「記憶/物語」を読んで 4

スピルバーグの「リアル」

 三章は物語の陥穽という題である.陥穽とは落とし穴のようなものだ.今度は映画作品を批評することで、<出来事>の分有可能性を探ってゆく.スティーブン・スピルバーグ(Steven Spielberg)の「Saving Private Ryan: 1998」はよく知られた戦争映画であろう.第二次世界大戦のヨーロッパ戦線において行方不明となったライアン一等兵を探すため、米軍上層部からミラー大尉は特別部隊を編成するよう司令を受ける.ライアンは上に三人兄弟がいたが全員ヨーロッパ戦線で死亡したという.もしライアン兄弟が全員死んでしまい、それが報道されれば本土の合衆国民に厭戦気分が広がるであろうと軍部は判断した、という事情になっている.決してライアンの母親を慮ってはいない.戦争継続のためである.

 軍部の立場であれば、巨視的な視線で検討をするのだろう.国民、メディア、同盟国、政府などそれぞれとの関係性を鑑みて戦争を進めることはおおよそ予想はつく.どうやらSole Survivor Policyという、国防総省の指令に基づくものらしい.この作品はフィクションだが、史実ではとある五兄弟の全員戦死により、世論の注目を集め上記規定が作られた.また、別の四兄弟の一人を除いて全員死亡したことが、作品の基となっているようである.

 さて、映画はノルマンディー上陸作戦「Operation Neptune」の舞台、オマハ・ビーチから始まる.多数の兵士を乗せた上陸用舟艇が浜辺に集結、連合軍の総力をかけてドイツに攻め込む作戦であった.舟艇が着岸した瞬間に敵に狙撃されて死ぬ者、砲弾で木っ端微塵になる者、四肢のいずれかが吹き飛ぶか、腹部外傷で腸管が脱出する者、敵味方問わずおぞましい光景が延々と続く.迫真の戦闘描写である.どうやら映像史に残る20分らしい.つまらない表現で恐縮だが、見事、圧巻である.銃声、装備、兵器は可能な限り本物を使用しているようであるから、好事家も涎を垂らす設定であろう.「リアリティ」にこだわり抜いた作品として名高いはずだ.

 だが「記憶/物語」の著者、岡真理はこうした世間の評価に対して率直な疑問をぶつける.これは「リアル」なのか、と.我々(のほとんど)は実際に従軍していないのに、実戦経験も無いのになぜ「リアリティ」を感じるのかと.「リアルさ」に関する疑義である.何を言うんだ、設定も装備も本物に限りなく忠実なんだぞ、映像も従軍カメラマンの目線で撮っているし、時代考証もばっちりだ.これこそ「リアル」じゃないか.これ以上なにを望むんだと反論があるかもしれない.反論に対する彼女の意見は後述する.

 筆者は同監督の作品、「Jurassic Park: 1993」にも「リアルさ」に対する指摘を行う.コンピュータ・グラフィックスで再現した恐竜の動きは「リアル」だと評価を得て、大ヒットとなり続編などが作られ、テーマパークの一要素にもなっている.恐竜、特にティラノサウルスに対する我々の認知は「トカゲのようなツヤツヤの肌で、獰猛な肉食生物」ということになったと思う.図鑑や映画で観る恐竜のイラストは皆勇ましくて、学童の頃の私を虜にした.だが、研究が進むにつれて、「実は羽毛があったのではないか、もっとずんぐりした体躯だったのでは」という仮説も浮上、それをもとにした予想図を見ると、なんだか出来損ないの七面鳥のようで、かっこよさはあまり感じられなくなってしまった.とは言えどフサフサの恐竜も私は好きである.

 (ドラえもんとその一味を除いて)誰も恐竜を見たことがないのに、「リアル」だ、という感想は前述の戦争映画に対する感想と同じ水準であると、筆者は言う.もちろん製作者らは当時の科学的な考察に基づいた再現をしたはずである.彼女はそれを非難するのではない.リアルさを追求することによって監督は何を目指していたのだろうか、監督は現実を再現することは可能であると信じていたのではないかと考えるのである.彼の作る映像作品によって.

 もし、スピルバーグ監督が実際にオマハ・ビーチの作戦を経験していたら、彼は「Saving Private Ryan」を同じリアリティで描くだろうか、と彼女は怜悧な指摘をする.「そりゃそういう作品だもの、同じリアリティで作るでしょ」と意見があるかもしれない.ではもし恐竜を見たことがあったと仮定するならばどうだろうか.映画に映る恐竜が想像の産物であることは自明である.だが、フェイクに対して「リアル」だということは、参照されるべき<本物>の存在を想起させることで、「リアル」ではないことを逆説的に語ってしまうと筆者はいう.所詮はよくできた偽物扱いになってしまうという考えである.リアルという言葉を彼女は「限りなく真実味のあるもの」という文脈で、本物や真実と使い分けていると思う.「リアル」は直線に限りなく接近する漸近線に過ぎない.「Saving Private Ryan」に使用される兵装、銃声、爆風、そして吹き飛ぶ腕.どれも「リアル」だがそれ以上ではない.作品には「Adieu」のような時間・空間の断絶、回帰する暴力性は見当たらない.銃、爆弾など見てわかる暴力である.彼にはリアリズムの欲望が貫かれているという.だが説明できない出来事、抑圧された記憶は登場しない.同監督の1993年の作品、「Schindler’s List」に対しても彼女は次のような意見を述べる.

 ホロコーストという<出来事>の体験が、リアルに再現できるような出来事として再現されてしまっているという事実、まさにリアルに再現するという当の行為により、再現されたもののリアルさの距離を測定することができる、参照することができるような出来事としてホロコーストがありうるかのように語ってしまっている

 「リアリティの追求によって現実を再現することは可能である」という監督の信条が真ならば、「現実の再現が可能ではないのは、リアリティの追求がないからだ」、という対偶の命題も真のはずである.しかし、「フラッシュ・バック」現象を思い起こしていただきたい.暴力的な出来事は、リアリティの追求とは無縁に瞬時に回帰するのではなかったか.または、CPUの高度な演算性能やグラフィックボードの描画性能の向上を備えた現代のコンピュータ・ゲーム市場は今や、流麗な三次元空間を展開し、物理現象を再現したコンテンツで溢れている.人物の動き、表情はモーションキャプチャで録画されたものを仮想空間に生き生きと作り出す.リアリティが追求されている結果、「Call of Duty」シリーズ、「Battlefield」シリーズといった軍事系一人称視点シューティングゲームは、精細な描画と生々しい動きの登場人物らによって、第二次大戦の戦場や冷戦における代理戦争の場面を再構成し、刺激的な娯楽にしてしまった.今や売れ筋コンテンツとして圧倒的である.建前上年齢制限があるので、お父さんお母さんの名義で購入し、こっそり遊んでいるキッズもいるかもしれない.

 いやいや、ゲームでしょ、なに熱くなってんだよと思うかもしれないが、映画もゲームも同じ水準では無いのか.いずれもリアリズムの欲望が貫徹しているが、我々はそれらがフィクションであることを知っているではないか.「Call of Duty」シリーズは様々な人物が操作可能なキャラクターとして登場するが、私の知る限り残忍な兵士はおらず、拷問や暴行、私刑を行うことはない.あくまで任務に忠実な兵士であり、国防や解放といった大義に基づいて作戦を実行する(オンラインプレイを除く).確かにリアリズムは追求されているが、殺人を正当化する大義が与えられている影に、虐殺、暴行といった<出来事>はまるで見えないもののように感じられる.否認なのだろうか.だが、これは誰の否認なのかはわからない.配給会社(Electronic Arts)か.プロデューサーなのだろうか.脚本家なのか(シリーズ七作品が発売されているが脚本家は一致していない).とはいってもテレビゲームという娯楽が戦争を取り扱えないのではないかという懸念があるかもしれないので私なりの擁護をしたい.戦争というテーマを取り扱ったゲーム作品において、私が秀逸だと思うのは、小島秀夫氏による「メタルギア」シリーズである.彼のプロットは複雑だが、独自のユーモアと見え透いたフィクション性が登場人物を浮き彫りにするのだろうと思う. 

 以上から私は岡の指摘をようやく理解する.彼女の主張は基本的に背理である.一見妥当だと思われる命題が逆説的な意味を含むということを彼女は繰り返していると考える.まどろっこしいようだが、これは筆者の思索過程の開示であり、難しいテーマと対峙するその姿勢は稀有なものであろう.妥当だと思われる命題を盲信することで我々が嵌ってしまう陥穽を気づかせてくれるのかもしれない.

 リアリズムの欲望とは、言葉で説明できない<出来事>、それゆえ再現不能な<現実>、<出来事>の余剰、「他者」の存在の否認と結びついている.

いつも読んでくださってありがとうございます. 

「記憶/物語」を読んで 1

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 出来事、歴史、記憶と物語、これらを理解すること、語り継ぐこと

 私が中学生の頃、夏休みを直前にした暑い日の体育館で全校集会があった.それは「太平洋戦争」に関する講演会で、1945年6月の沖縄戦を生き延びた女学生であった方が当時の<記憶>を語るという、思えば貴重な機会であった.私は何となく近代史に興味が湧いてきた年頃なのか、沖縄戦について、生き証人自らの当時の話を聴くということにかなり期待していた.そういう生徒が他にいたかどうかはわからないがきっと少なかったのではないかと思う.というのも、暑い体育館で一時間超も知らないおばあさんの昔話を聴くと思えば、聞くに堪えないだろう.寝ていた人はいた.だが私は彼らを非難するつもりは無い.私は自分の好奇心を満足する目的で傾聴したのであり、凄惨な地上戦の酷さに多いに共感したものの、ただ好奇を満たす方が優先されたのだと思う.よって私は特殊な例かもしれないが、講演会の本来の趣旨に沿わない一生徒であったことを認め、批判する立場に無い.むしろ戦争の証言に無関心でいる方が、沖縄から遠く離れたとある公立中学校の生徒としては、多数派であったかもしれない.平穏な日常を享受する平成の生徒が夏休みを心待ちにする状況と、半世紀以上前に同じ少年少女だった彼らが、同じ夏、塹壕の中、無慈悲な玉砕指令により手榴弾を手渡されるという、諦観と絶望する状況との乖離が凄まじすぎるのだろうか.

 ただ、過去にこのような惨劇があったことは皆記憶するべきであり、知る機会を公共の場を通じて与えられるべきだと私は考えている.だがその機会をいつ設けるかは難しい課題なのかもしれない.個人的には義務教育の期間に行うのが適当のように思う.時が経つに連れ、時代の生き証人は次第に天寿を全うしてゆくから、証言を依頼することは、もし承諾が得られたとしても本当に希少になってくる.今年で戦後75年である.

 なぜ、あの戦争が起きたのか.この問いに対して丁寧に回答できる人は少ないのではないか.なぜ、戦争を繰り返してはいけないのか.これも合理性を以て説明できる人は限られているように思う.日本では6月、8月になると、あの戦争を二度と繰り返さないように、と戒めの言葉が報道される.毎年慰霊の集会が行われ、追悼の式典が伝えられる.追悼は喪の作業である.戦争に巻き込まれた人の死を悼む、普遍的な癒やしのプロセスである(英霊を参拝する、とはニュアンスが異なる).これらを報道するのは別に良い.伝えるべきは「主に6月23日、8月6日、9日、15日に人々が祈る行為が示す、小さな声の「物語」に耳をすますこと」では無いのか.なぜ、国民総動員で戦争を駆り立てる不条理な<出来事>が行われたのか、私はこどものときからずっと疑問に感じていた.一応の論理と通史は理解したが社会の授業ではそれ以上のことはよくわからなかった.期待していたわけではなかったが、夜7時のニュースも教えてくれなかった.ニュースはいつも事実らしいことを淡々と伝えるだけである.

