日々のあれこれ

茶の本について

 記事を投稿してようやく80になった.サイトの連載も少しずつ増えてきたので、伴って徐々に整理をしている.主にURLのスラッグである.それからメニューに過去連載のまとめ(記憶/物語超越・脱出現象学時間論茶の本饗宴)を設けた.ぜひ利用していただきたい.

 思った以上に「茶の本」の反響が多く、主に外国の方の訪問が多い.実に興味深いことだ.一つ、翻訳について説明をしておくと、「茶の本」の原題である「The Book of Tea」はすでに著作権が失効している.だからといって好き勝手して良いというわけではないのは知っていて、著者に敬意を払いつつ翻訳をさせてもらっているということになる.商用に使う気は毛頭なく、もし全翻訳が終わった暁には、青空文庫へのリンクを申請しようかと思っている.もちろん、翻訳に粗があるので全体を読み直して研磨するつもりだ.

アラブ文学について

 大学書林で買った「現代アラブ文学選」は、私にとって貴重なアラビア語のテキストである.現在はハリール・ジブラーンの「預言者」とアブドゥル・ラティーフ・ラアビーの「監獄の手紙」を教材にして翻訳をしながら勉強をしている.アラビア語を勉強して思うことは、アブジャドと呼ばれる子音のみによる文字表記法の普遍性である.我々のうちインターネット・ミームに明るいものは「TDN表記法」という独特の呼名法があることを知っている.これはヘブライ語やアラビア語と同じアブジャドである.この偶然の一致には恐れ入った.

中東精神医学について

 私が医学を志した理由の一つに「狂気」の理解がある.つまり「おかしい」とはどういうことか、ということである.それは精神医学という分野で説明をしようとするのが現代人の理解である.さらにそれは独仏の病理学理論が大いに下地になっていて、我が国でも有数の病理学的考察が勃興した.「ファントム空間論」はその一つである.

 私が考えているのは現代の精神医学の理論体系には西洋アメリカ、一部日本のものが大変であり、そこに中東、アフリカ、アジアが含まれていない.彼らはどのような理解をしてどのようにして精神病病理を捉えているのかは大いなる疑問である.我々と同じ理論体系なのだろうか.それとも中東なりの精神病理学があるのだろうか.

 精神病における言辞として「アッラーAllah」に関する内容、「ムハンマドMuhammad」の血統妄想などはありそうだが、こうした話題は宗教上かなりタブーなはずである.彼らは狂気をどのように取り扱うのだろうか.「ジンJinn」による憑依、とでも今更言うつもりだろうか.すぐに断罪してしまうのでは無いか.

 日本における「対人恐怖症」、朝鮮の「ファビョン火病」、東アジアの「アモックamok」、「コロkoro」の他にポルトガルでは「サンゲ・ドルミドsangue dormido」、ラテンアメリカでは「アタケ・デ・ネルビオスataque de nervious」といった文化結合症候群というものがあるのだから、中東にあっても良さそうである.

 結婚は個人恋愛というより家族、部族の政治的結婚といった印象を持つ.現代であればそれほどないのかもしれないが、結納金が絡んでくる以上、結婚には政治的な権謀術数が尽きないだろう.となれば女性の意向は無視される可能性も高そうだ.フェミニストも激おこぷんぷん丸である.一部は神経症になっても無理はなかろう.だがこれは疾患なのか.彼らはどうやって事態を躱しているのか.

 私はそうしたことを勉強してみたいと思っている.たぶんこの領域でそうした人はだれもいないはずであるか、極めて少ないはずだ.玄奘三蔵のように、私はいつか留学をして文献の理解をしてみたい.いうなれば中東精神医学史、である.

運転について

 自動車の運転をすると気分が落ち着く.考え事をするにはよい空間だと思う.背中から優しく押し出す水平六気筒MA-122型エンジンの動力.サッとキックダウン、意に答えるべく猛チャージするときの美しい音色といったら.PDKは電光の速さでシフトダウンする.コーナーは無駄なブレーキを踏まずに進入し丁寧なステアリングで素早く脱出する.車内全般ものすごく静かでは無いが、なにか優しくも堅牢な殻に包まれている感がある.居心地が良い.外観も素晴らしい.メタリック塗装の光沢はきらめきではなく、ゆったりとした淡い輝きを放つ.空模様によって鈍色になれば青ざめることもある.

 私は近年のフロントグリルが醜悪な車にどうしても親近感を持てない.グリルがでかくなり周りをクロームメッキで覆う趣向はできればみたくない.所有している人には恐縮だし、皆好きな車を買えばいいのは大賛成である.だがそれらがかっこいいという人と私は話が合わないだろう.私は曲線で構成される艷やかなボディの方が好みだ.私は最近、国内の自動車の番組を見なくなった.YouTubeもそうであるが、彼らの抱えている自己欺瞞に満ちた言動が見え透いてしまって、どうも真面目に見れなくなってしまった.じゃあ見なくていいぞ、という声があるかもしれないが、私は本当に最近見ていない.安心していただきたい.YouTubeでは最近は80sや90sのポップスを聞いている.音作り、打ち込みや歌詞の雰囲気が好きだ.あとは陳建一氏と三國清三氏の料理動画、それからクサガメの日光浴動画が多い.

実存について

 最近、亀吾郎法律事務所の三郎(さぶちゃん)が吾郎(ごろうちゃん)に発情していることを知る.お尻の匂いをクンクン嗅いだり、頭突きを食らわせている.なぜ頭突きをするか.私が知りたい.学問的理解でいえば求愛であろう.頭突きをされたメスは性交渉合意のサインを出すと、オスはメスの後方に周り、動物界の例ポージングで交尾を始める.

 さぶちゃんはいささか性急で合意形成が出来ていないのに、交尾をしようとするものだから凸が凹に入らなくて困った顔をしている.ごろうちゃんもごろうちゃんで、無頓着で全く気づく素振りがない.恋愛マンガにおける鈍感な立場だ.頭突きをされてるのだから気づいても良さそうである.頭突きを喰らいすぎて流石にキレているときもある.我々としてはさぶちゃんの恋路を応援したい.

頭突き

 もう一つの応援したい恋路は、某国の王女である.婚約者の母親に関する金銭がらみのスキャンダルが知られ、人々は結婚に反対しているとか.していないとか.少なくともメディアでは結婚に好意的でない印象を持つ.醜聞への食いつきは凄まじい.

 私が当事者であれば、溜まったものでは無い.しょーがねぇだろ好きなんだから.といった具合で、J. P. Sartre によれば実存は本質に先行するようである.好きになった理由を語る術はない.王女の家系をたどるとどうやら伝説級の血脈であるから、権威付けが高まるのだろう、それに媚びる人やそれで生きている人にとって反感を買うのかもしれない.ともかく王室、王家というのは神経症の巣窟のような気がしてならない.侍医は何というのだろうか.「姫、これは試練ですぞ」

 どうか心安らかに万事がうまくいくことを願っているばかりである.

 

The Book of Tea: 15

white concrete bridge
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People criticise a picture by their ear

One is reminded in this connection of a story concerning Kobori-Enshiu. Enshiu was complimented by his disciples on the admirable taste he had displayed in the choice of his collection. Said they, “Each piece is such that no one could help admiring. It shows that you had better taste than had Rikiu, for his collection could only be appreciated by one beholder in a thousand.” Sorrowfully Enshiu replied: “This only proves how commonplace I am. The Great Rikiu dared to love only those objects which personally appealed to him, whereas I unconsciously cater to the taste of the majority. Verily, Rikiu was one in a thousand among tea-masters.”

 このことと関連して、小堀遠州についてのある話が思い起こされる.遠州は彼の収集物から選定し並べたものに対して弟子は世辞を述べた.彼らは「どの品も褒めずにはいられない見事なものばかりです.あなたが利休よりも優れた鑑識をお持ちだと言うことですね.利休の品を理解できるのは千人に一人といませんよ」と述べた.悲しみにくれて遠州は次のように返事をした.「ということは私がいかに俗物かを示すにすぎない.偉大な利休はあえて自分だけが好むような品を愛した.しかし私は無意識にも多数派の嗜好に媚びたのだ.まさに利休は千人に一人の茶人である」

It is much to be regretted that so much of the apparent enthusiasm for art at the present day has no foundation in real feeling. In this democratic age of ours men clamour for what is popularly considered the best, regardless of their feelings. They want the costly, not the refined; the fashionable, not the beautiful. To the masses, contemplation of illustrated periodicals, the worthy product of their own industrialism, would give more digestible food for artistic enjoyment than the early Italians or Ashikaga masters, whom they pretend to admire. The name of the artist is more important to them than the quality of the work. As a Chinese critic complained many centuries ago, “People criticise a picture by their ear.” It is this lack of genuine appreciation that is responsible for the pseudo-classic horrors that to-day greet us wherever we turn.

 今日、芸術に対する表面上の熱狂が実際の感性に基づいていないというのは実に残念なことである.この我が国の民主的時代において自分たちの感情を顧みず人々が何が最も人気があることに対して喚いているのである.

 彼らは精錬なものではなく、高い値段のものを求める.服飾に凝ったものであり美しいものではない.大衆にとって彼ら自身の産業主義の価値ある製品である絵入り定期刊行物のほうが、礼賛するふりをしている初期のイタリア人や足利時代の巨匠よりも、芸術的享受にはより消化が良いだろう.作品の質よりも芸術家の名前がより重要なのである.中国の批評家が何世紀も前に「人々は絵を耳で批評する」と言った.今日我々がふりむけば目につく擬古典的な恐怖の数々に対して真の鑑賞の欠落が責任を負うべきである.

Another common mistake is that of confusing art with archaeology. The veneration born of antiquity is one of the best traits in the human character, and fain would we have it cultivated to a greater extent. The old masters are rightly to be honoured for opening the path to future enlightenment. The mere fact that they have passed unscathed through centuries of criticism and come down to us still covered with glory commands our respect. But we should be foolish indeed if we valued their achievement simply on the score of age. Yet we allow our historical sympathy to override our aesthetic discrimination. We offer flowers of approbation when the artist is safely laid in his grave. The nineteenth century, pregnant with the theory of evolution, has moreover created in us the habit of losing sight of the individual in the species. A collector is anxious to acquire specimens to illustrate a period or a school, and forgets that a single masterpiece can teach us more than any number of the mediocre products of given period or school. We classify too much and enjoy too little. The sacrifice of the aesthetic to the so-called scientific method of exhibition has been the bane of many museums.

 もう一つのよくある間違いは芸術を考古学と間違えることである.遺物から生まれる尊敬の念は人間の最大の特質であり、喜んで我々はそれを大きく育みたいと思う.古の巨匠たちは未来の教化への道を拓いたことに対して立派な敬意が評されるべきである.

