お知らせ

beach water steps sand
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 こんにちは.いつも亀吾郎法律事務所をご贔屓くださりありがとうございます.

 弊事務所はブログを開設してから来月で六ヶ月目になります.投稿した記事がどれだけ閲覧されてきたか確認すべく、Google Analyticsを導入しました.そして検索キーワードを分析するためGoogle Search Consoleを始めました.さらにGoogle AdSenseを申請して、広告掲載を始めることになりました.皆さんも途中から広告があるな、とお気づきになったのではないかと思います.

 サイトの注目度を集め、より多くの人に見てもらうことで私たち事務所スタッフ一同の執筆への動機づけを高めたいと思い、Search Engine Optimisationと呼ばれる検索エンジンに対する工夫も始めることとしました.

 これらは一般的なブログの中で知られた常套手段ですから特別なことでは無いのですが、私たちにとっては見知らぬ世界であり大変新鮮味を感じています.

 何よりも大切なのは、わかりやすく見やすいサイトにすること.知識不足や技術不足でまだまだ納得できていないところは多々ありますが、少しずつ改良を重ねているつもりです.まずはこれまで煩雑だったブログタイトルを簡素なものにしました.

 そして同じシリーズ連載ものは通し番号をつけることで順序がわかるようにしました.今後も同一の規則を適用するようにしていきます.完結した連載ものは何らかの形で再び気軽に見てもらえるように、アーカイブ化を目指そうと思っています.見づらさ等、ご指摘の際は気軽にお願いします.連載ものは以下の通りです.(10月30日現在)

現象学シリーズ:「赤の現象学」に統一 (連載中)

プラトンの饗宴シリーズ:「饗宴」に統一 (完結済み)

茶の本翻訳シリーズ:「The Book of Tea」に統一 (連載中)

時間論シリーズ:「私の時間論」に統一 (完結済み)

超越・脱出シリーズ:「近年の異世界系小説にみる超越と脱出」 (完結済み) 

記憶/物語シリーズ:「記憶/物語を読んで」に統一 (連載中)

 その他記事は単発ものです.例外に大学院時代の課題がありますが試験投稿的側面が強いのでここでは紹介は割愛します.

 自分でいうのもおこがましいですが、どれも自分の記事の独自性に自信を持っています.引用は多いですが、その分、私の頭の中でしかたどり着けないであろう思考をできるだけ開示しているつもりです.翻訳も参照こそすれど、すべて私の文体です!

 もし「これやって!」という希望があれば社会通念にかんがみて快くお受けしたいと思います.もちろん、真面目な話だけでなく、私の好きなゲーム、自動車、料理、旅行の話もしたいと考えています.

 現象学は難しいので、少しずつ気長に連載していきます.焦らず、楽しく.

これからもよろしくお願いします!

*ファントム空間論の連載は都合によりしばらく見合わせます.

「記憶/物語」を読んで 7

ancient temple ruins in lebanon
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  表象の不可能性を超えて

 このシリーズもなんと七部になってしまった.ようやく第二部、「表象の不可能性を超えて」に入るわけだが、前回の記事の最後で、私は拷問の論理という言葉を使った.これはどういうことなのか.そして筆者はどうして映画「ワンダフル・ライフ」にナショナルな欲望があるか懸念をしているのか.そこから考えてみることにしたい.

 拷問の論理、それは決して理解することは難しくない.例えば、貴方の弱点を最も苦手な人に教えなければならないと仮定する.弱点なんかありませんよ、という人はいないはずだ.自分の容姿について、家族について、自分の過去について、能力について、性格について.思い返すことすらためらわれる記憶・物語が人によってはあるかもしれない.それを誰かに打ち明けることは大変辛い作業だ.友人、家族、上司、主治医、警察、行政.いじめの体験、家庭内暴力の経験、心的外傷の記憶、勤務中の苦痛.特に自分の尊厳が侵されるような出来事は屈辱に等しい.

 そういった苦痛の体験を語ることがためらわれるのだから、他人に同じことを依頼するのは、よほどの無神経な人か、真に必要がある人かであろう(治療、捜査、法律など).無論前者はお断りである.後者ですらとても辛いに違いない.だから、従軍慰安婦とされた方々に、その劣悪な記憶を証言してもらうことは大変な困難である.筆者も次のような強い表現で綴る.

 <出来事>の<真実>を証す証言に触れたなら、その<真実>を、<出来事>を否定する歴史修正主義者たちの眼前に突きつけて、お前たちはこれでも抗弁するのかと、言ってやりたいとわたしも思う.だが、このとき、自らの傷ついたからだを切り裂いて、その内部をえぐり出すような証言であるからこそ、そこに<出来事>の<真実>が証されているのだとするなら、それは何と、グロテスクなことだろう.<中略>いったいどれだけの苦痛に身をよじって証言すれば、<真実>を語ったことになるのだろう?

 そう、胸くそ悪いほどグロテスクなのだ.このような事態を考える時、類似した構造が現代でも続いているという悲しさを、私は伊藤詩織さんの抱える係争によって思い起こす.

 もしそういった証言を我々が語るとすれば、そこには私達が苦痛を感じたわけではないがために、証言に説得力が生じないのでは、<真実>が十分に語られないのでは、と懸念するのである.では、やはり心の傷を抉るような証言が必要なのだろうか.なぜ自分を苦しめてまで語ることをしなければならないのか.それは、単に歴史修正主義者のような勢力だけでは無い、と彼女はいう.戦後の日本社会の<出来事>に対する歴史的忘却、そして<出来事>を否定する人々に対する日本人の非力さであると.我々にも責任があるという.私の解釈を言えば、この非力さは我々の否認や回避なのだろう.彼女も否認という言葉を用いている.非力さとは自分が彼女らの拷問に加担しているという事実を見ないですますことだと言う.彼女らに語らせ、歴史修正主義者の言説を否定しようとすることは錯誤的だと述べる.

 ではどうしろと言うのか.それに対して彼女の考えはこうである.

 私たちは、言葉が媒介する意味を見るのではなく、言葉のズレ、<出来事>とそれを表すために語られた言葉のあいだの果てしない乖離、断絶こそ、見るべきなのではないか.その言葉は、<出来事>を意味しているのではなく、<出来事>との断絶を、その断絶のうちに現れている<出来事>の、他者には想像不能な暴力の深さを指し示しているのでは無いだろうか.

 当事者が語る証言によってのみ私達はその出来事の重みを感じるのではない.むしろ証言が何重にも媒介を経ることによって陳腐化され、常套句と化してしまうことにより、気の遠くなるようなギャップを感じることで、我々は、当事者が語ろうとするリアリティに思いを馳せることができるのだと.

 直観するにはなかなか難しい.だが、こうしたことは現在でもインターネット・スラングにある「小並感(こなみかん)」として説明できるかもしれない.聞いたことがある人ない人いるであろうから、簡単に述べてみよう.小並感とは「学生みの想」を縮めたものだ.出典は明示しない.各自で調べていただいた方が良い.

 例えば貴方が二十代の大学生だと仮定する.大学の友人と新作映画を観に行ったとしよう.お互いに感想を言い合う際、「最後のシーンが良かった」なんて言葉を友人の口から聞いたとしたら、「なんて陳腐な表現だろう」「なんて具体性に欠けるつまらない表現だろう」「もっとマシな表現があるだろう」と思うかもしれない.或いは、自分が上記の感想を述べた時、「自分でもなんて貧弱な表現を使ってしまったのだろう、小学生じゃあるまいし」と感じるかもしれない.

「(これは表現力が成人に比べてまだ乏しい)小学生並みの感想に近いなぁ」という、一種の揶揄表現である.多くは自分の表現力を卑下する、自虐的に用いる表現である.別に小学生である必要はないと個人的に思う.さすがに小学生に失礼だろう.大人でも小学生に劣るひどい言語能力が示唆される人はいる.

 それはともかく、「小並感」は実際体験する出来事とその経験についての証言とのギャップが強いことを表すと考えて良いだろう.岡の表現を借りれば出来事と物語の乖離とでもいえば良いのか.「小並感」は皮肉と侮蔑と揶揄と自虐が入り交じる表現であり、用法は特殊だが、体験と語りの断絶を知る、という意味ではおそらく上記の筆者の考えを理解するのに役立つだろう.なお、岡は慰安婦として実名で名乗った金学順の証言、「わたしは女の歓びを知らない」という証言の「女の歓び」たる陳腐さに衝撃を受けたと記している.そして女性の心理に通暁している触れ込みの男性作家が大衆小説で使いそうな、手垢にまみれた言葉と評している.すごい(小並感).

 前に触れた作品「ワンダフル・ライフ」は日本の映画だ.だからキャストは皆日本人である.言語は日本語である.そりゃそうだろう、と思うのも無理はない.だが筆者の着眼点はそこなのだ.死者は日本人だけではない.当たり前だ.しかしながら映画に出てくるのは日本人だけだ.その他の国籍の人はどうしたのか.ナイジェリア人はどうするのか.中国とインドの国境の紛争地帯の人はどちらなのか.レバノンにルーツを持つ親のもとブラジルで生まれ、レバノンに戻るもフランス語の高等教育を受けた人はどうなるのか.戸籍がない人はどうするのか.ゴリラやチンパンジーはどうなるか.カメはどうなのか.

 「うわぁ、めんどくさい人だなぁ」と思うかもしれないが、それは私だけではなく、筆者もそういう性質の人だろう.たまたま日本人の団体が来たんでしょ.という解釈も悪くは無いが、面接する人も日本人なのだ.もし顔つきが日本人に似ているブータン国籍の人が来たとしたら対応に苦慮するだろう.つまり、記憶の分有をテーマにする作品が問題にするのは、言葉で語りうるような出来事の記憶なのだ.語り得ない出来事の記憶は排除されていることが前提である.それでいいのか、と彼女は考えているわけである.

 こうした仮定は決して虚構ではなく、今、この日本社会が抱えている事態そのものであると岡は言う.日本語が話せない外国人が適切な通訳がおらず法廷に立たされている事態である.そんなの知らん、日本に来て事件を犯したのが悪いんだ、という意見に対して、逆の立場であればどうしようか.貴方が海外を渡航中に冤罪で逮捕勾留されたとする.或いは異国の禁忌を無自覚に犯して不敬罪で逮捕されてもいい.貴方は旅行会社が何でもやってくれるツアーに任せきりで、貴方は日本で高等学校まで英語の教育を受けたはずなのに英語はろくすっぽ話せない.もごもごして戸惑っていると、険しい顔をした役人が来て、わけのわからない内容を早口で話している.貴方は法廷でも何も話せないし何も聞き取れない.ああ可愛そうに.

 私達は日本にいる限り、言語という躓きようがない手段があたかも自明のように感じられるため、言語で躓く人たちの存在を忘れてはいないだろうか.と筆者は呼びかけているのである.「ワンダフル・ライフ」だけでなく、物語が言語や国籍で先立って分類されているとしたら、難民はどうなってしまうのだろうか.創氏改名を余儀なくされ、いつの間にか天皇の赤子になっていた朝鮮人は、何人なのだろうか.「ワンダフル・ライフ」に登場するとしたら何語で語るべきなのか、と.

 ナショナルな欲望とは、戦争という<出来事>の暴力を現在の物語として生きざるを得ない他者の存在を想起する契機を欠落させ、自らの被害だけを記憶し、想起しているという点にある.それは他者の否認である.ナショナリズムの分有であると筆者は結ぶ.私達はそのような社会を生きている.様々な媒体を通じて気づかないうちに否認をしているかもしれないのだ.ニュースで報道されないこと、テレビに映らない人、新聞に書かれない出来事.いつの間にか存在を棄却している.私達は語られないことに対して、思いを馳せていくことも必要なのだ.私達は知ろうとしなければならない.

