このサイトについて

このサイトを管理する人についてお話します.

 改めてこのブログにお越し下さりありがとうございます.このページを開いてくださったということはわずかでも関心を寄せてくださったのかと思います.大変嬉しく思います.私のことを簡単に申し上げると、私はほそぼそと精神科臨床をしている身です.ものを書くことが好きでブログを始めました.妻とクサガメ2匹と文鳥2羽で亀吾郎法律事務所を運営しています.自宅ではもっぱら事務所の掃除夫として仕事をしています.日常を綴る他に考えたことを自分の経験に落とし込んで論考を書いたりします.さらに興味が湧いた方は長いですが下記に掃除夫の来歴がございます.

 いつでも気軽に立ち寄ってください.適当にコメントを残してくださるのも大歓迎です.連絡先もありますから、遠慮なくどうぞ.記事の取り扱いはサイトポリシーに詳しいです.

 それではお楽しみください.


幼少期のわたし

 日本出身の人.庚午.蠍座.幼少から世界の神話や伝説、御伽話に親しんだ.二歳で渡米するが自我機能が芽生えず記憶がない.飛行機の中で騒ぐと困ると無粋な心配をして、親は私に睡眠薬を飲ませたようだ.それ以来私は大人しくなってしまった.しかし時折人外のモノマネをすることが好きだったよう.もしかしたら当時は人間ではなかったのだろう.四歳で帰国.地元の幼稚園に通う.幼稚園で配膳される給食に、大嫌いなマヨネーズがかかったポテトサラダがいつも入っていた.食べ終わるまで昼休みが許されなかった.散々マヨネーズの酸味で嘔気を誘発し弁当は食べられなかったので昼休みはいつもなかった.マヨネーズへの否定的感情は暫く続いた.地元の小学校に通う.道のりと時間の問題があまりよくわからないまま卒業した.右大腿にあった巨大な黶を近くの医者に取ってもらったことと、遠足で訪れた山の坂道で転倒し右膝を擦りむいたことはよく覚えている.近視になりメガネをかけ始める.近眼になったのはゲームのせいかしらと親は言ったが、純粋に遺伝である.好きなゲームはやめなかった.

 地元の中学校に進学、英語のスピーチコンテストに毎年出場する、洋書を読み始めるなど英語への関心が高まる.夏休みに渡英したことを契機にさらに熱意が加速した.一方、数学への不向きが少しずつ明らかになる.地元の高校へ推薦入試を志願、中学の担任は嫌そうな顔をした.推薦したくなかったのだろう.結局推薦入試で合格し、周りよりも一月早く楽天的ムードになるが、兄の大学受験への大変さを家庭内で感じるようになり、新たな受験闘争の軍靴が聞こえてくるのを恐れた.兄は暫し成績不良を親に叱られ受験勉強で涙した.彼は旧帝国大学の医学部に入ったというのに.私はテレビゲームに情熱を益々傾けるようになった.左足首を怪我をして入院したのもこの頃が初めてであった.十年くらい飼っていていた亀が死んでしまったことも同時期である.

少年期のこと

 高校2年で文理選択になり理系を選ぶが、数学・化学・物理学に立ち行かなくなること多く、世界史と英語に逃避するようになった.文系を選べばよかったのにと思うこともしばしば、好きなゲームも我慢し、数学の勉強を続けたが、芳しい結果は残らなかった.