 「戦争をしてはいけません、戦争を繰り返さないようにしましょう」、わかったわかった、だからなぜいけないのかを教えてくれ.「悲惨だからです」それはそうだが、知りたいことはそうでは無い.こどもの頃のわたしはそう思っていた.それは大人の常識だからなのか.常識だから伝えないのかと.後に私は夜9時のNHKスペシャルや、「映像の世紀」という他国合作ドキュメンタリーを観ることで映画から暗に示される、戦争のおびただしい狂気から初めてそれを否定する理由を感じることができた.また、この<出来事>が実に深く入り組んでいる事態を知る.私は開戦に到る事由を語る難しさを知る.そして私は一連の<記憶>が次第に露と消えてゆき、物語の継承が上手く紡がれていないのではないかと考えた.

 さらに少し歳を重ねて、渡英したとき、現地のテレビで9月2日に見た朝のニュースは、戦勝国の立場としての「Victory over Japan day」を伝えるものであり、私は急速に寒気に近い、英国で居心地の悪さを感じた.「私はかつて敵対した国に今いて、私の国に勝利したことを未だに祝っているのか」と.私自身が直に触れた戦争の影はそれが初めてであったのかもしれない.私の曽祖父が満州に従軍したこと、祖父が尋常小学校で「畏き辺り」に対する不敬をを罰せられそうになった逸話、別の祖父が海軍航空隊を志願したが海軍兵学校の試験に不合格であったような話を耳にする程度であった.世代が進むにつれて、語られる話は信憑性が薄く、内容が短く、あっと驚くようなオチか、「何処其処に行った」という記録のみになってゆく.実の家族の記憶さえも風化してゆくのだ.

 私は日本近現代史を専門とする加藤陽子氏をはじめ様々な人々の書物で、上記の問いを理解しようと試みた.確かに氏のある著書は私の抱いていた疑問と同じ問いかけをしている.高校生と同じ目線に立って、或いは「自分が戦時中の官吏の立場だとしたら」という条件仮定に基づいて論考を進めている.かなり久しく時間が経ってしまったのでどんな内容か詳細に述べることはできない.だが、歴史的事象をなるべく当事者と同じ等身大の目線で捉え、どのように重大な局面での意思決定を為したかが推し量れる興味深い著作であった.

 書籍を読み進めていくうちに、極めて専門性の高い人物による、多数の文献と賛否両論の先行研究に基づいて記された著書に対して、(当然かもしれないが)真っ向と対立し、ときに辛辣な意見を述べる有形無形の存在が一定数いることに気づく.それは大きな声であり、決して無視できない勢力である.もちろん耳を傾けるべきではある.こうした声は南京大虐殺、従軍慰安婦といった負の<出来事>に関してもこだまする.そのようなことはなかったのだ、それは各々の任意で行われたのだ、もはや過ぎたことなのだ、と.歴史修正主義、記憶の風化、過去の清算.様々な用語が脳裏をよぎる.私達は「歴史」という一本の線を歩んできたと思えば、振り返ると二本、三本と沢山の線の軌跡があるように見える.一体私達はどの線を歩いてきたのだろうか、さきほどまで信憑していたはずの「物語」が疑わしくなってきてしまいそうになる.自尊心を煽り、過去から現在の自国の尊厳を保とうとする声、たどってきた線の正当性を高らかに述べる声が鳴り響く.それらはときに聞き心地が良く、魅惑的でもある.私は妖精の声に釣られて森林を逍遥する旅人か、セイレーンの声に誘われて航海する彷徨える船乗りか.

 急転直下の如く、突如何もかもがわからなくなってくる事態に陥った.私は歴史や物語、伝承を一体どのように理解したら良いのか.<出来事>を生きた証人の高齢化と減少、世代を経て薄れてゆく記憶、それに伴い枝分かれする物語.なぜ<出来事>が起きたのかを理解するには、物語の伝承を語り手の意思に忠実に行う方法についても考えなければならなくなる.忠実に行う方法があればの話だが.


 私は、岩波書店から出版されている「記憶/物語」(著者:岡真理)という論説を読んだ.(無論、妻の本である)この論考は2000年に書かれたもので、私が手に取っているその本は2014年に第14刷が発刊されたようだ.広く長く読まれている証左なのかと思う.110数頁の読み物で、じっくり考えながら読むには良い分量であった.私にとって上記のことを考える好機となった.

 彼女の考察は、レバノン郊外にある「タッル・ザアタル」(Tel al Zaatar(مذبحة تل الزعتر))、(香辛料の)タイムの繁れる丘と呼ばれる地域で、1976年8月12日にパレスチナ人虐殺が起きた<出来事>から始まる.その<出来事>を綴ったパレスチナ人作家であるリアーナ・バドル(Liana Badr(ليانة بدر))の小説「鏡の目」(The Eye of the Mirror)を読んで浮かんだ疑問を彼女は述べる.そして以下のような問題提起を行う.

 <出来事>の記憶を分有するとはいかにしたら可能だろうか.<出来事>の記憶が他者と分有されるためには、<出来事>は、まず語らねばなるまい.伝えられねばなるまい.<出来事>の記憶が、他者と、真に分有されうるような形で<出来事>の記憶を物語る、とはどういうことだろうか.そのような物語は果たして可能なのか.存在しうるのか.存在するとすれば、それはリアリズムの精度の問題なのだろうか.無数の問いが生起する.

 さまざまな<出来事>をめぐって、私たちが記憶の抗争のただなかにおかれている現在、<出来事>の記憶の分有の可能性について考えることには、クリティカルな意味がある.以下の小論で、これらの問題の一旦について考えてみたい.

 分有するという動詞は、一つのものを皆で分かち合って所有するという意味である.こうした彼女の問題提起は私にとって大いに刺激であり、解決ができるかどうかともかく、これら諸問題に対する考え方を見つめ直す絶好の機会と考えたのであった.

小論はもちろん続きます.読んでくださってありがとうございます.

The Book of Tea: 茶の本 <対訳>

Chapter IV The Tea Room

第四章  茶室

To European architects brought up to the traditions of stone and brick construction, our Japanese method of building with wood and bamboo seems scarcely worthy to be ranked as architecture. It is but quite recently that a competent student of Western architecture has recognised and paid tribute to the remarkable perfection of our great temples. Such being the case as regards our classic architecture, we could hardly expect the outsider to appreciate the subtle beauty of the tea-room, its principles of construction and decoration being entirely different from those of the West.

The tea-room (the Sukiya) does not pretend to be other than a mere cottage – a straw hut, as we call it. The original ideographs for Sukiya mean the Adobe of Fancy. Latterly the various tea-masters substituted various Chinese characters according to their conception of the tea-room, and the term Sukiya may signify the Adobe of Vacancy or the Adobe of the Unsymmetrical. It is an adobe of Fancy inasmuch as it is an ephemeral structure built to house a poetic impulse. It is an Adobe of the Vacancy inasmuch as it is devoid of an ornamentation except for what may be placed in it to satisfy some aesthetic need of the moment. It is an Adobe of the Unsymmetrical inasmuch as it is consecrated to the worship of the Imperfect, purposely leaving some thing unfinished for the play of the imagination to complete. The ideals of Teaism have since the sixteenth century influenced our architecture to such degree that the ordinary Japanese interior of the present day, on account of the extreme simplicity and chasteness of its scheme of decoration, appears to foreigners almost barren.

The first independent tea-room was the creation of Senno-Soyeki, commonly know by his later name of Rikiu, the greatest of all tea-masters, who, in the sixteenth century, under the patronage of Taiko Hideyoshi, instituted and brought to a high state of perfection the formalities of the Tea-Ceremony. The proportions of the tea-room had been previously determined by Jowo – a famous tea-master of the fifteenth century. The early tea-room consisted merely of a portion of the ordinary drawing-room partitioned off by screens for the purpose of the tea-gathering. The portion partitioned off was called the Kakoi(enclosure), a name still applied to those tea-rooms which are built into a house and are not independent constructions. The Sukiya consists of the tea-room proper, designed to accommodate not more than five persons, a number suggestive of the saying “more than the Graces and less than the Muses,” an anteroom (midsuya) where the tea utensils are washed and arranged before being brought in, a portico(machiai) in which the guests wait until they receive the summons to enter the tea-room is unimpressive in appearance. It is smaller than the smallest of Japanese houses, while the materials used in its construction are intended to give the suggestion of refined poverty. yet we must remember that all this is the result of profound artistic forethought , and that the details have been worked out with care perhaps even greater than that expended on the building of the richest palaces and temples. A good tea-room is more costly than an ordinary mansion, for the selection of its materials, as well as its workmanship, requires immense care and precision. Indeed, the carpenters employed by the tea-masters form a distinct and highly honoured class among artisans, their work being no less delicate than that of the makers of lacquer cabinets.

The tea-room is not only different from any production of Western architecture, but also contrasts strongly with the classical architecture of Japan itself. Our ancient noble edifices, whether secular or ecclesiastical, were not to be despised even as regards their mere size. The few that have been spared in the disastrous conflagrations of centuries are still capable of aweing us by the grandeur and richness of their decoration. Huge pillars of wood from two to three feet in diameter and from thirty to forty feet high, supported, by a complicated network under the weight of the tile-covered slanting roofs. The material and mode of construction, though weak against fire, proved itself strong against earthquakes and was well suited to the climatic conditions of the country. In the Golden Hall of Horiuji and the Pagoda of Yakushiji, we have noteworthy examples of the buildings have practically stood intact for nearly twelve centuries. The interior of the old temples and palaces was profusely decorated. In the Hoōdo temple at Uji, dating from the tenth century, we can still see the elaborate canopy and gilded baldachins, many-coloured and inlaid with mirrors and mother-of-pearl, as well as remains of the paintings and sculpture which formerly covered the walls. Later at Nikko and in the Nijo castle in Kyoto, we see structural beauty sacrificed to a wealth of ornamentation which in colour and exquisite detail equals the utmost gorgeousness of Arabian or Moorish effort.

 石と煉瓦を積み立てる伝統に育ってきたヨーロッパの建築家にとって、日本人の木と竹で家を建てる方法は全く建築に値しないと考えるであろう.しかしここ最近西洋建築の有能な学徒が我らの大寺院の素晴らしい完璧を認め、賛辞を送るようになった.我々の古典建築に関してもこの具合であるから、茶室の微妙な美しさ、その建築と装飾の原則が西洋のそれとは全くことなるものを外部が鑑賞できることを私達は全く期待し得ない.

 

 茶室(数寄屋)はただの小屋でありそれ以上望むものではない.いわゆる藁屋と呼ぶに過ぎない.元来の数寄屋の表意は「好き屋」である.最近では様々な茶の宗匠が茶室に対する自分の考えに応じて漢字を当てたので、数寄屋の意味は空き家か数寄屋になっている.詩的な衝動で建てられた儚い構造物であるからこそ「数寄屋」なのだ.その瞬間のある種唯美的必要を満たすために設けられたものを除いて、調度品を欠いているからこそ「空き家」なのである.故意に、あるものを完成への想像するため戯れに未完成にして、不完全を敬い聖別するからこそ数寄屋なのである.茶道の理念は十六世紀以来、我が国の建築に現在の日本の内装という点である程度影響を及ぼしたが、装飾構造の極度の簡素と貞淑のために、外国人にとってはほとんど荒廃したように見えるのである.