 第二部の序章「転移する記憶」において、記憶は他者によって分有されなければならない、と筆者はいう.出来事は分有されなければ、記憶の彼方に放擲されて永遠に忘れられてしまう.よって<出来事>の外部にいる他者へ、道筋を作るために記憶を語り継ぐ必要がある.しかしながら、ここでジレンマが生じる.

 これまでの筆者の論を振り返れば、ひたすらに出来事というのは言語化できないということだった.言葉にするにはあまりにも、出来事が持つ余剰が大きすぎて、両手で掬う砂が隙間から落ちるようにポロポロとこぼれる.出来事と言葉との距離はとてつもなく遠く離れている.なんとかして近づこうとするがかえってリアリズムの欲望が、語られないものを忘却の彼方に置き去ってしまう危険があることを知った.

  <出来事>の記憶を分有するとはいかにしたら可能だろうか.<出来事>の記憶が他者と分有されるためには、<出来事>は、まず語らねばなるまい.伝えられねばなるまい.<出来事>の記憶が、他者と、真に分有されうるような形で<出来事>の記憶を物語る、とはどういうことだろうか.

最初に筆者が問題提起したことを記す.私達はまだ答えにたどり着いていない.そもそもたどり着くのかもわからない.だが漸く我々はそれを吟味検討する準備が整ったようでもある.第一部はその下ごしらえであった.さて、筆者はどのように料理していくのか.またもや意味深な命題が投げかけられる.

 人が<出来事>を領有するのではなく、<出来事>が人を領有するのだ.

 一見、ただの倒置のようだが……どういうことだろうか.

 いつもありがとうございます.ここまで読み進めてきましたが、難しい内容ですよね.私はここで山頭火の句を思い出します.

分け入っても分け入っても青い山

 まだまだ青い山は続くようです.よかったらこのまま一緒に縦走しませんか.

「記憶/物語」を読んで 6

photo of person walking near orange leafed trees
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Politique de la Mémoire

「記憶のポリティクス」という題はあまりぴんとこない.ポリティクスという言葉はPoliticsのことだろうから、あえて訳すると「政治学」になるのか.では「記憶の政治学」とはなんのことだろうか.これまで、筆者は記憶の暴力性、小説の成り立ち、映像作品におけるリアリズムの欲望について様々な疑問を投げかけてきた.そして私はそれらに対して自分の考えを併記し、彼女の意見に賛同することが多いものの部分的に考えを異にすることもあった.これまでの論を以下にまとめる.

 小説という作品形式は近代ヨーロッパによって成立したものであり、近代社会の要請が小説にナショナリズムといった「ナショナルな経験」「ナショナルな欲望」を接近させることとなった、と岡はいう.そして小説はフィクションである.フィクションであるが故に<現実>における不条理を描き出すこともあれば、リアリズムの表現の代表として映画を筆者は挙げ、<現実>へ近づこうとリアルさを求める「リアリズムの欲望」がかえって<言外の出来事>や<現実>を否認してしまうという危うさを示した.特に、それら作品においてヒューマニズムに代表される「共約可能な普遍的感覚;正義、使命、仁義など」が現れる時、それは私達人間の「不条理な出来事の否認」の裏返しであり、制作に携わる人々の「ナショナルな欲望」が浮かび上がってくるという.

 どうも彼女は「ナショナル」というカタカナ表現にこだわる.なぜNationalの訳語を当てないのかは明らかではない.全国的、国家の、国民の、という形容詞が当てはまりそうだがそれらを用いることはない.理由あってのことだろうが推測の域を出ない.私の見解を示すならば彼女の言わんとする「ナショナル」は「国家(国民)総体(全体)の」、という訳では、型にはまりすぎたのだろう.あえて意味合いをぼかし、言葉からこぼれる余剰部分を掬い上げたかったのかもしれない.私としては少しでも言及して欲しいと思った次第である.

 さて、彼女は、上記を「物語りたいという欲望が、ナショナルな経験、ナショナルな欲望と共犯的に生起する」という表現で示し、その例を邦画に見てみるとする.

 彼女は是枝裕和氏による作品「ワンダフルライフ(英:After Life)1998年」を例に、記憶を他者に語るという行為を考察する.私はこの作品も知らず、観たことがない.そういう人のために著者は作品のあらすじを教えてくれる.

 映画では死者はある建物に集まる.死後の世界がある前提で、彼らはその手前の世界にいるようだ.そこの職員は彼らに面接を行う.

「貴方の一番大切な思い出を一つだけ選んでください」と問い、生前最も幸福であったときの思い出を選ばせる.そしてその時の場面を再現した映画をスタッフが撮る.登場人物は皆死者という設定である.面接員、映像スタッフ皆理由があって、建物にとどまっている.

 特筆すべきは数名を除いて皆職業俳優でない一般人を採用しているという.さらに簡単な状況説明のみが演じ手に与えられるのみでセリフもみなアドリブだ.徹底してごく普通の人々の日常の記憶にこだわることで、ナショナルな欲望とあからさまに結託した作品に対抗しようとする監督の意図もあったに違いない、と彼女は珍しく言い切る.書かれたセリフと演技はアドリブのセリフは前者がどんなに「自然な演技」であろうと、後者の「リアルさ」と全く違うという.

彼女は後者の演じ方を不安、無防備、頼りなさげといった表現で説明する.最も大切な記憶を他者に語るということはどのようなことなのか、彼女にとっては印象的だったようだ.人が記憶を語る、自分にとってかけがえのない出来事の記憶を他者に語ることが、こんなにも人から理解されたいと切実に思い、語りをこんなにも頼りなく不安にしているのだと.

 私は上記の映画を知らないが似たような試みについて、自分はすぐに思いつく.皆さんはどうだろうか.私にとってそれはスタジオジブリの映画作品である.宮崎駿は映画の重要な登場人物に声優と全く縁がなかった人々を起用することで知られている.少し例を挙げると、「風立ちぬ(英:The Wind Rises)2013年」の主人公、堀越二郎の声には庵野秀明を当てているが、彼は勿論声優ではなく撮る側の同業者である.「耳をすませば(英:Whisper of the Heart)1995年」の月島雫の父親には立花隆を当てているし、「となりのトトロ(英:My Neighbor Totoro)1988年」のサツキ、メイの父親は糸井重里が声優を務めている.

 聞く人によって印象は異なるが、私の感想はみなボソボソと声がこもっていて、なんだか話が苦手そうな人なのだろうな、である.だが、世の中の公職に就く男性で口が立つ人は放送業界や芸能界、演劇界、観光業界など限られた人だろう.私の家族は皆スピーチがかなり下手である.堀越二郎は設計士、雫の父親は図書館勤務、サツキとメイの父親は学者である.皆それぞれ大事な家族がいて、その口調は素朴で温かみがある.

 雫の父親が小説家を目指す娘に向かって「自分のやりたいことは思い切りやってごらんなさい」というセリフは明らかなぎこちなさが滲んでいるのであるが、それが良い.声優業とは違う畑の人を起用した恩恵が重要なシーンで効果的に活かされていると思う.

 プロの声優は自分の声、口調、抑揚に職業人としての自負と経験がある.勿論それ故、大変尊い人材であることは言わずもがなであるが、だからこそ「不安」や「逡巡」、「迷い」がないのだ.したがって筆者は確信に満ちた自然さが、人が出来事の記憶を他者と分有すべくその記憶を語る際に、決して持ち得ないと主張する.俳優の語りには自分の語りが受け止められないかもしれないという不安ゆえの、他者への呼びかけの声が決定的に欠けている、という.そうは言っても俳優、声優を皆素人にするわけにもいかない.彼女の主張は凡そ理解できるものではある.映像作品に出てくる俳優が引っ張りだこだと他の作品でも大役をはるが、私にとっては「この人・この声また出てきたなぁ」であり、「よくもまあこんなくさいセリフを言えたものだ」と冷めた目で見てしまう(それが良いのかもしれないが).

 先程の「ワンダフル・ライフ」の大きな筋は、戦争のために無意味に死んだ青年が、他者との関係性において自らの生の意味を捉え直し、生を肯定する物語であるそうだ.これは、無意味な死それ自体に意味を充填し、ナショナルな物語の中に包摂することで、無意味な死という出来事それ自体を否認するような欺瞞、あるいはナショナルな欲望を否定したところに成立しているように見える、と彼女はいう.そして、この映画は本当にナショナルな欲望と無縁なのだろうか、と続ける.ん?

 自己の生を肯定するということに対して作品は暖かいまなざしを向けている.他者との関係性において自分の生を肯定することと、無意味な死のその無意味さを否認するがために、そこに意味を充填することは、同じではない.同じではないが、しかし、今、この国に生起している事態は、ナショナルな自己肯定の欲望に貫かれているものであると思う.そのとき、自己の生を肯定することの大切さを説くことは、こうしたナショナルな自己肯定の欲望と親和性を発揮することにはならないのだろうか.その危険はないのだろうか.

 この本が初めて出されたのは2000年である(世紀末である).よって「今、この国に生起している事態」とは今から二十年前の事態である.幸いにして北斗の拳のような荒廃した世界ではない.筆者のいうナショナルな自己肯定の欲望とは一体なんのことだろう.彼女によれば、ここ数年の日本社会のを見れば、ナショナルな欲望に基づいた記憶の横領、物語の横領という事態がさかんに起きている、のだそうだ.具体的には何を指すのだろうか.

 一つ、文脈から明らかであるのは著書に度々言及される「従軍慰安婦」問題であろうか.手強いテーマで緊張するが簡単に触れておくことにする.この問題は1991年に金学順(キム・ハクスン)が自ら慰安婦にされたことを名乗り出たことが発端の先駆けであるように思う.当時は首相の訪韓目前であり、政府は官房長官談話を発表、首脳会談での謝罪が行われた.1993年の河野談話は政府側の公式調査結果を公表、軍の関与を認め、以来政府の公式見解となっている.この経緯を踏まえて学校教科書に慰安婦に関する記述が出現し、問題は大きく注目された.

 一方で1992年に秦郁彦の済州島調査によって「強制連行」が事実でないとされた.藤岡信勝らによる自由主義史観研究会というグループが「自虐史観」的教科書記述を挙げて「慰安婦問題」に反撃した.そのような経緯もあって上記問題についての教科書的記述は減少したようだ.歴史再認識的動きと対する動きの論争は続いている.1995年の首相談話発表、アジア女性基金の設立といった動きはあったが個人補償を否定したものであり、対象の一部は受け取りを拒否したのであった.

 それからは政権の改編を経て、問題は鍋の底についた黒焦げのようになり現在に至ることは皆さんもご存知であろう.料理で鍋を焦がすと、焦げ付きを落とすのは大変だ.ごしごし擦ると鍋は傷つくし、放おっておくと美しくない.とはいっても気になってしまう.断っておくが、私は特定の政治的立場に立って主張をするものでもなければ、委託をされたわけでもない.なるべく中立的な自発的な考えに基づいて記している.そうそう、私は一介のクサガメに過ぎない.こういった話は高橋哲哉「歴史/修正主義」に詳しい.

 もし従軍慰安婦は強制されたものではなかったと仮定すると、従軍したのは、兵士の慰みとなったのは自身の意思で、ということになるだろう.自国は併合され、創氏改名、皇民化政策を行った国に対して、そもそも好意的な感情を朝鮮の人々は持つことができるだろうか.