 夏休みに気休めで北海道を訪れたことが印象に残り、北海道の大学を目指す.浪人覚悟で由緒ある大学の医学部を受験、英語は95点だったが数学は5点だった.結果不合格.意気消沈し、実家でしばしの安息を過ごす.兄が借りてきた新世紀エヴァンゲリオンを一気に観てひどく脱力した.すぐに都心郊外ベッドタウンの学生寮に転居.そこから片道50分の満員電車で通学する耐え難い経験をする.この頃からファストフード、コンビニ食に慣れ親しむようになる.好みのラーメン屋を覚える.寮の食事で体重は減少した.予備校に通うたびに都会の喧騒が嫌になり、予備校の前の坂を登ることも嫌になった.模擬試験を受けるが決して良い結果は出ず、予備校講師の金言も癪に障るようになった.合格率を上げるために、誰もやらない理科三科目を受験するという苦行を始めるようになり、物理、化学の他に生物も受講するようになった.おかげで朝から晩まで勉強漬けとなった.この辺から変な食嗜好に目覚め、「桃屋のザーサイ」と「やわらぎ」をよく食べるようになるが恐らく体内で何か欠如していたのか、頭がおかしかったのだろう.これまでの模試の結果を参考に予備校の担任の先生と面談すると、うーん厳しいね.と当然の説明.うーんそうですねと返答.現実と理想の乖離を自覚してゆく有触れた空気感が張り詰める冬になると、予備校で知り合ったであろうカップルが入口で争いの火種を巻く.冷ややかな目線を送る自分は邪念をよそに淡々と勉強に打ち込んだはずだったが、もはや成績上昇は頭打ちに近い.ひたすら善行を積めば良いことが起こるであろうと、大抵の人に挨拶をしてコンビニ店員にも礼儀正しく、寮の食堂のおばちゃんにも愛想よく振る舞うようになり、神の恩寵を受けたいがため運命予定説を盲信するような人間になってしまった.この行動様式は後に大学生の試験勉強でも行うようになり、お陰で周りからは無害な人と思われるようになった.

 二度目のセンター試験で数学IAに躓き、初めての過呼吸を試験中に起こす奇行を会場で披露、英語のリスニングでは前席の受験生の貧乏揺すりがひどく、設問が聞き取れないという屈辱を期した.国語では思った以上に漢文古文に時間がかかり、現代文を飛ばし読みで回答する羽目になった.生物化学物理の結果は忘れてしまった.世界史は凡ミスが多く、ひどく気落ちしたものであった.結果はどうだったかと家族に聞かれるも陳腐な返答しかできず、第一志望はゆずれないという標語は、現実的には譲らざるを得ない方向に向かいつつあった.すぐに私立大学医学部の試験も始まり、独特の設問と、同じ学部を志望する酔狂な人々と人生の大事を共有することになった.結果はお察しの通り、と思いきや一個だけ一次試験合格となり、どうしようもない面接をするはめになった.試験会場まで滞りなく行けるよう道順を確認し、なぜこの大学を志望したのですか、と訊かれたときに「滑り止めです」以外の模範解答を答えられるようにするため思考力を磨いた.しかしながら何一つ思いつかなかったために、試験会場で凡庸なことを言って、不合格になった.ああ、もう駄目かと思い最後の国公立大学前期試験に傾注すべく只管数学を解いた.時々英語の問題をやると、大学生になったら例文の出典の本を買って読もうと思ったものだ.

 精根尽き果て北海道へ出立、吹雪の中独り歩いて受験会場に到着、地元の高校に似たオンボロさに安心と落胆がまじり前期試験を迎えた.そこそこの手応えを感じたのだが、結果は不合格.北海道から戻り、さぁ寮のパソコンで結果を見ようと、礼儀正しく過ごしていたが、買い物からの帰りに寮の前で親から形態電話に着信.お前落ちてるぞ、どうするんだとひどく狼狽した口調、本人より先に結果を知り、勝手に狼狽えやがって、と思い理不尽さを感じた.すると急速に焦燥感が強まり、まさかの二度目の過呼吸になる.ひどい気分のまま自室に戻り、果物ナイフを見つけて、数分間見つめ合い、このまま死ぬべきか否か考えた.ナイフは見えないところに隠し、眠ることにした.