 初めて独立した茶室が生み出したのは千宗易、のちに千利休の名で知られた、最も偉大な茶の宗匠であり十六世紀に太閤秀吉の庇護下で茶の湯の形式を定めて完成させ、高みの領域に至らしめた.茶室の広さは以前に十五世紀の有名な宗匠紹鷗によって定められていた.初期の茶室は茶会のため屏風で仕切った普通の居間に過ぎなかった.仕切りの一部は「囲い」と呼ばれ、その名前は未だ、家の中に作られ、独立した建物でない茶室に使われている.数寄屋は、「グレース神の数より多く、ミューズ神の数よりも少ない」という諺の暗示する数、五人よりも少ない人数を歓待するために設計された茶室と、茶器を茶室に持ち込む前に洗って並べておく控えの間「水屋」と、客が茶室に招来されるまで待つ玄関「待合」と、茶室と待合をつなぐ庭の小道を「露地」からなる.茶室の見た目は印象的ではない.それは最も小さい日本の家屋よりも小さく、その建築に使われた材質は洗練された貧しさを暗示する意図が秘められている.すべてこのことは深い技芸的先見から出たものであり、その細部に仕上げられた配慮は、最も豪奢な御殿や寺院よりに払われたものよりも周到であることを記憶せねばなるまい.良い茶室は普通の邸宅よりも費用がかかっている.職人の手腕と同様に、材質の選択に途轍もない配慮と精密性が求められるからである.実際、茶人に雇われる大工は、職人の中で一目置かれ、名誉あるもので、その仕事は漆器職人のそれに劣らぬ、細心の手際を要するものである.

 茶室はあらゆる西洋建築と異なるだけでなく、日本の古典建築そのものと強烈な対照をなしている.我々の古代の気高い殿堂は、俗的であろうと宗教的であろうと、単なる大きさでさえも軽蔑しがたいものであった.世紀の大災害を免れたものごく少数は未だその装飾の豪華絢爛さで我らに畏敬の念を抱かせる力を持っている.直径二、三尺、高さ三十尺から四十尺の巨大な木の柱は傾斜した瓦屋根の重さのもと複雑な網状の斗栱によって支えられる.材質と建築の様式は火に弱いものの、地震に強いことを証明し国の気候条件に適していた.法隆寺の金堂と薬師寺の塔は、十二世紀近く無傷で実際に立っていることの顕著な例であろう.古刹と宮殿の内装は惜しみなく装飾されていた.宇治の鳳凰堂では十世紀から我々は精巧な玉座と金襴の天蓋、かつての壁画や精巧な彫像はもとより、多彩な色とはめ込まれた鏡、螺鈿細工を見ることができる.後の日光や京都の二条城のように、優美な細部と色彩において、我々はアラビア様式やムーア様式の豪華絢爛に等しい装飾の豊かさに構造上の美しさを犠牲にした例を見ることができる.

 ながらく時間が空いてしまいました.季節の変わり目で油断して少し体調を崩したのでした.涼しいどころか寒くなりましたね.鍋物が美味しくなる季節です.久しぶりの対訳です.

秋の芸術鑑賞会

さぶちゃんの絵画評論

さぶちゃん

 こんにちは.亀吾郎法律事務所の秘書、三郎と言います.さぶちゃん、と呼ばれています.いつも吾郎ちゃん並びに弊事務所の記事をご贔屓くださりありがとうございます!今回は私が初めての投稿として、事務所に飾っている絵画について紹介しようと思います.

 まずはこちらの絵をご覧ください.下の絵はオーギュスト・ルノワール(Paul-Auguste Renoir)の作品です.19世紀のフランスの印象派画家です.邦題は「雨傘」っていうのかな.吾郎ちゃんと以前、休暇でロンドンのナショナル・ギャラリーを訪れた時に、作品を気に入ってポスターを買ったんです.お土産に欲しい作品がいっぱいあって、一つだけ選ぶのに苦労しました.

Les Parapluies, Paul-Auguste Renoir, 1880-1886, Oil, Canvas, National Gallery, London

 皆さんはご覧になってどのような印象を持ったかはわかりませんが、我々は良いなと思って買いました.芸術論や美術史は詳しくないので薀蓄は語れないけれど、良いと思った所を紹介します.

 この絵は全体的に群青色です.良い色ですよね.みんなが傘をさしているから雨が降っているのかなと考えるのが妥当かと思います.薄暗い雰囲気は空模様や人の着ている服の色調から伺われるのかもしれません.ですがそれを打ち消すように、人々の表情が素敵で、我々はそこに惹かれました.特に、向かって左の女性.雨傘の題名にもかかわらず独りだけ傘をさしていません.そもそも持っていません.空のバスケットを持ち、スカートを少しだけまくりあげる姿は、これからどこかへ小走りしようとしているのかな、笑ってはいないが、穏やかな表情からは何か良いことがあるのかな、そんな予感を感じました.後ろにいる男性はもしかすれば女性が傘を持っていないのを察して傘に入れてあげようとしているのかもしれません.それは親切心で?或いは下心で?想像力を掻き立てます.ですが女性は後ろに気づいている様子がなさそうです.女性は自分のことでいっぱいなのか、別の相手を思い浮かべているのか.ただ彼女の目線はこちらを見ているようにも思います.

 向かって右側は家族連れでしょうか.母親と思われる女性が微笑んで、少女を見つめています.少女もにこにことこちらを見ているようです.少女が持っているのは輪回し「hoop & stick」で、遊び道具です.どこかで買ってもらったのかしら.その少女の姉であろう右端の女性は帽子をかぶっているので表情が見えません.もし彼女らが家族であればきっと裕福な家庭なのでしょう.衣服の装飾が豊かで左の女性の質素な服装と対照的です.かといって左の女性は健康的な印象を受けます.貧相ではありません.

 雨傘をささない若い女性と母親と一緒のあどけない少女.どちらもこちらを見ているようですが、我々の方には何があるのでしょう?

 ある一コマを切り取った、まるで写真のようですが、写真よりも画面からにじみ出る情報の余韻は多いように思いますし、それだけ我々が感じる何かは多彩に見えるのでしょう.群青ですが.

 我々はこの絵画のミステリー性に魅了されたと言っていいと思います.ルノワールの絵画の中ではこの絵はすごく有名ではないと思いますが、とても気に入っています.皆さんもロンドンを訪れる機会があれば、ぜひ美術館へ!ほとんど無料ですから!英国の芸術における度量の大きさたるや……大抵空いてるしなぁ.日本の都会の美術館はごったがえしてるからね…… 吾郎ちゃんはテート・ブリテンが好きだけど、私はナショナル・ギャラリーが好きです.掃除夫はテート・モダンも良いよって言ってたっけ.近くにバラ・マーケット(Borough Market)があるから、ご飯食べたりして……眺めてるだけでも楽しいです. 英国のご飯、酷評されていますけれど、そういうこと言う人は残念ですね.いつか英国の旅行の話も特集したいです.

これが事務所に飾っているポスターです.賃貸物件だから壁に掛けられず、残念.

 次はこちらの一枚.

無題、S. O. 製作年不詳、油彩、キャンバス、亀吾郎法律事務所

 こちらは日本のとある現代洋画家が描いたものです.これまで数々の賞を受賞したという立派な現役の画家さんです.我々の数少ない知人の中で、縁あって譲っていただいたものになります.お会いしたのは数回になりますが、大変元気な方です.海外を飛び回って芸術家仲間と絵を描いていたんですって.粋過ぎ!アトリエも拝見しましたが、高校の部室みたいなカオスがなんだかなつかしくて心地よかったです.

 写真を部分的にぼかしていますが、プライバシーのためです.下に生えているのは豆苗ですね.切っても伸びてくるのが豆苗の可愛らしいところです.

 さて、この絵は秋の那須高原だそうです.ということは奥にそびえるのは那須連山なのでしょうか.にしてもこの絵を描いた時はさぞかし良い天気だったのでしょう.快晴の空にうねるような雲.秋の雲はこんな感じですよね.風が吹いていて、雲が少しずつ動いていて、静的な絵ではあるが、動的な要素がしっかりあります.涼しい空気が肌をなでる感じが伝わってくるようです.目の前の草木は紅葉で鮮やかに色づいていますが奥の景色も紅葉が始まっていることがわかります.きれいな色遣いだと思いませんか.たくさん絵を描いてきた人だからできる色遣いなのかなと思います.木の葉の描写は陰影と重ね塗りを用いて立体的に表現されています.かといって写実的過ぎず表現の陳腐化が避けられていると思います.私と吾郎ちゃんは、かつて北海道の旭岳に行ったことを思い出しました.そのときも鮮やかな紅葉が見事で、ちょうど例の絵のような美しさでした.クリックすると拡大されるのでぜひご覧になってくださいね.

 似ていませんか?空気感、地平.色づく草木.写真は吾郎ちゃんが撮ったものです.なかなかよく撮れていると身内ながら思います.とはいっても絵の生み出す空気感と全然違いますね.北海道の話もいつかしましょうか.旭岳には二回登頂しましたよ!

 実は私、絵の左側にある断崖の部分、ちらっと描いてありますが、画家の技巧が垣間見えて好きなんです.勿論他の箇所は素敵なのですが、あえて全体を描かなかったところは作者の謙虚さがあるのかな、とか、ついつい考えてしまいます.岩肌を描くのは難しいと思うんです.影になっていると尚更.それをさり気なく描いている.すごいなぁと思ってしまいます.

 いかがだったでしょうか.絵について語れることは少ないですが、絵にまつわる思い出はたくさんあります.絵のいいところはどれも物語性を持っていることでしょうか.絵だけではないですね.どんな創造物、作品もみな物語を持っていて、どれも雄弁だけれど、静かに語る、そんな感じがします.亀吾郎法律事務所にはまだ他にも作品があるので、機会があれば紹介しますね.イタリアの絵があるんです.

 吾郎ちゃんはこの前食べたサムギョプサルにあまりにも興奮しすぎて記事がまとまらなくなっちゃったと反省していました.今度から気をつけると言っています.今後とも暖かく見守ってご愛顧いただければと思います.

さぶちゃん

ここまで読んでくださってありがとうございます.

 

サムギョプサル、そして

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 言葉には流行り廃りがあって、流行語として広く君臨することもあれば、死語として常用されなくなり、少数勢力の慰みや学術者の研究材料になるのかもしれない.私は流行語大賞などの報道にはてんで興味がないから、今どんな言葉が流布しているといったことは知らない.しかし、ある一つの言葉は最近、我が亀吾郎法律事務所で使われるようになってきた.

 先日、所内で焼肉を行った.とはいっても題名の通り、豚の三枚肉を切って焼いたに過ぎない.だが、焼肉屋に行くのとは別格の味わいであって、至福の時間であったように思う.今回はその話をしながら事務所内の流行語を紹介したい.