 この同化政策は二十世紀初頭の国政の自然な風潮だったのだ、西欧列強も同じように植民地主義のもとで占領支配をしたではないか.我が国は教育施設やインフラを整えたのだぞ.西欧の勢力に対抗するには致し方なかったのだ.という反論は予想されるが、それは国のメンツとしてであり、いわゆるナショナルな欲望、ということだろう.それは理由にならないように思う.安易に同列に語ることは危険だろう.

 本当に強制しなかったと言うには、無理があるのではないか.妙齢の女性らが、占領政策を敷く見知らぬ男性に貞操を捧げるのか.言語による疎通がままならない相手との性交渉に強制力がなかったといえるのだろうか.確かに自ら生計を立てるために身体を売ることをした女性はいるかもしれぬ.反対する人は、官兵の強制ではなく、貧困のために自ら業者を通じて身体を売ったのだ、というやもしれぬ.貧困なら仕方ないとでもいうのか.それは朝鮮人仲介者が悪いという論にしたい意図が見えてしまう.未来をまだ見ぬ伴侶と結ばれることを願う女性らが、占領兵との性交渉を進んで承諾するだろうか.

 また、淋菌、クラミジア、梅毒、その他ウイルス感染症のリスクを承知で性交渉する選択せざるを得ないのは人間の尊厳と生計を天秤にかけ、悩み抜いたあらゆる選択肢のうち最後ではないのか.甘言、虚言による巧みな誘い、脅迫は広義の強制力ではないだろうか.私の考えていることはおかしいだろうか.

 筆者が言いたい記憶の横領、物語の横領というのは具体的に語られない.あくまで類推になるが、著書の第三章、「物語の陥穽」が手がかりになるだろう.否定論者や修正主義者、その他の意見に対する強力な対抗手段は、私が思いつく限り、出来事の生き証人を召喚し、実際に彼らの前で語ってもらうことだ.それは筆者も似たことを考えている.だが、それは拷問の論理であると彼女は述べる.これは深く考えなくてもわかることだが、次回に触れることにしたい.「ワンダフル・ライフ」がナショナルな欲望と無縁なのかどうかについても.

いつも読んでくださりありがとうございます.

麻婆豆腐小論

陳建一、遥かなる景色

photo of tofu on white plate against white background
Photo by Polina Tankilevitch on Pexels.com

 私は無類の麻婆豆腐好きだ.毎日一食麻婆豆腐があっても大丈夫だ.皆さんはどうだろうか.熱々の豆腐に薫り立つ炸醤(ざーじゃん:肉味噌)、口にほおばるとプルプルの豆腐がとろける.肉の旨味がじわっと溢れる.ほどよく辛い.ご飯によく合う.汗が出てくる.無条件で美味しい.麻婆豆腐はどうやら四川省の料理で、日本には陳建民と陳建一が普及に大きく貢献したと聞く.お陰様で中華料理店には大抵麻婆豆腐がメニューにあるから、様々な麻婆豆腐が食べられる.大変ありがたいことだ.きっと皆さんも好きな麻婆豆腐の味はあると思う.お母さんの味、近所の中華料理店の味、高級レストランの逸品、知人が作ってくれた特別な味.何を基準にするかは各々の経験によるだろうから、正統性を議論するつもりは全く無い.ただ私にとっては地元の中華料理店が基準である.かつてはクックドゥや丸美屋が出している麻婆豆腐のもとを使ったものを食べていたし、自分で作る時もそれらを使っていた.

 しかしながら明くる日、地元の中華料理店で何気なく麻婆豆腐を注文したところ天地がひっくり返るほどの美味であった.「うますぎる!」市販のソースを悪く言うつもりは無い.とはいってももはや市販のそれを買う気にはならなくなってしまった.病みつきである.なにか秘密の葉っぱを隠し味に使っているのかな?ということは決してなくて、中国大陸から伝わる、一般的なレシピに則っていることを知ったのだった.

 では一般的なレシピとはなんぞや、ということになる.おそらく大多数が賛同するであろう麻婆豆腐の作り方を紹介している動画が一つの参考になるだろう.陳建一の紹介する以下の動画である.こんな麻婆豆腐、自分で作ってみたい!という希望を胸に私はワクワクしながら観た.ここまでは良かった.

 ご覧になってわかるのが、真紅の麻辣とよく染み込んだであろう豆腐.炸醤とはこのことを言うのかという驚き.思ったよりも手が込んでいるのだった.

 「肉を炒める時、よく音を聴いてください.焚き火の音がします」

おっ.本当だ.確かに焚き火だ.こうして臭みをとるんだな.なるほど、次はなんですか.

 「手前どもはこの調味料を使います」という陳建一氏.ウンウン、何を使うんですか.甜麺醤.ウンウン.え?自家製?ブレンドもの?そんなの無いよ.

 「うちで使う豆板醤は郫県豆板醤で、三年もの.四川省から取り寄せました、そしてこれは辣椒粉、四川省から取り寄せた一味唐辛子です.そして大事なのが朝天椒」

 うーん.初めて聞いたなぁ.ぴーしぇん豆板醤もないし、らーじゃおふぇんもない.ちゃおてぃえんじゃおも知らないなぁ.なんだか真似できないなぁ.

 「豆鼓を刻んだものを入れます、紹興酒とお醤油をいれます、さらに葉ニンニクをいれてください」

 「最後にかならず山椒をかけてください、これ本当に香りがいいんです」

 大変美味しそうで涎がこぼれてくる一方、要求する食材が別の惑星にあるような感じで、手が出せない.葉ニンニクも手に入りそうにない.唯一山椒はある.これは私でもできる.とは言えど重要な調味料がない.私は思わず握りこぶしを作り、爪が手のひらに食い込む.ぐぬぬぬ.中華鍋もないし紹興酒もうちには無いから、これは到底つくれないと思ってしまった.恐るべし、陳建一.やはりクックドゥで我慢しないといけませんか.

 とは思いつつもできる範囲で真似してみることにした.葉ニンニクは青ネギで代用.豆板醤はスーパーで売っている李錦記のものを使う.ラー油は市販のものをぴゅぴゅっとぶっかける.紹興酒はもちろんないのでふつーの料理酒を使った.豆腐もめんどうだったが塩茹でまでした.甜麺醤がないのでべつのものを使った(後述).豆鼓は無いので省略.

 結局、出来たには出来たが、出来損ないの麻婆豆腐になってしまった.香りは立たないしやたら辛くて、真っ黒.それにしょっぱい.ひき肉には申し訳ないことをした.もちろん完食したが気落ちしてしまった.別の日に口直しで例の中華料理店で麻婆豆腐を食べてきた.いつもと変わらずうまかった.

 お前の腕が悪いのではないか、というご指摘は謹んでお受けしたい.確かにそうかもしれない.できるだけ手元にある食材で、名工の味に近づいてみたい.私のリアリズムの欲望は、現地では調達できない<食材>、それゆえ再現不能な<味>、<情報>の余剰、「食べてくれる人」の存在の否認と結びついていた.

 その後も性懲りも無く麻婆豆腐を作り続けた.作り続けていたある日.リアリズムの欲求が突き抜けて完全にマッド・サイエンティストのようになった私はとんでもないことをひらめいてしまった.アルキメデスの気持ちが少しわかったかもしれない.

 マーマイト(Marmite)が代用になるのではないか?

 

 マーマイトをご存知でない諸兄もいると思う.ベジマイト(Vegemite)は知っているだろうか.簡単にいえば真っ黒なペーストだ.ビールの醸造で堆積した酵母をもとに作った食べ物である.マーマイトとベジマイトは厳密には異なるようだが、ここではその話は控えておく.私はかつてニュージーランドを二度訪れたことがあり、そこでベジマイトとマーマイトをそれぞれ購入した.なぜか.それは私なりの好奇心であった.どうやら現地の人々、主に大英帝国の影響を受けたアングロサクソン系のオトモダチはトーストに塗るらしい.私も英国やニュージーランドにいた頃、試しに塗ってみたことがある.

 正直に言えば、「もっとマシな食い方があるのではないか」という感想だ.これだから英国料理は…という批判が生まれるかもしれないが、そういう趣旨では無い.私はフルブレークファストが好きだし、向こうの人々が作るカレーも大変好みだ.ジャンキーなフィッシュアンドチップスも酢をかけて食う彼らの気持ちが良く分かる.ブラックプディングのどす黒い濃厚な味はご褒美である.若干豆の煮込みは飽きる.

 だが、マーマイト.これはもう少し工夫しがいがあるのではと思っている.購入動機はそれだ.私は料理に詳しいわけではないから高尚な話はできない.

 豆鼓は黒豆を発酵させたもの、甜麺醤は小麦に麹と塩を混ぜた発酵食品.マーマイトはビール酵母の沈殿物である.起源は別だが、発酵というプロセスは似ていると思う.さらに、これは私のきのせいでなければよいのだが、マーマイトは豆鼓の香りに似ている.もしわからなければ大徳寺納豆と同じ香りがすると言ったらよいか.味も似ている.大徳寺納豆は麹で発酵させているから確かに豆鼓と似ている.私は密かにマーマイトは豆鼓や甜麺醤に近接した食品ではないかと思っている.

 というわけで早速試してみたのだ.上手くいく気がして心躍る思いであった.具体的にどう使うのかというと、炸醤を作るときにひき肉に混ぜる.

 だが、マーマイトの粘性が高くて、溶けにくいことよ.熱を加えてもなかなか溶けないのだ.なんとかして私は鬼の形相でひき肉と融合させた.フライパンから独特の香ばしさが漂う.いい感じだ.

 あとは先程と同じ要領だ.豆板醤を適切なタイミングで混ぜ、豆腐と合わせる.工夫を凝らして、さぁ完成!……と言いたかったのだが、なかなかうまく行かないのが世の常である.味見すると、どうしても渋みが麻婆豆腐の邪魔をする.コクがあるといえばその通りではある.コクがくどい.それからややしょっぱい.マーマイトに含まれる塩気を考慮していなかったのだ.

 結局、失敗に終わったといっておこう.決してまずくないものであったが、他所様に提供するにははばかられるメニューかもしれない.なんと例えてよいだろうか、表現が難しい.自己弁護のようで恥ずかしいが何となく方向性は悪くないかな、とわずかな手応えを感じた程度であった.

 あまりマーマイトにこだわらずにその後は適度な労力の麻婆豆腐を作るようになった.動画サイトでさらに調べてみると、様々な料理研究家が各々の工夫を凝らし、お手軽で美味しい麻婆豆腐を開発していることがわかった.皆それぞれが口にするのは、「これが一番だと思う」という自信である.その自信は動画には見えないところで培った努力の賜物なのだろう.動画では一番美味しいところを見せるが、影では相当の失敗を重ねていると推察する.探求と工夫に裏打ちされた自信であるに違いながら、私はそれぞれに「貴方こそナンバーワンです」と言って賛辞を贈りたい.

 麻婆豆腐の動画を沢山見て共通した部分があることに気づく.それについて一応私の意見を述べておしまいにしておきたい.

 ・炸醤を作る上で、ひき肉をしっかり炒めること.焚き火の音がするくらいという表現でも良いし、肉汁が透き通るくらい炒めるという基準でも良い.そうでないと肉の臭みが抜けないのだ.

 ・麻婆豆腐はいかに豆腐を美味しく食べるか、という企てがあるそうだ.そのためには豆腐の余分な水分を抜くことが重要である.その方法はいくつかある.一つは陳建一が教えるように塩茹ですること.茹で上がるタイミングは豆腐がダンスするまで(陳建一曰く).或いは、キッチンペーパーで包んで電子レンジで加熱する方法.私は後者が簡単なのでこちらを採用している.

