An Elephant in Japan

view of elephant in water
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了解不能に出くわすとき

A major problem or controversial issue which is obviously present but is avoided as a subject for discussion.

The Elephant in the room

 初めに断っておくと、亀吾郎法律事務所の理念は「法律に門外漢」である.実際のところは政治にも門外漢である.だから以下の論考に政治の話は無しである.クサガメの吾郎、三郎には政治がわからぬ.

 「Go To キャンペーン」は日本の経済政策の一つだという.その政策の是非を巡って議論がなされているのはご周知の通りだ.その中で私を躓かせ、悩ませていることがある.無論、政策のことではない.

 「Go To 〇〇」という呼称そのもののことだ.どうして「Go To TRAVEL」などという英文法を破壊する名称を採用したのだろうか.この「Go To」シリーズは他にもEAT、EVENT、商店街で構成されるようだが、(商店街も含めて)おかしい.何がおかしいのかわからない方がいないことを願って話を続ける.

 「Go」という動詞は自動詞という扱いだ.よって第一文型のS+Vを取ることがほとんどだろう.The Sun goes down. のような用法になる.つまりsunが主語、goesが述語、downは副詞である.He goes to Lebanon.であれば、to は前置詞であり、Lebanonは名詞だ.自動詞には副詞や前置詞があとにつくことを我々は知っているはずだ.そしてgo to と来れば、場所に関する名詞が来る、そういう想定をすべき、と自然と頭はスタンバイする.

 だのに、to のあとが、さらに動詞とはどういう了見なのだろうか.商店街を除いて.そもそも商店街は日本語だ.eat, travel には名詞の意味もあるが、まず使わない.eventは事象であり、場所ではない.

 八百萬歩譲って、to以下の動詞が to不定詞だとしよう.(この仮定がすでに破綻しているのだが)すると、「Go to eat」は「食べに行け」ということになる.なんだか偉そうな言い方になる.だがそれでも言い訳として苦しい.「Go to travel」は「旅立ちに行け」なのか.こんな無茶苦茶を通すのは無理だろう.Commaで区切りでもしないと意味が通らない.そもそもCommaで区切ったところで意味不明である.event は名詞なので、to不定詞の定義から外れる.前提が「Go to キャンペーン」である.to不定詞なら区切りがおかしい.

 「まぁまぁ、そんな硬いこと言わないでさぁ.景気刺激策ってことで.キャッチーなコピーがほしかったんだよ.なんとなくわかりそうなやつ、って感じ」

といった擁護が出てくるのはわかる.一応、和製英語なりの言葉の伝達力を理解しているつもりだ.だが、それでいいのかという躓きが私を悩ませる.

 貴方は自分の子供や近くの学童、学生から「Go toトラベルって言い方おかしくないの」と指摘されたときに合理的な説明ができるだろうか.

 「あれはね、和製英語なんだ.政府も英文としては間違っているって知っているんだ、あはははは、君は賢いねぇ」

 という返答は欺罔でしかない.間違った用法をそのまま使う馬鹿がいてたまるか.国民を統制するトップが外国の文法を誤用する事態があってよいのか.しかも世界の大多数が使う言語の文法を誤用している.学校教育では正しい文法を指導し、理解するよう教育された我々が、なんと景気刺激策の呼称に英文法の誤用を公称するという奇妙奇天烈な事態が生じているのだ.そして、その呼称が採用される過程で(異を唱えたものがいたと信じたいが)誰かの発案でそのまま通ってしまったであろうという悲劇である.日本語を使えばいいのに.

 さらに極めつけは、それが報道で国民に伝えられてもその呼称に違和感を感じる反応が少なく感じる、ということである.そもそも報道もそのまま伝えているのだから、聞いている身としては、なんだか気味が悪い.目の前に巨大な糞があってものすごく激臭がしているはずなのに、みんな知らん顔をしているような感じである.このような状況を、”The elephant in the room”という.手持ちの辞書であるOxford Dictionary of Englishによれば、

A major problem or controversial issue which is obviously present but is avoided as a subject for discussion.(明らかに存在している大きな問題或いは賛否両論の話題が、議論の主題として避けられている)

とある.面白い表現である.これも否認の一つなのだろう.日本人の感覚でいえば、空気を読むということと縁がありそうだ.だが否認だとすればなぜ、そうするのか.それを考える必要がある.

 哲学者であり、精神病理学の嚆矢であるK. Jaspersは「了解不能な精神現象は、背後に病的な身体的過程を想定し、因果的な説明を想定する」といった.つまり、わからないものに対して我々は背景に何かしらの病理を感じ取り、徹底的にロジカルに現象を説明するしかない.

 Go to Eat, Go to Travel, Go to Event, Go to 商店街はいずれも私にとって、了解不能である.そして文法的異論がほとんどみられない事態も了解しがたい.このような状況がなにかの因果律で起きているのだとしたら、実に興味深い.ぜひ一刻も早く知りたいと思う.なぜならそうでないと我々は、この状況が了解不能なものとして日本中にはびこる病理を想定しないといけないのだから.

 皆さんの周りにゾウはいないだろうか.もし、見えているのだとしたらそれは幻覚ではなくて、貴方が気づいているけれど気づいていないふりをしているモノの正体かもしれない.

 

ここまで読んでくださりありがとうございました.

投稿者: 吾郎

2019年12月11日に事務所創設.法律以外の様々な問題を取り扱います.Office est. 11/12/19. Our articles include essay, translation, study about literature, psychiatry(psychopathology), humanities and sometimes roofless vehicles.