美味しいピザを食べよう

 期せずして実現しなかった事柄というのは、時々起こるもの.その事態に対して私達はどんな気持ちを抱くか.悲観していたことが好転した場合は喜ばしい.楽観していたことが落胆に変わればもちろん悲しい.期待と現実の間に生じる差が大きくなればなるほど、感じるものも大きい.それは間もなく、私達夫婦(亀吾郎法律事務所の掃除夫と妻)にも訪れた.その日は所長と秘書は自宅でのんびりしていた.曇り空にところどころ晴れ間が見える暑い日だった.午睡していたボクスターは乾いた音を立てて目を覚ました.この六気筒の水平対向エンジンMA−122型は名機である.

 Instagramという米国発祥のアプリケーションがある.主にスマートフォンで撮影した画像データをインターネット上に投稿、投稿した画像や動画はアプリケーションで公開される.画像には注釈をつけることができ、他者にとって検索の助けになるよう、カテゴリが作成できる.共感を誘う視覚情報にはハートマークを与えることで投稿者への賛辞、称賛等を示すことができるとされる.このようなソーシャルメディアという世界はおそらく、軍事、諜報、様々な禁忌を除いてあらゆる人間の活動と相性がよく、七つの大罪を生み出す他に、経済効果にも大いに貢献していると思われる.

 妻と次のような話をした.どこかゆっくりと瀟洒な所で食事と喫茶をしたいねと.Instagramの中で、飲食店は見栄えの良い写真を投稿して宣伝していることを思い出した.訪れた客も思い出とともに提供された料理の写真を投稿し、共感を多く誘う店舗は界隈で有名となることを二人は知っていたので、それを利用して飲食店を探してみようということになった.

 石窯で焼いたピザが食べられるお店があるようだ.それは市街地から少し離れたところで静かな料理店を予想させる.ピザに対する評価は著しいようだし、なかなか個性的ではないか.満場一致で翌日、出かけて昼食を摂ることにした.

 50分くらいの片道であった.様々な道を通ったが、店に近づいてくるにつれてすれ違えないほど狭くなる区間が生じる.夜道は大変そうだ.途中小気味よいくねくね道があったので楽しい時もあった.やがて砂利の敷かれた駐車場に着く.駐車場といってもお店の駐車場ではなくて、広く解放されている敷地である.そこから降りて一分くらい歩き、店の前に心弾ませて入ってゆく.

 店の入口は足が悪い人にとって不都合なほどに狭く不安定である.店内は薄暗く、店員が忙しく歩きまわっている.期待していないが「いらっしゃいませ」という挨拶はなく、座席へ誘導されない.中々目が合わない.入っている客は数組ほど.天井が低いせいで思った以上に店内が狭く感じる.不穏な空気感である.

 眼力の強い店員がようやく応じて、席を案内すると思いきや、

「ピザはありませんが、カレーならあります」「カレーはこの二つです.他の前菜もあります、どうしますか」

 ピザはありません、どうしますか

 ひどく狼狽した.インドラの矢でも受けたような衝撃が走った.銃後の妻もそれを聞いて、悲痛な面持ちを隠せずにいる.銃撃と爆風を受けて傷を負ったのは私だけでなく、妻の期待と高揚感も吹き飛んだ.出されたメニューは薄暗くてよく見えなかった.

「どうしようか」

 私は消え入りたい気持ちを隠せずに妻に質問してしまった.妻は黙って首肯した.もし私独りであったら勇退したであろう.しかし遠路はるばるやってきたのだ.ここ以外に近辺に飲食店はない.悲しい二択を迫られてしまった.

「では空いているそこにどうぞ」

「はぁ」

 あちこち空いていたので「そこ」がどこなのかわからなかったが、店員の意図を汲み取って着座した.隣には楽しげな一組の若い男女.食事を終えてデザートを注文したばかりのようだ.表情は我々と対照的だった.席と席の間が近く、窮屈な気持ちを感じてしまう.妻はもう虫の息だった.メニューが改めて配られる.ピザの種類はかなり豊富だということがよくわかった.しかしピザはないのだ.ないものはない.カレーは確かに二種類.一つはマイルドココナッツカレー.もう一つは忘れてしまったが、1250円のカレーだったと思う.250円でチキンが追加できるという.値段は税抜価格である.1.08をあとで掛けないといけない.寒気がした.前菜や甘味を注文する気になれなかった.全体的にどれも値段が高かったのだ.