 ・豆腐は絹でも木綿でも良い.私はプルプル感を得ようと絹を使っていたが、崩れやすいので木綿に切り替えた.事前に豆腐を賽の目切りにする方法が多数だが、鍋に入れて混ぜる時に崩れやすいために、一丁まるごと入れてから、お玉で雑に崩す方法もある.私は後者を採用した.自宅で作るのなら見栄えはそこまで重視しないからだ.審美主義の方なら前者がいいかもしれない.表面積を増やすことで味の浸透が深まる.

 ・調味料をどこまで使うかは、料理する人がどこまで求道者なのかによる.簡単さを求めるなら、豆板醤さえあればあとは市販の調味料で作ることもできる(コウケンテツ曰く).しかし、究極を求めたい、という人ならば唐辛子の選定や醤の味にこだわってもいいだろう.注意すべきはリアリズムの欲望はエゴイズムとナルシズムに接近する恐れがある.カレーづくりと似ている.料理会の暗黒面ともいえる.

 私は学生の頃はどちらかというと、パラケルススのような錬金術師を目指していた.完璧を目指していたのだ.だがどうあがいても金は作れない.それがわかるまでだいぶ時間がかかった.べつに金でなくても良い.似た色の真鍮でも良いではないかと最近は考えている.私は土井善晴という料理研究家を知ってから、彼の料理に関する言葉を聞いてかなり力を抜いて料理することができるようになったと思う.あまり頑張らなくて良いのだ.ご飯とおかずがあればそれでごちそうだ.一緒に食べてくれる人がいて、美味しいと言ってくれれば、それで良いじゃないか.私はもうこのままで良いと思っている(マーマイトの研究は極秘で続けたいけれど).

 今回はかなりゆるく記事を書きました.お気に召していただけたら嬉しいです.麻婆豆腐についての忌憚のないご意見もお待ちしています.マーマイトに関する独自研究も大歓迎です.緩急をつけてこれからも楽しく記事を書いていきます.どうぞよろしくおねがいします.

 

 

「記憶/物語」を読んで 5

photography of night sky
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 Deceit

  「記憶/物語」の著者、岡真理は1998年の映画、「Saving Private Ryan」を例に、「戦争とは人が不条理な死を死ぬという<出来事>であること、主体的な選択が根源的に否定される体験である」という措定を述べ、Spielberg監督の上記作品や、「Schindler’s List」にはその命題の否認があると指摘した.それはライアン一等兵が選んだ大義によって、シンドラー氏のリストに名前が記され絶滅収容所行きを免れたことによって.絶滅収容所を生還した多くの人が語るように、そこは人間の主体的な選択が存在しない.存在が根源的に否定されている.無意味に死ぬ日常が果てしなく続く世界である.だがライアンは自分だけが軍部の命令によって救出されるという不条理を選択せず、仲間とともに前線に留まる.彼は自分の正義を貫き、救出部隊の兵士も彼の選択を尊重するのである.ライアンを救うことは、自分を省みず正義を貫く彼を救出するという大義なのであるから.

 ではなぜ否認するのだろうか.彼女の論には明らかな答えは示されていない.

 これら作品は、観客を、<出来事>の「真実」を領有する主体とする.「ヒューマニズム」と「エンターテイメント」の見事な融合.だが、それは、誰の、どのような欲望に奉仕しているのだろうか.という問いかけのみである.

 否認の背景に関して、彼女は後述するが先に私から述べておくと、我々人間の「ヒューマニズム」所以であるからだろう.筆者はこれを「共約可能な普遍的感覚」という術語で換言している.不条理な事象が受け入れがたいものであることを我々は自明としている.我々は一定の合理的説明を期待する.特に営利が目的となる創作物は観客が享楽することが求められる.要するにウケないものは売れない.ブログで稼ごうと考える人は読者のウケを狙うのが必然だろう.私達は根底では他者を意識している.よって、「誰の、どのような欲望に奉仕しているのだろうか」という問いに対する一つの答えは、私達自身であろう.だが、どのような欲望なのかは、もう少し論考を読みすすめることで考えてみたい.

 第四章は、物語の欺瞞/欺瞞の物語と題する.彼女は以下の人物を紹介する.オーストリア・ハンガリー帝国で出生、ハンガリー系ユダヤ人の父を持つブルーノ・ベッテルハイム(Bruno Bettelheim)はダッハウ強制収容所およびブーヘンヴァルト強制収容所で計一年間過ごしたことのある人物である.絶滅収容所となる前に釈放されて米国に亡命し、心理学者として自閉症研究において知られたそうだ(私は全く知らない).蛇足だが彼は自閉症が後天的なものと主張する、現代では全く信憑されていない説を提示し、学会で話題を呼んだ.(著書では精神分析医とあるが、PsychoanalysisとPsychologyは全く異なる分野であり、彼の場合は心理学者が妥当だろう.だがベッテルハイム自身は心理学を正式に修めたわけではなく、後世様々な理由から非難されている)

 彼の学術的主張はさておき、彼はナチスによるユダヤ人絶滅政策を「ホロコースト」と呼ぶことに異議を唱える.「ホロコースト(Holocaust)」は「完全に焼く」を意味するギリシア語の訳であり、日本語では全燔祭という宗教的用語が当てはまる.Holocaustという言葉はそもそも獣を丸焼きにして神に捧げる宗教的儀式を含む.ユダヤ人らを収容所の焼却室で焼いたことから連想したであろうと述べる.こうした由来を知ると、用語としては全くたちの悪いものである.

 絶滅収容所で虐殺されたユダヤ人は、ユダヤ人であるだけで理不尽にも殺害された.全くユダヤ教と関係ない生活を送った人も多数いた.宗教的な含意のある言葉でこれを呼ぶことは、偽りの宗教的神聖さを与え、彼らが無意味な死を選んだという<真実>に直面する人間の尊厳を奪ってしまうからだと.

 絶滅収容所から生還した人々は自分だけが生き延びてしまったという体験によって心に傷を負う.彼らは自分が生き残ったのは、収容所で殺された者に代わり、自分がより良く行き残された命を生きる使命を負うと考えるようにしていると、ベッテルハイムに手紙をよこす.

 しかし、ベッテルハイムは辛くも一蹴する.そのような「使命」などない.貴方がもし「使命」を授かったのなら、収容所で亡くなった人々はそのような「使命」なく死んだのであり、そこに死の理由が生じるからだ、と.ベッテルハイムにとって彼らのような方便は自己欺瞞に過ぎないという.厳しい指摘である(ベッテルハイムは児童を癒やす立場でありながらも、患者に対して不適切な言動、虐待を行った事について数々の批判があり事実であれば、彼は発言する立場として不適当だろう).

 どうなのだろう.<真実>に直面しろというのは、理不尽で耐え難い惨劇と向き合うことであり、これを強いるのは苦しい瞬間の連続を強いることである.筆者もそれは一つの暴力性ではないかという.もし虐殺という<出来事>を可能にした欺瞞の犯罪性を我々が批難しなければならないとすれば、自らにも欺瞞を拒否しなければならないという倫理的命令が生じる.私はヨハネによる福音書、第八章二節−十一節を考えてしまう.以下の通りだ.

 姦通罪で捕まったとある女性を連れて、律法学者らがイエス・キリストを試すために問う.「こいつは律法なら石打の死刑だが、貴方はどうする」と.イエスは「あなた方のなかで罪のないものが、石を投げつけなさい」と答えたらしい.これを聞いた人々は次々に立ち去って、誰も石を投げなかった、という件である.石を投げなかった人々は立派な倫理的態度だと思う.

 我々は聖書の律法学者らのように高度な倫理的態度を取ることができるだろうか.私には自信がない.私だったらついうっかりイエスに石を投げてしまうかもしれない.姦通ではなくとも、暴力的な出来事を体験した当人がその経験になんらかの意味付けを行い、生きていくことが欺瞞なのだとしたら、欺瞞だと指摘したその人も、類似した境遇において自身を欺罔せずに生きていかなければならないのだ.

 筆者はこう続ける.「ひとつだけたしかなことは、出来事の暴力を生きのびるためであれ、そこに偽りの意味を充填することは、そのような不条理を生起せしめた暴力の根源をも欺瞞のうちに、生かし続けることになる」

 つまり、「使命」や「大義」という偽りの意味を詰め込むことは、その人にとって不条理であった出来事を否認することであり、自分自身をも騙すことになるという.確かに彼女の主張は的を得ているかもしれない.しかし、前述した通り、私達は事象に対して一定の合理的な説明を期待するものである.それが何ら商業主義と無縁であっても、それが一個人の、政治的思惑や集団の心理と無縁であったとしても、何かしら意味づけを行うことによってその個人の生きる原動力になるとすれば、それは妥当なのではないか.私は書架にあるV. フランクル(V. E. Frankl)の「Ein Psychologe Erlebt Das Konzentrationslager(邦題:夜と霧)」を取り出し、何か私の考えを支持してくれるものはないかパラパラめくった.最後の締めくくりにヒントを見つけた.

 「収容所にいたすべての人びとは、わたしたちが苦しんだことを帳消しにするような幸せはこの世にはないことを知っていたし、またそんなことをもこもごもに言いあったものだ.わたしたちは、幸せなど意に介さなかった.わたしたちを支え、わたしたちの苦悩と犠牲と死に意味をあたえることができるのは、幸せではなかった.にもかかわらず、不幸せへの心構えはほとんどできていなかった.少なからぬ数の解放された人々が、新たに手に入れた自由のなかで運命から手渡された失意は、のりこえることがきわめて困難な体験であって、精神医学の見地からも、これを克服するのは容易なことではない.そうは言っても、精神医をめげさせることはできない.その反対に、奮い立たせる.ここには使命感を呼び覚ますものがある」

 フランクルは1944年にアウシュヴィッツに送られ、3日後にダッハウの支所、テュルクハイムに移送された過去をもつ.上記の作品は彼の収容所体験をもとに記されたものである.彼の身分や境遇としてはベッテルハイムと似ている.だが、フランクルが記したその内容は、決して厳しいものではなく、その対極の姿勢に根ざすものに思う.彼は、暴力的な出来事を体験した本人であり、その苦痛は計り知れないものだ.だが彼は奮起し、使命感を呼び覚まされたと述べている.この言葉は決して偽りの意味を充填したものではないだろう.彼は不条理を伴う出来事を否認してもいないだろうし、否認する理由がないように思うのだ.

 よってベッテルハイムないし、筆者の考えには反例があるのではと私個人は思う.そう気づけたことで私は少し安堵している部分もある.なにしろ暴力性と向き合い続けることは辛く苦しい.「Adieu」におけるSのように心を閉ざすほかないだろう.私は、彼女の論である「ひとつだけたしかなことは、出来事の暴力を生きのびるためであれ、そこに偽りの意味を充填することは、そのような不条理を生起せしめた暴力の根源をも欺瞞のうちに、生かし続けることになる」措定は、条件付きで成立すると考えたほうが良いのではないか.確かに存在が根底から否定される不条理な世界において主体的な選択などないかもしれない.だがそれはフランクルの著作において、魂の教導ともいえる彼の収容所での演説は、そのような絶望の中で生きる意味を改めて考えさせるものであり、彼が困難とともにした人々が皆、尊厳を失ったわけではないのだ.

 そうこう考えて読みすすめるうちに、筆者も似たことを考えていることに気づく.私が条件付きで、と指摘したことについてである.それは彼女の言葉でいう「ナショナルな欲望」が大きく関係している.次章、記憶のポリティクスで語られる.