 世紀の批判を無傷で抜けてきて、未だ栄光に包まれてやってきたという単事実でさえもわれわれの尊敬を集めるものだ.しかし人々の業績が単純に年齢で算定されるならば、我々は実際はおろかになるべきである.しかし我々は自分らの歴史的共感が審美的差別にを蹂躙していることを許容している.我々は芸術家が安らかに墓で眠りにつくときに称賛の花を手向ける.進化論を宿した十九世紀はより一層、種の中で個人の失見当の習慣を生み出した.蒐集家は時代や流派を説明しようと標本を集めることに神経質になり、二流の製品のいくつかよりも一つの傑作が与えられた時代や流派について我々に語ってくれることを忘れてしまうのである.我々はあまりに分類しすぎていて楽しむことがほとんどない.展示といういわゆる科学的理論のために審美的方法を犠牲にしたことが多くの美術館の悩みの種である.

The claims of contemporary art cannot be ignored in any vital scheme of life. The art of to-day is that which really belongs to us: it is our own reflection. In condemning it we but condemn ourselves. We say that the present age possess no art: – who is responsible for this? It is indeed a shame that despite all our rhapsodies about the ancients we pay so little attention to our own possibilities. Struggling artists, weary souls lingering in the shadow of cold disdain! In our self-centred century, what inspiration do we offer them? The past may well look with pity at the poverty of our civilisation; the future will laugh at the barrenness  of our art. We are destroying art in destroying beautiful life. Would that some great wizard might from the stem of society shape a mighty harp whose strings would resound to the touch of genius.

 同一時代の美術の主張は人生の企画において無視できるものではない.今日の芸術は実に私達に属しているものである.それは我々の反映である.それを断罪することは自身を断罪することにほかならない.今日の時代に芸術がないといういうものがいる.誰の責任というのか.古代に関する狂想曲にもかかわらず我々は自分の可能性に注意をほとんど払わないのは実に恥ずかしいことだ.苦しみもがく芸術家たち、冷たい侮蔑の影の中でさまよう疲れた魂たち!自己中心の世紀において、どのような霊感を我々はかれらに与えているのか.我々の文明が貧困だと過去が哀れみをもって見るのも無理はない.未来は芸術の不毛さを笑うだろう.我々美しいものを破壊することで芸術を破壊している.だれか大魔術師が社会の幹から有能な竪琴を作り出し、その弦が天才に触れて鳴り響かないだろうか.

天心、多いに怒っております.この議論、今も変わらない気がしませんか.

次回、第六章です.ここまでありがとうございました.

The Book of Tea: 14

time lapse photography of flame
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 茶の本、第五章の続きです.天心はどこか現代人に対して冷笑的な印象を文体に漂わせます.諦観すら感じます.どこか寂しげでもあります.なんとなくそんな気がします.

To the sympathetic a masterpiece becomes a living reality towards which we feel drawn in bonds of comradeship. The masters are immortal, for their loves and fears live in us over and over again. It is rather the soul than the hand, the man than the technique, which appeals to us, – the more human the all the deeper is our response. It is because of this secret understanding between the master and ourselves that in poetry or romance we suffer and rejoice with the hero and heroine. Chikamatsu, our Japanese Shakespeare, has laid down as one of the first principle of dramatic composition the importance of taking the audience into the confidence of the author. Several of his pupils submitted played for his approval, but only one of pieces appealed to him. It was a play somewhat resembling the comedy of Errors, in which twin brethren suffer through mistaken identify. “This,” said Chikamatsu, “has the proper spirit of the drama, for it takes the audience into consideration. The public is permitted to know more than the actors. It knows where the mistake lies, and pities the poor figures on the board who innocently rush to their fate.”

 傑作への共感は、友愛の絆によって惹きつけられ、生ける現実となる。達人たちは不死身である.その愛と恐怖が私達の中で幾度と生きているからである.手錬よりはむしろ魂が、技巧よりは人が、我々にとって魅力的である.より人間味が増すほど、我々の反応も深みが増すのである.巨匠と私達の間のこの暗黙の了解あればこそ詩歌や物語において我々が主人公とともに苦楽を共にすることができるのである.

 日本のシェイクスピアである近松門左衛門は、劇の脚本の第一原則の一つとして、作家の秘密に聴衆を引き込む重要性に重きを置いた.彼の門弟の何人かは彼に認められようと脚本を描いてきたが、一部のみが認められたに過ぎなかった.それはどこかシェイクスピアの「間違いの喜劇」に似ている脚本で、双子の兄弟が同一人物と誤認されることで苦労する話であった.「これこそ」と近松は言った.「演劇の本来の精神を持っている.聴衆を考慮に入れているからだ、大衆は役者よりも知る必要があるのだ.皆はどこに誤りがあるか知っていて、自分の運命に無垢に突っ走る哀れなや人物に同情するのだ」.

The great masters both of the East and West never forgot the value of suggestion as a means for taking the spectator into their confidence. Who can contemplate a masterpiece without being awed by the immense vista of thought presented to our consideration? How familiar and sympathetic are they all; how cold in contrast the modern commonplaces! In the former we feel the warm outpouring of man’s heart; in the latter only a formal salute. Engrossed in his technique, the modern rarely rise himself above. Like the musicians who vainly invoked the Lungmen harp, he sings only of himself. His works may be nearer science, but are further from humanity. We have an old saying in Japan that a woman cannot love a man who is truly vain, for there is no crevice in his heart for love to enter and fill up. In art vanity is equally fatal to sympathetic feeling, whether on the part of the artist or the public.

 洋の東西を問わず、巨匠は観衆に秘密を打ち明けることに暗示の価値を示すことを決して怠らない.我々の想定に対し示される思考の圧倒的な広がりによって畏敬の念を抱かずに傑作を吟味できるものはいるだろうか.

 それらはどれだけ親密で共感的であろうか.それとひきかえ現代の凡作の冷ややかさといったら.かつて我々は傑作に人の心から湧き出る温かみを感じたものだ.後にただの儀礼的な文句になってしまった.自身の技芸に没頭し、現代人は自身を超えることはほとんどなくなった.竜門の竪琴を呼び覚ませなかった音楽家のように、自身のことばかり歌うのである.彼の作品は科学に近いところにあるのかもしれないが、人情からはかけ離れている.日本の諺に、見栄はる男は女に好かれない、というのがあるが、そんな男に入り込み満たすための心の裂け目はない.芸術において虚栄は芸術家の側であれ、聴衆の方であれ、共感的感情にとって同義であるように致命的である.

Nothing is more hallowing than the union of kindred spirits in art. At the moment of meeting, the art lover transcends himself. At once he is and is not. He catches a glimpse of Infinity, but words cannot voice his delight, for the eye has no tongue. Freed from the fetters of matter, his spirit moves in the rhythm of things. It is thus that art becomes akin to religion and ennobles mankind. It is this which makes a masterpiece something sacred. In the old days the veneration in which the Japanese held the work of the great artist intense. The tea-masters guarded their treasures with religious secrecy, and it was often necessary to open a whole series of boxes, one within another, before reaching the shrine itself – the silken wrapping within whose soft folds lay the holy of holies. Rarely was the object exposed to view, and then only to the initiated.

 芸術において血盟の精神よりも神聖なものはない.出会ってすぐさま、芸術愛好家は自身を超越するのである.一瞬、彼は存在すると同時に存在しない.彼は無限のきらめきを捉えるが、彼の喜びを紡ぐ言葉はない.目には舌がないからである.彼は物質の足枷から解放され、精神は物質の律動を動かすのである.かくして芸術が宗教の近縁たらしめ人間を高尚にするのである.こうして傑作がなにか神聖になるのである.かつて昔、日本人が宗教的な崇拝とともに抱いていた芸術家への敬意は厚かった.茶人たちは、秘密の宝物を守っていたが、御神体は絹で覆われた柔らかく折りたたまれたもので、それに達するには一つまた一つと、いくつもの箱を開ける必要があった.それを見ることができる人は限られていた.見る場合でも、秘伝を授かった者のみに限られた.

At the time when Teaism was in the ascendency the Taiko’s generals would be better satisfied with the present of a rare work of art than a large grant of territory as a reward of victory. Many of our favourite dramas are based on the loss and recovery of a palace of Lord Hosokawa, in which was preserved the celebrated painting of Dharuma by Sesson, suddenly takes fire through the negligence of the samurai in charge. Resolved at all hazards to rescue the precious painting, he rushes into the burning building and seizes the kakemono, only to find all means of exit cut off by the flames. Thinking only of the picture, he slashes open his body with his sword, wraps his torn sleeve about the Sesson and plunges it into the gaping wound. The fire is at last extinguished. Among the smoking embers is found a half-consumed corpse, within which reposes the treasure uninjured by the fire. Horrible as such tales are, they illustrate the great value that we set upon a masterpiece, as well as the devotion of a trusted samurai.

 茶道が興隆する時代になると、太閤の諸将たちは勝利の報奨として広大な領土よりも希少な美術品を送られるほうが満足に感じたのであった.我々の好みの劇には細川氏の邸宅の損失と復興を主題にしたものがあり、そこには雪村による達磨の絵が保存されていたが、突如、侍の警護の不注意から失火したのである.貴重な絵画を救助するためあらゆる注意を排して、侍は燃える建物に駆け込み、掛け物を掴んだが、炎によって退路が絶たれたことを知るのみであった.絵画のことだけを考え、彼は刀で自身の体を切り裂き、裂けた袖で雪村の絵を包み、開いた傷口に容れたのであった.火事はとうとう消し止められた.灰燼の中に半焼の死体が見つかり、中には火から無傷の宝物が安置してあった.こうした話は、忠臣の侍の献身はもちろん、我々が傑作にかける価値の重さが、凄まじいことをよく説明している.

We must remember, however, that art is of value only to the extent that it speaks to us. It might be a universal language if we ourselves were universal in our sympathies. Our finite nature, the power of  tradition and conventionality, as well as our hereditary instincts, restrict the scope of our capacity for artistic enjoyment. Our very individuality establishes in one sense a limit to our understanding; and our aesthetic personality seeks its own affinities in the creation of the past. It is true that with cultivation our sense of art appreciation broadens, and we become able to enjoy many hitherto unrecognised expressions of beauty. But, after all, we see only our own image in the universe, -our particular idiosyncrasies dictate the mode of our perceptions.  The tea-masters collected only objects which fell strictly within the measure of their individual appreciation.

 しかしながら、我々は芸術が語りかける度合いがあることを覚えておかねばならない.我々が共感において普遍的であるならば普遍的な言語が存在するであろう.我々が有限の存在であり、伝統と因習の力があることは、遺伝的本能と同等に、芸術の楽しみに対する度量の視野を制限するものである.我々のこの独自性がある意味で理解に制約を課している.そして審美的人格がその過去の創造に親近感を抱くことを求めるのだ.なるほど醸成により我々の芸術鑑賞感覚が広がること、そして美の多くの未だ見ぬ表現を享受することができるのである.しかし、結局は宇宙において自分の心象を見るのみである.我々固有の特殊な性質が自身の知覚の様式を支配するのである.茶人も独自の鑑賞の測りを厳格に落とし込むことができる物品のみを蒐集したのであった.

 おそらく天心が文中で述べた双子の話は「雙生隅田川(ふたごすみだがわ)」でしょう.ここまで読んでくださり、ありがとうございます.