 私は、亀吾郎法律事務所の掃除夫であるが、同時に厨人でもあることが多い.私は如何に珍味珍品を用いず一般の食料品店で調達できる品を使って、事務所の皆さんに享楽してもらうかを念頭に置いて調理している.そういったときに動画サイトを参照して、料理をつくることが増えてきた.おそらくこういう風潮は多くの家庭にもありそうで、何だか料理本の売れ行きが低迷しそうな雰囲気である.簡単さ、手軽さ、そういった料理で美味しさが確約されるのであれば、確かに人気は出る.人は一過性の爆発的な人気を「バズる」、という現象で捉えるようである.きっと英語のbuzzから借用しているのだろうが、あまり「バズって」しまってもブンブン蝿が飛び交っているようで喧しいのも事実である.「バズる」ことは一部、動画の再生回数を増やすため、金銭収入を得るため、といった背後の目的によって行われることもあるかもしれない.不興を買ってでも話題性を瞬間的に生み出す方法は、人々の憤怒を焚き付けて電子の海を炎上させる.その度倫理観が問われることはあるが、一時的な快楽を求めるためにすぐに人々は油をせっせと注いでいる.

 湯船にコーラを張って浸かる様子を放送する、クジを全部買ってクジ屋のメンツを潰す、分厚い氷の塊に融点限界の金属球を上から落とす、一日で北海道と沖縄を旅行するなどといった珍奇な行動があることを見聞きした.酔っ払ってやっているのかと思えば、おおよそ皆素面である.中には四大天使と同じ名を名乗り常に仮面を被っている頓痴気な人もいる.よくもまぁそんなことを白昼素面でやれるなという興醒めを私は感じてしまう.革命家を自称し不登校を貫徹する児童も出現した.視聴者の快楽刺激に対する感覚閾値が徐々に上がって、生半可な刺激では不感症となり、さらなる刺激を欲しがる人々の需要に求めるべく放映者は奇天烈さを増してゆく.過剰な刺激物質に対して受容体を増やし、なんとかして生理的平衡を保つような、薬剤過感受性の病理に近いことを私は考えてしまう.P. Valéryも「精神の危機」で似たようなことを述べていたと思う.「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損々」という言葉があるが、全人類阿呆になってしまったほうがいいのだろうか.古くから宋書に伝わる袁粲の例え話として、「狂泉」が知られるので紹介しておこう.

 昔有一国,国有一水、号曰狂泉.国人飲此水,無不狂,唯国君穿井而汲、独得无恙.国人既並狂、反謂国主之不狂為狂、於是聚謀、共執国主、療其狂疾.火艾針薬、莫不必具.国主不任其苦、於是到泉所酌而飲之.飲畢便狂.君臣大小、其狂若一、衆乃歓然.我既不狂、難以独立、比亦欲試飲此水.

沈約、「宋書」巻八十九、袁粲伝

「昔ある国に、ひとつだけ水飲み場があって、狂泉と呼ばれていた.国民はこの水を飲んでいたので皆狂ってしまっていた.唯一王だけが井戸を掘って水を汲んでいたので、無事でいた.国民は軒並み狂っていたので、かえって国王の狂っていないのを狂っていると思い込み、皆で謀って国主を執え、国王の病気を治そうとして、モグサや針や薬など、あらゆる手を尽くした.国王は治療の苦しみに耐えきれず、泉へ行って水を汲んで飲んだ.そして飲み終わるやいなや狂ってしまった.君主も臣下も大人も子供も同じように狂ったので、皆はやっと喜んだ」と、ここまで話した袁粲は「私はもとより狂っていないものの、たった独りで貫き通すのも難しい.それで最近では、私も試しに狂泉を飲んでみようかと思うようになった」と.

 この寓話はおそらく、語り継がれ時を越えて詩人Khalil Gibranの耳に入ったのだろう.著作「The Madman(狂人)」の「The Wise King(賢王)」には極めて類似した話がある.原文のみ紹介したい.私がこの関連を知ったのは妻のお陰である.妻は私よりも博覧強記なのだ!

The Wise King
Once there ruled in the distant city of Wirani a king who was both mighty and wise. And he was feared for his might and loved for his wisdom.

Now, in the heart of that city was a well, whose water was cool and crystalline, from which all the inhabitants drank, even the king and his courtiers; for there was no other well.

One night when all were asleep, a witch entered the city, and poured seven drops of strange liquid into the well, and said, “From this hour he who drinks this water shall become mad.”

Next morning all the inhabitants, save the king and his lord chamberlain, drank from the well and became mad, even as the witch had foretold.

And during that day the people in the narrow streets and in the market places did naught but whisper to one another, “The king is mad. Our king and his lord chamberlain have lost their reason. Surely we cannot be ruled by a mad king. We must dethrone him.”

That evening the king ordered a golden goblet to be filled from the well. And when it was brought to him he drank deeply, and gave it to his lord chamberlain to drink.

And there was great rejoicing in that distant city of Wirani, because its king and its lord chamberlain had regained their reason.

K. Gibran, The Wise King, The Madman

 このような話からどのような寓意を読み取るかは読者の感性に委ねられる.私訳は別の機会にしよう.難しい英文ではないのできっとすぐ読めてしまうはずだ.

 余談だが、現代でも和製ホラーゲームにおいて名高い「SIRENシリーズ」には、上記の類似した構造を見ることができる(私見だが大変な恐怖体験に近い.迂闊に動画サイトで検索すると後悔するかもしれないし、オススメ動画にホラーばかりが並ぶ悲劇になるから安易な視聴はオススメしない).エヴァンゲリオンにおける「人類補完計画」も類似した計画であろう.狂気とは誰にとって、狂気なのか.私が狂っていないという確信は信憑に足るのだろうか.何を以てして狂気というのか.こうした問題提起はまた別の機会にして、サムギョプサルの話に戻ろう.とかく私がここまで引っ張って言いたかったのは、現代のマスメディアについて、狂気が狂気を内包している構造のために、視聴者と投稿者、運営全てである総体が狂気じみていれば皆健全に見えてしまうような恐ろしさがあるのではないか、ということだ.かく言う私も狂人の一人かもしれないから、これ以上強くは主張しない.

 奇妙奇天烈摩訶不思議奇想天外四捨五入出前迅速落書無用な動画サイトの中にも、秀逸だと思うものはいくつかあって、私がサムギョプサルを作ったのはそれがきっかけであった.スーパーマーケットに売っている豚バラ肉ブロックが特売で売っている時は、皆さんもサムギョプサルを夕餉に考慮してもいいかもしれない.消費期限が近くなって値引きしているときは買い時かもしれない.腐敗と熟成は表裏一体であるから、かえって旨味が増していると楽観すれば、正しく調理する限り問題ない.自宅にキムチがあれば上出来である.動画投稿者である料理研究家はキムチは優れた調味料であり食材であると言う.この言葉の意味は実際にバラ肉から出た脂でキムチを炒めたときに身に染みる.味もよく沁みる.葉野菜(レタス、サンチュ)があれば、肉を巻いて食べると、食欲をそそる香ばしい薫りと溢れる肉々しさに透き通る清涼感を感じ、抜群の相性を感じる.大葉、エゴマがあると、家族が集う円卓に和やかな静寂が訪れるはずだ.我々は白米は食べずに肉400gと野菜でのみ完結した.これで十分お腹いっぱいになるし充実感もある.糖質制限をしている人にも吉報だ.肉の脂身は加熱段階で溶けていくので過剰に気にすることはない.

 日本国内の韓国料理店へは何度か行って、美味しいビビンバやトッポギ、スンドゥブ、チヂミ、クッパ、サムゲタンを食べたことはあった.どれも舌鼓を打つ優れた料理だと思う.韓国、国内のみならず、遠い異国の料理を食べたりすると、実際に訪れて、作り手の顔を見てみたいと思うようになる.どんな人が作って、どんな人が食べているのか、なぜその調理法なのか、と.動画サイトのいくつかは投稿者が調理することが多いので、作り手の顔が見えて、親近感が湧くこともある.その人がどんな思想に基づいてレシピを考案したのか、どのような経験があってそこに行き着いたのか、完全でなくとも思いをはせることができる.料理の動画はそのような意味で見ると面白いものがいくつかある.私が見た動画はそういうものであった.変な動画を観て笑い転げるのもいいが、私はカメの甲羅干し動画や、料理動画、音楽だけがかかり続ける静止画が好きだ.


 我が事務所の流行語について戻ろう.一般には「多人数でルールに基づいて競い合い、結果最も優れていると認められること」を「優勝」というのに対して、近年では(4−5年前のようだが)「優勝」を「非常に良い気持ちになる、心地よくなる」といった肯定的な感動を表すのに使うことがあるようだ.今も流行っているのかは知らない.所謂インターネットスラングであるから、多用は禁物だ.使いすぎるとやや痛々しくなる.オジサンは特に.

 「今日は、山岡家でプレミアム塩豚骨と餃子のセットで優勝しない?」「明日は休みだから、コンビニで酒とツマミを買って、三人で酒盛りして優勝しようや」といった感じで使う.幸福の余韻を「優勝してしまった」といって表現することもある.

 かくして我々もサムギョプサルを食して「優勝」した.夫婦二人とも「優勝」してしまった.大変美味だった.焼き肉店に行くと結構値段が高く付くが、自宅サムギョプサルであれば、案外気軽に勝利宣言できてしまう.それに敗北者はいない.もしかすれば誰も敗北を喫せず、肯定的感情のみ残るから流行ったのかもしれない.言葉が生まれた背景に、学校教育における平等性の問題だとか、現代社会の競争原理に対する抵抗などといった考えがひょっとしてあるのかな、と一寸脳裏を過ぎったが、考え過ぎだ.きっと違うだろう.ともかく我々の事務所内では「優勝」が少しだけ流行っている.きっと時間が経てば廃れてしまうだろう.私達の事務所と現実世界では流れる時間が異なっている.

 時間の流れが異なれど秋の日は釣瓶落とし、であり、やはり秋は夕暮れ、である.そして天高く馬肥ゆる秋でもある.読書の秋、食欲の秋.皆さんはどんな秋をお過ごしでしょうか.誰にとっても飽きの来ない日々が訪れますように.

あまりまとまりませんでしたが、ここまで読んでくださりありがとうございます.

 

 

What I have in my mind

This article is a translation of previous one.

When I was browsing books about great writers or writings, I coincidentally made the acquaintance of other writers frequently, that mainly attracted me in the past, whereas I had suspended further research on them. I never anticipated to find out the notification in the book that one and another had actually met or they had been in the same place before, or he/she had been quoted as an example of their story. That was like unexpectedly completing a piece of gigantic jigsaw puzzle which is very hard in the process of making, I felt an ease which was the same sense of fitting something accurately in my heart. If I were to see as a flying creature the vast ground from the highest view among obscure clouds, it might be as well as seeing slight landscape through a chink which is getting wider. So I would fain tell viewers about my tiny experiences which are short, and to write down my prospect as well.

At first, I would like to mention of Khalil Gibran. I brought my mind to the translation of his poetry had been arranged among the works of Kamiya Mieko in the section of Misuzu Shobo in some bookshops since long time ago. I wondered his name supposed to be originated from west Asia, and I thumbed through one of Kamiya’s book. After that I knew that Kamiya Mieko was in the department of Psychiatry of Tokyo University, school of medicine, in which Kinoshita Mokutaro(Ohta Masao) was belong to the department of Dermatology as a professor. Such connection has directly nothing to do with literary meaning, however, people may get close each other unconsciously by somewhat called a gravity, I must say.