 筆者の思考開示を私の思考が追いかけていく.私に生じた疑問を彼女の文章に尋ねて、私は答えを見出す.まるで対話しているような感覚だ.一つひとつの文章を丁寧に読んでいく過程は存外楽しい.私がこのタイミングで「夜と霧」をまた広げるとは思わなかった.手元にあって良かったと心から思った本だ.

 いつもありがとうございます.本当は「記憶/物語」に関する感想を三部くらいで完結させるつもりでしたが、楽しくなってしまい、五部でも終わりそうにありません.開き直ってこのまま気長に投稿を続けようと思っています.途中で雑に終わらせるつもりはありませんから、現象学、「茶の本」の翻訳、雑記、これらを混ぜつつ、書評を書いていこうと思っている次第です.

「記憶/物語」を読んで 4

スピルバーグの「リアル」

 三章は物語の陥穽という題である.陥穽とは落とし穴のようなものだ.今度は映画作品を批評することで、<出来事>の分有可能性を探ってゆく.スティーブン・スピルバーグ(Steven Spielberg)の「Saving Private Ryan: 1998」はよく知られた戦争映画であろう.第二次世界大戦のヨーロッパ戦線において行方不明となったライアン一等兵を探すため、米軍上層部からミラー大尉は特別部隊を編成するよう司令を受ける.ライアンは上に三人兄弟がいたが全員ヨーロッパ戦線で死亡したという.もしライアン兄弟が全員死んでしまい、それが報道されれば本土の合衆国民に厭戦気分が広がるであろうと軍部は判断した、という事情になっている.決してライアンの母親を慮ってはいない.戦争継続のためである.

 軍部の立場であれば、巨視的な視線で検討をするのだろう.国民、メディア、同盟国、政府などそれぞれとの関係性を鑑みて戦争を進めることはおおよそ予想はつく.どうやらSole Survivor Policyという、国防総省の指令に基づくものらしい.この作品はフィクションだが、史実ではとある五兄弟の全員戦死により、世論の注目を集め上記規定が作られた.また、別の四兄弟の一人を除いて全員死亡したことが、作品の基となっているようである.

 さて、映画はノルマンディー上陸作戦「Operation Neptune」の舞台、オマハ・ビーチから始まる.多数の兵士を乗せた上陸用舟艇が浜辺に集結、連合軍の総力をかけてドイツに攻め込む作戦であった.舟艇が着岸した瞬間に敵に狙撃されて死ぬ者、砲弾で木っ端微塵になる者、四肢のいずれかが吹き飛ぶか、腹部外傷で腸管が脱出する者、敵味方問わずおぞましい光景が延々と続く.迫真の戦闘描写である.どうやら映像史に残る20分らしい.つまらない表現で恐縮だが、見事、圧巻である.銃声、装備、兵器は可能な限り本物を使用しているようであるから、好事家も涎を垂らす設定であろう.「リアリティ」にこだわり抜いた作品として名高いはずだ.

 だが「記憶/物語」の著者、岡真理はこうした世間の評価に対して率直な疑問をぶつける.これは「リアル」なのか、と.我々(のほとんど)は実際に従軍していないのに、実戦経験も無いのになぜ「リアリティ」を感じるのかと.「リアルさ」に関する疑義である.何を言うんだ、設定も装備も本物に限りなく忠実なんだぞ、映像も従軍カメラマンの目線で撮っているし、時代考証もばっちりだ.これこそ「リアル」じゃないか.これ以上なにを望むんだと反論があるかもしれない.反論に対する彼女の意見は後述する.

 筆者は同監督の作品、「Jurassic Park: 1993」にも「リアルさ」に対する指摘を行う.コンピュータ・グラフィックスで再現した恐竜の動きは「リアル」だと評価を得て、大ヒットとなり続編などが作られ、テーマパークの一要素にもなっている.恐竜、特にティラノサウルスに対する我々の認知は「トカゲのようなツヤツヤの肌で、獰猛な肉食生物」ということになったと思う.図鑑や映画で観る恐竜のイラストは皆勇ましくて、学童の頃の私を虜にした.だが、研究が進むにつれて、「実は羽毛があったのではないか、もっとずんぐりした体躯だったのでは」という仮説も浮上、それをもとにした予想図を見ると、なんだか出来損ないの七面鳥のようで、かっこよさはあまり感じられなくなってしまった.とは言えどフサフサの恐竜も私は好きである.

 (ドラえもんとその一味を除いて)誰も恐竜を見たことがないのに、「リアル」だ、という感想は前述の戦争映画に対する感想と同じ水準であると、筆者は言う.もちろん製作者らは当時の科学的な考察に基づいた再現をしたはずである.彼女はそれを非難するのではない.リアルさを追求することによって監督は何を目指していたのだろうか、監督は現実を再現することは可能であると信じていたのではないかと考えるのである.彼の作る映像作品によって.

 もし、スピルバーグ監督が実際にオマハ・ビーチの作戦を経験していたら、彼は「Saving Private Ryan」を同じリアリティで描くだろうか、と彼女は怜悧な指摘をする.「そりゃそういう作品だもの、同じリアリティで作るでしょ」と意見があるかもしれない.ではもし恐竜を見たことがあったと仮定するならばどうだろうか.映画に映る恐竜が想像の産物であることは自明である.だが、フェイクに対して「リアル」だということは、参照されるべき<本物>の存在を想起させることで、「リアル」ではないことを逆説的に語ってしまうと筆者はいう.所詮はよくできた偽物扱いになってしまうという考えである.リアルという言葉を彼女は「限りなく真実味のあるもの」という文脈で、本物や真実と使い分けていると思う.「リアル」は直線に限りなく接近する漸近線に過ぎない.「Saving Private Ryan」に使用される兵装、銃声、爆風、そして吹き飛ぶ腕.どれも「リアル」だがそれ以上ではない.作品には「Adieu」のような時間・空間の断絶、回帰する暴力性は見当たらない.銃、爆弾など見てわかる暴力である.彼にはリアリズムの欲望が貫かれているという.だが説明できない出来事、抑圧された記憶は登場しない.同監督の1993年の作品、「Schindler’s List」に対しても彼女は次のような意見を述べる.

 ホロコーストという<出来事>の体験が、リアルに再現できるような出来事として再現されてしまっているという事実、まさにリアルに再現するという当の行為により、再現されたもののリアルさの距離を測定することができる、参照することができるような出来事としてホロコーストがありうるかのように語ってしまっている

 「リアリティの追求によって現実を再現することは可能である」という監督の信条が真ならば、「現実の再現が可能ではないのは、リアリティの追求がないからだ」、という対偶の命題も真のはずである.しかし、「フラッシュ・バック」現象を思い起こしていただきたい.暴力的な出来事は、リアリティの追求とは無縁に瞬時に回帰するのではなかったか.または、CPUの高度な演算性能やグラフィックボードの描画性能の向上を備えた現代のコンピュータ・ゲーム市場は今や、流麗な三次元空間を展開し、物理現象を再現したコンテンツで溢れている.人物の動き、表情はモーションキャプチャで録画されたものを仮想空間に生き生きと作り出す.リアリティが追求されている結果、「Call of Duty」シリーズ、「Battlefield」シリーズといった軍事系一人称視点シューティングゲームは、精細な描画と生々しい動きの登場人物らによって、第二次大戦の戦場や冷戦における代理戦争の場面を再構成し、刺激的な娯楽にしてしまった.今や売れ筋コンテンツとして圧倒的である.建前上年齢制限があるので、お父さんお母さんの名義で購入し、こっそり遊んでいるキッズもいるかもしれない.

 いやいや、ゲームでしょ、なに熱くなってんだよと思うかもしれないが、映画もゲームも同じ水準では無いのか.いずれもリアリズムの欲望が貫徹しているが、我々はそれらがフィクションであることを知っているではないか.「Call of Duty」シリーズは様々な人物が操作可能なキャラクターとして登場するが、私の知る限り残忍な兵士はおらず、拷問や暴行、私刑を行うことはない.あくまで任務に忠実な兵士であり、国防や解放といった大義に基づいて作戦を実行する(オンラインプレイを除く).確かにリアリズムは追求されているが、殺人を正当化する大義が与えられている影に、虐殺、暴行といった<出来事>はまるで見えないもののように感じられる.否認なのだろうか.だが、これは誰の否認なのかはわからない.配給会社(Electronic Arts)か.プロデューサーなのだろうか.脚本家なのか(シリーズ七作品が発売されているが脚本家は一致していない).とはいってもテレビゲームという娯楽が戦争を取り扱えないのではないかという懸念があるかもしれないので私なりの擁護をしたい.戦争というテーマを取り扱ったゲーム作品において、私が秀逸だと思うのは、小島秀夫氏による「メタルギア」シリーズである.彼のプロットは複雑だが、独自のユーモアと見え透いたフィクション性が登場人物を浮き彫りにするのだろうと思う. 

 以上から私は岡の指摘をようやく理解する.彼女の主張は基本的に背理である.一見妥当だと思われる命題が逆説的な意味を含むということを彼女は繰り返していると考える.まどろっこしいようだが、これは筆者の思索過程の開示であり、難しいテーマと対峙するその姿勢は稀有なものであろう.妥当だと思われる命題を盲信することで我々が嵌ってしまう陥穽を気づかせてくれるのかもしれない.

 リアリズムの欲望とは、言葉で説明できない<出来事>、それゆえ再現不能な<現実>、<出来事>の余剰、「他者」の存在の否認と結びついている.

いつも読んでくださってありがとうございます. 

「記憶/物語」を読んで 3

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小説の成り立ち、バルザックの「リアル」

 第二章で彼女は「小説」成立の歴史的経緯を概説し、H. Balzacの小説、「Adieu」を例に出来事の暴力性を紹介する.

 まず、小説は近代ヨーロッパにおいて発展した文学形式である、と章が始まる.そうなのか、と私は考えもしなかった事実に不意を突かれた.まず、物語という従来の語りの形式は、共同体の一つの小さな世界で、共同体に帰属する者たちにとって共有されるのと対照的に、小説は、一つのテクストが、地域や共同体を超えて、言語も超えて様々に異なった異質な読者を相手にする点で違うと指摘する.

  試しにOxford Dictionary of Englishを参照すると、物語(narrative)は’a spoken or written account of connected eventsとあり、小説(novel)はa fictitious prose narrative of book length, typically representing character and action with some degree of realism.と記されている.また語源については以下のようである.確かに近代成立以降の概念であることがわかる.

mid 16th century: from Italian novella(storia) ‘new (story)’. The word is also found from late Middle English until 18th century in the sense ‘a novelty, a piece of news’, from Old French novelle.

 小説が物語と異なる理由に、小説の隆盛の要因となった近代の時代背景を彼女は挙げる.一つは近現代の歴史が植民地主義の歴史でもあり、小説が原語のまま、母語を他にする者たちによって読まれる状況が生じたこと、さらに彼らが母語以外の言語で小説を書くという事態が起きたことである.そして製紙技術や印刷技術の科学が不可欠であったし、製本するための資源も要する.書物を輸送させる物流システムの構築も考えねばなるまい.小さなコミュニティを超えて、母語を異にする者たちに作品が読まれるためには、統一言語の存在が必要であり、統一された言語を理解する読者が欠かせなくなる.国家や国語という近代社会において要請された画一的言語、画一的集団が小説を支えたのであると考える.小説は統一された言語を近代社会に要請する一方で、近代社会は、小説が構築する虚構世界に国家を形成するための俯瞰視点を見出したとも指摘する.この指摘は興味深く、俯瞰視点という用語は彼女によって次の章でさらに深堀りされるのであるが、小説が国家と密接な関係にあることを先に読者に喚起する.