ファントム空間への誘い

white scoop on white ceramic bowl
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適用と応用の可能性

 前回、安永浩の仮説である統合失調症理論の序論を説明した.その中でも彼の理論の骨子である「パターン」は英国の幻の哲学者、ウォーコップの考えに大いに影響を受けている.

 「全体」と「部分」、「自分」と「他者」といった対になる概念が存在する.彼に言わせれば実存的二元論ともいうようだが、前項をA、後者をBとすればABの関係は次のようになるだろうと述べた.

一つの方向(BのAへの関係)においては「論理的必然性」の関係である.

他の方向(AのBへの関係)においては「条件的偶然性」の関係である.

 AからBへの方向は自明、「どうかんがえてもそうなるでしょ」という関係、論理的必然性だ.

 全体が部分を支配する、という文章は整合性を保つし、実際にそのとおりである.自分があるから他人がいる.これも整合性を保つ.逆の、他人がいるから自分がいる、という文は奇妙だし、そうとはかぎらないだろう.「他人がいるからなんだというのだ」ということになる.「ある条件を満たすと、そのようになってしまう」のが条件的偶然性である.この他、生死、質量といったカテゴリーも同様だ.

 この論理関係にあるA、Bという概念対の対立構造を、またさらにそれを生み出す基盤となり、それによって記述されうるような体験の構造を、一般に「パターン」と呼ぶ.

 小高い山を考えてみる.Aの山とそれより低いB山がある.AからBへと川が流れている.と、いえば予想がつくだろう.水流は重力によって従うからだ.これは一つの秩序である.一方向的でもある.A>Bが常に成り立つのが我々の世界だ.

 なぜかBからAへ水が流れる事態が、統合失調症の病理だと述べるのである.つまりはB>Aである.そして安永は、A、Bは連続変数的でもあるという.これを代数に置き換えて、a, bとすればa→0、 b→0ということもありうるという.これは混迷や解離、器質的な疾患による意識障害といえるだろう.ちなみに0になった場合は死んでしまうことと同義だ.ではA=Bはあるのか、と言われれば理屈としてあり得るが(部分の総和が全体ということはある)、これは生命体として非常に緊張を孕んだ危ない状態を示す.自明な論理関係が今にも逆転しそうだからである.だからA>Bでなければならない.

 Aが強いとは主体的体験の切実さ(快にせよ苦にせよ)を、Bが強いとはその「パターン」の分化度の高さ、精密さを、ほぼ意味するであろう.

とも述べている.

 おそらく、これは私の考えであるが、HSP(Hyper Sensitive Person/People)と呼ばれる人々は先天的・後天的によらず、aとbの値が近いのではないだろうか.a, bの変動の起る契機について安永は説明を試みているが、私見ではHSPたる敏感さは後者のほうだろう.以下の通りである.

一、abに対する相対的余剰が動因となって変化が起こる場合.

これは俗にいう、生命的エネルギーに溢れた余りの行動形式がこれにあたる.この際主体はただエネルギー消費のためにのみ、その相手としてB面が求められる.その行動の結果、aが減少しbが増大して、一種の平衡に達して動きが止む.「そうしたいからした」という理解.

二、逆にbの増大傾向のために、(aの余剰が不足を告げ)これが動因となって変化が起る場合.

 この場合は危急に迫られたためのやむを得ない回避行動である.人は健康に生きている限りa≥bであらねばならぬからこのようなB側の強要によってこの釣り合いが破れることは絶対に阻止せねばならない.それはaを増やすか、bを減らすかである.「不安」とは一般にこの補償能力が危殆に瀕したことの信号である.その最後のエネルギー動因過程でもある.「不安」を持ちうる間は均衡はまだまったく破れてはいない.これは「死・回避行動」であり、不快である.「したくてするのではない」という理解.この際、我々は予感される将来の大きな苦痛を、現在の小さなbの段階で回避しようとする.この予感の究極は「死」である.この予感の能力が大きいほど、事態はより小さなbの段階で回避され、「死」からの遠い「合間=時間」を作る.

さて、HSPの話を少ししたが、以下のような特徴があるようだ.出典はこちらである.(当事務所はいかなるサイトとの利益相反はない)

「Depth」深く考える

「Overstimulation」過剰に刺激を受けやすい

「Empathy & Emotional」共感力が高く、感情豊か

「Subtlety」わずかな刺激を察知

 こうした特徴は、前述の「そうしたいからした」、「したくてするのではない」という観念の持ちようによって肯定的にも否定的にも取れるのだろう.この特徴を深堀りするのは、ファントム空間論の詳細に踏み込んだ時にするので、まずは簡単な理解でよい.HSP(Hyper Sensitive Person/People)と呼ばれる人々は先天的・後天的によらず、aとbの値が近いのではないだろうか、という考えは私の仮説として、捉えていただいて、今後の安永の論考に期待したいと思う.

 さて、安永はこれまでの説明をもとに、統合失調症理解の応用を行おうとする.彼によれば、真に「統合失調症」なる本質は(正常およびその他の病的事態には決して怒らぬところの次のこと、すなわち)、

 体験の「パターン」において、A、Bの秩序が逆転すること(a<b)、によってほぼ正確、統一的に表しうる、と考える

 と安永はいう.具体的には前回の議論ですべてABを入れ替えれば、新しい体験事態の構造が得られるというのである.この理解は、ユークリッド幾何の公理に対して非ユークリッド幾何の公理が果たす役割に似ているという.よくわかんねぇなこれ、というZ世代の方には「ポケットモンスターダイヤモンド・パール(プラチナ)」におけるギラティナの棲む「やぶれたせかい」である.もっとわかんねぇなこれ…… 同じくゲーム、「サイレント・ヒル」における異世界でもあるか.「SIREN」の屍人や闇人の棲む世界観でも良い(よくない).通常の体験様式が通用しない世界ということだ.

幻覚の問題

 統合失調症における主要な症状を順番に扱ってゆく.とはいっても順番は関係ない.まずは幻覚について扱う.幻覚はどのような状態か、という点について安永は「知覚」あるいは「表象」と共通するものを持つところの一特殊事態、という.なんだそれは?

 まずは正常例のパターンを考える.Aは「みる」主体、Bは「みられる」対象である.Aは体験として「私の」知覚・表象であり、Bは「なにかの」知覚・表象である.「表象」、俗っぽくいえば「イメージする」体験の特性は、Aの支配的な性質によりすべて誘導される.

 逆に「知覚」の特徴はBが場面の力動を支配している.それは刺激として外界から流入するものである.それは表象のように主体的緊張に依存しない.しかし絶えず、主体の予期しなかった新奇な面を供給するという.とはいっても、主体にとっては主体の予期したもの以外は見えない.新奇性の発見はない.Aの力動はどちらかといえば、見えているから見ている、といったやむを得ず動因された因子である.しかしながらこの関係は決してA、Bの関係を破るものではない.

 さて、統合失調症における幻覚は、ある種のパターンを持つのでは、と考えてよさそうである.つまりはa<b である.まずは特徴を確認しておこう.

一、それは全く意識清明と思われる状態において現れる.

二、患者は病識をもたない.

三、その「事実」性が異常に強烈である.

四、にもかかわらず、いわゆる感覚性はうすいようで、内容は一般に断片的で、意味はわかるがはっきり細部まで再生は困難である.

五、多くは自己に向けられた呼びかけとしてきかれる.

六、「直接頭に聞こえる」「腹にきこえる」など常人に想像のつかない奇妙な説明、定位がなされる、等々.

 一、二について、これは臨床家なら納得の症候である.失神や脳血管疾患の意識障碍は病識を持つ.「急にバットで頭をなぐられたような頭痛がしてそのあと…」「あれ、私いままでどうしたんでしょうか」もし、本当に一過性の意識障碍であれば、上記のような病識を持つはずなのだ.よって広義の意識の問題は生じていない.

 症例の声に耳を澄ますと、その「声」は圧倒的に外部の声である.とても図々しい.声が図々しいのではなく、その起こり方が図々しいのである.荻窪のラーメン店の行列で並んでいたら横入りしてくる図々しさである.体験を自分の体験、として支配する力はなく、その蹂躙にまかせるのみである.まさに圧倒的支配.

 となるともはや正常のパターンが通用しなさそうだ.a≥bが通用しないのである.a<bとなっている方が説明的である.ただし、我々がこの事態をそのままに「追体験」することはできない.我々はa≥bだからである.対称性が主体性に先行する、という異常事態が起る.まじで.この事態を体験している人はBから理解すれば、Aもわかる筈だ!というに違いにないと安永はいう.

 自分がいて、他人がいるとわかる.という論理から他人がいて、自分がいるとわかる、といったトンチキな理解になってしまう.ソビエト式倒置法以上のカオスである.(ソビエトでは人がテレビを見るのではない!テレビが人を見るのだ!)

 幻覚では、Bがすべての前提であり、支配者である.これは外的な実在ともいえる.これがあたかも普通の知覚体験であるかのように「声をきいた」と意味づけるしか方法がないのだ.これは彼らなりの応急手段である.

 確かにこれまでの安永の論考を見れば、統合失調症の定義がa<bであることがわかり、生理的幻覚や夢幻状態はa=bであり、bがaを超えることはない.意識障碍では0へと変数が縮小してゆくと考える.

 さらになぜ統合失調症においては幻視よりも幻聴が目立つのか、という問いにも一応の解釈を示している.おそらく幻聴は「言語的」機能問題であること.そしてそれが完全に機能するには、「パターン」の分極がかなり強いという生理学的・生物学的特性をもつこと.さらに統合失調症の発病の侵襲によって逆転しやすい破綻性をもつ、ということが想定される.一方、視覚的情報を用いる直観的思考はそれほど「パターン」分極がつよくないらしい.よってa, bが小さくなっても幻視は生じるし.統合失調症の発病においてもこの機構が逆転することはあまりなく、安定しているのであろうという.なかなかに見事なロジックである.ただし、幻視がないのではない.錯覚というよりも強制力を持った現象が生じる.「一つの”顔”が頭につく……」それも無機的で蒼古的な変容を帯びる.これはa<bの萌芽なのだろうと安永はいう.そして徐々に奇怪な幻視の訴えに発展する.

 解離性障碍における離人感についても安永は言及しているが、この辺の考察は結構難しいのでまた理解がおいついた時にでもご説明しようと思う.

ここまで読んでくださりありがとうございます!

 

 

 

The Book of Tea: 13

Chapter V 第五章

gray dragon statue
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 雨の日は寒いですね.空気が一段と冷たくなるのを感じます.皆さんお元気ですか.ついに「茶の本」も五章に突入です.岡倉節ともいえる彼の芸術論、楽しいですよ.第三段落の文は美しいです.こういう文章が書けたらいいなぁ.

Art Appreciation 芸術鑑賞

HAVE you heard the Taoist tale of the Taming of the Harp?

 皆は「琴ならし」という道教徒の話を聞いたことがあるだろうか.