 後期試験も同じ大学医学部にすることにした.もはやダメ元というやつである.意識は清明だが気持ちはすっかり萎縮し敗北が濃厚な浪人生として受験した.30倍の出願率でもはや合格は無理であろうと誰しもが思う戦いであった.奇妙な出題内容で朦朧となり、ふにゃふにゃしながら解答した.そして既視感のある面接に望む.一体何を考査しているんだと思うような集団面接で、どんよりした寒空によく似た空気感とやっと受験を終えた感覚を得た.実家に帰っても敗戦色漂う通夜のような日々.自分はカルヴァンのごとく誠実な振る舞いを続け、合格発表の日を迎える.とりあえず小便をして、大学のホームページで結果発表を見れば、知っている受験番号がある.む?もう一回見るとやっぱりある.というわけで合格.小躍りをした.もう数学はやらなくていい.

勉強した青年期

 めでたく大学生になり、引越しをドタバタする.スーパーマーケットと寿司屋とラーメン屋と焼肉屋の近くにアパートを借りて生活が始まった.

 入学式、新入生オリエンテーションなど終わり、教養科目が始まると統計学と物理学が必修であることに絶句.まだ数学をやらないといけないのかと思い、本当にがっかりした.部活動は部費のかからないゴルフ部にした.部屋が広いので入学当初はよく人を呼んでゲラゲラ話をした.しかしみんな酔いつぶれて朦朧としてくると、片付けに気が付かないふりをしてそそくさと帰り始める.結局片付けをするのは自分になるとわかると、決して人を呼ばなくなった.一人嬉々としてテレビゲームを再開した.浪人生でゲームをやらなかった一年で、ゲームの性能が格段に向上したことに感動していた.

 教習所にも通い始め、オートマチック限定で免許をとることになった.そのときは車に関心がまるでなかった.幸い運転には困ることなく、試験は通過した.指導員と検定試験問題は時々理不尽であった.

 秋頃に検定を終え、帰省したときに免許試験を受けた.これで落ちたら嘸かし惨めだろうと思っていたが合格した.学生一年目はあまり記憶がなく過ぎ去った.とはいっても春休みに欧州をバックパック旅行したとき、寝台列車で同じ部屋のタバコ臭い16歳のリビア人と話をしていた夜に日本ではとてつもない大災害が起こり、渡航先のテレビを観て目頭が熱くなったのを覚えている.

 2年生になると基礎科目が始まる.小テストと称する暗記大会が連日開催されたが、試験に通らず、さらに再試験で不合格だともれなく単位がもらえない.5回くらいあった中で2回か3回再試験であった.ちゃんと勉強すればよかっただろうと言われるだろうが、わざわざ再試験を受けたがるやつがいるか.やりたくもない綱渡りをしていたようなものだ.他の試験も再試験の常連と化した.ある日スケッチの実習で描いた絵を先生に見せると、君は適当にやってふざけているのかねと怒られてしまった.ただ早く帰りたくて素早く描いただけでふざけてはいない.先生はどうも私が不真面目な学生にみえたようだ.相性が悪かったらしい.

 その頃はどうしても用語が覚えられず、試験勉強には苦労した.適性がないのだろうかと嘆いたこともあるし今でも適性はあまりないように思われる.2年生は進級が難しい学年で有名であった.きっとこの体たらくでは落第するだろうと思いはじめ、また私はカルヴァン主義の信徒となった.同時期にTOEICやTOEFLの勉強をしていたことは唯一のいいわけである.別に留学をしたかったわけではなく.やはり純粋に語学がすきだったのだろうと思う.英字新聞も購読していたし、J. Swift, E. FosterやE. Waugh, J. Austin, A. C. Doyle, C. Dickensなどを読んだ.その頃海外の自動車番組を観る機会があって英語を見聞きすることは欠かさなかった.車にも興味を示すようになった.やがて進級結果に戦々恐々した私はついに神頼みを決行することにした.春休みに山陽地方と四国をめぐり、知られた神社仏閣を尋ねることにして精神の安定を図ることにしたのだ.旅行先で進級結果を知ったが、辛うじて進級していた.温かい日差しと瀬戸内の海は美しかった.後に三島由紀夫の潮騒を読んだ.