I learnt that Gibran was born in Lebanon, where the former Ottoman empire had occupied, and he has been famous for his poetry, especially “The Prophet” has been read worldwide. It is true that his works translated in Japanese are available in remote cities of Japan as well, nevertheless the original version can be purchased only online if living in local cities. It is all the more difficult to buy other language edition. The other day I found that Gibran firstly conceived the idea of “The Prophet” in Arabic. He went to the America in his youth and learnt skills of English, then he also went back home to receive higher education of Arabic.

Fortunately I got an ebook of “The Prophet” in English and Arabic version. I am not get used to read in Kindle, but it was a good purchase that I got it within 1,000Yen. As I read the introduction, that says it took twenty years to translate in Arabic. What a long journey it is! I cannot understand the concept of price tagging when I came across such a valuable book that is affordable less than 1,000Yen. I am also a member of Kindle unlimited in Amazon.com, so I am able to read the Japanese translation by Sakuma Takeshi for free. Then I have started to read it. What I felt was that it was easy to read and not many pages. But I have to mention that read easily and be comprehensible are not the same. The energy that the writer brought his heart to bear upon every single words must be so immense that I have to read it thoroughly. This is one of my utmost happiness to realise that I can examine it many times. As for the title “The Prophet”, it is a story like a manual of life course, the prophet Almustafa(المصطفى), teaches lessons to people who need guidance. I have not read the original poetry yet so it is not the time to speak of it. And I have got the reasonable reference book for studying Arabic at last, I would like to reverse translate gradually by using this ebook. Someday I would be happy to introduce the study result.

Secondly, I would fain speak of Rabindranath Tagore. Recently, I have very been attracted by the fact that non-English born person such as Gibran creates great English writings. Needless to say, Okakura Tenshin who is inordinately contributed to Kamegoro Law Firm is the one of greatest writer from non-Anglosphere, I believe. It is tremendously shameful for me to tell you that I thought that nothing better than using own language when expressing one’s own culture. How stupid I am! That is not true. At least Tenshin himself succeeded in attempting it in literature. Of course Gibran must have accomplished, not to mention Tagore and other writers who I do not know. I am very excited to know the fact all the more that Tenshin and Tagore knew each other, and visited their countries. It is said that Tagore has been to Tenshin’s tombstone when he died. Tagore was in Izura! He wrote “Gitanjali(গীতাঞ্জলি)” in Bengali, later on he wrote it again in English. Someday, I wish I could read his work.

I think that it is a huge encouragement for me to know that such people who are from non-Anglosphere write English literature. Particularly as for myself, who live in the world of totally different linguistic family, is quite an incentive.

I sometimes write articles in English, which are not praiseworthy contents and I think I am at best the third-rate writer. There must be many errors in my sentences. But I would like to keep writing my blog in English with my style. Then I would like to sophisticate my essay writing technique, not to be contented with the present situation, humbly tolerate the critics of others and review retrospectively by myself.

Finally, I would fain end the article by introducing a songwriter from Iceland. His name is Ásgeir Trausti. He speaks Icelandic but also good at writing beautiful lyrics in English.

Glistening nighttime dew, and she is walking with me.  

From the house of red, I hear a child crying.  

Foxes heading home, their prey hangs from their jaws.

And the forest knows, but it won’t share the secret.

When the king takes sides, leaving moral minds; soldiers take their share. Nighthawks seem to sense that now is the time.  

Deep inside them burns the raging fire of life.

He’ll take back what he owns.

Death cannot take hold, if I can keep momentum.  

Fortresses of stone, turn into crystal tears soothed by southern winds; I’ve found my strength now.  

And nobody knows, and we must keep their secret.

When the king takes sides, leaving moral minds; soldiers take their share. Nighthawks seem to sense that now is the time.

Deep inside them burns the raging fire of life.

He’ll take back what he owns.

When the king takes sides, leaving moral minds; soldiers take their share. Nighthawks seem to sense that now is the time.

Deep inside them burns the raging fire of life.

He’ll take back what he owns.

Dýrð í dauðaþögn, 2012 (In the Silence, 2013)

Thank you for reading.

私の考えていること

 ある一つの著作なり文人について読み調べると、思いがけずとある箇所で他の著作家について記されていることがある.その著作家というのは以前から関心を寄せていた人物であることが多い一方で、それ以上の関心を留保していたことがよくあった.引用のこともあれば、実際に人物らが出会っていた、同じ場所を出入りしていたということを知る.作りかけのジグソーパズルの一ピースが意図せず偶然当てはまるような感覚で、心の中でもぴたりと符合する心地よい感覚を覚える.私が飛翔体となって巨大な地上の文学を暗雲たる空から俯瞰するとすれば、雲と雲の切れ目が少しだけ広くなって、わずかに地上の景色が見えるような、そんな感じでもある.そんなことが何度かあったから、それについて短いけれどお伝えすることとし、私の展望と合わせてここに記そうと思う.

 一つは、Khalil Gibran (ハリール・ジブラーン)のこと.私は、ずっと前から書店のみすず書房のコーナーに、神谷美恵子の著作が並んでいて、その中にGibranの詩訳が置いてあったのが気になっていた.名前からして西アジア出身の人物かな、という類推のもと、パラパラと本をめくったことがあった.神谷美恵子は木下杢太郎(太田正雄)が皮膚科教授であったころの東大医局に出入りしていたと後に知った.こうした縁は文学上直接な関係があったわけではないにせよ、人々は何らかの奇妙な引力でお互いに惹かれ合うのかもしれない.そういうしかない.

 Gibranは当時オスマン帝国の支配下にあったレバノンの出身であること、詩作がよく知られていること、特に「The Prophet:預言者」が世界中で翻訳されていることを私は知った.和文翻訳は確かに大きな書店でも並んでいて、有名だ.だが、原文は地方では通信販売でしか手に入らない.他言語であれば尚更である.私は別の時期に、GibranがThe Prophetを最初はアラビア語で構想を練ったことを知る.彼は若い頃に渡米し英語の素養を身につけるが、帰国しアラビア語の高等教育をも学んでいる.

 幸運にもアラビア語版と原文同時収録の電子書籍を手に入れることができた.私はあまりKindleを使わないから不慣れだが、1000円未満で入手できたのは良い.本の紹介を見ると訳に20年ほどかけたと書いてある.何という長い旅路であることか.これが1000円未満程度になってしまうとは物の価値はよくわからない.私はKindle unlimitedにも入っているから佐久間彪訳の邦訳を無料で読むことができる.そして早速読んでみた.私が感じたのは、思ったほど分量がないことと大変読みやすいということであった.ただ、読みやすいのとわかりやすいというのは意味が異なる.一言一句にかけるエネルギー量が他の作品と違うであろうから、何度もよく読む必要がある.これは何度も味わえるということだから、嬉しいことこの上ない.預言者という題名であるが、人生における手引きのような感覚で、預言者アルムスタファ(المصطفى)が人々に助言を与えるといった内容だ.私は原文を読んでいないから書評はこれからとなる.そして私はアラビア語の勉強に相応しいであろう教材をようやく入手できたから少しずつ、勉強がてら逆翻訳してみようと思っている.近いうちに紹介したいと思う.

 もう一つはRabindranath Tagore(ラビンドラナート・タゴール)のこと.私は最近、Gibranのように非英語圏の人物が優れた英文を著す、という事実に大変心惹かれている.勿論、亀吾郎法律事務所でお世話になっている岡倉天心も非英語圏の優れた著述家であろうと私は思っている.このようなことを言うのは無知を晒すようで恥ずかしいのであるが、私は、自国文化のことを表現するのに自国の言語以上に優れたものはないと思っていたことがあった.何という愚かさ.そんなことはないのだ.少なくとも天心はその試みにおいて成功している.もちろんGibranも成し遂げているのだろう.そしてTagoreも、私の知らない数多くの文人達も.私は天心とTagoreが親交を持ち、両者が互いに行き来したという事実を知り、益々興味が湧いている.Tagoreは天心の死後に彼の墓を訪れているという.Tagoreは五浦にいたことがあったのか.彼ははベンガル語でGitanjali (ギタンジャリ:গীতাঞ্জলি)を著し、後に英文で同著を書いたという.いつか彼の作品を読んでみたいと思っている.

 こうした人々が非母国語で文学作品を創作するというのは、心做しか大いに勇気づけられるものではないのかなと思う.特に語族が大きく異なる文化圏に暮らしている身としては.

 時々私は英文をブログに載せるが、どう贔屓目に見ても私の英文はよくできているとは思えない.様々な瑕疵があるに違いない.だが私は私なりの英文を書いていこうと考えている.そして後から見直してみたり、他者の批評を謹んで受けて少しずつ良いものを目指していきたい.

 最後に、アイスランド出身の作曲家の歌詞を紹介してお終いにしたい.彼はÁsgeir Trausti(アウスゲイル・トロスティ).彼の母語は勿論アイスランド語であるが、英語の美しい詩を書いている.

King and Cross

Glistening nighttime dew, and she is walking with me.  

From the house of red, I hear a child crying.  

Foxes heading home, their prey hangs from their jaws.

And the forest knows, but it won’t share the secret.

When the king takes sides, leaving moral minds; soldiers take their share. Nighthawks seem to sense that now is the time.  

Deep inside them burns the raging fire of life.

He’ll take back what he owns.

Death cannot take hold, if I can keep momentum.  

Fortresses of stone, turn into crystal tears soothed by southern winds; I’ve found my strength now.  

And nobody knows, and we must keep their secret.

When the king takes sides, leaving moral minds; soldiers take their share. Nighthawks seem to sense that now is the time.

Deep inside them burns the raging fire of life.

He’ll take back what he owns.

When the king takes sides, leaving moral minds; soldiers take their share. Nighthawks seem to sense that now is the time.

Deep inside them burns the raging fire of life.

He’ll take back what he owns.

In the Silence, 2013

Rosso Ideation

 一ヶ月ぶりに現象学の話をすることになる.そしてこの記事は亀吾郎法律事務所の50回目の投稿である.当事務所の記事は徐々に一記事あたりの字数が5000字を超えるようになり、原稿用紙12枚に相当する.そう考えると読者はゲンナリするかもしれないが、亀吾郎法律事務所はいつでも開かれているので、読む気になったときにまた立ち寄っていただければと思う.

 さて、前回前々回はFerrari F40の真偽の話から始め、コーヒーやワキガ、サウナの例え話をして、内在ー超越の理解に努めようとした.しかし、E. Husserl自身の思索が進むにつれ、内在ー超越の議論は深みに分け入ってゆく.理解を難しくするのは、内在における「実在的内在」、「構成的内在」の用語にあることを述べた.それから私自身、さらなる理解に努めた.参考書を買って読むこともした.原書の翻訳文を読むよりも腑に落ちる感覚は数倍早い.その参考書の著者はある大学の政治経済学部を卒業したと書いてあるが、肩書は別大学の国際学部教授を経て、さらに他大学の国際教養学部教授となり、哲学者を名乗っている.よほど哲学が好きだったのだろう.出た大学とその人物評価が一致しない好例かもしれない.どこの大学の何の学部を出たかというのはあまり気にしなくても良い.問題は何をしているかだ.かくいう私は何もしていないが.その人の著書は本屋でよく見かけ、哲学のコーナーによく居座っている.そんな無類の求道者が書いているのだから、入門には良いかな、と思って買った次第だ.もし気になる方がいらっしゃればお問い合わせください.竹田青嗣という方で、氏の名前は妻から教わった.妻の教養と優しさは底知らずである.いつもにこにこしながら私はあまり良くわからないから、と謙遜する.一生ついていきます!