 小説は近代ヨーロッパにおいて発展した文学形式である、と筆者は先に述べた.ではヨーロッパ以外はどうなのか、ということについて現代アラブ文学を専門とする彼女の観点が光る.パレスチナ系アメリカ人文学者エドワード・サイード(Edward Said(إدوارد سعيد))の名を挙げ、小説がその性格からして虚構の空間に世界を構築するものだとし、イスラーム教徒にとって被創造物たる人間が、唯一神の創造物とは別の創造を行うことは、イスラームから外れた行い、ビドゥア(بدعة)であるという意見を提示している.小説家が世界を構築するとき、それは自然と創造者の俯瞰視点になる.この考えであれば私達は作品創造という営為のうちに、あるいは国家形成によって不遜にも神に挑み続けていたようである.厳格な一神教ならではの面白い考えである.だが、調べればすぐに現代のアラブ文学は次々と出現していることはわかる.現代では、神の視座に関するウラマーの見解と、「小説」の体裁に類似した文学作品の意義をイスラームの人々はどのように折衷しているのだろうか.

 さて、彼女は西欧に対抗する意見として中東の文人を用いて「超越者の視点」に関する説明を試みているが、我が国における小説の形成も一応参照しておこう.

 加藤周一の「日本文学史序説」によると、近代ヨーロッパで呼ぶ所の世俗的日常的な現実描写を骨子とする物語を「近代小説」とすれば、十世紀の日本宮廷社会では既に「近代小説」に比肩する小説的世界が成立していたという.それは「落窪物語」である.「落窪物語」は継母の継子いじめの話である.一家族をめぐる日常的な事件の詳細、登場人物のそれぞれ異なる性格、人物の相互の心理的関係、非日常的な出来事や超自然的な力を介入させない点で「近代小説」に呼応する.だが、当時は彼らは小説という言葉を用いたわけでもなく、小説形式を成すための文学理論は存在しなかった.明治時代に小説は近代ヨーロッパの変遷を踏襲した坪内逍遥の「小説神髄」(1885-1886)が発表されて初めて、我が国の小説家が誕生したという定説が多い.田山花袋から正宗白鳥に至る「自然主義派」が出現してから様々な派閥が興隆することになる.明治維新の黎明期に青年であった文人らの特徴にも触れられている.彼らは西洋文化との広汎で組織的な、伝統的な教養の深さ、およびの社会の全体に対する関心が指摘されている.特に、文化的伝統の対象化である. 

 ヨーロッパとの接触は、個人的な水準においてそれが深く徹底的であるほど、日本の文化的遺産に対する当事者の自覚を促す.西洋人の偏見に対する反発、あるいは日本の伝統文化を評価する外国人への反応が起こり得る.それは「ナショナリズム」であり、または彼らの日本への評価が普遍的な評価基準に基づくのであれば、それを認めなければならない.日本の立場を擁護する必要もある.岡倉天心はその代表と言って良い.彼はだから英文で「東洋の理想」(1903)と「茶の本」(1906)を書いたのである.鈴木大拙も彼に似る.二人は日本文化を意識的に対象化し、普遍的な為し方で分析と叙述を試みた.しかし普遍的な言語は英語だけではない.森鴎外は西洋言語の散文の正確さと推論の秩序に学び、緻密な日本語の文体を確立している.以後、永井荷風、木下杢太郎、石川淳、中野重治へ続く.夏目漱石は小説の一形式を完成させ、西田幾多郎は独自の文体で哲学的思索をまとめたのであった.彼らの文学的貢献によって統一言語での記述がなされ、また明治政府は近代国家の成立を果たした.小説が要請する条件を満たしたのである.

 国家黎明期においてキリスト教の輸入は十九世紀後半の知識人に影響をもたらしたが、殊に北米系のプロテスタンティズムのキリスト教であり、その教会であった.彼らが近づいたのは宗教性というよりもキリスト教を通じた西洋の言語、思想、文学であったようだ.国木田独歩、島崎藤村、正宗白鳥、岩野泡鳴など「自然主義」小説家らは皆成人前に洗礼を受けたが、五年以内に棄教する潔さがあった.キリスト教の説く、超越的絶対者との関係において定義される正義と、キリストによる原罪の救済という観念は彼らには響かなかった.キリスト教は独立人格の自己同定に根拠を与えるものとして機能したに過ぎない.信仰の棄却に関する精神的痕跡は彼らの文学に見られないと加藤は指摘する(加藤は全部読んだのか……??).

 以上を考えると、日本の近現代文学形成において西洋の接近が重要な要因であることがわかる.ナショナリズムの萌芽を促し、普遍的価値の叙述への道をひらいた.キリスト教への関心は宗教的側面ではなく、あくまで彼らのアイデンティティ形成の手段であり、文学への窓口として利用したということになる.自己実現のために作品創造を行ったとすれば、そこに神の視点という言葉はふさわしくないように思われる.神の衰退かどうかはともかく、とりあえずはメタフィクション的(以下メタ的)な視点ということになるのかもしれない.これは濫喩である.

 だがメタ的な視点が神の視点でないとすれば誰の目線なのだろうか.作者かというとそうとは限らない.筆者は非人称の語り手、という言葉を用いるが、それ以上明示されない.

 兎にも角にも、小説が国家と密接な関係があることを理解した.国家には社会の変革によって国民が巻き込まれる事態、例えば「戦争」や破壊的な出来事のように、不可避な場合がある.逃れられない不条理が個々人に刻みつけるトラウマ(外傷)は、時制を壊し、過去として馴致不能な現在の暴力として回帰する.そうした語ることも水に流すことのできない<出来事>を、小説は時代の要請のもと、身に引き受けたのではないかと筆者は推察する.私達は小説という装置に語りを委ねることを期待したのではないか、それが不可能であるかはわからないが、人々は分有の可能性に賭けたのだと.

 筆者はH. Balzacの小説、「Adieu」を例に挙げる.私は読んだことがないのだが、筆者のあらすじ紹介で概略はつかむことができた.ナポレオン戦争を題材に1830年に書かれたこの作品は、彼女が繰り返し述べてきた、現実の<出来事>の叙述不可能な部分を虚構世界の小説に仮託することで、語り得ない余剰部分を浮かばせるという企てを示しているのではないかという.

 作品に登場するF大佐は、「Adieu」としか言わない狂女に偶然出会った.しばらくしてその女性はかつての恋人Sであったとわかる.過去にSは戦争に従軍するF大佐を追って、ロシアまで赴いた.だが、フランスの敗退によってロシア軍に包囲され大佐は逃げおおせたものの、Sは敵軍の慰み者となってしまったのだ.F大佐が知る恋人としての彼女の最後の言葉は「Adieu」(お別れね)であった.2年もの間蹂躙された彼女は正気を失っていた.大佐はなんとかかつてのSを取り戻そうと奔走するが医療は期待できない.彼がとった最後の手段は、なんと当時の情景を完全に再構成し、記憶を取り戻すことであった.場所、季節、衣服、舞台装置すべて揃えて.

 Sの記憶は、F大佐の壮大なエゴイズムによる、かつての情景を見ることで回帰した.しかし、「Adieu」と元恋人のFに告げるや否や事切れてしまった.Sを失ったFは取り残され、まもなく彼は死を選んだ.Sが亡くなった理由や自殺した理由の類推はいくらでもできるかもしれない.しかし、作品に示されるのは彼らの死だけである.この明文化されない空隙が、読者を容赦なく突き放す.見事に当惑させる.理不尽さや不条理という言葉は浮かぶが、そんな陳腐な言葉では言い尽くせないだろう.

 Sにとって自身を獣以下に貶める転機となった舞台を再び目にすることは、超絶怒涛の暴力である.彼女が思い出したのではなく、まさしく時制を壊された出来事が現実に回帰した好例であろう.なんて酷いことをF大佐はしたのだろう、と思うかもしれない.彼はただSをどうしても取り戻したかったのだ.取り戻すことでSを救済したいと願うFのナルシスティックな心理と、眼前の狂女がSであることを認知したくない彼の否認を知ると、これ以上の言及について私は言葉をよく選ばなければならないと思う.

 この作品はフィクションである.特にF大佐が、記憶を取り戻すために現場の再構成を仕掛けるあたりは小説のなせる業だろう.だが、Sが「Adieu」しか言わないこと、彼女がそれ以上語らないがために、我々はFとSの時間・空間的断絶を感じ、その断絶の中に戦争が刻んだ傷を観取することができるのだろう.

ここまで読んでくださり、ありがとうございます.

 

「記憶/物語」を読んで 2

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 出来事の暴力性、人の無力さ

 小論は前回の投稿の続きになります.未読の方はこちらからご覧ください.

 彼女の論説は二部構成であり、第一部は「記憶の表象と物語の限界」を題する.各部は複数の章からなる.一章は、記憶が「私」という主体が思い出すという能動的作用として表現され、過去の出来事を随時取り出しては参照する記録装置のような心象をもつが、時として記憶は、或いは記憶に媒介された出来事が、「私」の意思とは無関係に瞬時に飛来してくる性質を述べる.この突然の到来に対して「私」は徹底的に無力で、受動的で、制御不能なものとして、自身に襲いかかってくるものでもあるという.この場合、出来事は記憶の中で生々しい現在を生きている.記憶の回帰は根源的な暴力性を秘めているとする.

 その根源的な暴力性の例として、筆者はフラッシュ・バックという現象を挙げる.これは記憶に媒介された暴力的な出来事が想起され、現在の時制において生起する状態である.その瞬間、あのとき感じた自身の感情・感覚が投げ出され、暴力性にさらされる.どんなに忘れたくても.覚醒剤の後遺症として、心的外傷の傷跡として、自閉症スペクトラムの人々にとっても、瞬時の回帰は容赦ない.

 思い出してしまう、回帰する記憶の暴力性の被害者として、日本軍の「慰安婦」とされた女性の体験について岡は述べる.女性らはかつて自分らが被った一連の暴力的な出来事を記憶の回帰とともに、現在形で追体験しているのではないか、と筆者は考察する.もし仮に、明示的な言葉で語ることので出来事が確定するのであれば、我々はすべてを言葉で語らないとならない.すなわち、語れないことは存在しないということになる.だが、先程の「慰安婦」であった女性らは確かに無慈悲な出来事を再体験する苦痛を耐えている事象に反してしまう.筆者は言葉の非万能性に気づく.何かを語ろうとするときに、それが根源的な体験であればあるほど、言語の徹底的な不自由さを感じるのであると.特に自分でも説明し難い体験を、既成の言語で片付けてしまうとき、その居心地の悪さを感じるのではないかと.なんだかしっくりこない感じ、である.両手に掬った砂が隙間からこぼれ落ちてゆくように、語られなかった余剰部分が沢山あるのではないか、と筆者は考える.この筆者の主張に私は強く同意する.

 語られなかった出来事の余剰部分、言葉では切り取ることができなかった余剰部分、出来事の切れ端、という表現を筆者は用いる.時間の経過とともに、これらの多くは忘れ去られ、言葉で語られることのみが出来事となるのではないかと考えるようになる.そして、出来事が言語化されるとき、それは過去形で示される.人が出来事を「過去」について馴致する(実に見事な言い回しだと思う)とき、すなわち人が出来事を過去のものとして飼いならすのではないかと考察する.

 筆者は「出来事が言語化されるとき、それはつねに過去形で表現される」としている.彼女の揚げ足をとる意図は毛頭ないことを断った上で、敢えて出来事を時制変化を用いずに表現することは、特に我が国の文学的物語(narrative)の特徴として、多いに知られているものである.日本語について述べれば、そもそも日本語の文法は現在、過去、未来を鋭く区別しない.