 我々は示し合わせたかのように二人ともマイルドココナッツカレーとジンジャエールを注文した.料理が運ばれてくる間、妻は携帯電話を取り出し、私はあたりを見回した.音響に凝っている証なのか、オープンリールデッキが設置され、真空管アンプを通してなにかの曲が鳴っている.しかし耳を傾ける気にはなれない.天井は白い布で覆われている.屋外テントの天井を模しているようだ.建物の骨格は木材で、太い丸太で組んでいるように見えた.お金を節約した難しい建築であるように感じた.やはり天井は低い.床はなぜか段差ができているので圧迫感が強い.誰にとってもバリアフリーの対極であることは疑いようがない.柱にはスワッグが飾られている.精気を失われた私には磔になった藁か呪物でしかない.厨房に目をやると、白い顎髭を蓄えた男性が虚空を見つめている.おそらくピザを焼く為に存在しているのだろう、しかし当時は存在意義がないものとして役のない役に甘んじていた.壁にかかった黒板に描かれたピザのメニュー表はもはや虚構であった.

 親父とは反対に他の店員はいそいそと仕事をしていて、空気には張り詰めたものがあった.おそらくだが、店内は狭くてとても歩き辛いのだ.店員の動ける空間が細いので、移動が遅くなる.厨房へは段差をまたがないと行けないから、気を遣うし、すれ違うのも一苦労だ.明らかにピリピリして見えた.親父を除いてイライラしており、スタッフ同士の不和が推察される.マスクを常時している暑さ、息苦しさもあるだろう.隠しきれない苛立ちと焦燥感は慢性的な状態であることを示唆する.給仕する仕草は粗雑な様子で、もう少しで放り投げる仕草と受け止められかねない絶妙な加減.一体この職場に何が起きているのだろうかと好奇心を湧かせる以外、余暇を潰す策がなかった.終始会話を弾ませることがなかった.

 しばらくしてカレーとジンジャエールが出された.ストローとおしぼりは放り投げられた.カレールーの中心に白米が盛られていた.刻んだミニトマトが添えられている.ご飯はおそらく茶碗小盛りくらいだ.カレーを口に運ぶ.うん、カレーはよく炒めた玉葱と魚介の風味、やさしいココナッツミルクの風味で口当たりはよい.しかし塩気が足りない.自分でもこれならできそうだなと言い掛けて私達は慎重に言葉を選んだ.

 「なんだか塩気がもっとあるといいと思うんだけど」

 妻が先制する.同感であった.よくぞ言ってくれた.

 「うん.それに具がないね」と私.

 「えっ、よく探せばあるんじゃないかな」と一寸否認するも夢破れたり.

 すぐに「ないね」と妻.

 隣のカップルは一つのパフェを二人で仲睦まじく食べている.正確に言うと、男性が女性に一緒に食べようよと迫っている.男の押しが強い.ところであの男性の空腹は満たされたのだろうか.カレーとパフェで満足するのだろうか.他の客はどういう心境なのだろうか.

 妻は私より先に食べ終えた.少しして私も食べ終えた.ジンジャエールも飲み終えて何もすることはなくなった.

 「じゃあ、行こうか」

 勢いよく席を立ち、会計へ向かう.会計と入口と厨房は渾然一体となっており、そこには苛立つカグツチ(料理担当)と、うだつの上がらないガネーシャ(レジ打ち)と、身動きの取れないヘルメス(給仕担当)がいて、カオス(混沌)を形成した.会計を待つにも、どうも慣れない作業を一任されたガネーシャは、店内の最高神であるカグツチに電子マネー決済のやり方を訊く.その間佇立する私は、料理を運ぼうとするヘルメスの進路を塞いでいることに気づき、立つ位置をずらすが、まるで私が悪人であるかのように一瞥し給仕へ旅立つ.居心地の悪さを覚えた.

 会計を終えた.「ごちそうさまでした」と世辞を述べる.何もこだましなかった.

 扉を空けると、分厚い雲から光が漏れているような空で幾分かどんよりしていた.空気も湿っぽくて湿気は多かった.敗北を喫したようだった.暑苦しくて重々しい空気だった.

 「店の前の看板には『ピザがある』って書いてあったのにね」

 謙虚な妻が珍しいことを言う.妻も敗北を抱きしめていたのだ.

「お店は11時30分からで、我々は13時ちょうどに着いた.まさか一時間半でピザがなくなるとは思わなかったなぁ」

 私も悔しさで恨み言を述べた.ピザ屋に行ったのにピザがないという事態に上手く対応できなかった.