 本題に戻る.まずは構成的内在からだ.参考書によれば、こうしたHusserlの理解には「確信」という言葉を補うことで理解が明快になるという.「確信」という言葉は我々医療者の中で、精神医学を主とする業者はビビッと来る(来ないかな?)我々が要請に応じて面接する方々は話題が現実と異なろうと、各々「確信」に基づいて話をすることがあるからである.これを専門的に「妄想」ということがあるが、それについては触れない.病的な確信形成とだけ言及してみる.何を以てして病的なのか、という問に触れないと私の気がすまないからである.加えて言えば、何を以てして、という部分が精神病理学の根幹に迫る問題を抱えているからである.

もし氏の言うように「確信」が現象学の理解の一助となり、学問そのものの本質を突くのであれば、これは勉強しないわけにはいかない.精神医学の学会誌などでも未だに現象学を素地とした議論が活発になされていることも納得がいく.

 前回の記事を再掲する.

例えば、貴方がまたもやコーヒーを飲んでいるとする.職場の昼休みに、給湯室に昔から設置されている老朽したコーヒーメーカーで作られた酷いコーヒーを性懲りもなく飲むとする.コーヒーが好きな貴方にとって選択はこれしかない.「コーヒーを飲む」という認識は、客観認識=超越的認識となる.コーヒーではなく、実はコーヒーを模した泥水なのかもしれないからだ.コーヒーを飲んでゲロ不味いと思う意識体験は、繰り返すが、クソ不味かろうと、絶対的に与えられた体験である.これは実的内在である.となると、この構図でいう構成的内在とはなんぞや.とりあえずマグカップの液面に映る暗褐色の液体.カスのようなものが浮いている.暗褐色、液体、浮遊物という特徴.これらは意味を持つ対象だが、暗褐色、液体といった意味の受け取り方は各人に委ねられている.委ねられているにしてもその所与性は絶対的である.今、自分が飲んでいるのは「壊滅的に不味いコーヒー」だという意識.これは疑いようがない.ただ、構成的内在が超越とされるのは、それが内在のうちで構成されるものである故に、一種の超越性をもつからだという.

 前回はここで、ん?となった.これを次のように捉え直す.「超越」というのは「内在」において構成される「大災害級のコーヒー」だという意識を、単に意識ではなく、「厄災に等しいコーヒー」だという確信の意識と定義する.(一体どれだけ不味いんだろう、そのコーヒーは)

 確信を持ち込むことで、世界の構成のありようを観取するということは、私達が「内在」において如何にして「対象の確信像」を構成するか、これを解明することである.すなわち、「確信成立の条件」を解明することといえる.

 一切の認識は「内在」において構成される確信である.これは疑いようがない.自分の意識にそういう対象が与えられているという確信.確信不可疑.だからといってもそれが、実在するものに一致するとは限らない.だから上司に次のように釘を刺される.

 「いいかね、君がいつもまずいまずいと言っている液体だが、あれは一応、社の費用で贔屓の珈琲店から仕入れている歴としたブレンドコーヒーなんだ、私も社長も旨いと思って仕入れているんだ.君はそうやっていつも嫌味をいうが、何か他に言いたいことがあるのか.仕事でもそんなこと言ったら承知しないからな」

 自分がどんなに壊滅的な味だと思っていても、実在に一致するとは限らない.周りがどんなに美味しいとありがたく感じていても、自分にとっては、暗褐色の液体のおぞましさを「信憑せざるを得ない」悲劇である.しかし、「主観にとって、対象の実在が不可疑なものとして現れる」という「確信条件」を抽出することができるかもしれない.豆からコーヒーを抽出するのではなく.「確信成立の条件」の鍵はここからはじまる.

 貴方が目の前に映る、特異な深紅の自動車を見たとする.歩道でちらっと見えただけなのでじっくり見て回ることはできない.しかし、我々の内在意識には、ありありとした「2座席ミッドシップレイアウト」や「甲高い音を放つV型8気筒エンジン」、「彫刻の如く削り出されたような吸気孔」「跳ね馬の紋章」などという構造をもった像が与えられるならば、我々はそれをFerrariなのではないか、と感じ、その知覚像を、現実に存在する像と信じざるを得ない

Ferrari 488 GTBと知覚される像を、右から左へと駆けてゆく姿を認めたと仮定する.

 さらに、駆体が走り過ぎる姿を見るとき、可視範囲は次々と連続的に変わる.見える姿は当たり前だが変わっていく.部分部分を徐々に、次々と新しい局面を以て対象性を保ちながら知覚する像を与えられる.側面から後面へと.こうも知覚してしまうと(というのも変だが)一定の条件を与えられると、「信憑せざるを得ない」ことがわかっていただけると思う.もちろん、いくら信憑せざるを得ないとは言っても、実際に駆体が実在に一致することはありえない.確信に過ぎないのだから.それにずるい言い方だが、488GTBだと思ったら実は488 Pistaかもしれないし、F8 Tributoあるいは SF90 Stradaleかもしれない.以上は、「確信成立の条件」の解明の序章である.これは、「私」が対象を客観事物と信じる条件=主観的確信の条件解明に過ぎない.

 次は私だけでなく、ほかの人も、通り過ぎる車体が488GTBだと信憑する条件を解明しないとならない.もう少し、仰々しく言うと、「他者もその対象を客観存在と信憑している、と私が確信すること」である.これを用語に換言すると「間主観的確信」の条件である.

 こうした考え方をすると、「超越」という強力な「確信」がなぜ成立するのかわかるようになってくると、Husserlはそういう.へぇ……すごいっすね……

 過去の記事を踏まえて話を続ける.一般的に、「どんな学問でも、それ自体に存在する客観性の論定を目指し、さらにそれによって超越者に到達するのではなかろうか」という考えがある.つまり、どんな学問でも客観存在=認識が成り立つという図式を目指すことで、認識問題を解明できるだろうという考えだ.少なくとも自然科学は客観存在=認識を前提として議論をしている.人文科学ではそうは行かない.いわんや哲学でもだ.何もかも役に立たない.以前もこの話をした.私達が議論してきた話題のうち、「意識」する領域というのは、「万物流転」panta rhei的な領域であると言う.そこはあくまでも、主観的、間主観的な領域なのだから、結局「主観的妥当性」しか得られないのではという疑問が生じる.よって、この領域において妥当な学問的判断がいかに獲得されるのかという問題も生じる.

 考え方をつぎのように変えるのが理解のコツらしい.

 「知覚がどのようにして超越者に的中しうるか」ではなく、「知覚がどのようにして内在者に的中しうるか」をまず考える.主ー客の図式をやめようというわけだ.「絶対所与性」とは内在意識の中で確認される個別的な直観だけなのか.「知覚」「想起」「想像」の直観だけが「絶対所与性」なのだろうか.そういうわけではない.繰り返しで恐縮だが「内在意識」の内省によって、個別的な直観だけでなく、さまざまな「意味」のありよう、「普遍性」も絶対的所与として与えられている.上記の写真を例に考えると、Ferrariの車体の「知覚」を内省して、その特質を捉え、それを判断し命題化する.「あれは一台のFerrari 488 GTBが走っている姿だ」と.命題は「○○は○○である」ように一つの論理形式をとる.もちろんそこには「意味性」(普遍性)を観取するが、個別な意識作用から「超えたもの」でもある.一種の超越たる所以はここにあるようだ.普遍性故に超越の性格を持つものの、構成的内在はやはり絶対所与性である.理由はすぐに後述する.

 「現象学の理念」において、Husserlは「構成的内在」を「志向的内在」ということもある.うわ、めんどくさいな……

 どんな認識体験でも、「志向的対象」を持っている.仮に貴方が、誰かに唆されて高級輸入車を取り扱う車屋さんを訪れたとする(無茶な設定だ).オーデコロンを塗りたくりピチピチのスーツを着た従業員が、こちらの車は素敵ですよ、などと適当なことを言い出す.貴方は下の図のように何台かの車を見ている.赤というのは色に関する個的な知覚であるが、「少し朱色に近いのがRosso Corsaという色です」「鮮やかな発色がRosso Scuderiaです」という説明を受けると、貴方は「ふーん」と思いつつ、これらは兎にも角にも赤だよなという意識が伴ってくる.これは構成的内在である.普遍的意味を持つからだ.さて貴方は二台の車を見て、二台の塗装色の差異に気づくが、これらが、Rosso Scuderiaだの、Rosso Corsaだろうと、そんなことはともかく、「」である.セールスの紹介にこだわらず、「赤」という一般的・普遍的なものに還元する.なぜこれが絶対的所与性なのか.

Rosso Scuderia
Rosso Corsa

 確かにセールスに言われてみれば、色は違うなぁ、でもどっちも赤だよね.という直観が働く(はず).二者は違うが類似していると、直観するのである.これは、類似本質の直観である.この認識は実的な要素とは言えないものの、直観した「ピピッときた!」のであれば「絶対に与えられている」というしかない.くどいようだが、これらの車の客観的実在に関して言えば、どこまでも疑わしさを持つ.実は偽物だった、とか、光の具合でそう見えてしまっているだけかもしれないからとか、夢オチという酷い結末もありうる.だが、これまたくどいが、「内在」の直観として考えれば、これは不可疑なのである.

 では、志向的内在は何なのか、といえば、Husserlの著書には、次のようにある.個的な知覚(赤、V8のエンジン音、跳ね馬の紋章など)にともなって現れる対象の全体像を示す.「これはFerrari 488GTBだ!」というときの「Ferrari 488GTB」が志向的な「対象性」であるという.志向的対象性は動かし難く意識に与えられる点で、絶対的所与性である.現象学において、「実的内在」を経て「志向的内在」に至る関係構造が重要となってくる.

 上記に述べたような方法は現象学的「本質分析」である.認識探求の本質学として現象学はある.意識の本質構造の観取をイデアツィオン(イデア化)とHusserlは呼んだ.

 さて、肝心なことは「絶対的所与性」がどこまで及ぶのか、ということである.実的内在だけでなく、構成的内在も絶対的所与性に入ることは確認できた.それで十分か、といわれればそうではない.ひえっ.例えば、コーヒーに関連して、①「暗褐色」を知覚する場合(知覚作用)もあれば、②知覚せず「暗褐色」について論じているだけの場合(表象)、③自分の暗褐色の知覚直観について口述する場合(陳述)、④さらに直観のあり方の特質を本質的に観取して把握することもできる(イデアツィオン).

①給湯室で淹れたコーヒーを見たときに、「うわぁ暗褐色だ…」と知覚するときの暗褐色

②コーヒーを見なくとも、会話で職場の話題が出たときにふと、思い浮かべてしまうときの暗褐色

③自分にとっての暗褐色とは、どういう知覚体験であるかということを帰宅してから妻に説明する(聞かされる方はたまったものではない)

④毎晩就寝時に独り暗褐色についてひたすら内省し、ついにイデアツィオンしてしまう

 どれも酷だが、意識対象は暗褐色である.同じ対象であっても異なった所与性がある.必ずしも所与性の例は四つだけではない.我々に明証的な所与性として現れる対象は無数にあるだろう.所与性の違いが、経験において、普通の知覚体験なのか、表象なのか、陳述なのか、知覚一般の本質把握なのかという区別を我々に示す.私達はこれらを難なく区別している.だからこそ我々は現実でなんとかやっている.私達はこれら区別の仕方を言葉にして説明するのはかなり難しいが、自分自身に確かに与えられているという揺るぎない感覚において確信し(内的根拠)、区別できているのだという.