Once in the hoary ages in the Ravine of Lungmen stood a Kiri tree, a veritable king of the forest. It reared its head to talk to the stars; its roots struck deep into the earth, mingling their bronzed coils with those of the silver dragon that slept beneath. And it came to pass that a might wizard made of this tree a wondrous harp, whose stubborn spirit should be tamed but but the greatest of musicians. For long the instrument was treasured by the Emperor of China, but all in vain were the efforts of those who in turn tried to draw melody from its strings. In response to their utmost strivings there came from the harp but harsh notes of disdain, ill-according with the songs they fain would sing. The harp refused to recognise a master.

 かつて太古の時代、竜門の渓谷に桐の木があり、森の真の王であった.高くそびえ星々と会話した.根は地中奥深く生え、青銅のとぐろを巻き、白銀の龍がそばで眠っていた.そして有能な仙人がその木を竪琴に変えた.だがその堅固な精神をならすことは偉大な音楽家だけであった.中国の皇帝によってその楽器は宝物とされたが、みなが順番に弾こうとしてその努力はすべて無駄になった.最大の努力に対して竪琴からは侮蔑の荒々しい音が、喜んで歌おうとすると音色は気分を害するものであった.竪琴は主を認めることを拒んだのである.

At last came Peiwoh, the prince of harpists. With tender hand he caressed the harp as one might seek to soothe an unruly horse, and softly touched the chords. he sang of nature and the seasons, of high mountains and flowing waters, and all the memories of the tree awoke! Once more the sweet breath of spring played amidst its branches. The young cataracts, as they danced down the ravine, laughed to the budding flowers. Anon were heard the dreamy voices of summer with its myriad insects, the gentle patterning of rain, the wail of the cuckoo. Hark! a tiger roars, – the valley answers again. In autumn; in the desert night, sharp like sword gleams the moon upon the frosted grass. Now winter reigns, and through the snow-filled air swirl flocks of swan and rattling hailstones beat upon the boughs with fierce delight.

 ついに竪琴弾きの第一人者である伯牙が現れた.優しい手付きで悍馬を手懐けるように琴を愛撫し、優しく弦に触れた.彼は自然と季節を歌い、山々について、流水について、そしてあの木の記憶がすべて目覚めたのだ.再び泉の甘美な息吹がその枝の中から現れた.青春の奔流が渓谷で踊りだすと、花の蕾に笑いかけた.すぐさま夏の無数の虫たちの夢のような声が聞こえ、雨模様の優しさ、郭公の鳴き声が聞こえる.聞くのだ.虎が吠える.渓谷にこだまする.秋には荒涼とした夜、霜の降りた草の頭上に月の光が鋭い剣のように照らす.今や冬が訪れ、雪舞う空気に白鳥の群れが渦巻き、荒れる霜は喜々として枝を打つのである.

Then Peiwoh changed the key and sang of love. The forest swayed like an ardent swain deep lost in thought. On high, like a haughty maiden, swept a cloud bright and fair; but passing, trailed long shadows on the ground, black like despair. Again the mode was changed; Peiwoh sang of war, of clashing steel and trampling steeds. And in the harp arose the tempest of Lungmen, the dragon rode the lightning, the thundering avalanche crashed through the hills. In ecstasy the Celestial monarch asked Peiwoh where in lay the secret of his victory. “Sire,” he replied, “others have failed because they sang but of themselves. I left the harp to choose its theme, and knew not truly whether the harp had been Peiwoh or Peiwoh were the harp.”

 それから伯牙は旋律を変え愛を歌った.森が熱心な田舎者のように夢中であった.横柄な高くとまった女中のように、雲が輝き、通り過ぎる.地上に長い影が尾を引き、絶望のように黒い.再び調子が変わった.伯牙は争いを歌う.剣戟の音、軍馬の駆ける音を歌った.そして竜門の嵐が起きると、竜が稲妻に乗り、雪崩が轟々と丘に落ちた.中国の皇帝は恍惚として伯牙になぜ、彼は琴を勝ち取ったのか尋ねた.「陛下、」彼は答えた.「彼らはみな自分たちのことを歌ったからです.私は琴に主題を選ばせました.そして琴が伯牙であったか伯牙が琴であったかどうかは本当はわからないのでした.」

This story illustrates the mystery of art appreciation. The masterpiece is a sympathy played upon our finest feelings. True art is Peiwoh, and we the harp of Lungmen. At the magic touch of the beautiful the secret chords of our being are awakened, we vibrate and thrill in response to its call. Mind speaks to mind. We listen to the unspoken, we gaze upon the unseen. The master calls forth notes we know not of. Memories long forgotten all come back to us with a new significance. Hopes stifled by fear, yearnings that we dare not recognise, stand forth in new glory. Our mind is the canvas on which the artists lay their colour; their pigments are our emotions; their chiaroscuro the light of joy, the shadow of sadness. The masterpiece is of ourselves, as we are of the masterpiece.

The sympathetic communication minds necessary for art appreciation must be based on mutual concession. The spectator must cultivate the proper attitude for receiving the message, as the artist must know how to impart it. The tea-master, Kobori-Enshiu, himself a daimyo, has left to us these memorable words: “Approach a great painting as thou wouldst approach a great prince.” In order to understand a masterpiece, you must lay yourself low before it and await with bated breath its least utterance. An eminent Sung critic once made a charming confession. Said he: “In my young days I praised the master whose pictures I liked, but as my judgement matured I praised myself for liking what the masters had chosen to have me like.” It is to be deplored that so few of us really take pains to study the moods of the masters. In our stubborn ignorance we refuse to render them this simple courtesy, and thus often miss the rich repast of beauty spread before our very eyes. A master has always something to offer, while we go hungry solely because of our own lack of appreciation.

 この話は芸術鑑賞の秘訣をよく説明している.傑作とは我々の最も細やかな感性との交響曲である.真の芸術は伯牙であり、我々が竜門の琴なのだ.美の秘術で我々の存在という秘密の琴線が目を覚ます.その呼びかけに震え、わななく.精神は精神に語りかける.我々は聞こえないものに耳を澄ます.我々は見えないものを凝視する.達人は我々の知らないこと旋律を呼び起こす.長く忘れられた記憶は新たな意味を持って回帰する.恐怖によって押し込められた希望、我々があえて認知せずにいた仰望は、しきりに新たな栄光にいたるべくと前に立つ.私達の精神は芸術家が色付けをする画布である.描画の絵具は情緒である.明暗法は喜びの光であり、悲しみの影である.傑作は我々の中にあるように我々は傑作の中にいるのだ.

 

 芸術鑑賞に必要なこの情緒的な心の交流は相互譲歩に基づかねばならない.観衆は芸術家がどのように分かつか知らねばならないように、言伝を受け取る適切な態度を養わねばならない.茶の宗匠、小堀遠州は自身が大名であったが、つぎのような忘れがたい言葉を残している.

 「汝が偉大な太子に近づくように偉大な絵に歩み寄れ」

 傑作を理解するためには、その前では自身を低く、固唾を呑んで一言も発しないようにせよ.宗の著名な批評家は見事な告白を行った.

 「若かりしころ、自分の好きな絵画の宗匠を崇めたが、私は歳をとって宗匠が私が好みにあわせて絵を描いてくれたものを好む自分を讃えるようになったのだ」

 達人の作法を骨を折ってでも学ぶ人がまったくいないことは実に嘆かわしい.我々の頑固な無知においてこの単純な思いやりを拒むのである.そうして我々はしばしば眼前から見事な美の饗応を見逃すことがある.宗匠はつねに何かごちそうを与えてくれる.我々が自身の鑑賞の仕方を知らないゆえに一人腹をすかせるのだ.

最後まで読んでくださりありがとうございます.

たまにはゆるい話を

 親愛なる読者の中には、亀吾郎法律事務所が硬派なブログであると思っているかもしれないが、硬いのはクサガメの甲羅なのであって、本人の頭は至ってゆるい.そんなゆるさをブログにも反映させてみよう.小論をいくつか述べたい.

急接近する巨匠たち:麻婆豆腐について

apartment blinds cabinets chairs
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 以前、私は麻婆豆腐について好きなことを述べた.麻婆豆腐の貢献人である陳建一についても述べた.

 陳建一は圧倒的な技巧と豊富な食材を惜しげもなく我々の前に披露し、「公益社団法人日本中国料理協会」というYouTubeアカウント名で麻婆豆腐界の頂点に最も近いであろう存在であった.頂点に近いために、我々世俗の者にとっては到底及ばない世界でもあった.

 そんな彼が、新しい動画を出した.「陳建一が自宅で作る麻婆豆腐」という前作よりも遥かに力抜けしたようなサムネイルが目を引く.一体どうしたというのか. 

 陳建一がなんと、スーパーマーケットで手に入らない食材を代用して自宅でできる麻婆豆腐を紹介するという動画である.なんという衝撃.遥かなる高みにいた彼は、俗人である我々にその長い手を差し伸べてくれるのだ.

「葉ニンニクはスーパーマーケットにありませんから青ネギで結構です」

「鶏ガラスープを入れるのはうちの店ですが、ご家庭では大変ですから、お水でいいです」(水でいいのか)

「『豆板醤と甜麺醤』はここではユウキ食品さんのを使いましょう、香りが良いんですよ」

 素材は市販のもの、技術は最高峰、とはいっても我々でも簡単に作れるように一般の厨房で調理してくれる.RPG(ロールプレイングゲーム)で言えば、ゲームの序盤からものすごく強い人物が助太刀してくれるような心持ちである.

 というわけで早速私は作ってみた.前回の記事を読んでくださった方のためにいえば、マーマイトは使っていない.麻辣の薫風が鼻孔に侵入し、食欲を駆り立てるいつものプルプルが完成した.私にはおやつのようなごちそうである.美味しかった.妻も美味しいと言ってくれた.喜びは望外近くにあるのだ.

急接近する巨匠たち:アッシュパルマンティエについて

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 もう一人の巨匠をご紹介したい.北海道増毛市出身のフランス料理人といえば、三國清三氏である.彼の名を冠した料理店は都心や郊外にいくつかあるようだが、なかなかに美味しい.実際に彼が腕をふるったのかはわからないが.

 フランス料理というのは、パンチの効いた味付け、こってり、ずっしりとした重量感あるものを私は想起する.そして食材を魅せる、という点で優れた食文化の一つだと思う.かといって、日本の家庭でフランス料理をなにか作るとすれば、あまりイメージがわかないと思う.思いつく限りフレンチトースト(Pain Perdu)が手っ取り早いだろうか.

 亀吾郎法律事務所でも最近はまかない料理として、ガレットを作ることがあった.そば粉をつかったガレットにベーコンと目玉焼きを和えるそれは、そばのクレープのようなサクサクふわふわのとろとろで、朝から幸せが体中の穴という穴から吹き出す.

 そして玉ねぎと人参を炒め、さらにひき肉を加えて炒めたものをグラタン皿にしいて、マッシュしたじゃがいもを覆い、オーブンで200℃二十分程度加熱する.この料理を、我々は夕餉にすることが多く、亀吾郎法律事務所の定番メニューである.この名前を我々は(豚ひき肉だが)コテージパイと呼んでいた.英国料理だと思っていたのだ.