 心のうちに祈念して、目を見ひらいひたれば、風も少し吹よはり、扇も射よげにぞなったりける.与一鏑をとってつがひ、よっぴいてひやうどはなつ.

 上記は「平家物語」において、那須与一が沖の波間に揺れる小舟に差し出した扇を海岸から射落とす場面である.過ぎ去った出来事を語りながら、現在形の文を混入させて臨場感を作り出す技法ははるか以前から知られている.矢を放つ主人公の動作のみが現在形である.神仏への祈念と風の静まりから決定的行動へ移る描写の現在形は際立ち、その一瞬の光景を浮かび上がらせる.これは決して暴力的というわけにはいかないだろうが、一気に読み手、聞き手を引き込むという点で、強力な誘導である.強制力を持つわけである.

 一方、近代ヨーロッパ語の場合は、動詞の語尾変化や助動詞と動詞の併用により、出来事の過去・現在・未来を、文法的に明示する.その中でも厳格な文法から一定の緩みを見ることができる.以下の例文を示す.

Alors, une idée l’exaspéra. C’était une saleté que ces dames voulaient lui faire en se conduisant mal chez elle. Oh! Elle voyait clair! …

Émile Zola, Vuillaume, 1876

 その時、一つの考えが頭をよぎって彼女は激しく苛立った.このご婦人方は、彼女の家で無作法に振る舞って、嫌がらせをしたんだ.ああ、はっきりわかるわ.

Dora stopped listening because a dreadful thought had struck her. She ought to give up her seat. She rejected the thought, but it came back. There was no doubt about it. 

Iris Murdoch, The Bell, 1958

 ドーラは恐ろしい考えが急に頭に浮かんできて、会話に耳を傾けるのをやめた.私が席をゆずるのが当然だわ.ドーラはその考えを打ち消したが、再び考えは戻ってきた.譲らなければならない.

 上記はいずれも登場人物の意識にのぼった考えを描出した文である.仏文では自由間接話法(Discours Indirect Libre/Style Indirect Libre)とよび、英文では描出話法(Represented Speech)ともいう.こうした技法を意識の流れ手法(Stream of Consciousness Technique)と呼ぶようである.このような技法は伝達動詞の支配から自由になる話法であるが、時制は必ず間接話法と同様に照応を求められる.時制は自由にはならず、時制が日本語のように読者を現在へ引き込むのではない.読者・聴者の意識が、あたかも作中の登場人物の意識であるかのように、過去へ誘うのであろう.強い言い方をすれば過去へ引きずり込むのだろう.

 おそらく著者が「出来事が言語化されるとき、それはつねに過去形で表現される」と言ったのは、日本語の緩い時間的性質を理解しつつも、印欧語における時制が人を従属させる強制力を念頭においてであろう.それは彼女が別の章でH. Balzacの作品を紹介していることと無縁ではないだろう.

 余談であるがアフロ・アジア語族の一つ、アラビア語について言えば.私の調べた限り直接話法、間接話法は存在するようだ.しかし時制の一致は必須ではないという.文学作品において印欧語のような描出話法があるのかは私の知識不足で伝えることはできない.また、オーストロネシア語族のいくつかは、そもそも時制が存在せず、今日、明日といった語を添えて時間における所在を示すようである.各言語の文法的詳細に触れることは本旨から外れるのでこれ以上触れないでおく.ただ、言語によって、語り手と聞き手の間の引力の度合いが異なるのかもしれない.

 これまで述べた表現はあくまで文学上の技巧であり、作者ないし語り手が主体となり、主体が出来事を従えている場合と考える.主体は(文法上の制約の限り)、<出来事>を自在に扱えるように見えるが、やはり、言語が<現実>に対して本質的にはらみもつズレ(齟齬)のために、馴致、従属は不完全であると彼女は述べる.

 さらに、人と出来事の関係において、出来事が回帰する時の、人の徹底的無力さと出来事の圧倒的制圧力を考えれば、人が出来事を語るのではなく、出来事がそれ自身を人に語らしむと言えるのではないかと考察する.この点についても私は全く同感である.私が想起し、知覚した事物を表現しようとする時、それは言語のみに頼らなければならないが、心に残ったその心象をすべて表現しようとするには、言葉では到底太刀打ちできない.遠足や旅行から帰ってきた小学生くらいのこどもが、「みんなで◯◯に行ったんだ.とても楽しかったよ」と月並みな感想を述べたとしても大人がそれを聞いて嬉しく思うのは、彼らが言外に漂わせる幸福の余剰を、無意識に感じるからであろう.私達は知らずして出来事の雄弁さを知っているのである.しかし、その余韻を私達が正確に観取することはできないのは自明である.幸福な記憶は勿論、絶滅収容所にいたユダヤ人や、「慰安婦」とされた女性らが体験した出来事の際立った暴力性は、それが半世紀以上経ってもなお、現在の暴力として回帰する、そのような性質にあるという点にある.出来事と私達の生の時間は一致せず、回帰する出来事は時制が破壊されているという.故にその暴力性の深みを我々が観取することは難しい.だが、それが仮に我々が現在、生起している出来事であるとしたら、私達は語ることができるだろうか.暴力を受けている間、呻き声や声なき嗚咽以外、何を語れるのだろうかと、彼女は問う.そして次のように問題を提起する.

 暴力的な出来事の、それについては語ることができないという点にこそ、その出来事の暴力性の核心が存在するような、そのような<出来事>について、私たちは、いかにしたらその<出来事>の記憶を分有することができるのだろうか.

 ここまで読んでくださりありがとうございます.筆者の問いに対して私なりに考えを落とし込めたらよいなと思っています.もう少し続けていきたいと思っています.

 

 

「記憶/物語」を読んで 1

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 出来事、歴史、記憶と物語、これらを理解すること、語り継ぐこと

 私が中学生の頃、夏休みを直前にした暑い日の体育館で全校集会があった.それは「太平洋戦争」に関する講演会で、1945年6月の沖縄戦を生き延びた女学生であった方が当時の<記憶>を語るという、思えば貴重な機会であった.私は何となく近代史に興味が湧いてきた年頃なのか、沖縄戦について、生き証人自らの当時の話を聴くということにかなり期待していた.そういう生徒が他にいたかどうかはわからないがきっと少なかったのではないかと思う.というのも、暑い体育館で一時間超も知らないおばあさんの昔話を聴くと思えば、聞くに堪えないだろう.寝ていた人はいた.だが私は彼らを非難するつもりは無い.私は自分の好奇心を満足する目的で傾聴したのであり、凄惨な地上戦の酷さに多いに共感したものの、ただ好奇を満たす方が優先されたのだと思う.よって私は特殊な例かもしれないが、講演会の本来の趣旨に沿わない一生徒であったことを認め、批判する立場に無い.むしろ戦争の証言に無関心でいる方が、沖縄から遠く離れたとある公立中学校の生徒としては、多数派であったかもしれない.平穏な日常を享受する平成の生徒が夏休みを心待ちにする状況と、半世紀以上前に同じ少年少女だった彼らが、同じ夏、塹壕の中、無慈悲な玉砕指令により手榴弾を手渡されるという、諦観と絶望する状況との乖離が凄まじすぎるのだろうか.

 ただ、過去にこのような惨劇があったことは皆記憶するべきであり、知る機会を公共の場を通じて与えられるべきだと私は考えている.だがその機会をいつ設けるかは難しい課題なのかもしれない.個人的には義務教育の期間に行うのが適当のように思う.時が経つに連れ、時代の生き証人は次第に天寿を全うしてゆくから、証言を依頼することは、もし承諾が得られたとしても本当に希少になってくる.今年で戦後75年である.

 なぜ、あの戦争が起きたのか.この問いに対して丁寧に回答できる人は少ないのではないか.なぜ、戦争を繰り返してはいけないのか.これも合理性を以て説明できる人は限られているように思う.日本では6月、8月になると、あの戦争を二度と繰り返さないように、と戒めの言葉が報道される.毎年慰霊の集会が行われ、追悼の式典が伝えられる.追悼は喪の作業である.戦争に巻き込まれた人の死を悼む、普遍的な癒やしのプロセスである(英霊を参拝する、とはニュアンスが異なる).これらを報道するのは別に良い.伝えるべきは「主に6月23日、8月6日、9日、15日に人々が祈る行為が示す、小さな声の「物語」に耳をすますこと」では無いのか.なぜ、国民総動員で戦争を駆り立てる不条理な<出来事>が行われたのか、私はこどものときからずっと疑問に感じていた.一応の論理と通史は理解したが社会の授業ではそれ以上のことはよくわからなかった.期待していたわけではなかったが、夜7時のニュースも教えてくれなかった.ニュースはいつも事実らしいことを淡々と伝えるだけである.

 「戦争をしてはいけません、戦争を繰り返さないようにしましょう」、わかったわかった、だからなぜいけないのかを教えてくれ.「悲惨だからです」それはそうだが、知りたいことはそうでは無い.こどもの頃のわたしはそう思っていた.それは大人の常識だからなのか.常識だから伝えないのかと.後に私は夜9時のNHKスペシャルや、「映像の世紀」という他国合作ドキュメンタリーを観ることで映画から暗に示される、戦争のおびただしい狂気から初めてそれを否定する理由を感じることができた.また、この<出来事>が実に深く入り組んでいる事態を知る.私は開戦に到る事由を語る難しさを知る.そして私は一連の<記憶>が次第に露と消えてゆき、物語の継承が上手く紡がれていないのではないかと考えた.

 さらに少し歳を重ねて、渡英したとき、現地のテレビで9月2日に見た朝のニュースは、戦勝国の立場としての「Victory over Japan day」を伝えるものであり、私は急速に寒気に近い、英国で居心地の悪さを感じた.「私はかつて敵対した国に今いて、私の国に勝利したことを未だに祝っているのか」と.私自身が直に触れた戦争の影はそれが初めてであったのかもしれない.私の曽祖父が満州に従軍したこと、祖父が尋常小学校で「畏き辺り」に対する不敬をを罰せられそうになった逸話、別の祖父が海軍航空隊を志願したが海軍兵学校の試験に不合格であったような話を耳にする程度であった.世代が進むにつれて、語られる話は信憑性が薄く、内容が短く、あっと驚くようなオチか、「何処其処に行った」という記録のみになってゆく.実の家族の記憶さえも風化してゆくのだ.

 私は日本近現代史を専門とする加藤陽子氏をはじめ様々な人々の書物で、上記の問いを理解しようと試みた.確かに氏のある著書は私の抱いていた疑問と同じ問いかけをしている.高校生と同じ目線に立って、或いは「自分が戦時中の官吏の立場だとしたら」という条件仮定に基づいて論考を進めている.かなり久しく時間が経ってしまったのでどんな内容か詳細に述べることはできない.だが、歴史的事象をなるべく当事者と同じ等身大の目線で捉え、どのように重大な局面での意思決定を為したかが推し量れる興味深い著作であった.

 書籍を読み進めていくうちに、極めて専門性の高い人物による、多数の文献と賛否両論の先行研究に基づいて記された著書に対して、(当然かもしれないが)真っ向と対立し、ときに辛辣な意見を述べる有形無形の存在が一定数いることに気づく.それは大きな声であり、決して無視できない勢力である.もちろん耳を傾けるべきではある.こうした声は南京大虐殺、従軍慰安婦といった負の<出来事>に関してもこだまする.そのようなことはなかったのだ、それは各々の任意で行われたのだ、もはや過ぎたことなのだ、と.歴史修正主義、記憶の風化、過去の清算.様々な用語が脳裏をよぎる.私達は「歴史」という一本の線を歩んできたと思えば、振り返ると二本、三本と沢山の線の軌跡があるように見える.一体私達はどの線を歩いてきたのだろうか、さきほどまで信憑していたはずの「物語」が疑わしくなってきてしまいそうになる.自尊心を煽り、過去から現在の自国の尊厳を保とうとする声、たどってきた線の正当性を高らかに述べる声が鳴り響く.それらはときに聞き心地が良く、魅惑的でもある.私は妖精の声に釣られて森林を逍遥する旅人か、セイレーンの声に誘われて航海する彷徨える船乗りか.