 ラーメン屋に行くとスープがなくなったのでお店閉めます、とか、蕎麦屋で蕎麦がなくなったので暖簾を上げることはよくある話で、今回の一件もそういう都合であったのは間違いのないことだ.斟酌して言えば仕方のなかったことだ.我々はそんなに外食をしないので、ピザにかける期待値は高かったし、とても楽しみにしていた.しかし、まさかピザがないとは思わなかった.それにそこまで店内の雰囲気が冥府のようだと思いもすまい.店舗を無作為抽出して、抜き打ち調査を行うメンタルチェック審問官のような気分にもなった.不覚にも従業員の精神医学的問題を直截してしまうとは予想しなかった.

 店内の作業空間に問題があるのだろう.基本的構造からして入口がわかりにくいために入口を探すことから始めなければならない.車椅子の方には到底入店できない.店内も見栄えのする箇所はあるが、人間の出入りする動線を十分に検討していない.設計上の問題を指摘しておかねばなるまい.厨房と厨房の間に会計場があるのは奇妙である.そして厨房と客間の間にも不親切な段差がある.客間は増築したのであろうが、不便である.そして、座席の間隔が密であるから、意図しない緊迫感を生み出す.音響効果も乏しい.この空間を設定したのは誰であろうか.虚空を見つめる親父か、その妻と思われるカグツチか.スタッフ同士の摩擦が見え見えである.指揮系統にも問題がありそうで、スタッフの連携が上手く行っていない.スタッフの余裕がないから、接客にも余裕はなくなるのだろう.ピザの評判は上々であるようだから、親父の焼くピザは確かにうまいに違いない.親父の輝きが眩しいと、それだけ映る陰影も色濃く増すのかもしれない.店を立ち上げたのは親父だろうか.だとすればその開店への志は尊いはずだ.だが従業員と集う客には配慮という光が行き届かず、陰りが広がっている.将来は明るくないと思う.生地の上の職人、頽廃を知らず.といった具合である.

 

 家路に着いて、我々は疲れ果てたが今回の食事を笑い話にして、この一件は終わった.しかし、ピザはどうしても食べたかった.

 「ピザがないのなら作れば良いじゃない」という金言のもとに、家族の団結が行われた.翌日妻は生地をこねる.私はピザソースを作る.チキンも焼いた.二人でトッピングをてんこ盛りにして、最後に妻がオーブンで焼いてくれた.吾郎と三郎は水槽でプカプカしていた.上の写真はピザのないピザ屋よりも勝る美味しいピザである.味は美味しかった!

 これで話は終わりである.ピザ屋への私怨を書くつもりはなかった.ただ期待していたことが残念な結果になったことは確かだった.しかし最終的に美味しいピザを食べることができた.私は悲劇的転帰よりも喜劇的な結末が好きだ.

 一つ、彼らにとって不幸であったのは、皆マスクをつけていたことかもしれない.ただでさえ暑苦しいものを何時間もつけるのは大変つらいことだ.それにマスクの下の表情が見えないと、人同士の距離は心的距離すら遠くなる.適切な意思疎通を取ることはもはや不可能である.この流行している新型感染症の影響は山の中にあるピザ屋にも及ぶことを知る.

 山奥のピザ屋まで不安焦燥が昂じるのは非常事態である.心の底から感染症の収束を願うばかりである.あらゆる流言飛語、不合理な政策、片言隻語を捉え、冥界へと引きずり込もうとする邪な意思が隠れもしなくなっている.実証し得ない風評がやがて人々の不安の中で醸成され、伝播してゆく.それはいつか実体を伴わないが存在する驚異として我々のすぐ近くに潜むようになる.怒りや不安、悲しみに身を任せ、言葉を武器に罵詈雑言を重ねるのではなく、冷静かつ謙虚な気持ちで、人々と世界にどのような心の動きが起きているのかを注意深く観察することが肝要だ.

 亀吾郎法律事務所は今後も言葉の持つ力を十分に勉強し、力を正しく行使できるよう修練に努める所存である.

ここまで読んでくださってありがとうございました.

 

投稿者: 吾郎

2019年12月11日に事務所創設.法律以外の様々な問題を取り扱います.Office est. 11/12/19. Our articles include essay, translation, study about literature, psychiatry(psychopathology), humanities and sometimes roofless vehicles.

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