だが、もしこれが何らかの機能障碍によって所与性の内的根拠が失われたり、機能失調に陥るとすれば、我々が言うところの精神疾患に当てはまるかもしれない.繰り返しになるが確信形成の条件を解明するというのは、必ずしも哲学の領域だけで有用なのではなく、精神医学の一部の領域(精神病理学)においても有用なのだ.

 さて、「内在」ー「超越」という図式の理解があれば、「客観存在」とは実は内在において形成された「対象確信」であったと気づく.もはや主ー客の図式は不要だ.「確信」として我々に所与されるのは「内在」における所与性に応じた「志向性対象」として構成されるからである.所与性のありようによって、「対象確信」の像が作られる.Husserlはなんとかして、「確信」の根拠として「絶対的所与性」の概念を規定しようとしてきた.「絶対的所与性」が厳密な認識の基礎というわけでもないことがわかってきた.認識が妥当なものであるか、すなわち、普遍的な認識と呼べるには、どのような条件があれば良いのか、それを解明することが要諦である.

 まだもう少し続きます.おそらく次回で最終回になると思われます.次回は間主観的な確信条件について.

 50回を記念し、ここで改めてお礼申し上げます.いつも読んでくださりありがとうございます.主な読者は日本の方ですが、米英仏独豪伊露中といった海外の訪問もちらほらいらっしゃって嬉しく思います.岡倉天心効果は間違いなくあるはず.日本語だけでなく多言語で亀吾郎法律事務所の理念を紹介できればと思っています.

今後ともご贔屓いただけますよう、よろしくお願い申し上げます.

寿司からはじまる偽装工作

The Book of Tea: 茶の本

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 吾郎君、一体君はいつになったら現象学の続きを書くのかね、と気になる読者がいるかも知れない.心配ご無用である.まだ考えがまとまっていないだけだ.例え話をしてごまかすことにする.

 早朝に漁港へ行くと、ねじり鉢巻をしたおじさんたちが沢山集っていて、お魚を求めて遥々やってきた人々を迎え討つ.一方、良い鮮魚を良い値段で探そうと買い手は必死だ.どれにしようか、あれにしようか.今日はアレ入ってないの?そっかぁ.代わりに何があるって?へぇ、いいじゃない.ソレちょうだいよ.なんていうかもしれない.素材を仕入れて自分の店に戻るとあとは店主のお気に召すままである.魚を捌いて仕込みをする.丁寧に不要な部分を取り出して可食部を洗練させるべく、技工を凝らす.鮮魚故の身の若さから、少し熟成させて旨味を引き出すこともあるかもしれない.客の手元に料理が供され、彼らの口腔内で食材が崩壊するまで、食材は究極完全体として最高の姿であり続けるが、それは蜉蝣の命よりも短い.儚いものよ.あれだけ懸命に探しやっとの思いで手に入れた逸品を、我々の臼歯で擦り潰され、舌で転がされ、消化液と混ざり分解されてしまうのだ.そして皆、液体か粘性の高い褐色の汚物を放り出す.寿司屋で握られたばかりの寿司を口に運んで飲み込むまでの短さ.どうしようもなく美味い.美味いと感じる記憶は永劫だが、その永劫は実際は一瞬であることを知り、その一瞬は消失する.消えたものは姿かたちを変えて、また回帰する.また寿司屋に行けば同じネタが食べられる.しかし同じといってもネタの同一性は連続的ではないことは自明である.以前食べたコハダはもはや貴方の排泄物であり、糞尿でなければ、下水かもしれないし、新たな土壌の肥やしになっているやもしれぬ.

 つまりどういうことかと言われれば、現象学の続編は「準備中」というわけだ.筆者は今まさにネタを仕込んでいる.しかしネタを仕込む時間がどんなにかかっても、公開されて読まれるときは、大抵一瞬である.人々の忘却の彼方へネタが霧散するのはとても切ないからじっくりコトコト準備しようと思っている.一応私なりの職人気質風情はあるので、良いものをお値打ち価格(無償)で提供したい.それをつまらないと思うかどうかは結局お客さんにお任せするしかないのだが.ゴミのような記事を量産する方にはなりたくない.勿体ぶって言うと、亀吾郎法律事務所文芸部哲学科現象学教室は普請中である.お待ちくだされば幸いかな.岡倉天心でお茶を濁すとしよう、と言うと天心に「茶気がなさすぎる」と怒られてしまう.以下、三章の訳文です.粗茶ですがどうぞ.

The germ of Taoist speculation may be found long before the advent of Laotse, surnamed the Long-Eared. The archaic records of China, especially the Book of Changes, foreshadow his thought. But the great respect paid to the laws and customs of that classic period of Chinese civilisation which culminated with the establishment of the Chow dynasty in the sixteenth century B. C., kept the development of individualism in check for a long while, so that it was not until after the disintegration of the Chow dynasty and the establishment of innumerable independent of kingdoms that it was able to blossom forth in the luxuriance of free-thought. Laotse and Soshi (Chuangtse) were both Southerners and the greatest exponents of the New School. On the other hand Confucius with his numerous disciples aimed at retaining ancestral conventions. Taoism cannot be understood without some knowledge of Confucianism and vice versa.

We have said that the Taoist Absolute was the Relative. In ethics the Taoist railed at the laws and the moral codes of society, for to them right and wrong were but relative terms. Definition is always limitation – the “fixed” and “unchangeless” are but terms expressive of a stoppage of growth. Said Kutsugen, – “The Sages move the world.” Our standards of morality are begotten of past needs of society, but is society to remain always the same? The observance of communal traditions involves a constant sacrifice of the individual to the state. Education, in order to keep up the mighty delusuion, encourages a species of ignorance. People are not taught to be really virtuous, but to behave properly. We are wicked because we are frightfully self-conscious. We never forgive others because we know that we ourselves are in the wrong. We nurse a conscious because we are afraid to tell the truth to others; we take refuge in pride because we are afraid to tell the truth to ourselves. How can one be serious with the world when the world itself is so ridiculous! The spirit of barter is everywhere. Humour and Chastity! Behold the complacent salesman retailing the Good and True. One can even buy a so-called Religion, which is really but common morality sanctified with flowers and music. Rob the Church of her accessories and what remains behind? Yet the trusts thrive marvellously, for the prices are absurdly cheap, – a prayer for a ticket to heaven, a diploma for an honourable citizenship. Hide yourself under a bushel quickly, for if your real usefulness were known to the world you would soon be knocked down to the highest bidder by the public auctioneer. Why do men and women like to advertise themselves so much? Is it not but an instinct derived from the days of slavery?

The virility of the idea lies not less in its power of breaking through contemporary thought than in its capacity for dominating subsequent movements. Taoism was an active power during the Shin dynasty, that epoch of Chinese unification from which we derive the name China. It would be interesting had we time to note its influence on contemporary thinkers, the mathematicians, writers on law and war, the mystics and alchemists and the later nature-poets of the Yangtse-Kiang. We should not even ignore those speculators on Reality who doubted whether a white horse was real because he was white, or because he was solid, nor the Conversationalists of the Six dynasties who, like the Zen philosophers, revelled in discussions concerning the Pure and the Abstract. Above all we should pay homage to Taoism for what it has done toward the formation of the Celestial character, giving to it a certain capacity for reserve and refinement as “warm as jade.” Chinese history is full of instances in which the votaries of Taoism, princes and hermits alike, followed with varied and interesting results the teachings of their creed. The tale will not be without its quota of instruction and amusement. It will be rich in anecdotes, allegories, and aphorisms. We would fain be on speaking terms with the delightful emperor who never died because he never lived. We may ride the wind with Liehtse and find it absolutely quiet because we ourselves are the wind, or dwell in mid-air with the Aged One of the Hoang-Ho, who lived betwixt Heaven and Earth because he was subject to neither the one nor the other. Even in that grotesque apology for Taoism which we find in China at the present day, we can revel in a wealth of imagery impossible to find in any other cult.

 道教徒の思索の萌芽は老子、長耳の翁とあだ名された人物が到来する遥か前に見出されるだろう.中国の古代の記録、特に「易経」が、彼の思想の先触れである.しかし紀元前十六世紀に周王朝創始とともに最高潮に達した中国文明の古典時代の法と慣習に払われた大いなる敬意は長きにわたり個人主義の発展を阻害した.個人主義が自由思想へと花開くことが可能となったのは、周王朝が解体し諸王国が独立して樹立した後からであった.

 老子と莊子は二人共南部出身の新学派の偉大な代表人物であった.一方で孔子と数多くの門弟は古くからの慣習を保持しようと目指してきた.道教は儒教の知識を知らずして理解はできず、逆も然りである.

 道教徒の「絶対」は「相対」だと我々は述べた.倫理学において道教徒が社会の法と道徳律を罵倒したのは彼らにとって善悪は相対的な用語にすぎなかったからであった.定義には制約がつきまとう.「一定」と「不変」は異なる用語だが成長の停止を表す.屈原は次のように述べた.「賢者は世界とともに動く」.我々の道徳の基準は社会の過去の必要で生まれたものである.しかし社会はまったく同じ状態であるだろうか.共同社会の伝統を遵守することは、個人が国家に対して常に犠牲を払うことである.教育というのは、多いな幻想に追従するため、無知の種を奨励するのである.人々は真に貞淑を教わるのではなく、真っ当に振る舞うことを教わるのである.我々が不徳であるのはあまりにも自意識がすぎるからだ.我々は他者を許すことが決してないのは、自分たちが間違っていると知っているからだ.我々は良心を大切にするのは真実を他に伝えるのを恐れるからである.自身に真実を伝えることを恐れるから自負に訴える.世間そのものが馬鹿げているのにどうして世間に真面目でいられるのか.物々交換の精神はそこら中にある.ユーモアと純潔だと.「善」だの「真」だのを商売にする独善的な商人を見たまえ.人は所謂信仰を買うことはできるが、花と音楽で聖別された通例の道徳にすぎない.教会からそうしたお飾りを取り去って何が残るのか.しかし企業連中は大繁盛だ.値段は呆れるほど易いからだ.天国行きの切符を手に入れるための祈りも、名誉市民の免状も.急いで自分の天賦を隠すのだ.貴方の本当に役立つものが世界に知られると、競売にかけられ最高入札額で落札されるだろう.なぜ男も女もそんなに自分を広告したがるのだ.奴隷時代に由来する本能なのではないか.

 続発的な諸運動を支配する能力に劣らず、同時代の思想を突破する力に、道教思想の雄渾はある.道教は、支那という名が得られた中国統一の始まりである秦王朝の間、実質的力を持っていた.もし同じ時代の思想家、数学者、兵法家、神秘主義者、錬金術者そして揚子江の後期自然詩人が蒙るその影響を私達が記す時間はないが、それは興味深いであろう.白馬が本物なのはそれが白いからだ、あるいは固体だからである故かと考える「実在」思想家や、禅学者のように「純粋」と「抽象」に関する議論に耽った六朝の保守派を無視するべきではない.とりわけ、我々はみな「翡翠のように暖かい」慎みと清廉の能力を授け、中国の特性形成にむけて成し得た道教に敬意を払うべきである.中国の歴史は道教の唱道者、王侯や隠者も同じく、信条の教えを説く多彩で面白い説話で溢れている.説話は説法と愉悦が必ず割り当てられている.逸話や寓話、金言が存分に含まれている.我々は喜んで、生きていないから死んでもいない愉快な皇帝と話をしたいものだ.我々は風そのものなのだから、列子と風に乗り、絶対の静寂を探そう.或いは黄河の翁たちが、天でも地でもない故に天地の間に暮らしたように、彼らとともに中空にとどまろう.今日の中国で我々が見出す奇抜な弁明の道教にさえも、我々は他のいかなる信仰では見つけられない豊富な空想話を楽しむことができるのだ.