 急転直下の如く、突如何もかもがわからなくなってくる事態に陥った.私は歴史や物語、伝承を一体どのように理解したら良いのか.<出来事>を生きた証人の高齢化と減少、世代を経て薄れてゆく記憶、それに伴い枝分かれする物語.なぜ<出来事>が起きたのかを理解するには、物語の伝承を語り手の意思に忠実に行う方法についても考えなければならなくなる.忠実に行う方法があればの話だが.


 私は、岩波書店から出版されている「記憶/物語」(著者:岡真理)という論説を読んだ.(無論、妻の本である)この論考は2000年に書かれたもので、私が手に取っているその本は2014年に第14刷が発刊されたようだ.広く長く読まれている証左なのかと思う.110数頁の読み物で、じっくり考えながら読むには良い分量であった.私にとって上記のことを考える好機となった.

 彼女の考察は、レバノン郊外にある「タッル・ザアタル」(Tel al Zaatar(مذبحة تل الزعتر))、(香辛料の)タイムの繁れる丘と呼ばれる地域で、1976年8月12日にパレスチナ人虐殺が起きた<出来事>から始まる.その<出来事>を綴ったパレスチナ人作家であるリアーナ・バドル(Liana Badr(ليانة بدر))の小説「鏡の目」(The Eye of the Mirror)を読んで浮かんだ疑問を彼女は述べる.そして以下のような問題提起を行う.

 <出来事>の記憶を分有するとはいかにしたら可能だろうか.<出来事>の記憶が他者と分有されるためには、<出来事>は、まず語らねばなるまい.伝えられねばなるまい.<出来事>の記憶が、他者と、真に分有されうるような形で<出来事>の記憶を物語る、とはどういうことだろうか.そのような物語は果たして可能なのか.存在しうるのか.存在するとすれば、それはリアリズムの精度の問題なのだろうか.無数の問いが生起する.

 さまざまな<出来事>をめぐって、私たちが記憶の抗争のただなかにおかれている現在、<出来事>の記憶の分有の可能性について考えることには、クリティカルな意味がある.以下の小論で、これらの問題の一旦について考えてみたい.

 分有するという動詞は、一つのものを皆で分かち合って所有するという意味である.こうした彼女の問題提起は私にとって大いに刺激であり、解決ができるかどうかともかく、これら諸問題に対する考え方を見つめ直す絶好の機会と考えたのであった.

小論はもちろん続きます.読んでくださってありがとうございます.

The Book of Tea: 10

Chapter IV The Tea Room

To European architects brought up to the traditions of stone and brick construction, our Japanese method of building with wood and bamboo seems scarcely worthy to be ranked as architecture. It is but quite recently that a competent student of Western architecture has recognised and paid tribute to the remarkable perfection of our great temples.6 Such being the case as regards our classic architecture, we could hardly expect the outsider to appreciate the subtle beauty of the tea-room, its principles of construction and decoration being entirely different from those of the West.

The tea-room (the Sukiya) does not pretend to be other than a mere cottage – a straw hut, as we call it. The original ideographs for Sukiya mean the Adobe of Fancy. Latterly the various tea-masters substituted various Chinese characters according to their conception of the tea-room, and the term Sukiya may signify the Adobe of Vacancy or the Adobe of the Unsymmetrical. It is an adobe of Fancy inasmuch as it is an ephemeral structure built to house a poetic impulse. It is an Adobe of the Vacancy inasmuch as it is devoid of an ornamentation except for what may be placed in it to satisfy some aesthetic need of the moment. It is an Adobe of the Unsymmetrical inasmuch as it is consecrated to the worship of the Imperfect, purposely leaving some thing unfinished for the play of the imagination to complete. The ideals of Teaism have since the sixteenth century influenced our architecture to such degree that the ordinary Japanese interior of the present day, on account of the extreme simplicity and chasteness of its scheme of decoration, appears to foreigners almost barren.

The first independent tea-room was the creation of Senno-Soyeki, commonly know by his later name of Rikiu, the greatest of all tea-masters, who, in the sixteenth century, under the patronage of Taiko Hideyoshi, instituted and brought to a high state of perfection the formalities of the Tea-Ceremony. The proportions of the tea-room had been previously determined by Jowo –a famous tea-master of the fifteenth century. The early tea-room consisted merely of a portion of the ordinary drawing-room partitioned off by screens for the purpose of the tea-gathering. The portion partitioned off was called the Kakoi(enclosure), a name still applied to those tea-rooms which are built into a house and are not independent constructions. The Sukiya consists of the tea-room proper, designed to accommodate not more than five persons, a number suggestive of the saying “more than the Graces and less than the Muses,” an anteroom (midsuya) where the tea utensils are washed and arranged before being brought in, a portico(machiai) in which the guests wait until they receive the summons to enter the tea-room is unimpressive in appearance. It is smaller than the smallest of Japanese houses, while the materials used in its construction are intended to give the suggestion of refined poverty. yet we must remember that all this is the result of profound artistic forethought , and that the details have been worked out with care perhaps even greater than that expended on the building of the richest palaces and temples. A good tea-room is more costly than an ordinary mansion, for the selection of its materials, as well as its workmanship, requires immense care and precision. Indeed, the carpenters employed by the tea-masters form a distinct and highly honoured class among artisans, their work being no less delicate than that of the makers of lacquer cabinets.

The tea-room is not only different from any production of Western architecture, but also contrasts strongly with the classical architecture of Japan itself. Our ancient noble edifices, whether secular or ecclesiastical, were not to be despised even as regards their mere size. The few that have been spared in the disastrous conflagrations of centuries are still capable of aweing us by the grandeur and richness of their decoration. Huge pillars of wood from two to three feet in diameter and from thirty to forty feet high, supported, by a complicated network under the weight of the tile-covered slanting roofs. The material and mode of construction, though weak against fire, proved itself strong against earthquakes and was well suited to the climatic conditions of the country. In the Golden Hall of Horiuji and the Pagoda of Yakushiji, we have noteworthy examples of the buildings have practically stood intact for nearly twelve centuries. The interior of the old temples and palaces was profusely decorated. In the Hoōdo temple at Uji, dating from the tenth century, we can still see the elaborate canopy and gilded baldachins, many-coloured and inlaid with mirrors and mother-of-pearl, as well as remains of the paintings and sculpture which formerly covered the walls. Later at Nikko and in the Nijo castle in Kyoto, we see structural beauty sacrificed to a wealth of ornamentation which in colour and exquisite detail equals the utmost gorgeousness of Arabian or Moorish effort.

 石と煉瓦を積み立てる伝統に育ってきたヨーロッパの建築家にとって、日本人の木と竹で家を建てる方法は全く建築に値しないと考えるであろう.しかしここ最近西洋建築の有能な学徒が我らの大寺院の素晴らしい完璧を認め、賛辞を送るようになった.我々の古典建築に関してもこの具合であるから、茶室の微妙な美しさ、その建築と装飾の原則が西洋のそれとは全くことなるものを外部が鑑賞できることを私達は全く期待し得ない.

 

 茶室(数寄屋)はただの小屋でありそれ以上望むものではない.いわゆる藁屋と呼ぶに過ぎない.元来の数寄屋の表意は「好き屋」である.最近では様々な茶の宗匠が茶室に対する自分の考えに応じて漢字を当てたので、数寄屋の意味は空き家か数寄屋になっている.詩的な衝動で建てられた儚い構造物であるからこそ「数寄屋」なのだ.その瞬間のある種唯美的必要を満たすために設けられたものを除いて、調度品を欠いているからこそ「空き家」なのである.故意に、あるものを完成への想像するため戯れに未完成にして、不完全を敬い聖別するからこそ数寄屋なのである.茶道の理念は十六世紀以来、我が国の建築に現在の日本の内装という点である程度影響を及ぼしたが、装飾構造の極度の簡素と貞淑のために、外国人にとってはほとんど荒廃したように見えるのである.

 初めて独立した茶室が生み出したのは千宗易、のちに千利休の名で知られた、最も偉大な茶の宗匠であり十六世紀に太閤秀吉の庇護下で茶の湯の形式を定めて完成させ、高みの領域に至らしめた.茶室の広さは以前に十五世紀の有名な宗匠紹鷗によって定められていた.初期の茶室は茶会のため屏風で仕切った普通の居間に過ぎなかった.仕切りの一部は「囲い」と呼ばれ、その名前は未だ、家の中に作られ、独立した建物でない茶室に使われている.数寄屋は、「グレース神の数より多く、ミューズ神の数よりも少ない」という諺の暗示する数、五人よりも少ない人数を歓待するために設計された茶室と、茶器を茶室に持ち込む前に洗って並べておく控えの間「水屋」と、客が茶室に招来されるまで待つ玄関「待合」と、茶室と待合をつなぐ庭の小道を「露地」からなる.茶室の見た目は印象的ではない.それは最も小さい日本の家屋よりも小さく、その建築に使われた材質は洗練された貧しさを暗示する意図が秘められている.すべてこのことは深い技芸的先見から出たものであり、その細部に仕上げられた配慮は、最も豪奢な御殿や寺院よりに払われたものよりも周到であることを記憶せねばなるまい.良い茶室は普通の邸宅よりも費用がかかっている.職人の手腕と同様に、材質の選択に途轍もない配慮と精密性が求められるからである.実際、茶人に雇われる大工は、職人の中で一目置かれ、名誉あるもので、その仕事は漆器職人のそれに劣らぬ、細心の手際を要するものである.

 茶室はあらゆる西洋建築と異なるだけでなく、日本の古典建築そのものと強烈な対照をなしている.我々の古代の気高い殿堂は、俗的であろうと宗教的であろうと、単なる大きさでさえも軽蔑しがたいものであった.世紀の大災害を免れたものごく少数は未だその装飾の豪華絢爛さで我らに畏敬の念を抱かせる力を持っている.直径二、三尺、高さ三十尺から四十尺の巨大な木の柱は傾斜した瓦屋根の重さのもと複雑な網状の斗栱によって支えられる.材質と建築の様式は火に弱いものの、地震に強いことを証明し国の気候条件に適していた.法隆寺の金堂と薬師寺の塔は、十二世紀近く無傷で実際に立っていることの顕著な例であろう.古刹と宮殿の内装は惜しみなく装飾されていた.宇治の鳳凰堂では十世紀から我々は精巧な玉座と金襴の天蓋、かつての壁画や精巧な彫像はもとより、多彩な色とはめ込まれた鏡、螺鈿細工を見ることができる.後の日光や京都の二条城のように、優美な細部と色彩において、我々はアラビア様式やムーア様式の豪華絢爛に等しい装飾の豊かさに構造上の美しさを犠牲にした例を見ることができる.

6 We refer to Ralph N. Cram’s Impressions of Japanese Architecture and the Allied Arts. The Baker & Taylor Co., New York, 1905.

 ながらく時間が空いてしまいました.季節の変わり目で油断して少し体調を崩したのでした.涼しいどころか寒くなりましたね.鍋物が美味しくなる季節です.久しぶりの対訳です.