 そこからしばらくすると余暇ができて、部活やその他課外活動に精を出した.つまり遊んだということだ.3年生のときは再試験はなかったような気がする.春休みにはまた外国に出かけた.地中海をめぐりユーラシアとアジアの交差点を訪れた.この話はまたいつかする.4年生になって思いがけず再試験にはまりかけ、再び進級が危ぶまれた.コンピュータをつかった全国統一試験が同じ学部のある全大学で行われ、目が乾きながらも平均以下の成績でこれを突破した.短い春休みを経て、5年生になると1年中臨床医学実習となる.1週間、2週間ずつ経験すべき科目を順繰り回ればよいので、進級は危うくないのだが、たいてい出席しないといけないのが辛いところである.実習のレポートやら発表をしないと単位をもらえないところもあり、簡単に言ってしまえば面倒くさいことこの上ない.学生が手出し無用なものは見学に徹するのだが、意義を見いだせないと集中できないのが常である.多くの人がたいていこくりこくりする.

 朝早く出向かないと行けない科目がある.モーニングカンファレンスなどと言って、聞いてもわからない話が繰り広げられる.頼んでもいないコーヒーが出てくる.大学併設のスターバックスコーヒーが飲めるぞ、金払ってケータリングしてもらっているんだ、さぁありがたく飲めといわんばかりだが、みんな神妙な顔をしてこれを泥水みたいに飲む.安心していると口頭試問だ、といって色々質問してくる.わからない場合、まごまごするやつとはっきりわかりません、というやつに分かれると思う.自分はいさぎよくわかりませんといい、早くもリタイアを申し出る.指導する側はいちいち学生の顔は覚えないだろうから、いくらこいつアホだなと思われても痛みは一瞬だと思えば、あまり気にしなくて良い.実習の単位をわざと落としてもう一度アホの面を見るよりもとっとと単位をくれてやってしまうほうがお互い有益であろう.というわけで単位は無事にもらえた.6年生になると、選択実習とは建前の学生最後の猶予がもらえる.一応、君たちは来年医師国家試験を受ける身で受験生だ、受験勉強しないといけないだろう、実習はいいから勉強しなさい、といったわけで自習にあてがわれる.我々はありがたく享受する.もちろん好きな人は実習を続けることもできる.私はマニュアル運転をできるよう、限定解除するべく教習所へ行った.一体君は何に乗りたいんだい、と指導員に訊かれたが私は軽トラックを運転できたらいいですよね、などといってごまかした.思っていても言わなくていいことはたくさんある.

 医師国家試験のためにその業界特別の予備校がある.インターネット環境ありきだが、大学受験予備校教師のような素性のわからない人々が講義をオンラインで行うもので、お金を払えば良質な講義が受けられる.大学で受ける下手な講義よりずっとましである.日本の一部専門教育は受験業界が支えているといってもよいほど体系だった授業であったと思う.自分はこちらのほうが性にあっていて、国家試験の模擬試験では中くらいから上位くらいまで成績が伸びたのであった.これとは別に大学謹製の卒業試験も待ち構えている.こちらは国家試験とは違って大学教員がこねくり回す趣味性の強い問題が多く、新作問題ばかりである.相当対策しないと合格は厳しい大学最後の関門で、一応再試験もあるが、再試験を受けると国家試験直前まで結果がわからない.卒業試験に合格しないと国家試験を受験できないので、気もそぞろになりかねない.色々おかしくなる.もし国家試験を受けられたとしても大抵心身が摩耗し浪人生になってしまう.したがって私はめずらしく全力を注いだ.少人数の勉強会なるものをつくり過去問題の解答を用意し、解説できるよう苦心した.一応、大学の試験は過去問を公開する教室が少ないので、各学年は試験対策委員会を組織して試験問題を試験中に覚えたり、こっそり入手したりして問題を再現する他、問題の解答解説を作成しなければならない.他の大学でもそうだろう.今回、再試験の常連であった私がなぜかとある科目の長に命ぜられてしまい、ある試験科目を編集することになってしまった.こうなるのであれば是が非でも合格しなければというわけで過去問を何周もしたのは思い出深い.おかげでなんとか合格した.結果がでるまではまた禁欲的な生活を送り、カルヴィニズムを実践したのである.結果を知る発表当日までは大変気分が悪く憂鬱であった、試験とはつくづく嫌なものである.