 オテル・ドゥ・ミクニというYouTubeアカウント名の三國清三氏は、上記とほぼまったく同じ工程で調理するものを「アッシュパルマンティエ(Hachis Parmentier)」と言っていた.英国はフランスと百年も戦争するほど仲がいいことは知っていたが、なるほど料理もよく似ているのだと大変勉強になった.確かに、肉と芋はものすごく相性がいい.肉じゃが然り、ハンバーガーとポテト然り.ちなみにHachisという言葉は英語でいうところの、Hash(細かく刻む)である.パルマンティエというのは、人名のようでヨーロッパにじゃがいもの普及に貢献したというAntoine-Augustin Parmentierから取られているようだ.要はじゃがいもおじさんである.すばらしい.

 Cottage PieのCottageは一般的な家を指すから、コテージパイも家庭料理であるし、アッシュパルマンティエも家庭料理だそうだ.亀吾郎法律事務所も知らず識らずのうちに家庭料理を作っていたのだった.やはり喜びは思いがけない.フランス料理は宮廷料理ばかりだと思っていた私は愚かでもあった.同時に美味しい家庭料理を知ることは幸せであった.

作り手の顔が見えるということ

 陳建一氏も三國清三の動画も観ていて感じるのは、「作り手の顔が見えるとほっとする」ということに尽きる.マクドナルドハンバーガーの作り手はわからずとも美味しいのはわかるが、そういうことではなく、作り手の思想がなんとなくわかる、ということと、その思想が共感を呼ぶ、ということのなのだろう.

 レストランに行って、ときどき出くわすのが、料理人自ら我々のところへ来て挨拶をしてくれることだ.

「これから少しずつお出ししますのでね、ゆっくりしていってください」

 なんて言われてしまえば、ゆっくりしないわけにはいかないではないか.開放的なレストランであれば、敢えて厨房と客間の隔たりをなくして、調理風景を見せてくれるところがある.そこまでしなくてもよいと思うが、挨拶してくれるのは個人的に嬉しい.忙しいのだろうから決して無理はしないでほしい.けれどもその心遣いが私にとってはキュンキュンと来るのである.そして、ほとんどの場合、そういったお店の料理はすごく美味しい.反例があるかもしれないから、盲信するつもりはないのだが、私は大事な日や妻と外食する時は作り手の顔がみえるレストランを一つの着目点としている.

 私は今後、じゃがいものガレットや鶏レバーのパテ、コック・オー・ヴァン(Coq au vin)を作ってみようと思っているところだ.料理は実に楽しい.

 かつては、ほんの一握りの師弟たちが名工の技を盗んで研究したであろう味が、簡単に市井に及んでしまうのは時代の流れなのだろう、人によっては少し切なくもあるかもしれない.

 いつも「いいね」をつけてくださる方はもちろん、様々な方に見ていただいて嬉しい限りです.ありがとうございます.

Memory/Narrative: 1

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 この記事は「記憶/物語」を読んでの英訳になります.

This essay is an English translation of “「記憶/物語」を読んで”.

Event, History, Memory and Narrative

When I was a junior high school student, there was a assembly in the school gym on the hottest day of summer, the holiday was close to came. The assembly was a talk about “The Pacific War”, spoken by a former school girl, the survivor of the Battle of Okinawa, June, 1945.  I personally thought that it was an invaluable talk. I was hugely expecting to listen to her talk, because she had survived the war, also vaguely I was curious about World Modern history. I believe that there must be few students who willingly listened to the talk like me. The reason is that it would be impossible for youngsters to put up with the tales of the old stranger in the sultry school gym. I knew that there were people asleep. But I am not apt to blame on them at all. I was one of the guy who simply listened to the talk for just satisfying own curiosity of the war, although I sympathised the cruelty of the war on the ground. So, I admit that I was a student who was not appropriate for the talk that ought to be, that I have no right to denounce other students who were asleep. It would rather be a majority if I were indifferent with the testimony of the war as a student of junior high school living in the remote city from Okinawa. I wonder that the estrangement from the situation must be extraordinary that present day students wishing to enjoy summer vacation and the former boys and girls seventy-five years ago resign themselves to fate who were given hand grenades which suggest them to suicide against their will in the trench, in the same summer.

I strongly believe that everyone should remember these tragedies had happened in the past, and the opportunities to know the facts must be given through the public place. But, it may be a difficult matter to discuss when to have opportunity, I personally guess that it would be better to let them know in the term of compulsory education. The time flies, the survivors of the war live out their natural life span, so that it would be getting difficult to ask for a testify the memory of tragedy even if we obtained their consent. It has been 75 years since the war was over.

Why the war happened ? I think people who can answer this question are very few. Why the war must not be occurred forever? This question also can be answered by very few number of people, I guess. In our country, the lesson that the war must not be repeated is broadcasted in June, and August. Memorial service for the war is held every year, mourning ceremony is reported in the TV.  The mourning is the work of reminiscence of dead. The process of universal healing for those who involved and died in the war(it is different nuance with ‘worshipping the souls of the war dead’). It is good thing for mass-media to broadcast these events. But what should they report the most is that to listening to the whispers of ‘narratives’ suggested by the behaviour of people praying in June 23rd, August 6th, 9th and 15th, I believe. Why happened the general mobilisation that enforce people to service an absurd event?  I have been questioning myself about this since I was a child. I knew tentatively the logics and a complete history of Japan but I could not learn any more while I was taking the class of social study. I did not expected at any rate, but evening TV news never taught me the answer. The news always dispassionately tells us only truth likely facts. 

“Do not repeat the war, never to happen the tragedy.” 

Okay, okay, I understood. but tell me why you say so.

“Because It is tragic.” I knew it! That is not what I want to know. When I was a kid, I thought like that. Is that a common knowledge for adults? That’s why they won’t tell me.

But later on, I could feel the reason to deny the war by watching overflowing insanity of war, suggested from documentary film, such as “NHK special” at 9 o’clock, and “The 20th century on film(Eizo no Seiki)”, which was collaborated with ABC Television.  Moreover, I found that this “Event” is in truly complicated situation. I also found the difficulty to speak of the reason why we Japanese had began the Pacific War. Then I thought that the sequence of “Memories” would gradually fade out, and the handing down of narratives might not succeed.

The time goes by, I grew up a bit, I had a chance to visit the United Kingdom. The news program on TV that I watched in hotel on September 2nd was the broadcast of “Victory over Japan day”, as the stance of a victorious nation. I rapidly felt uneasiness like a cold breeze in the UK, reminded me of the feeling that I was in the country which used to fight against our country, even now they celebrated the victory over us. Probably It may be the first time for me to touch the shadow of the war. What I knew were fragments memory that my grand-grandfather served in the battlefield of Manchuria, and my grandfather was nearly expelled from school due to lese majesty. Another grandfather wished to enrol as navy officer but he failed in examination for admission. The more change of generation takes place, the less reliability of spoken tales, and they get short, sometimes surprising punch line appears, otherwise the narrative turns into the record which only tells that one went there and there, Even the memories of my true family fades away.

I have began to answer and find the question by reading books of Modern history of Japan written by specialities like Ms. Kato Yoko and so-on.  It is true that some writing of her has the same questioning as me. She tries to make a discussion with high school students on the case as if we were the statesmen of Japan at the era of Pacific war, standing on an equal footing. Of course I have read the book, but it has been a quite long time since I finished it, so that I cannot tell you right now in detail. However, I am sure that the writing was worth reading in that she considers how the Japanese executives made decision in the critical moment of history, and she tries to describe how they felt at that moments as much as possible. 

During my reading, I found that some beings insisting sharp remarks and (it may be all very reasonable for them to)confront the books which were written by highly specialised authors, based on thousands of references and former controversial studies. They speak aloud and we cannot ignore them.  By all means we should listen to what they are saying. Their voices echo regarding negative “events” such as the Nanjing massacre, comfort women, saying “There were no such things.” History revisionism, desertification of memories, letting past be bygones. Various words are rushing through my mind. Although we are sure to have walked one straight line of “History”,   there seems to be tracks of two, three or more lines when we look back. Which line did we walk through? Suddenly I am likely to be suspicious of the “narrative”  that I have believed a little while ago. The voices inflame our self-esteem, attempting to conserve the dignity of one’s country from the past to the present. The voices echo with loudly speaking of authenticity of following timeline of our history. Sometimes they are comfortable to our ears, and attracting. I wonder  I am a traveler walking among the woods seduced by a whisper of pixie, or a sailor who voyage around the sea yield to the temptation of a sing of Siren.

All of a sudden, everything turned to chaos that I felt like that I cannot understand whole things mentioned above. How should I understand history, narrative and folklore? Survivors who lived “Events” are ageing gradually and passing away, memories are fading as time goes by, they are spreading into branches, and turned into narratives. In order to appreciate why would “Event” has happened, we must think of the royal way of handing down narratives. If the way exists.

Recently, I have read a book(which belongs to my wife), written by Oka Mari, titled as “Memory/Narrative”, published by Iwanami Shoten. This discussion was written in 2000, what I own is noted that it is printed in 2014, as 14th edition. I think it suggests that this book are widely read. It has about 110 pages, I found it is a good amount for me to read carefully. Her insight starts from the “Event” that massacre of Palestines took place in August 12th, 1976, where the place named “thymes thriving hill”, “Tel al-Zaatar, تل الزعتر”. She mentions the questions occurred by reading the work of Liana Badr, who is a Palestine writer, “The Eye of the Mirror”, written about the massacre. Then she proceeds her questions as follows.

 How could we share the memory of “Event’? In order to possess Memory of “Event”, the “Event” should firstly be told, should be handed down. What is the mean of telling  memory of “Event” as it is shared genuinely with others? Is it possible to exist such narrative? Will it be consisted as we expected? If it exists, is that a matter of precision of realism? Numerous questions occurs.

There must be a critical meaning for thinking about the possibility of sharing memory of “Event”, when we are involved with the struggle of memory regarding various ”Events”, in the present. I would like to think of these questions by starting following discussion.

The verb “share” means “have a portion of (something) with another or others”. Her questions like these are quite stimulating for me, I am not sure that I can solve them anyway, I found that this could be the utmost opportunity to reflect on these matters of mine.

Thanks for reading so far.

ファントム空間論に到る前に

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了解について

 本編の前にこちらからご覧いただくとよいかもしれません.その続きはこちらにあります.

  分裂病(統合失調症)の基本障碍とはなにか.という問いかけから著者、安永浩の論考は始まる.だから統合失調症を避けずしてファントム空間論を語ることは出来ないのだが、なるべくこの辺りの論理をしっかり抑えつつも適度に流していこうと思う.

 K. Schneiderは統合失調症には一級症状として6-8つの用法があることを指摘した(考想化声、思考奪取、作為体験、対話性幻聴、考想吹入、考想伝播、妄想知覚など).

 こうした症状から他の症状を導き出すことを理想としているのだが、「導き出す」とはどういうことか、という問いかけが残っており、さらなる追求が必要であると述べた.この問題に対する考え方はW. Dilthey, E. Husserlらがもたらした方法的反省の立場が有用だとして、これらをK. Jaspersが精神病理学に導入した.ここで「了解」「説明」という方法の体系が組織付けられた.