 なかなか翻訳は骨が折れる作業ですが、天心の言わんとするところを感じる瞬間、すっと風が吹いてきて気持ちが良いのです.特に第二段落は圧巻です.世間が馬鹿げているのにどうして真面目でいられる?この頃から世の中は馬鹿げているのだなぁ、やっぱりそうなんだなぁ.亀吾郎法律事務所も俗っぽくなって試しに広告掲載を始めましたが、収益は一切ございません!やったぜ.

 ”Why do men and women like to advertise themselves so much? Is it not but an instinct derived from the days of slavery?”「なんでみんなそんなに広告好きなの?奴隷根性抜けてないんじゃないの?」と言われてしまえば返す言葉もございません.拝金主義?所詮亀吾郎法律事務所も俗人の集いなのかもしれない.でも俗人でない人っているのかしら.

 ここまで読んでくださりありがとうございました.

Freude am Rühren かきまぜる喜び

The Book of Tea: 茶の本 Chapter III 第三章

Taoism and Zennism 道教と禅道

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Take eggs out from refrigerator, crack two or three of them and pour into bowl, then beat. Put a piece of butter into a flying-pan. Make a fire and melt it until the butter covers the surface. When the pan gets enough heated, pour beaten eggs into the pan, then stir them as fast as possible with your full energy.

When eggs become soft-scrambled, put away from the fire and let them cool. About 30 seconds of silence. Take off the remains of eggs on the edge of pan with spatula, at this time, you may mix in other ingredients. Put the pan on the fire again with a high heat, tidy up a shape like spindle. Use wrist pliably to turn over the cuisine on the pan, then serve it in a plate. Need ketchup? Help yourself.

This is an irreplaceable moment. If a stew is a long-distance race, this cuisine is a sprint. This is a race to the finish in an instant. Winner is for those who cook the dish better.

A hot omelette is always an outstanding masterpiece. Many will adore the creamy taste of omelette. The sauce of yolk overflows when corrupting the perfect creation, this is a breathtaking moment but also a painful time. The mild saltness of butter is awesome. You can put in sliced cheese, mushrooms, beacon, chopped vegetables are fantastic. minced meat are greatly welcomed. An omelette adopts every ingredients and embodies with itself. The definition of the legitimate omelette cannot be decided forever. because whoever the chef, such as the Spanish, the French, the Taiwanese, or the Iranian, always make excellent omelettes in their styles. Egg dishes were the beloved of people since the era of an ancient empire, they eagerly took pains and enjoyed the completion of recipe, by studying how to heat or to mix with other ingredients.

 冷蔵庫から鶏卵を取り出す.二、三個割って、器に入れて溶き卵にする.フライパンに牛酪を入れる.火をつけて溶かし表面を油で覆う.フライパンを十分に温めたら溶き卵を注ぎ、全身全霊で一気にかき混ぜる.

 

 半熟になってきたら、火からフライパンを離し、少し冷ます.約30秒の静寂.縁についた卵を箆で剥がし、ここで具材を任意で放る.再び火にかけ、紡錘状に形を整えてゆく.手首をうまく使ってパン上でひっくり返す.皿に盛る.ケチャップはお好みで.

 

 この時間は刹那.煮込み料理が長距離走なら、この料理は短距離走だ.一瞬で勝負がつく.美味しくできれば優勝だ.

 

 出来上がったオムレツは美味しい.ふわふわなオムレツが好きな人は多い.崩すと中からとろっと溢れる卵液.牛酪の塩加減が絶妙だ.中に乾酪があっても良いし、茸でも、ベーコンでも良い.刻んだ野菜も良いし、挽肉と和えたって良い.オムレツは具材を受容し自らと一体化する.勿論、もっと変性させて固くしても良い.スペイン風でも、フランス風でも、台湾風でもイラン風でも美味しいに違いない.だからオムレツの定義は難しい.何が正統なオムレツかはどうでもよい.古代の帝国から鶏卵料理は人々に寵愛され、その生命の器をどのように熱して、どのような具材と混ぜるか、苦心し、完成を楽しんできた.

と、ここまでは英文和文ともに私の文章.以下は天心の訳になります.オムレツの礼賛、いかがでしたか.


The connection of Zennism with tea is proverbial. We have already remarked that the tea-ceremony was a development of the Zen ritual. The name of Laotse, the founder of Taoism, is also intimately associated with the history of tea. It is written in the Chinese school manual concerning the origin of habits and customs that the ceremony of offering tea to a guest began with Kwanyin, a well-known disciple of Laotse, who first at the gate of the Han Pass presented to the “Old Philosopher” a cup of the golden elixir. We shall not stop to discuss the authenticity of such tales, which are valuable, however, as a confirming the early use of the beverage by the Taoists. Our interest in Taoism and Zennism here lies mainly in those ideas regarding life and art which are so embodied in what we call Teaism.

It is to be regretted that as yet there appears to be no adequate presentation of the Taoists and Zen doctrines in any foreign language, though we have had several laudable attempts.

Translation is always a treason, and as a Ming author observes, can at its best be only the reverse side of brocade, – all the threads are there, but not the subtlety of colour or design. But, after all, what great doctrine is there which is easy to expound? The ancient sages never put their teachings in systematic form. They spoke in paradoxes, for they were afraid of uttering half-truths. They began by talking like fools and ended by making their hearers wise. Laotse himself, with his quaint humour, says “If people of inferior intelligence hear of the Tao, they laugh immensely. It would be the Tao unless they laughed at it.”

The Tao literally means a Path. it has been severally translated as the Way, the Absolute, the Law, Nature, Supreme Reason, the Mode. These renderings are not incorrect, for the use of the term by the Taoists differs according to the subject-matter of the inquiry. Laotse himself spoke of it thus: “There is a thing which is all-containing, which was born before the existence of Heaven and Earth. How silent! How solitary! It stands alone and changes not. It revolves without danger to itself and is the mother of the universe. I do not know its name and so call it the Path. With reluctance I call it the Infinite. Infinity is the Fleeting, the Fleeting is the Vanishing, the vanishing is the Reverting.” The Tao is in the Passage rather than the Path. It is the spirit of Cosmic Change, – the eternal growth which returns upon itself to produce new forms. It recoils upon itself like the dragon, the beloved symbol of the Taoists. It folds and unfolds as do the clouds. The Tao might be spoken of as the Great Transition. Subjectivity it is the Mood of the Universe. Its Absolute is the Relative.

It should be remembered in the first place that Taoism, like its legitimate successor Zennism, represents the individualistic trend of the Southern Chinese mind in contradistinction to the communism of Northern China which expressed itself in Confucianism. The Middle Kingdom is as vast as Europe and has a differentiation of idiosyncrasies marked by the two great river systems which traverse it. The Yangtse-Kiang and Hoang-Ho are respectively the Mediterranean and the Baltic. Even to-day, in spite of centuries of unification, the Southern Celestial differs in his thoughts and beliefs from his Northern brother as a member of the Latin race differs from the Teuton. In ancient days when communication was even more difficult than at present, and especially during the feudal period, this difference in thought was most pronounced. The art and poetry of the one breathes an atmosphere entirely distinct from that of the other. In Laotse and his followers and in Kutsugen, the forerunner of the Yangtse-Kiang nature poets, we find an idealism quite inconsistent with the prosaic ethical notions of their contemporary northern writers. Laotse lived five centuries before the Christian Era.


 禅道と茶の結びつきはよく知られている.我々は既に茶会が禅道の儀礼の発展であることについて述べてきた.道教の創始である老子の名も、茶の歴史と密接である.慣習と風俗の起源に関する中国の指南書に、客に茶を提供する儀礼が記されており、茶会は老子の門弟で有名な関伊が函谷関で「老賢者」に初めて一杯の黄金の霊薬を振る舞ったことが始まりとされている.我々はそのような話の真偽を論じることを止めはしない.しかしながら、道教徒による茶の古い使用を確証するものとしてその話には価値がある.道教と禅道に対する我々の関心は主に、茶道に体現する人生と芸術に関するこうした思想にあるのだ.

 

 我々は幾度と尊ぶべき試みを行ってきたのにも関わらず、道教徒と禅宗の教義を表す適当な外国文がないことは遺憾である.

 翻訳というのは常に背信である.そして、ある明朝の著作家が述べるように、せいぜい最善を尽くしても錦織の裏でしかない.あらゆる錦糸は織り込まれても彩色と意匠の精緻はない.しかし結局、説明するのが容易い偉大な教義とは何であろうか.古の賢人は系統だった形式で説法をすることは決してなかった.彼らは逆説的に話をした.というのは半分正しいことを述べることを恐れたからである.彼らは愚者のように話し始め、聞き手が賢くなるよう話し終えたのだ.老子自身、奇警なユーモアを備え、「知性の劣る人が『道』を聞けば、笑い転げるであろう.笑われない限りは『道』ではない」と言ったのだ.

「道」は文字通り、「路」を意味する.それは「方法」、「絶対」、「法」、「自然」、「最上の理性」、「様式」と幾度も訳されてきた.これらの言葉は誤ってはいない.質問の主題によって道教徒が用いる言葉が異なるからだ.老子自身このように述べている.「万物を有する物が存在する、それは天地の存在以前に生まれたのだ.なんと静かなことか.なんと寂しいことか.独り立っていて変わることはない.自身を巻き込むが危険がなく、宇宙の母なのである.私はその名を知らないから『道』と呼ぼう.気が進まないが『無限』と呼ぼう.『無限』とは『一瞬』であり、『一瞬』とは『消滅』である.『消滅』とは『回帰』である.『道』とは『路』よりも『径』である.『道』は『宇宙変化』の精神であり、新たな形を生み出すため自身へと回帰する永遠の成長である.自身に返る龍のように、道教徒に愛された象徴である.雲のように立ち込め、溶けてゆく.『道』は『大きな過渡期』として話されるのだろう.主体としては『宇宙』の『様式』である.その『絶対』は『相対』である」

はじめに覚えておくべきは、禅宗が道教の正統な後継者であるように、道教は、儒教として表される中国北方の共産主義と異なって、中国南部の精神の個人主義的傾向を表している.中華王国はヨーロッパと同じ広さであり、特異性の分化が、横断して流れる二つの大河によって生まれた.揚子江と黄河は地中海とバルト海に相当する.今日でさえ、統一の世紀にも関わらず、南方中国は、ラテン系とチュートン系で異なるように、思想と信条が北方の同胞と異なるのである.古代の時代には意思疎通は現代よりもますます困難であり、特に封建時代の間、思想の差異は最も著しいものであった.技芸と詩歌は他方とは全く異なる空気感を生み出す.老子とその門弟において、揚子江の自然詩人先駆者である屈原において、我々は現代の北部文人の散文的で倫理的観念とはまったく不一致な理念を見出す.老子はキリスト教の時代五世紀以前に生きていたのである.