 国家試験の方は模擬試験で合格圏内であることがわかっていたので卒業試験ほど不安ではなかったが、3日間あるのがもはや苦痛であった.各人ホテルを取って泊まり込みで、試験を受ける.試験2日目くらいからなんだか倦怠感を感じ、黄色い鼻水が出てきた.3日目でどう考えてもこれは風邪だろう寒気が生じてきたため身体的には最低の状況であった.とうとう試験を終え、感無量.これにて人生のうち試験はもうしばらく受けないだろうと思う嬉しさがこみ上げるのだが、いかんせん体調がすこぶる悪い.帰りの電車でビールを飲むがこれが妙にまずい.帰宅すると38度の熱があったので、どうやら風邪を引いていたようだった.

 予備校がどういう方法かしらないが、問題を仕入れ解答速報を作るので、受験生はすぐに答え合わせをして合格ラインかどうか知ることができる.これを利用して安心する人が多く、私もそれを使った.すると、しばらくして結果が返ってくる.合格ラインとのこと.ほっとしたのはすでに卒業旅行で外国にいるときであった.楽しいときはすぐに過ぎ去ってしまう.初めて左ハンドルの車を運転したのは良い思い出である.帰国すると、国から正式に合格通知を受け免状をもらう.医師免許だ.長きに渡って試験を終えた証がこれだ.いろいろ手続きをしてついに就職の準備である.卒業式を終えるといやでも仕事のことを考えなくてはならない.すでに長い休みのときに就活をしてあちこち見て回り、面接を受け、内定をもらっていたのであとは引っ越して入社式で真面目そうな顔をすれば良かった.ここまではまだよかった.

 壮年期を迎える

 それから仕事を初めて幾星霜、月日が経った.住むところも働くところも変わった.身分も変わった.天体運動で例えると、自分が社会という太陽の周りを公転していたがグルグル回りすぎて嘔吐してしまうような感じになった.しかし自分も自転しているとすれば、多少なりとも自分の問題もあるのかもしれない.別の言い方をすると白色矮星になったのち超新星爆発しかけるところであったようなものだ.

 誤解なく言うと、私はこれまで自分の成すべきことは筋を通して誠実に取り組み、わずかながら私の持つ最大限の能力と、善意と奉仕の心をもって済世に努めたつもりである.

 とにかく、このままではいかん、ということで自分が社会と他の恒星との周りを描く軌道を修正する必要にあると感じた.とりあえず公転周期を長くするような措置を取った.その混乱のなか幸運ながら私は一緒に人生をともにしてくれる金星のような美しい伴侶を得た.其の人も同じく運命の囚われではあるが.

 青年期から壮年期を迎える過渡期に、私は大きな課題を見出している.様々なことを乗り越えなければならない.そのためには新たに力を醸成し、発揮できるだけの土壌とその思想に共鳴してくれる人々の力が必要である.

この亀吾郎法律事務所はそういった篤志家の助力によって成り立っている.ここに厚く感謝申し上げる.

 本稿は筆者らの偶然と必然によって記される予定である.個性豊かなスタッフの溌剌とした文章や、小生のちんけな思考開示をご覧になって何かを感じ取ってくださったならそれでブログ開設冥利に尽きる.

 どうぞよろしくお願いします.

令和2年 6月吉日