 「説明」的な方法論では、無限に仮説的中項を設けることになってしまい、心理現象を本質的に検証することができないという.基本障碍は「説明」的になってはならないと安永はいう.なんのこっちゃ.続けてみよう.

 一方、「記述的分析的」ないし「了解的」な心理現象の理解は「心的連関の直接所与の上に安らって」いる為、前者のような矛盾をもたない、という.どゆこと?心的所与の「全体」から出発して「部分」が分解されていくのであってその逆ではない.「基本障碍」とはこの場合その「全体」をつかむことになるが、それはここの事実の認識を契機とし、土台とはしても、それから構成されるのではなく、そのつど、一次的に把握されるのである.こうした「全体」から「部分」を導き出すことは正当な権利を似て言われ得る、とする.

 そうすると、この立場は「了解不能」という壁に突き当たる.Jaspersによれば、「了解」が限界に行き当たる時は因果的「説明」に到るものとされる.しかしもし「説明」が上記の限界を免れぬとすれば、これは統合失調症の心理学的理解の終末を意味し、統合失調症の症状は、ただの忠実な外面的記載と平面的羅列にとどまってしまうのだろうか.となると、「基本」的な追求も無駄になってしまう.

 これは序文に過ぎないのだが、最初から難解である.私からなんとか大意を抜き出そうとしてみれば、次のようになる.

 ある架空の症例が、「頭のなかで自分と誰かが大声で喧嘩をしている」と述べたとする.K. Schneiderの一級症状の考え方をすると、これはVoices heard arguing、すなわち対話性幻聴である.では対話性幻聴から他の症状を「導く」とはどういうことか、これがよくわからない.そこで、現象学的な考え方を使ってみることになる、K. Jaspersがまとめた方法には、「了解」「説明」という二つの考え方が用いられた.

 了解というのは精神現象を把握する方法である.「悔しくて怒る」というのは「悔しい」という精神現象と「怒っている」という精神現象の連続である.これらは感情移入的、共感的なものとして了解できる、という.(インターネット用語でいえば『わかりみが深い』かな?)「悔しい」と「怒っている」はそれぞれ関連がある.それゆえに怒っている人を見て、「悔しがっているんだろうな」、だとか悔しがっている人を見て「怒ってるのかな」と思うのは自然だ、ということだ.「心的連関の直接所与の上に安らっている」というのはそういうことである.だがこれらは因果律とは似ていて、異なるもので、「悲しいから泣く」という現象は連関と因果律を思わせるが、「嬉し泣き」も存在する.「嬉しい」と「泣く」という意味の連関はその人をとりまく状況や本人の発言との関連においてその都度了解できるのだ.

 しかし、ゲラゲラ笑っている人を見て、「この人、さぞかし悔しいんだろうなぁ」とは思わない.フヒヒヒヒと笑っている人に「なぜ笑っているの?」と尋ねて「悔しいからに決まってるでしょ!フヒヒヒヒ」と言われたら、「エッ???」となるはずだ.

これが了解不能という現象で、ある精神現象と関係のない精神現象が生じた場合は、「これもうわかんねぇな」という状態に陥る.

 こうなった場合、私たちは、その背後に病的な身体的過程(精神病)を想定し因果的な説明を求めることにした.したというか、そうせざるを得ない.「なにか病気だからこうなっちゃったのかな」という推理が働く.通常の意味連関が共有されず、精神現象とのつながりに異質さを生じさせるのが、了解不能である.

 説明というのは、病的な身体過程を想定するのではなく、心理現象として、「この人は過去にこういう体験があったからそれがきっかけで、ゲラゲラ笑っているのだろう」という仮説を挟んでいくものである.つまり、可能性は無限大になる.あらゆる可能性が考えられてしまう.

「ゲラゲラ笑っているのに悔しがっているというのは、実は心理学的には否認の状態で、実際、彼の心的状態はどちらかというと悲哀の反応に近く……」

 なんてごちゃごちゃしてくると、もはや取り付く島もない.無限に仮説的中項を設けることで本質上検証ができない、というのはそういうことである.

 だが、了解不能なものに対しては説明を試みるしか無いのである.Jaspersは、わからないもの<了解不能>は、因果的説明にいきつく、という.ところでもし、「説明」がさきほどの統合失調症心理の探求限界に行き当たらない、なんてことがあったとすると、もはや統合失調症を理解することはできなくなってしまうのでは?という恐れが生じかねないと安永は言う.それは「了解」に関する誤解であるとし、以下重要なことを述べる.

 心理現象界の作用形式を掴み、秩序付ける認識は体験から直接導き出されてゆく方向になされるべきで、(そうすれば「説明」的認識の意義もその中で正当に-「了解」を限定規制するものとして-位置づけられてくるが)

もしこの順序を逆にすると(「説明」だけから出発すると「了解」は永久に現れてこないから)背理となる.

 以下、吾郎なりの理解を以下に記してみる.

 こころの世界がどのように私達に働いているかを理解し、その世界の法則がどのようなものかを感じるということは、実際に経験したことから直にわかっていく(了解→説明)流れが大事である.(そうすれば、「説明」することで理解できる、という立場もまっとうに「了解」の立場を自然と決めることとして位置づけられるから)もしこの順番が逆になると、「悲しいから泣いている」という現象を理解するときに、説明が先行してしまうと、無限の注釈がつくことになってしまう.つまりいつまでたっても「了解」が出てこなくなってしまう(畢竟おかしい話になる)から、逆説的に正しいのだ.

 ここで要点をまとめておきたい.

 精神現象は「了解」していくことで、こころの世界の働きを知ることができるが、もし「了解不能」となった場合は、因果律に基づいて「説明」することが必要となる.そういうわけで「了解」→「説明」という流れが大筋となるがその逆は決してありえない.

 K. Schneiderの提示した一級症状というのは、「思考奪取」「考想化声」「作為体験」などである.これらは教科書的にも統合失調症の症候として現代もよく掲載されている.だが、これらがあるからといって、決して統合失調症とは限らないのである.脳腫瘍によってもこのような状態は起きるし、ステロイド多量服用でもそうなる.エリテマトーデスでもそうなるのだ.これが一次的な症状、根幹の症状として他のすべての症候を網羅できるかと言うと、大きな誤りだ、ということを安永は言いたいのである.これはファントム空間論への布石である.彼はもっと大きな「基本障碍」があるのではないかと考えるのである.E. MinkowskiやH. Bergson, L. Binswanger, E. Straus, J. Zutt, K. Goldstein, K. Conrad, 西丸四方らの考えを紹介してゆく.だが、どれも基本障碍を説明するものとしては、扱いが難しかったり、安易な説明的概念になってしまうとした.もし、「基本障碍」があるとすれば、それは相当抽象度が高い次元のものだろうと、彼は想定している.そこで彼は以下の考え方を紹介する.

パターンとは

 彼は「パターン」と呼ぶ概念を提唱する.暫定的訳語に「実存的二元構造」と注を付けているが、この際「パターン」で良い.

「パターン」とはなにか.彼は英国の哲学者、O. S. Wauchope(ウォーコップ)の考え方に示唆を受けているという.私は全く知らないし、哲学史で輝く人物では無い.生年没年も不詳、著作は唯一”Deviation into Sense – The Nature of Explanation”のみであり、英文学者である深瀬基寛(1895-1966)がいなければ、我が国には知られることがなかったであろう、「幻のポケモン」のような人物である.

 私達は、「自」「他」、「質」「量」、「全体」「部分」、「統一」「差別」といったカテゴリーの一対を知っている.これらは基本的に論理学的定着された形式的概念として使われることがほとんどであるが、安永はもう少し突っ込んで考えている.

 これらは皆違ったものではあるが、各々の対の内部構造においてなにか特異なものを共通にもつように思わないだろうか、と読者に問いかける.これらにはなにかある相互連帯的関係が感じられないだろうか、と.どうしたんだ安永くん、急に.

 彼はこうした特異性を以下のように抽出する.「自」「他」の前者をA、後者をBとする.他の三対も同様である.すると、次のような形でAとBは一般化できるという.

一、 A, Bは各々の見地において完全な分極をなし、第三のものCが介在する余地はない.また一方を欠いては成立しない.

二、 体験にAという面の存在すること、それを理解しうることの根拠は、もはや他に求めることは出来ない.それは人が体験自体から出発すれば直接「わかる」というほかない.自らが議論の出発点になりうるのみである(この意味で公理的、明証的である).

三、 上の前提さえあればBは「Aでない方の面」といえばこれに対立し、衝突してくるものとして必ず体験にあらわれてくるゆえ、導かれ、理解されうる.

四、 その逆は成立しない(!)すなわちBを公理として出発することはできないし、また「Bでない方」といったのでは、Aの本質を理解するわけにはいかない.

 この第四項は特に重要であるとする.それはこれらの対が、単純に相対的な、可換的に平等な対立とは言い得ないことを意味している.そしてこのことの承認こそが、この論文で主張する方法論の背骨となる.

 私達が生きている限り、「自」という意味がどんなものかなんとなく知っている.「意識的に」では無いが、「体験的に」知っている.自分のことは自分なのだから直接「わかる」だろう、そうしてわかる以外にない、という理屈だ.だが、「自」でないものが必ず存在する.「他」である.「自」があるからこそ、「自」でないものを「他」ということができるから、命題一、二は理解できるだろう.

 「自」があるからこそ、「他」が理解できる.この流れがすごく大切である.この順序が逆転すると、おかしくなる.私達は「純粋な他」というものを想起できない.「他」を考えれば考えるほど、気が遠くなり「体験の彼岸へ遠ざかるため」理解できない.これは、R. Descartesの「我思う故に我あり」と同じように、どこまでも疑いに疑い抜いた挙げ句、自分だけは疑いようがない、ということと結局は同じである.

 自分とは、私達の体験にとって「他でもない、という以上のなにか」である.「体験世界は自我・非自我でできている」という命題は「了解」できる.しかし次はどうだろうか.

 「体験世界は他・非他」で出来ている」

非他ってなんだよ?ってことになる.意味不明である.つまりどういうことか.もともとの体験構造に、「自」の支配性、優越性を見るのである.ベクトルで表記すると次のようになるだろうか.

$$\overrightarrow{ 自他 }$$ はあり得るが、$$\overrightarrow{ 他自 }$$ はあり得ない.

別の言い方をすれば、

一つの方向(BのAへの関係)においては「論理的必然性」の関係である.

他の方向(AのBへの関係)においては「条件的偶然性」の関係である.

故に$$\overrightarrow{ AB }$$ は「実存」的な方向である.

 もちろん、「自」「他」だけでなく、「質」「量」、「全体」「部分」、「統一」「差別」といった対も同様に考えることができる.こうしたカテゴリに着目し一般化したのはどうもウォーコップが初めてらしい.

 以上を総括しよう.

 前述のような論理関係にあるA、Bという概念対の対立構造を、またさらにそれを生み出す基盤となり、それによって記述されうるような体験の構造関係を、一般に「パターン」と呼ぶ.

