聖なものはない.出会ってすぐさま、芸術愛好家は自身を超越するのである.一瞬、彼は存在すると同時に存在しない.彼は無限のきらめきを捉えるが、彼の喜びを紡ぐ言葉はない.目には舌がないからである.彼は物質の足枷から解放され、精神は物質の律動を動かすのである.かくして芸術が宗教の近縁たらしめ人間を高尚にするのである.こうして傑作がなにか神聖になるのである.かつて昔、日本人が宗教的な崇拝とともに抱いていた芸術家への敬意は厚かった.茶人たちは、秘密の宝物を守っていたが、御神体は絹で覆われた柔らかく折りたたまれたもので、それに達するには一つまた一つと、いくつもの箱を開ける必要があった.それを見ることができる人は限られていた.見る場合でも、秘伝を授かった者のみに限られた.

At the time when Teaism was in the ascendency the Taiko’s generals would be better satisfied with the present of a rare work of art than a large grant of territory as a reward of victory. Many of our favourite dramas are based on the loss and recovery of a palace of Lord Hosokawa, in which was preserved the celebrated painting of Dharuma by Sesson, suddenly takes fire through the negligence of the samurai in charge. Resolved at all hazards to rescue the precious painting, he rushes into the burning building and seizes the kakemono, only to find all means of exit cut off by the flames. Thinking only of the picture, he slashes open his body with his sword, wraps his torn sleeve about the Sesson and plunges it into the gaping wound. The fire is at last extinguished. Among the smoking embers is found a half-consumed corpse, within which reposes the treasure uninjured by the fire. Horrible as such tales are, they illustrate the great value that we set upon a masterpiece, as well as the devotion of a trusted samurai.

 茶道が興隆する時代になると、太閤の諸将たちは勝利の報奨として広大な領土よりも希少な美術品を送られるほうが満足に感じたのであった.我々の好みの劇には細川氏の邸宅の損失と復興を主題にしたものがあり、そこには雪村による達磨の絵が保存されていたが、突如、侍の警護の不注意から失火したのである.貴重な絵画を救助するためあらゆる注意を排して、侍は燃える建物に駆け込み、掛け物を掴んだが、炎によって退路が絶たれたことを知るのみであった.絵画のことだけを考え、彼は刀で自身の体を切り裂き、裂けた袖で雪村の絵を包み、開いた傷口に容れたのであった.火事はとうとう消し止められた.灰燼の中に半焼の死体が見つかり、中には火から無傷の宝物が安置してあった.こうした話は、忠臣の侍の献身はもちろん、我々が傑作にかける価値の重さが、凄まじいことをよく説明している.

We must remember, however, that art is of value only to the extent that it speaks to us. It might be a universal language if we ourselves were universal in our sympathies. Our finite nature, the power of  tradition and conventionality, as well as our hereditary instincts, restrict the scope of our capacity for artistic enjoyment. Our very individuality establishes in one sense a limit to our understanding; and our aesthetic personality seeks its own affinities in the creation of the past. It is true that with cultivation our sense of art appreciation broadens, and we become able to enjoy many hitherto unrecognised expressions of beauty. But, after all, we see only our own image in the universe, –our particular idiosyncrasies dictate the mode of our perceptions.  The tea-masters collected only objects which fell strictly within the measure of their individual appreciation.

 しかしながら、我々は芸術が語りかける度合いがあることを覚えておかねばならない.我々が共感において普遍的であるならば普遍的な言語が存在するであろう.我々が有限の存在であり、伝統と因習の力があることは、遺伝的本能と同等に、芸術の楽しみに対する度量の視野を制限するものである.我々のこの独自性がある意味で理解に制約を課している.そして審美的人格がその過去の創造に親近感を抱くことを求めるのだ.なるほど醸成により我々の芸術鑑賞感覚が広がること、そして美の多くの未だ見ぬ表現を享受することができるのである.しかし、結局は宇宙において自分の心象を見るのみである.我々固有の特殊な性質が自身の知覚の様式を支配するのである.茶人も独自の鑑賞の測りを厳格に落とし込むことができる物品のみを蒐集したのであった.

 おそらく天心が文中で述べた双子の話は「雙生隅田川(ふたごすみだがわ)」でしょう.ここまで読んでくださり、ありがとうございます.