 安永はこの「パターン」の説明に相当な紙面を割いている.詳しく知りたくなった人はぜひ書店へ!と言ってもこの本は書店にはほとんどないだろうし、知りたくなった人もあまりいなさそうだから、本論で追補したいと思う.

 次回、統合失調症への適用について.いつも読んでくださりありがとうございます.

ファントム空間論の応用性についての検討

brown pendant lamp hanging on tree near river
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まえがき

 前の記事で、私は統合失調症に関して沈黙することにした、と述べた.だが疾患の内容や治療方法にはあまり触れず、別の形でファントム空間を取り上げることはできないか、と私は考えた.以下はその言い訳と、これからの抱負である.

 近年、統合失調症は罹患数が減少しているだとか、病勢が弱まっているという指摘がなされることがある.事実かどうかはともかく、それは実臨床でも感じることは多いかもしれない.最近の傾向は気分障碍、不安障碍、発達障碍、認知症、物質使用障碍(アルコール・違法薬物等)なのだろう.だからといって統合失調症の治療がおろそかになってよいわけでは決してないのだが、他に考えなければならぬ疾患群が極めて多様である、ということで良いと思う.

 精神疾患は社会と密接な関わりがあることは多くの指摘がなされている.社会のあり方を無視して疾患の総体を掴むことはできないだろう.流行り廃りがあるといえばやや語弊があるが、発達障碍への関心は年々強まっているし、「自分が発達障碍なのでは」という関心をもって、診察室を訪れる人は多い.

 精神病理学的な考察には、発達障碍圏は自身への志向性に無関心である一方、統合失調症圏は志向性に敏感であるというものもあり、それはなるほど明快な要素ではある.だから自身の志向性に無関心である傾向が多い人々がはたして発達障碍なのかというと、直観ではあまりそんな感じはしないのだが、実際に心理学検査を行うと、有意なDiscrepancyが指摘されることはしばしばである.

 また、先輩の医師が「発達障碍か統合失調症かもしれない」という申し送りや紹介をするとき、「一体どういう文脈で言っているんだ」という疑問を持たざるを得ないことは頻回であった.どうも専門の中でも考えの混在あるいは、区別のついていない医師がいるようである.教科書的な区分が通用しない症例がいるのは重々理解しているが、基本的な症候がわかっているのかどうかアヤシイ先生がいるのは嘆かわしいことだ.

 キーワードとなるのは何らかの「敏感な状態」であるのかもしれない.体系だった幻覚妄想状態はあまりないが、発達障碍圏でも幻覚妄想状態が示唆されることはあるし、いわんや統合失調症をや、である.外界とのつながりが突如断絶し、周囲の世界が大きく変容した感覚を得るようだ.こうした感覚は妄想気分、妄想知覚として説明される.

 とある若い人が目をギラギラさせて、

「アマテラスオオミカミが勅命をくだした声がわたしだけに聞こえるような特定の音声周波数を通して聞こえたのだ!わたしはヨモツヒラサカからイザナミノミコトを帰還させてニニギノミコトとして国産みをすすめるのだ!」

 とかなんとか言っているのは、一次妄想から発展してある種体系だった妄想である(上記は私がつくったデタラメだが).

 一方で、真面目な会社員が次のように言ったとする.「仕事に行くとどうも会社の職員がヒソヒソ話をしている.よく聞こえないので話の内容はわからないが、おそらく私のことに決まっている.私の会社でのミスを知っていて、皆が私を嘲笑し、非難しているだ」というものは、状況によっては、理解できる愁訴である.こうしたものは二次性妄想として、妄想知覚と区別される.

 現象学的な知識を動員してみると、前者は突発的な意味不明な内容について確信している可能性を考える.本来、絶対的所与性である「内在」に深刻な機能不全・機能失調が起きている恐れがある.道端に咲く花をみて、「あれはうんこです」という人はなにかの酷い冗談か深刻な確信形成の病理を抱えていると思う.

 後者の方はある程度合点がいく内容である.周りが話をしているのを見て、「自分の話をしている」という理解が正しいかはどうかとして、「話をしている」という知覚は妥当のように思う.だが、それが自己を巻き込んだものかどうかは、状況によりけりだが、かなり疑わしい.これも「内在」に部分的失調があるのだろう.やはり確信形成に問題があるものとして妄想は存在する.

 最近は、テレビのワイドショー、一般人のインタビューなどで個人が自分の空想を語ることを「妄想する」と言うことを耳にする.

「もし宝くじがあたったら一生働かないですむ妄想しちゃいますよね~」

 これは妄想の使い方として正しくない.妄想は空想ではない.妄想は簡単にいえば、「訂正不可能な確信水準の言辞」である.とはいっても、こんなことを真面目に指摘して論破したつもりになるのは非常に痛痛しい人になってしまうのはよくわかっているので人前ではこうしたことは言わないが、私はそう思っている.

 だが、妄想という言葉が誤って広まり、妄想の語義が弱まったと考えると、妄想が世間に親和的になったのかもしれない.妄想の民主化といったらよいのか.前に私は、精神疾患は社会の動きと密接だと述べた.こうした言葉の捉え方の変化が一つの病勢の弱まりに関係しているのではないかとこっそり思っている.決してこの考えを確信しているわけでないことはご理解いただきたい.

 さて、私は社会のもう一つの趨勢として「敏感さ」があるのではないかと思っている.勿論、統合失調症には特有の敏感さがあるのだが、私の言いたいのは疾患とは言えないまでも、「繊細さん」や「Hyper Sensitive Person/People」と呼ばれる人々のことである.どちらかというと、先に挙げた例の後者である.こうした悩みを抱えている方は大変多いのではないか.何しろ書店にいけばこうした「HSP」関連の書籍がとても多い.インターネットの特集やコラムでも「HSP」に関する記事を目にすることもある.

 私も割と、「Sensitive」(敏感)な人種だ.HSPの定義は今後の記事に譲るが、私はこうした「繊細な人」がとても困っているのではないか、生きづらさを感じているのではないか、と常々思っている.

 私はとてもとても膨大な理論を提唱する知恵もなければ経験もないので、大それたことはできないのだが、かつての統合失調症の論理的精神病理であるファントム空間論がその理解の助けになるのではないかと考えた.一体お前は何を言っているんだ.これは統合失調症の病理じゃないか、という批判はあるだろう.それは別に良い.そんなことは知っている.だが、ファントム空間論は、人が取りうる心的距離のことを広くいう仮説である.心的距離、心の間合いとでも言おうか.心の距離感の学問仮説といえば、統合失調症に限らずとも学問的理解を経て、他の心的問題に関する理解に応用できるのではないか.

 少し学問から離れた話をしてみよう.

 「新世紀エヴァンゲリオン」というアニメ・映画を観た私は、エヴァンゲリオン初号機と第四の使徒「サキエル」が死闘を繰り広げるのを観て、「これは心と心の距離感の比喩ではないのかな」と素人ながら感じたものである.特に初号機が使徒の「A.T. フィールド」(絶対不可侵領域・絶対恐怖領域)を破って攻撃する描写は十代の青少年に対する暴力的な心の侵入をよく描写したもののように思った.A. T. フィールドの展開範囲や強度は、ファントム空間論の理解の助けになりそうである(と思ったのだ).

 よってこうしたアニメ作品も積極的に援用して自分の考えを述べてみたい.エヴァンゲリオンに興味のある方は勿論、自分が「HSP」ではないかと思う方、様々な「敏感さ」に思いをはせている方にとって、少しでも安らぎの場となればと思い、私は前回の記事を一部撤回し、ファントム空間論の応用的解釈を目指すこととする.

 ここまで読んでくださりありがとうございます.今後も興味をもってくだされば幸いです.これは長期連載の予感……!?

The Book of Tea: 12

macro photography of green leaf
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Adobe of Fancy

Hello. The chapter four ends in this page and we’ll move on next chapter later. The translation was quite challenging but so comfy to me when the work came to the end. His style of writing is vigorous, contains a profound knowledge, and full of overwhelming passion. I can but manage to appreciate it by reading hundred times and trying to find what Tenshin meant to claim.


The name, Adobe of Fancy, implies a structure created to meet some individual artistic requirement. The tea-room is made for the tea-master, not the tea-master for the tea-room. It is not intended for posterity and is therefore ephemeral. The idea that everyone should have a house of his own is based on an ancient custom of the Japanese race, Shinto superstition ordaining that every dwelling should be evacuated on the death of its chief occupant. Perhaps there may have been some unrealised sanitary reason for this practice. Another early custom was that a newly built house should be provided for each couple that married. It is on account of such customs that we find the Imperial capitals so frequently removed from one site to another in ancient days. The rebuilding, every twenty years, of Ise Temple, the supreme shrine of the Sun-Goddess, is an example of one of these ancient rites which still obtain at the present day. The observance of these customs was only possible with some such form of construction as that furnished by our system of wooden architecture, easily pulled down, easily built up. A more lasting style, employing brick and stone, would have rendered migrations impracticable, as indeed they became when the more stable and massive wooden construction of China was adopted by us after the Nara period.

 数寄家、趣味の家という名はある芸術的な要求を満たすために作られた建造物であるという意味を含む.茶室は茶の宗匠のために作られたのであり、茶室のための茶の宗匠が作られたのではない.後世のためではなく、それゆえに儚い.誰もが自前の家を持つべきだという考えは日本人の古代の慣習に基づき、神道の迷信が命ずるところには、すべての住宅が家長の死ぬ際は避引き払わなければならない.おそらくなんらかの無意識な衛生概念のために実践されたのであろう.

 もう一つの早期の慣習とは新婚の各々の夫婦に新築を与えるべきだというものであった.そうした慣習は遷都のためであるとわかる.伊勢神宮は、改装は二十年毎に行われる.崇高な太陽女神の神殿であるが、古代のしきたりを今でも保っている一例である.こうした慣習を観察することは、あるいくらかの建築様式、すなわち、たやすく壊し、たやすく建てることのできる木造建築の我が国の体系により備えられるものとしてのみはじめて可能であった.

 より耐久性のある、煉瓦と石を用いるものがあるが、これによって転居が不可能になって、安定し強靭な中国の木造建築が奈良時代以降に用いられた.事実、移動は不可能となった.

With the predominance of Zen individualism in the fifteenth century, however, the old idea became imbued with a deeper significance as conceived in connection with the tea-room. Zennism, with the Buddhist theory of evanescence and its demands for the mastery of spirit over matter, recognised the house only as temporary refuge for the body. The body itself was but as a hut in the wilderness, a flimsy shelter made by tying together the grasses that grew around, – when these ceased to be bound together they again became resolved into the original waste. In the tea-room fugitiveness is suggested in the thatched roof, frailty in the slender pillars, lightness in the bamboo support, apparent carelessness in the use of commonplace materials. The eternal is to be found only in the spirit which, embodied in these simple surroundings, beautifies them with the subtle light of its refinement.

 しかしながら、禅の個人主義の優勢に伴い十五世紀には、古い思想は、茶室との関係において得られたものとして、より深い意味が吹き込まれた.

 禅道は、仏教徒の無常の理論と精神が物質を優越することを修得するためのその要請を伴って、肉体を一時的な避難のための家としてみなされた.肉体そのものは荒野に建てられた小屋に過ぎず、地面に生える草を結びあわせて作られた脆いしのぎ、それらが解けてしまうと再び荒れ地に戻るのである.茶室において儚さとは藁葺き屋根を意味し、細い柱の脆さ、竹の支えの軽さ、ありふれた物質をつかうことの見え透いた無造作なところに込められている.

 永遠とは精神にのみ見られる、すなわち、素朴な環境に体現し、みずからの上品なかすかな光とともに美化するものの中においてのみである.

That the tea-room should be built to suit some individual taste is an enforcement of the principle of vitality in art. Art, to be fully appreciated, must be true to contemporaneous life. It is not that we should ignore the claims of posterity, but that we should seek to enjoy the present more. It is not that we should disregard the creations of the past, but that we should try to assimilate them into our consciousness. Slavish conformity to traditions and formulas fetters the expression of individuality in architecture. We can but weep over those senseless imitations of European buildings which one beholds in modern Japan. We marvel why, among the most progressive Western nations, architecture should be so devoid of originality, so replete with repetitions of obsolete styles. Perhaps we are now passing through an age of democratisation in art, while awaiting the rise of some princely master who shall establish a new dynasty. Would that we loved the ancients more and copied them less! It has been said that the Greeks were great because they never drew from the antique.

 茶室が個人の好みに合わせるために建てられるべきというのは芸術における生命力の原理の強い主張である.芸術を、十分な理解に耐えるためには、同時代の生活にとり真実でならなければならない.私達が後代の主張を無視するべきであるというのではなくて、現在をより享受せよということである.過去の創造物を無視するというわけではなく、自分の意識に吸収しようとすべきである.伝統と形式への奴隷のような従順とは建築において個人主義の表現の枷である.

 我々は現代日本にそびえるヨーロッパ建築の風情のない模倣を嘆かざるを得ない.我々は驚く.なぜ最も先進的な西洋国家の中で建築がかくも独創を欠いて、時代遅れの様式を繰り返しているのはなぜかと.

 おそらく我々は芸術の民主主義化の時代にいるのだが、一方で新たな王朝を築く名君の勃興を待っている.願わくば昔を愛するより多く、模倣を少なくすることを!ギリシアが優れていたのは彼らが古代様式の域から脱していないことにあると言われている.

The term, Adobe of Vacancy, besides conveying the Taoist theory of the all-containing involves the conception of a continued need of change in decorative motives. The tea-room is absolutely empty, except for what may be placed there temporarily to satisfy some aesthetic mood. Some special art object is brought in for the occasion, and everything else is selected and arranged to enhance the beauty of the principal theme. One cannot listen to listen to different pieces of music at the same time, a real comprehension of the beautiful being possible only through concentration upon some central motive. Thus it will be seen that the system of decoration in our tea-rooms is opposed to that which obtains in the West, where the interior of a house is often converted into a museum. To a Japanese, accustomed to simplicity of ornamentation and frequent change of decorative method, a Western interior permanently filled with a vast array of pictures, statuary, and bric-à-brac gives the impression of mere vulgar display of riches. It calls for mighty wealth of appreciation to enjoy the constant sight of even a masterpiece, and limitless indeed must be the capacity for artistic feeling in those who can exist day after day in the midst of such confusion of colour and form as is to be often seen in the homes of Europe and America.

 「空き家」という言葉は万物が含有するという道教徒の理論を伝えるだけでなく、装飾的な主体において絶えず変化する必要があるという概念をもっている.いくらかの審美的雰囲気を一時的に満たすために、配置すべきものを除いて、茶室はまったくの空虚である.

 状況によって何らかの特別な芸術品が持ち込まれるが、すべては原理的な題目の美しさを強化するために選定され配置される.異なる音色を同時に聞き分ける人はいない.中枢の主題へ集中することでのみ美的存在の真の鑑賞は可能になる.このようにして茶室における装飾の体系は西洋、邸宅の内装がしばしば美術館に変わるところ、において持っているものの対極である.

 日本人にとって、装飾の簡素さや装飾方法の頻繁の変化に親しんでいる我々にとって、西洋の内装の変わることなくずらりと並んだ絵画、像、骨董品が富豪のただの卑しい陳列という印象を与える.

 一つの傑作でさえも常に鑑賞を楽しむためには大きな鑑賞の豊かさが必要である.ヨーロッパやアメリカの家庭でしばしば見られる色彩と様式のそうした混乱のさなかに何日もいられる者における芸術的感性とは、実に無限を要するのであるにちがいない.

“The Adobe of the Unsymmetrical” suggests another phase of our decorative scheme. The absence of symmetry in Japanese art objects has been often commented on by Western critics. This, also, is a result of a working out through Zennism of Taoist ideals. Confucianism, with its deep-seated idea of dualism, and Northern Buddhism with worship of a trinity, were in no way opposed to the expression of symmetry. As a matter of fact, if we study the ancient bronzes of China or the religious arts of the Tang dynasty and the Nara period, we shall recognise a constant striving after symmetry. The decoration of our classical interiors was decidedly regular in its arrangement. The Taoist and Zen conception of perfection, however, was different. The dynamite nature of their philosophy laid more stress upon the process through which perfection was sought than upon perfection itself. True beauty could be discovered only by one who mentally completed the incomplete. The virility of life and art lay in its possibilities for growth. In the tea-room it is left for each guest in imagination to complete the total effect in relation to himself. Since Zennism has come become that prevailing mode of thought, the art of the extreme Orient has purposely avoided the symmetrical as expressing not only completion but repetition. Uniformity of design was considered as fatal to the freshness of imagination. Thus, landscapes, birds, and flowers became the human figure, the latter being present in the person of the beholder himself. We are often too much in evidence as it is, and in spite of our vanity even self-regard is apt to become monotonous.

 「非対称の家」は我々の装飾的様式のもう一つの段階であることを意味している.日本美術品において対称を欠くことに対して西洋の批評家の指摘を受けてきた.これもまた、道教徒思想の禅道を通じて築かれた結果である.

 儒教の二元論の考えに深く根ざすもものと、仏教の三位一体の崇拝は対称性の表現に反対するものではない.事実、古代の中国の青銅あるいは唐王朝と奈良時代の宗教芸術を学ぶとすれば、我々は対称性の絶え間ない努力を認める.我が国の古典的内装の装飾は決定的に規則的配列である.しかしながら道教徒と禅の完全の理念は異なっていた.彼ら哲学の動的本質は、完全とは、完全そのものよりも完全を探求する過程を重視することにある.

 真の美は精神的に、不完全なものを完成させたものによってのみ発見される.生命の力強さとは成長の可能性にある.茶室では、全体の効果が自身との関わりのなかで完成なものにするために客人各々の想像力に委ねられる.禅道が現在も残る思考の様式となって以来、極東の芸術は表現としての対称性を完全だけでなく、反復をも故意に避けた.

 意匠の画一性は想像力の新鮮味にとり致命的と考えられた.そうして、風景、鳥、花が人物像よりも好ましい主題となった.後者はそれを所有するひとそのものである.我々はありのままの自己を表現することが余計すぎていて、我々の空虚さにもかかわらず自己認識は単調になりがちである.

In the tea-room the fear of repetition is a constant presence. The various objects for the decoration of a room should be so selected that no colour or design shall be repeated. If you have a living flower, a painting of flowers is not allowable. If you are using a round kettle, the water pitcher should be angular. A cup with a black glaze should not be associated with a tea-caddy of black lacquer. In placing a vase on an incense burner on the tokonoma, care should be taken not to put it in  the exact centre, lest it divide the space into equal halves. The pillar of the tokonoma should be of a different kind of wood from the other pillars, in order to break any suggestion of monotony in the room.

 茶室では反復を避けようとする考えが持続しているのである.部屋の装飾に対する多彩な事物は選択されても色や意匠は反復されるべきではない.生花があれば、花の絵は不要である.丸い茶釜があれば、水差しは角張ったものであるべきだ.黒釉の茶碗は漆塗りの黒茶筒と合わせるべきではない.床の間に香炉や花瓶を配置するときは、中央に置くのではないようにして、それが均等に半分に空間を割かないようにすべきである.床の間の柱は他の柱とは異なる木材であるべきで、部屋の単調性を破るようにすべきである.

Here again the Japanese method of interior decoration differs from that of the Occident, where we see objects arrayed symmetrically on mantelpieces and elsewhere. In Western houses we are often confronted with what appears to us useless reiteration. We find it trying to talk to a man while his full-length portrait stares at us from behind his back. We wonder which is real, he of the picture or he who talks, and feel a curious conviction that one of them must be fraud. Many a time have we sat at a festive board contemplating, with a secret shock to on the dining-room walls. Why these pictured victims of chase and sport, the elaborate carvings of fishes and fruit? Why the display of family plates, reminding us of those who have dined and are dead?

 ここでまた、日本の室内装飾方法が西洋の、我々が見る事物がマントルピースやどこもかしこもに対称に並べてあるところのそれと異は異なる.西洋の邸宅において我々はしばしば無用の繰り返しのように思われるものに出くわす.ある男が彼の等身大の肖像画が飾ってある前で当人と話をしていることがある.我々はどちらが本物なのかと思うのである.絵の男か、話をしている男か、そしてどれかが偽物だという奇妙な確信をもつのである.

 我々は宴会に着座して、晩餐会の壁に密かな衝撃を何度も受ける.なぜ狩りの犠牲の絵が、魚や果物の精巧な彫刻が描かれているのか.なぜかつてともに食事し、亡くなったことを思い起こすような家紋の描かれた器が並んでいるのだろうか.

The simplicity of the tea-room and its freedom from vulgarity make it truly a sanctuary from the vexations of the outer world. There and there alone can one consecrate himself to undisturbed adoration of the beautiful. In the sixteen century the tea-room afforded a welcome respite from labour to the fierce warriors and statesman engaged in the unification and reconstruction of Japan. In the seventeenth century, after the strict formalism of the Tokugawa rule had been developed, it offered the only opportunity possible for the free communion of artistic spirits. Before a great work of art there was no distinction between daimyo, samurai, and commoner, Nowadays industrialism is making true refinement more difficult all the world over. Do we not need the tea-room more than ever?

 茶室の簡素さと粗野からの自由が外界の苛立たしさを解き放つ聖域なのである.そうして美の礼賛を煩わされずに身を捧げることを可能にするのである.十六世紀において茶室は歓待を提供し、荒くれ者の戦士と日本の再興と統合に従事する者が労働からの休息を提供する.十七世紀において、徳川の厳格な形式主義が確立してからの後、茶室は芸術的精神の自由な親交に対する唯一の機会をもたらした.

 偉大な芸術作品の前に大名、侍、そして領主に違いはなかった.今日、産業主義が世界中で真の風雅をより困難にしている.我々はこれまでないほど茶室が必要なときはないのではないか.

 いつもありがとうございます.

Goro
Goro

The chief editor and translator of Kamegoro Law Firm.